第53話 いざ出陣
1556(弘治2)年8月、織田勘十郎信勝は、信長の領土である篠木三郷に攻め入って、これを強奪した。
信長と信勝。兄弟の対立は、ここにきて完全に破綻。もはや軍事力をもって解決するより他はなくなったのだ。
「勘十郎め、篠木三郷だけで終わるはずがない。やつはおそらく他の領土も狙ってくるに違いないから、こちらも先手を打って兵を出すぞ」
信長はそう言って、家臣の佐久間盛重に兵を預け、清州の南東にある於多井川を越えた先にある名塚というところに先行させた。ここに砦を築いて、信勝に対抗しようというのだ。
しかしそれには銭がいる。
砦を築く材料を、買い求めばならない。
なんにせよ軍資金は必要だった。弓を使うには矢がいるし、鉄砲を撃つには火薬と弾がいる。
さらに言えば、兵たちへに、褒美もやらなければならない。いくさとは金がかかるのだ。
その金の問題は、
「殿様っ」
清州城内に、転がり込むようにして戻ってきた木下藤吉郎が叫ぶことで解決した。
「銭が揃いましてござる。兵糧を売った金はもちろん、神砲衆の山田弥五郎が、30000貫の矢銭を提供してくれましたぞ!」
「さ、30000……!?」
その場にいた丹羽長秀は、目を見開いた。
彼だけではない。佐久間信盛も森可成も池田恒興も仰天した。
ただひとり、弥五郎のことをよく知る前田利家のみは「あの野郎」とニヤッと笑ったのみだった。
そして信長。
ニタリと、口角を上げる。
「また山田か。山田弥五郎とやらは、余のなにを見込んで、そこまでしてくれるのかのう」
この期に及んでも、まだ顔さえ合わせたことのない少年、山田弥五郎に、信長は興味を持っている。
思えば数年前。赤塚の戦いのときから、山田弥五郎は自分のためにあれやこれやと尽くしてくれているという。彼の行動のひとつひとつを細かく分析していけば、すべてが信長の利益になるようになっている。不思議な男である。彼の真意がどこにあるのか、信長は知りたくて仕方がなかった。
ともあれ。
信長は顔には出さなかったが、心から山田弥五郎の協力にありがたいと思った。
これで戦える。銭があれば、人を雇える、武器を買える。織田信勝と戦える!
「藤吉郎、役目大義!」
「ははっ!」
「これで心置きなく戦える。皆の者、いよいよじゃ。勘十郎を倒し、誰が織田弾正忠家の当主かを知らしめてやろうぞ」
「「「「「おおーっ!!」」」」」
その場に、織田家臣団の雄たけびが響いた。
――そのころ。
神砲衆の屋敷の前にて。
そこには、すでにメンバーが揃っていた。
伊与、カンナ、あかりちゃん、次郎兵衛、五右衛門、加藤さん、鍛冶屋寄与兵衛さん、がんまく、一若、自称・聖徳太子ら――
そこに、滝川さんら甲賀忍者50人と、大橋さん、小六さん以下、津島衆50人も勢ぞろいしている。藤吉郎さんが30000貫の割符を持って清州に駆け戻ったあと、俺たちは出陣の準備を始めていたのだ。
それがいま、整った。
「弥五郎、いつでも戦う準備は出来ているぞ」
伊与が言った。
俺はうなずいた。
「大橋さんも、いいんですね?」
大橋さんに目を向ける。
「無論だ。……わたくしも腹を決めた。津島はあくまでも三郎さまにお味方する。……神砲衆が30000貫もの銭を出し、かつ加勢するというのだ。津島衆も、これは三郎さまに賭けぬわけにはゆくまい」
「三郎さまは勝ちますよ。その賭けは勝ちです」
と、俺は言った。
そう、これから始まる織田信長と織田信勝の戦いは、信長の勝利で終わる。
俺が知っている史実ならば、きっとそうなる。……そうなる、はずだが――
「……弥五郎」
カンナが心配そうな目を俺に送ってきた。
俺は、心配するなと言わんばかりに微笑を浮かべ、
「大丈夫だ。必ず勝って帰るから。……カンナはあかりちゃんと一緒に、津島に残ってくれ」
「残る……」
「そうだ。まだ怪我が治りきっていないんだから。……あかりちゃん、カンナのこと、よろしく頼むよ」
「分かりました。こちらはお任せください。……お兄さんも、滝川さまも、ご武運を」
「任せとけって。……おい、蜂楽屋。山田のことはオレが守ってやるよ、心配するな」
滝川さんが、ニヤッと笑う。
その笑顔を見て、カンナは安心したような表情を浮かべた。
伊与が、わずかに目を伏せる。……ように見えた。……本当に一瞬だけだったが。
いかん。
変なことを考えるな。
なにもかも織田信勝を倒してからだ。
すべては、目の前の戦いに勝利してからだろう。
勘十郎信勝を打倒しなければ、未来もなにもないのだから。
そのときだ。
「御大将っ」
声がした。自称・源義経の声だった。
遠くから、義経がこちらに駆けてくるのが見える。
「どうした、そんなに慌てて――」
「熱田から兵が出ました。銭巫女です。銭巫女の軍団が、北上しています! おそらく、勘十郎信勝の軍勢に合流するものと!」
「「「「「!!」」」」」
彼の報告に、俺たちは全員、目を見開いた。
熱田の銭巫女。やはり出てきたか。……俺はくちびるを噛み締めた。
「弥五郎、急ごう。三郎さまと合流するんだ」
「ああ……!」
いよいよ戦いが始まろうとしていた。
織田信長と織田信勝。尾張を、織田弾正忠家を今後率いるのはどちらか。
その運命がいよいよ決まろうとしている。
「よし、いくぞ、みんな! 敵は織田信勝、並びに熱田の銭巫女だ!!」
俺は、大声で叫んだ。
応、と全員が叫んだ。――正確には俺の指揮下でないはずの、津島衆や甲賀忍者たちさえも、声をあげた。
いい感触だ。軍団の心が一つになっている。これなら勝てる。そう思った。
「いざ、出陣!」
俺には分かっていた。
始まろうとしている。
織田家の家督を争った、信長と信勝の戦いが――
そう、のちに言う『稲生の戦い』が。
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