第52話 東征の旅の集大成

 織田信勝は、いよいよ反旗を翻した。

 柴田勝家、林秀貞らと共謀し、尾張の国衆に檄を飛ばして、反信長を訴えたのだ。


「『うつけ』の信長に、織田弾正忠家を保つ器量なし。勘十郎信勝のもとに集うべし」


 この訴えは、確かに効いた。

 なんといっても織田家の有力者たる林秀貞と柴田勝家が信勝についている。

 これに対して信長の味方は、佐久間信盛や丹羽長秀、佐々成政などがいるが、やはり林と柴田には及ばない。さらに美濃の斎藤家や岩倉織田家まで信長の敵になっている。どう見ても、この戦いは、信長にとって不利だった。

 

 尾張の国衆は次々と信勝についた。

 前田利家の実家である荒子城まで、信勝についた。

 利家本人はあくまでも信長の味方だが、前田家は信勝側の味方となったのだ。


 状況はどこまでも不利だった。

 織田信長の敗北と滅亡は誰の目にも明らかだった。

 織田弾正忠家に、絶望とあきらめの空気が漂いはじめていた。


 しかし。

 まだ、絶望をしていない男がいた。




 信長本人である。




「清洲城の米蔵に、兵糧はいかほどあるか」


 彼は家来に尋ねた。家来は、これくらいあります、と答えた。

 信長はうなずき、


「売り払い、軍資金にせよ」


 と命じた。

 家来は、おどろいた。


「それでは、いざ敵が、この城に攻めてきたときに戦えませぬ」


「たわけめ。国中が敵だらけになっているいま、攻められたときに籠城するつもりか。籠城とは援軍のアテがあって初めて成り立つ戦術じゃ」


「…………」


「どっちみち、勘十郎を破らねば余に明日はない。きやつを打ち倒すためには、向こう1年の兵糧よりも武具馬具弾薬を揃える軍資金ぞ」


 信長はそう言った。

 そして稲刈りの時期までの食糧だけを残して、他はすべて銭にすることに決めたのだ。

 しかし問題は、銭にする方法だ。清洲近辺の商都である熱田は、信勝の手に落ち、加納は斎藤家の目が光っている。信長の兵糧を売ることは叶うまい。


 ――ならば。

 残る販売先はただひとつである。


「誰ぞ、兵糧を売却して参れ。行き先は津島である」


 信長の言葉に、木下藤吉郎が手を挙げた。


「畏れながらそのお役目、このわしにお申し付けくださりませ!」




 そういうわけで、藤吉郎さんは津島にやってきた。――しかし、


「金が足りぬ!」


 神砲衆の屋敷に来るなり、藤吉郎さんは大声で叫んだ。

 すでに、兵糧売却の仕事は済んだらしい。藤吉郎さんは、小六さんに頼み、清洲城の兵糧を売った。

 その金は、おおよそ2000貫にも及んだらしい。――しかし、


「いま清洲にある金と、兵糧を売った2000貫を合わせても、銭がないわ。これでは三郎さまは矢弾を揃えられぬ。戦っても負ける!」


「織田弾正忠家は、もともと裕福だったと聞いていますが……?」


 と、疑問の声をあげたのは伊与だ。

 藤吉郎さんは、うなずいて、


「おう、それはむろん裕福じゃった。しかしここ数年の戦続きでさすがに金が欠乏してきた。銃刀槍のとき、すでに金が尽きかけていたのは汝らも知っておろう。あれから村木砦の戦いに清洲城の奪取戦、細かい戦が続きまくり、そこに熱田衆の離反じゃ。これでは弾正忠家も金欠病になるわい」


