第49話 熱田危機一髪!
山田弥五郎が、屋外で熱田衆と戦っているころ――
屋敷の中でもまた、滝川一益率いる甲賀忍者50人が、銭巫女の家来たちと戦っていた。
飛び交う棒手裏剣。振り回される忍者刀。
20を超える部屋を持つ大屋敷の中は、しかし血しぶきがあちこちで飛び交っていた。
甲賀忍者たちは、銭巫女の家来衆よりもはるかに強く、鍛錬の度合いも上である。
だが、銭巫女の家来たち……。彼ら彼女らの戦いぶりは、じつに狂気を帯びていた。
目を血走らせて、獣のような雄叫びと共に、短刀を振りかざして襲いかかってくるのだ。
――銭巫女さまのため。銭巫女さまのため。
念仏のように唱えながら、斬られても蹴られても突き倒されても、なお起き上がって戦闘を続ける。絶命するまで前進をやめないその様は、命知らずの甲賀忍者たちでさえ怯えを感じていた。
「こいつら、どうかしてるぜ……。なんなんだ、いったい……」
棒手裏剣を構えながら、滝川一益は吐き捨てるように言った。
「銭巫女を、生き神様のように崇拝してるんかのう」
木下藤吉郎もまた、刀を構えつつ、つぶやく。
背中には鉄砲を背負っていたが、屋内戦では容易に使えるものでもない。
「この手の連中は厄介じゃ。金でも道理でも動かん。舌先三寸で丸め込みようもないわい」
「力攻めで制圧するしかねえってわけか……」
「なに、皆殺しにするまでもにゃあで。わしらは三郎さま(信長)さえ助け出せばいいんじゃからのう」
「それもそうか。しかし、その三郎はどこにいるんだか」
「こういうときは、屋敷の奥深くの座敷牢あたりに入れられているのが定番だで、滝川さまよ」
「オレに指図してんじゃねえぞ、木下。……だがその意見は道理だ」
滝川一益は、右手に棒手裏剣、左手に短刀を構えると、告げた。
「行くか、奥まで」
「合点」
木下藤吉郎は、うなずいた。
「弥五郎っ!」
突如、声がして――俺は意識を取り戻し、我に返った。
手が伸びる。白く、細い手だ。俺はその手をがっしりとつかみ――
そのまま、落とし穴に落ちることなく地上に戻った。
「弥五郎、大丈夫か!」
俺を助けてくれたのは、伊与だった。険しい顔を俺に向けている。――助かった。
危なかったぜ。こんな罠が仕掛けられているなんて。油断も隙もない。だが助かって良かっ――
「いや、良くない! みんなは……」
慌てて穴の底を覗き込む。
すると、底には尖った竹槍が、天に向かって敷き詰められていた。
その中に、神砲衆の仲間たちが何人か、穴に落ちてしまっている。
まずい。みんなを助けないと。そう思ったときだ。俺の額に、異常なほどに冷たい汗が滴った。
なぜなら。
「やご、ろ……」
穴の底には、見慣れた金髪がわずかに乱れていて――
「……カンナ?」
言うまでもない。
カンナが、落とし穴の底で、竹槍にその身を貫かれていたのだ。
屋敷の奥に、
滝川一益が、先頭に立って刀を振るい、熱田衆を殺戮していた。
その後ろを、木下藤吉郎がくっついていく。
「木下、てめえもちったあ戦え!」
「戦っとるでよ、滝川さまよ! じゃけどわしゃ槍働きが得意ではにゃあわ! これで精いっぱいじゃ!」
「ったく、それでも侍かよ! ……っとぉ……」
滝川一益は動きを止めた。
屋敷の奥深くにある部屋まで、到達したからだ。
しかし、やはり三郎信長の姿は見えない。どこだ、信長はどこにいる。
首をひねって周囲を見回す。すると、庭のほうに蔵が見えた。その大きな蔵は、見るからに怪しかった。
滝川一益は、木下藤吉郎と共に、蔵へと近づいていく。
鍵がかけられていた。鉄製の、それは頑丈な鍵が――
「こいつは、ちと手間取りそうな鍵だな」
「ふうむ、こういうとき、五右衛門がおれば助かるんじゃが、あやつは外か」
「……ああ、あの山田の仲間の女か。あいつは鍵開けでもできるのか」
「達人ですわ。なにせ泥棒の娘ですからのう。……まあしかし、この程度。五右衛門がおらずともなんとかできますわ」
「どうするんだよ」
「ぶっ壊せばええんです」
「なに? どういうこった」
「文字通りですわ。こんなこともあろうかと、弥五郎から連装銃を借りておいてよかった」
木下藤吉郎は、背中からよいしょと鉄砲を下ろす。
そして腰の袋から火薬と弾丸を取り出して、発射の準備を整えると、
「三郎さまああああーっ!!」
大音声で叫んだ。
「いまから藤吉郎めがよぉ、鉄砲をぶっ放しますからよぉ、扉の近くにおるんでしたらちっと奥へ下がってくだされぇえええええ!!」
その声は、屋敷中どころか、あるいは熱田中にまで響くのではないかと思うほどの雄たけび。
近くにいた滝川一益など、耳を思い切り塞いだほどだ。
