第54話 神砲衆VS熱田の銭巫女

 1556年8月23日は、雨だった。

 尾張の南北を分ける川、於多井川の水かさが、ぐんぐんと増していく。

 信長が、名塚に築かせようとしていた砦は、まだ完成していなかった。

 それを見た信勝方は、未完成の砦を破壊し、信長方を蹴散らしてやろうと軍勢を繰り出す。その数、おおよそ1700。柴田勝家が1000人。林秀貞の弟、林美作が700人といった割合であった。


「砦を破壊されてはいかん。我々も討って出るぞ」


 翌日、8月24日。

 信長はそう宣言し、兵を率いて清州城を出た。

 その数は、佐久間盛重、佐久間信盛、丹羽長秀、森可成、佐々成政、前田利家ら700人。

 柴田と林が率いる1700人に比べて、戦力は著しく不足している。しかし、


「者ども、恐れるな」


 行軍中、信長は言った。


「こちらには、神砲衆の山田弥五郎が作った銃刀槍がある。織田勘十郎なにするものぞ」


「そうだ。それにこっちの数が少ない分、勝ったときはでっけえぞ。武名は近隣諸国まで響き、褒美も貰い放題だぜ!」


 前田利家が、はしゃぐように叫ぶ。

 わずか700人の集団である。利家の声は、よく響いた。さらに続けて、丹羽長秀も声を出す。


「先代さま(織田信秀)もお味方ですよ。なんといっても、先代さまが直々に選んだ跡取りは我が殿。織田勘十郎は弟の分際をわきまえず、お家に弓引く謀反人。極楽におられる先代さまも、いかに我が子のこととはいえ、勘十郎を許さぬでしょう」


 その言葉を聞いて、一団の士気はいよいよ高まった。

 信長たちのうまいところであった。数で劣れど、こちらには強い武器がある。勝ち目はあると宣言し、さらに手柄はたて放題、褒美はもらい放題であり、かつ大義は自分たちにあると、声高らかに宣言したのだ。信長軍の兵士たちは、自分たちは勝ち組であると思い込み、なおかつ欲望と正義感、両方の面で今回の戦いに意義を見いだす。軍団は完全に団結した。


(しかし)


 織田信長は、なお考えていた。

 口ではああ言っても、結局戦いは数なのだ。信長はそれを知っていた。

 いかに士気が高かろうと、銃刀槍がこちらにあろうと、1000人の兵力差は実に厳しい。せめてこちらに、あと500、いや300人でも兵がいれば。しかしこれでも、30000貫を用いて兵をずいぶん雇った結果なのだ。