「な、なるほど」


 伊与は、小さく首肯した。


「三郎さまは、どうなさるおつもりでしょう」


「津島衆と交渉をされるおつもりらしい。しかし、いかに大橋つぁんといえど、今度ばかりは銭を出すかどうか」


「…………」


 藤吉郎さんの言葉を聞いて、俺は考えこんだ。

 俺が知る史実以上に、現状の信長はピンチのようだ。とにかく織田弾正忠家に金がないという。

 津島衆でさえ、信長に金を出すかどうか分からない、という。当然かもしれない。これほど絶望的な状態に信長に金を差し出すのは考えものだろう。


 このままでは史実の結果に――そう、信長の勝利という結果にならないかもしれない。それならば――


「藤吉郎さん。それならば、我が神砲衆が弾正忠家に矢銭を差し出しましょう」


「ほ。……よいのか?」


「もとより、そのためにこの屋敷に来たのでしょう?」


 俺が言うと、藤吉郎さんはニヤリと笑った。


「さすが弥五郎、分かっておったか」


「元より、織田家と藤吉郎さんを助けるために稼いでいる金です。……用立て致しましょう」


「いかほどしてくれる?」


「有り金、全部」


「「……!」」


 その場にいた藤吉郎さんと伊与が、目を見開いた。

 ふたりとも驚いているようだが、しかしこれは当然の回答だった。

 俺の仕事は天下の安寧。すなわちその事業を進める信長と秀吉のサポートなのだから。俺ひとりが金を蓄えても、信長が死んでは意味がない。


「ただし、織田勘十郎と熱田の銭巫女は手ごわい。いまの俺の持ち金全部を出しても、勝てないかもしれません」


「そ、そうか……?」


「ですから、もっと金を稼ぐのです。金を稼いで、その上で――弾正忠家に矢銭を献上致します」


「金を稼ぐ! ……そいつはいいが、いくら稼ぎだすつもりじゃ?」


「決まっています」


 俺は断言した。


「30000貫です。銭巫女を倒すために必要な金として、ずっと目標として掲げていました。それだけの銭を集めて、三郎さまに献上し、織田信勝と熱田の銭巫女を倒すのです」


「さん……」


 藤吉郎さんは、ちょっと驚いた顔をした上で、しかしニヤッと笑って、


「相変わらず大きなことを言いおる! なるほど、汝ならばできるやもしれぬなあ。いますでに、20000貫以上を持っておったの?」


「24594貫です」


「うむ、見事じゃ。しかし残りの金はどうやって稼ぐ? 加納は斎藤家に、熱田は銭巫女に押さえられておる。大きな交易は難しいぞ」


「それなんですが。……ふたつ、考えがあります。ひとつは俺が持っている甲州金。あれを売り払い、銭にすること」


「なるほど、甲州金か。あれは確かに銭になろうが――はて、もうひとつの考えとは?」


「単純な話ですよ」


 俺は、何気なく顔を上げ、部屋中を見回してから――

 そう、神砲衆の屋敷のすべてを見回してから、告げた。


「やはり交易を行います。……しかし加納や熱田や使わない。――今回の旅の集大成のような交易を、するつもりですよ」




 さて、それから俺は、まず藤吉郎さんに伝えた通り、甲州金を売り払った。

 金は、大橋さんに買い取ってもらった。買い取り金額は、そのときの相場で、甲州金1につき120貫。これを20売ることで2400貫の儲けになった。



《山田弥五郎俊明 銭 26994貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  信長のために金を稼ぐ>

商品  ・火縄銃       1

    ・籠         1

    ・アワ      135

    ・ヒエ      135

    ・蕎麦      150

    ・アノラック     9



 そして、ここからが本番。

 俺は神砲衆のメンバーはもちろん、滝川さんの配下である甲賀忍者に向けて、


「濃尾両国はもちろん、三河、伊勢、近江など近隣諸国の市に出向き、交易をするんだ」


 そう言った。

 市とは、六斎市ろくさいいちだ。

 遠江に赴いたときに利用した、田舎の村々などで開催されているあの市場。

 あれを利用しようというのだ(第二部第十六話「遠江の六斎市」参照)。


 すなわち、銭巫女や斎藤家が見張っている熱田や加納ではなく、大勢力の見張りがない田舎の市場を利用し、あるところでは米を仕入れ、あるところでは味噌を仕入れ、そして別の、米や味噌が高いところで売り払う。ごくごくシンプルな交易。


 しかし、神砲衆の50人と甲賀忍者の50人の合計100人で、さらに26994貫の元手を用いて行われるそれは強烈だった。

 例えば、3貫分だけ仕入れた米を、別の場所で5貫で売り払ったら2貫の儲けになる。

 しかしそれを100人で行えば、一気に200貫の儲けになるのだ。


 これは一例だが、しかし、俺が今回やることはそういうことだ。

 こんな商いのやり方は、いまの俺たちだから可能だった。


 そう、旅先から指示を出し、また指示を出されることになれたいまの山田弥五郎と神砲衆だからこそ、この商売ができるようになったといえる。

 濃尾各地の、米や味噌や塩などの大まかな相場をつかんでいるのもよかった。三河の鳥居さんとの取引で、尾張や美濃、三河の米や味噌をさんざん売買した経験がここで生きたのだ。