「な、なんつう声を出すんだよ、バカ野郎……!」
「わしゃ大声が取り柄ですんでの! ……さて、そいじゃあ1発、もとい3発」
木下藤吉郎は、連装銃を構えた。
そして――
「どおんっ!」
擬音を口にすると同時に、人差し指を動かして――
銃弾が、発射された。轟音が響き、蔵の扉にかかっていた鍵が派手に壊れる。
と同時に、蔵の扉が砲撃の衝撃で大きく揺れ、さながら自動扉のごとく、奥に向かって開いていった。
「……!」
「おおっ……」
滝川一益は驚き、木下藤吉郎は喜色を顔に浮かべる。
蔵の中に仁王立ちしていたのは、紛れもなく、織田三郎信長だったからだ。
「藤吉郎。よく来てくれた」
織田信長は、にこりともせずに告げた。
その奇妙な威厳に、木下藤吉郎はもちろん、滝川一益さえもその場に平伏する。
信長は、滝川一益にちらりと目をやり、問うた。
「ヌシは、誰じゃ」
「――甲賀の忍び、滝川一益にございます。神砲衆の山田弥五郎の依頼にて、木下藤吉郎殿の加勢に参りました」
「……また、山田弥五郎か」
信長は、フンと笑った。
「奇妙な男だ。いつも余を手助けしてくれる。しかし余は、まだ山田とやらに会うたことがない」
「三郎さま。……弥五郎ならば、この屋敷の外におります。すぐにお会いできますで!」
「で、あるか。……ふむ。――それはそれとして、まずは熱田から離れる必要がありそうじゃな」
「ごもっとも! ……殿、こちらに!」
藤吉郎は、ふところから草履を取り出して、蔵の入り口の前に並べた。
信長は、小さくうなずいてから、草履に足を入れる。――ニヤリと笑った。
「藤吉郎、ぬるいわ。尻にでも敷いておったようだぞ」
「め、滅相もない。……殿様には草履が必要と思い、ふところに入れていた次第で」
「分かっておる。冗談だ。……気の利くやつじゃ」
信長は、また笑って、
「藤吉郎、そして滝川。礼を言うぞ」
「「ははっ!」」
藤吉郎と滝川一益は、また揃って頭を下げた。
「アニキ、アニキッ!」
屋敷の中で戦っていた次郎兵衛が、外へと飛び出してきて、
「三郎さまを見つけました、アニキ! 目的は果たしたッス! 早々に逃げるが吉ッスよ!」
と、叫んだが――
俺はそれどころじゃなかった。
穴の中から救出したカンナは、赤い血を流して、白い肌をいっそう青白くさせているのだ。
「カンナ、しっかりしろ、カンナ!」
「……弥五郎……」
カンナはうっすらと眼を開けると、薄い笑みを浮かべた。
「弥五郎、ごめん。……あたし……ヘマやったね……。……いつもこう。戦いになると足手まとい……」
「馬鹿、しゃべるな!」
「……やけどあたしだって、甲賀とかで戦ったし、少しでも……弥五郎の役に立ちたくて……」
「だからしゃべるなって! じっとしてろ。すぐに手当てしてやるぞ!」
「アニキ、三郎さまはどうされるんで!?」
「そっちは後だ! 助かったのなら藤吉郎さんがあとはなんとかするさ! それよりもカンナだ!」
俺は自分でも分かるほど血相を変えて、周囲を見回し、神砲衆の仲間に向けて、
「籠だ。駿河で買った籠がある。なにかに役立つかもと思って持ってきていたな? あれにカンナを乗せて、とにかく熱田から離れるぞ。それと聖徳太子、いますぐ津島に向かって、薬師に声をかけておいてくれ――」
「弥五郎、津島は遠すぎる! 那古野だ!」
五右衛門が叫んだ。
「那古野に、ウチの知ってる薬師がいるんだ。そこに行こう!」
「那古野だと……。あそこはいま、林秀貞の城だぞ。そんなところに行ったら――」
「城までは行かない。外れの農村にいるんだ。絶対に信用できる薬師だ。だから、そこへ!」
「…………分かった! じゃあ、那古野に行くぞ。なにがなんでもカンナを助けるんだ。もちろん、他の怪我人もだ!」
今回の戦いで、怪我をしたのはカンナだけじゃない。
敵との戦いや、落とし穴で負傷した神砲衆の仲間たちも助けなければならなかった。
「よし、では弥五郎、すぐに行け。ここは私が受け持つ!」
伊与が叫んだ。
「銭巫女の家来衆が、まだそのあたりにいるからな。
「……そうだな。分かった。じゃあ伊与、神砲衆の半分はここに残す。あとは任せたぞ。戦いが終わったら津島に戻ってくれ。こちらが落ち着いたら使いを出す!」
「承知」
伊与は、うなずいた。
かくして俺は、カンナ以下怪我人を連れて熱田から離れる。
目指すは那古野だ。カンナとみんなを救うんだ!
「頑張れよ、カンナ!」
「……弥五郎……」
籠の中から、カンナの小さな声が聞こえた。
俺は神砲衆の半分を率いて、熱田から離れていく。
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