第50話 信長孤立

 夜の田園が、眼前に広がっている。

 いま俺は、那古野郊外の村、その中にいる家屋の外に立っている。


 熱田から離れ、怪我人を那古野まで連れてきたときには、幸いなことに夜になっていた。

 おかげで人目に触れることなく、俺たちは、この村までやってくることができた。

 そして五右衛門の知人だという薬師の家に、カンナ以下、怪我人を運び込み、手当てをしてもらったというわけだ。


 カンナもそうだが、怪我人の中には女性も多い。

 俺が屋内にいると、嫌でも彼女たちの裸体を見ることになる。

 俺はその場を遠慮して――どっちみち、俺がそこでできることなど、なにもないのだから――いったん外に出て、いまに至るのだった。


 見張りも兼ねていた。

 敵の追っ手が来たら、命に代えても戦うつもりだ。

 父ちゃんの火縄銃を構えつつ、夜のとばりの中を睨む。


 そのときだ。


「よっ」


 後ろから、五右衛門が声をかけてきた。


「五右衛門」


「怖い顔だな。……あまり根を詰めるなよ。カンナより先にぶっ倒れちゃうよ?」


「……カンナは、どうなんだ?」


「急所はやられていないそうだよ。出血がひどいのが気がかりだが、若いしなんとかなるんじゃないかって話だ」


「そうか……」


 とりあえず、いますぐに死ぬとかそういうことはなさそうだ。ホッとした。

 安堵の息を漏らす。――そして、口を開いた。


「五右衛門。ここの薬師を紹介してくれて、ありがとな」


「なに、大したことじゃないよ」


「それにしても、那古野の薬師と五右衛門が、どうして知り合いなんだ?」


「……もともとは親父の知り合いなのさ。親父は若いころ、尾張で暴れていたときもあるらしい。そのときに知り合って……ウチもその関係で知り合っていたのさ」


「……そうだったのか」


「ったく、あのクソ親父となんか、関わりたくもないのにな。……あいつに教わったことも、あいつの人脈も、これでけっこう役に立ってる。……いいんだか悪いんだか」


 五右衛門は、苦笑いを浮かべながら、右手を何度かグーパーグーパーさせた。

 それから彼女は、まったく別のことを言った。


「藤吉郎と伊与は、無事かな?」


「きっと大丈夫さ。あのふたりなら」


 俺は、強い意思を込めて言った。




 ――それから。


 しばらく経ったが、カンナの意識はなかなか回復しなかった。

 血は止まったし、もはや命に別状はないとのことだったが……。

 やはり疲労が溜まっているのでは、というのが薬師の見立てであった。


 神砲衆の怪我人たちは、それぞれ手当てを受けた。

 幸い、死人は今回も出なかった。それについては本当に良かった。


「いつまでも那古野にいると、敵に見つかるかもしれませんぞ」


 と、薬師は言った。もっともだ。

 俺は、彼に薬代と手当の謝礼として10貫を支払うと、再び夜の闇にまぎれて、那古野を脱出。津島に向かったものである。

 なおこの間、食糧のアワとヒエを15ずつ消費した。



《山田弥五郎俊明 銭 24594貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  津島に戻る>

商品  ・火縄銃       1

    ・甲州金      20

    ・籠         2

    ・アワ      135

    ・ヒエ      135

    ・蕎麦      150

    ・猪肉塩漬け     5

    ・アノラック    10



「見ろ、弥五郎」


 五右衛門が言った。


「あちらこちらに林の兵がいるぞ」


 事実だった。

 林家の旗印を掲げた兵たちが、夜だというのに、タイマツを掲げて田園地帯を徘徊している。


「俺たちを探しているのかな?」


「だろうね。……それと三郎さ。熱田屋敷の三郎信長が脱走したことは、すでに知れ渡っただろうから。その三郎を探すために兵を繰り出しているわけさ」


「なるほど」


 熱田から、信長の本拠地である清州に向かうには、途中で那古野を通るルートが一般的だ。

 勘十郎信勝派の林秀貞は、なんとしても自分の領内で信長を見つけたいところだろう。


「三郎が、また捕まってなけりゃいいけどね~」


「あっちには滝川さんと甲賀忍者がついている。なんとか潜り抜けるだろう。それより、こっちも逃げ出さないと」


「そりゃそうだ。……大丈夫、ウチに任せてよ。夜目には自信があるんだ。ついてきな」


 こうして俺たちは、五右衛門の先導で、敵兵の目をかいくぐって、敵の勢力圏から脱出した。

 しかし、敵兵の中を抜けながら、俺は思った。尾張の中心部に勢力を持つ林家が、清州の信長の敵に回った。

 となると信長は、尾張南部にある商都・熱田や津島から物資を手に入れることが難しくなる。

 これは信長も、いよいよ窮地だな――そう考えて、思わず俺は歯を食いしばったのだ。




「弥五郎! 無事だったか!」


「伊与、お前も!」


 津島の屋敷に戻ると、伊与が待っていてくれた。

 次郎兵衛やあかりちゃんたち、神砲衆の仲間たちもいっしょだ。


「藤吉郎さんと滝川さんは?」


「三郎さまといっしょさ。清州まで戻っていった。甲賀の忍びたちもいる。大丈夫だろう」


「それならよかった。――あれからすぐに、熱田から脱出したのか?」


「おかげさまでな……少し苦労したが……」


 伊与は、ちょっと苦笑いを浮かべた。

 意味ありげな笑いだな。なんなんだ、いったい。


「藤吉郎のアニキの知恵が、炸裂したんスよ」


 と、そう言ったのは次郎兵衛だった。


「猪肉の塩漬けがあったじゃないスか。あれを5個、アノラックに詰め込んで、肉のカカシを作ったンス。で、そのカカシを籠に――ほら、駿河で買った籠が、もうひとつ、あったじゃないスか。あの籠にのっけて、俺たちに担がせたんです。ワッショイ、ワッショイって……」