 神砲衆のメンバーだって、伊達にここ数年、商売をやっていない。

 俺が不在の間、商いを続けて自分たちの生活費を捻出していただけはある。

 彼ら彼女らは、各地の六斎市に赴いて、確実な利益を出し続けた。ひとりにつき数百文から数貫の利益。だがそれが積もり積もって、莫大な金になっていく。


「甲賀忍者たるものが、まさか商いをやらされるとはな」


 滝川さんと、その配下の忍者たちは苦笑していたが……。

 こっちは10000貫も払うつもりなんだ。多少の無茶は聞いてほしい。


 とにかく神砲衆は交易を続ける。

 その間、俺は津島の屋敷にて采配を振るう。

 どこそこでは米が安いらしいから、そこで仕入れてきてほしい。

 そして仕入れた米は、どこそこに運んで売りさばいてくれ、というように。


「慣れてくると、商いも悪くないですな」


 そう言ったのは、例の加藤五郎助清忠さん。俺たちが助けた加藤清正の父親だ。

 彼はその後、津島に住み始め、気が付いたときは鍛冶屋清兵衛さんの娘、伊都さんと仲良くなっていた。

 しれっと歴史通りである。これについては俺はなにもしていないが……いや、しかし偶然とはいえ、彼と出会い、助けたのは確かに俺と藤吉郎さんか。

 この場合、俺の存在が、加藤清正の誕生を助けたんだろうか? ……うーむ、どうなんだろう。


 とにかく、加藤さんは鍛冶屋清兵衛さん繋がりで神砲衆の仲間となり、商いを手助けしてくれた。

 美濃出身の彼は、美濃の六斎市の事情や、米相場などに明るく、その点、実に助かった。


「加藤さんのおかげでずいぶん儲かっていますよ。ありがとうございます」


「いや、左様なことは……。お顔をお上げくだされ。いまとなっては山田さまが拙者の主なのですから」


 加藤さんは、慌てて言った。かと思うと笑って、


「まったく、変わったお方ですな。自分が雇っている家来に対しても、かほどに丁寧な言葉遣いをされるとは」


「それは……まあ俺は、若輩者ですから」


「若輩でも、衆の頭目ともなれば、普通はもう少し威張りますぞ。……山田さまはやはり奇異なお方であられる」


「…………」


「もっとも、だからこそ、神砲衆の面々は山田さまに従うのでござろうが」


 加藤さんは穏やかにそう言ったが……。そうなの、かな。

 確かに神砲衆のみんなは、よく俺の指示に従ってくれる。それは本当にありがたいのだが。


「ところで山田さま」


「……ん?」


「屋敷の蔵に入っているアレは、どうされるおつもりですかな?」


「アレ? なんだい、アレって」


「アレでござるよ、アレ」


 加藤さんは、俺を屋敷の蔵へと連れていく。

 蔵の中に入り、その片隅に目をやる。――すると、そこには――


「おお、コレか! ……そうか、コレもあったんだ……!」


 俺はこの瞬間まで、こいつのことを忘れていた。そうか、こんな道具もあったな。

 これは、ただここにあるだけじゃ役に立たない。しかし、使い方次第では面白いことになるかもしれない。


「加藤さん。鍛冶屋清兵衛さんを呼んでください!」


 気が付いたら、俺はそう叫んでいた。




 そして、一か月余りの時間が流れ――

 神砲衆と甲賀忍者衆は多大な利益をあげてくれた。


 100人の人間が、ひとりにつき1日平均5貫の利益を出した。

 それが30日続いたことで、合計15000貫の利益になったのだ。

 その結果、現状はこうなった。 



《山田弥五郎俊明 銭 41994貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  信長のために金を稼ぐ>

商品  ・火縄銃       1

    ・籠         1

    ・アワ      135

    ・ヒエ      135

    ・蕎麦      150

    ・アノラック     9



 すさまじい金額だ。

 ここから、甲賀忍者に、信長捜索代の1000貫と助っ人代の10000貫を支払う。すると、 



《山田弥五郎俊明 銭 30994貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  信長のために金を稼ぐ>

商品  ・火縄銃       1

    ・籠         1

    ・アワ      135

    ・ヒエ      135

    ・蕎麦      150

    ・アノラック     9



 到達した。

 30000貫だ。……やり抜いたぞ!

 俺たち神砲衆と、甲賀忍者で揃えた30000貫。これを信長に献上するんだ。

 これだけのお金が揃えば、きっと信長は、織田信勝に勝てる。歴史は史実通りになるはずだ!


「弥五郎、恩に着る! 三郎さまに代わって礼を言うぞ! 本当にありがとう!」


 神砲衆の屋敷にて、藤吉郎さんは何度も俺の手を取りながらそう言った。


「これほどの銭があれば、三郎さまも安泰じゃ。きっとお喜びになるぞ!」


「藤吉郎さん、礼はあとでいくらでも聞きますよ。それよりも、清洲城に銭を届けましょう」


「おう、そうじゃな」


 藤吉郎さんが笑顔でそう言ったときだ。

 五右衛門が屋敷の中に飛び込んできて、叫んだ。


「大変だ、弥五郎。勘十郎信勝がついに動いたよ。あいつめ、兵を率いて三郎信長の領土に進軍しやがった!」


「「!!」」


 五右衛門の報告に、俺と藤吉郎さんは戦慄の表情を作る。

 織田勘十郎信勝……。いよいよ来たか。戦いはもはや避けられない!

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