「津島衆と神砲衆は、まだ来ぬか」


 小声で、藤吉郎に尋ねた。


「まだのようでございます」


「で、あるか」


「戦いが始まれば加勢すると、弥五郎は断言しておりますで。必ず参ります」


 藤吉郎は、あくまでも小声で答える。

 信長は、小さくうなずき、あとはもうなにも言わなかった。




 俺たち神砲衆は、津島から稲生に向かって進んでいた。


「なぜ、稲生に向かうのだ? 目的地は清州城ではないのか?」


 と、伊与は疑問の声をあげた。

 この時点では、信長軍が出陣したことはこちらに伝わっていない。

 だから信長は清州城にいると伊与は思っており、そこに駆け付けるのが当然だというのが彼女の主張なのだ。


 だが俺は知っていた。

 戦いの場が稲生になることを。

 だから、軍勢を稲生に向けたのだ。


「俺の読みでは、戦場は稲生になるんだ。俺を信じてくれ」


 そう言った。

 津島衆の大橋さんも、甲賀忍者を率いる滝川さんも、俺の言葉を信じてくれた。


「弥五郎がそう言うなら、わたくしは信じよう」


「ああ。お前はこれまで何度も見事な知恵を見せつけてくれた。今度もきっとそうなんだろうな」


 かくして、俺たちは稲生へ向かう。

 その数、おおよそ150人。武装はリボルバー、連装銃、火縄銃、銃刀槍などなど……。


 そのときだ。


「おい、弥五郎」


 五右衛門が、そっと俺に耳打ちしてきた。


「どうした、五右衛門」


「変だぜ。……なんか、気配が妙だ」


「気配?」


「見なよ、あっちの林の中を」


「…………」


 行軍しながら、五右衛門に指し示された森林のほうへ、顔を向ける。

 なんてことない森だ。あれがどうした――と思った瞬間だった。俺は顔色をさっと変え、


「まずい! みんな、歩みを止めろ!」


 俺の一言で、神砲衆は動きを止めた。

 その瞬間だ。森の中から、矢が、何十本とこちらに向けて放たれてきた。

 ひゅん、ひゅんひゅんと風を裂く音が聞こえる。神砲衆以下150人は、とっさに振り返って距離を取り、弓矢の雨から逃れることができた。……危なかった!


「なんだ、伏兵か!?」


「馬鹿な。気配はなにも感じなかったぞ、おい……」


 伊与と滝川さんが同時に叫ぶ。

 すると、バレては仕方がないとばかりに、森林の中で人間がズラズラと立ち上がった。

 数はよく分からない。全員が立ったわけではないからだ。――だが、立ち上がった人間の中に、見覚えのある顔があった。


「銭巫女!」


「お久しぶり。山田弥五郎!」


 距離があるので、お互いに怒鳴り合うような形になったのが奇妙だが――  

 敵の集団の中にいるのは、確かに熱田の銭巫女だった。間違いない。

 そして彼女の周囲にいるのは、銭巫女の家来たちだ!


「あの女、オラたちに気配を隠してたっていうのかよ……」


「いや、蜂須賀。あいつらに限ってはありえるぜ。見ろ、どいつもこいつもまともな目つきをしてないだろ。銭巫女の家来衆は、普通じゃないんだよ」


 銭巫女軍団と戦ったことのない小六さんに向けて、滝川さんが解説する。

 そう、熱田の銭巫女の軍団は、確かに不気味なのだ。強いというより、銭巫女への狂信的な信仰が根っこにあり、とにかく人間離れしたしぶとさや能力を見せてくる。


 そんなやつらを、俺は思い切り睨みつけ――

 特に軍団のかしらたる銭巫女に向けて、大声を張り上げた。


「銭巫女! 不意打ちとはしゃれた真似をしてくれたな!」


「こうでもしなけりゃ、名高き神砲衆が倒せないと思ってねえ。だけどよくもかわしたもんだ。さすがだね!」


「あいにくとこちらには、正義の大泥棒がいるもんでな!」


「やめてよ、恥ずかしい……」


 かたわらの五右衛門が、顔を赤くした。


「それよりも、銭巫女! ここにいるってことは、織田勘十郎の加勢に行くつもりだな!?」


「そういうことになるかねえ。そういうあなたたちも、織田三郎を手助けに行くつもりだね?」


「無駄だろうが、いちおう言っておく。ここで軍を退かせるつもりはないか? ここで退けば、三郎さまも俺たちも、命までは取らないぞ」


「ふふ、ご冗談。事ここに及んで、あたくしが退くとお思いかい?」


「…………」


「…………」


 俺たちは、また睨み合う。

 銭巫女は、口許に笑みをたたえていたが――なにがおかしいんだか。それとも余裕か。

 この女だけは、本当によく分からない。織田勘十郎の愛人かと思っていたが――そして本当に肉体関係はあるのだろうが、そういう理由で味方をしているのでもなさそうだ。


「なぜ、織田勘十郎の味方をする。お前の目的はいったいなんだ?」


「さあねえ。力ずくで聞いてみたらどうだい?」


「そういうのは趣味じゃないが――しかし――」


 俺は、そこで、一度大きく息を吸い込んで――

 そして、吼えた。


「戦うしかないのは、確からしいな!」


「そういうことだね、山田弥五郎!」


 俺と銭巫女。

 ふたりの大将が、決別の声音をぶつけ合った。

 それが合図とばかりに、神砲衆は陣形を作り、銭巫女軍もまた、森の中で動き出す。

 決戦だ。勝ったほうが、信長と信勝、いずれかの応援に駆け付ける。そういう流れになったようだ!


「いくぞ、みんな! やつらをブチのめす!」


「「「「「応!!」」」」」

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