「……はあ」


「そうすると、敵さんたち、こっちを追いかけてくるんスよ。籠の中に三郎さまがいると思ったんでしょうねえ。おかげで俺たちは大量の敵を相手にする羽目になったけど、藤吉郎さんは三郎さまを連れて、ゆうゆうと熱田を脱出したッス」


「……なるほど。そりゃ……一策だったな。藤吉郎さんらしい」


 俺は、苦笑いを浮かべた。

 伊与も、困り笑みを浮かべている。


「途中で籠を放り出したら、敵はわっとその籠に群がったのだ。……ところが籠の中身は、肉カカシなものだから……敵兵はみんな呆然としていたぞ」


「そのスキをついて、俺たちも見事、熱田から逃げ出したってわけッス」


「そうか……」


 伊与たちの踏ん張りと、藤吉郎さんの機転で、熱田からはうまく逃げられたってわけだな。

 猪肉とアノラックと籠はなくなったが、これで作戦がうまくいったなら言うことはないな。



《山田弥五郎俊明 銭 24594貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  津島に戻る>

商品  ・火縄銃       1

    ・甲州金      20

    ・籠         1

    ・アワ      135

    ・ヒエ      135

    ・蕎麦      150

    ・アノラック     9



「それよりも、お兄さん。カンナさんは無事なんですか?」


 あかりちゃんが、眉を八の字にして言った。

 カンナや、他の怪我人は、神砲衆の屋敷に着き次第、その身柄を部屋に運ばせている。いまは眠っているはずだ。


「命に別状はないよ。ただとにかく疲れている」


 五右衛門が、伊与の問いに答えた。

 すると伊与は、何度もうなずいた。


「そうだろう。……長い旅路のあとだからな」


 そう答える。

 そして、


「見舞いにいこう。……寝ていてもいい。私がカンナの顔を見たい」


「じゃあ俺もいくよ。――五右衛門たちは休んでいてくれ。あかりちゃん、次郎兵衛。五右衛門たちに飯でも作ってやってくれ。みんなくたびれているからな」


「はいっ」


「承知ッス」


 五右衛門たちのことをあかりちゃんたちに任せ、俺と伊与はふたりでカンナの部屋に赴く。

 すると――


「お」


「……カンナ」


 カンナは、目を開け、上半身をわずかに起こしていた。


「カンナ! 大丈夫なのか!」


「おい、無理をするな! 寝てろって!」


「弥五郎……伊与……」


 カンナは、青白い顔を俺たちに向けながら、しかし薄い笑みを作る。


「えへ。……あたしは大丈夫よ。前よりずっと具合がよかけん」


「それならいいが……」


「ここは津島の屋敷やね。戻ってきたんやね。あたしたちの家に」


「ああ、戻ってきた。もうなにも心配いらないぜ。三郎さまも藤吉郎さんも滝川さんも、みんな無事だ」


 実のところ、藤吉郎さんたちが無事かどうかはまだ分からない。

 しかしカンナに心配をかけたくなくて、俺はそう言った。

 カンナは、無言でにっこり笑う。


 ――良かった。

 俺は心から安堵の息を漏らした。

 カンナは弱っている。しかし確かに、命にかかわることはなさそうだ。

 しばらく寝ていれば、きっとよくなるだろう。以前、銭巫女の家来に刺されたときの俺のように。


「とにかくカンナが無事でよかった。……ヒヤヒヤしたぞ。前は弥五郎、今回はカンナ……仲間の生死が危うくなるのはこれで何度目だ?」


「それを言うなら伊与が元祖だぞ。村が焼かれたあとは行方不明になるし、萱津の戦いのときには気を失うし」


「……またずいぶん古い話を持ち出してきたな。あれは何年前だ? もう3年、いや4年は経つぞ」


「そんなになるか。……そう思えば俺たち3人、いつも悪運強く生き延びてるよな。はは……」


 俺と伊与は明るいムードで話をする。

 カンナを励ましたかった。俺たちはなんだかんだでいつも生きている。

 だから今回も、カンナはきっと生き延びるぞ、と……。


 だが。

 カンナは、微笑みつつもちょっと顔を暗くして。


「でも、次は運がないかもしれん」


「「え?」」


「…………」


「……カンナ?」


 カンナの小さな一言に、俺と伊与は怪訝顔を作る。

 俺はとっさに悟った。こんなカンナの顔は一度、見たことがある。

 そう、あの信州の温泉で……。


「伊与」


 カンナは、俺ではなくて伊与のほうをまっすぐに見据えて、言った。


「な、なんだ、カンナ……」


「伊与。あたしね。……アンタに言わないかんことがある」

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