第42話 アノラックと温泉
「よーし、毛皮は揃ったな」
引き続き、小屋の中である。
いまこの場には、俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、あかりちゃんの5人がいる。
そして俺たちの目の前に、イノシシの毛皮が積み重ねられていた。これは、今朝、村人たちが仕留めたイノシシの毛皮ではなく、少し前に村人が殺したイノシシの毛皮だ。だから、すでに乾いている。
「弥五郎、これをどうするんじゃ?」
藤吉郎さんは、目を何度かまばたきさせる。
それに対して俺は答えた。
「毛皮で、服を作ろうと思うんですよ。それも寒さを防げる服を」
「服……? しかし毛皮ちゅうやつは着ておるだけでも、十分寒さ防ぎになると思うがの」
「それはそうです、しかし俺が作るのは、もっともっと寒さを防げる服なんですよ」
俺は目の前にある毛皮を撫でながら言った。
「イヌイットのアノラックを、作るつもりなんです」
「犬井人の……なに?」
「イヌイット、です。……まあ、そういう民族がいるんですよ。はるか遠くの国に」
アメリカのアラスカ……。
非常に寒く、厳しい自然環境なことで有名な土地だが、そのアラスカの先住民族として名高いイヌイットが開発したのが、防寒着のアノラックである。動物の皮を使って作られたフード付きの上着で、その内側には毛が貼りつけられていて、たいへん暖かい。俺はこのアノラックを作ろうというのだ。
本来はアザラシの皮をなめして作るものだが、イノシシの毛皮でも代用は可能だと思う。本物のアノラックより多少性能が落ちるかもしれないが、ここはアラスカじゃなくて日本だ。この国の冬には充分対応できるレベルのアノラックを作ることができるはずだ。
「アノラックを作れば、俺たちの防寒服にもなるし……。さらに作り方を春日さん達に教えれば、このあたりの村人たちだって助かるはずだ」
「ふむう。実物を見んことにゃ、よう分からんが……弥五郎が言うのなら、やってみてええと思うで」
「なに、大丈夫です。任せてくださいよ。それじゃ、作ってみます……つっ」
イノシシの毛皮を掲げた瞬間、俺は顔をしかめた。
まだ、俺の身体は全身打撲のダメージから回復しきっていない。
仕事をしようとすると、まだ手先がうまく動かず、痛みが体中に走るのだ。
「弥五郎!」
カンナが眉を歪めて叫ぶ。伊与も、こちらに手を伸ばしてきた。
「い、いや、大丈夫だ……つつつ」
「なにが大丈夫ね。そんな身体じゃ無理ばい」
「そうだ、弥五郎。少し休め」
カンナと伊与が揃って声をかけてくる。
そして、ついにはあかりちゃんまで口を開いた。
「お兄さん、あの、裁縫仕事ならわたしがやりますよ?」
「あかりちゃんが……?」
「はい。やり方を教えてください。針仕事は得意なほうなので」
「さすがはあかりちゃんッスね。……アニキ、ここはあかりちゃんに任せたらいいんじゃないッスか? もちろんあっしも手伝いやすが」
「……そうか。そうだな……」
たまには仲間たちに頼るのも悪くないか。
よし、あかりちゃんたちに任せよう。
俺はその場で、ごろんと横になり、そしてあかりちゃんたちにアノラック作りの指示を出した。
毛皮をひっくり返して、毛を内側にした状態で、皮を切り、服の形になるように縫い合わせて加工するのである。
毛皮は、布のようにはあっさりと切れないし縫えない。腕力が必要なところもある。あかりちゃんができない部分は、次郎兵衛や自称・聖徳太子ら男性陣も頑張った。
木綿針や鋏を、商っていたことが幸いした。次郎兵衛以下神砲衆の男たちは、裁縫仕事を多少はできるようになっていたのだ。大まかなところは次郎兵衛たちが、細かいところはあかりちゃんが働いて、アノラックは完成していく。
「ありがとう、みんな」
俺は横になったまま、笑みを浮かべて言った。
「固いこと言いっこナシッスよ、アニキ」
「そうです。わたしも楽しくてやっているんですから。……面白い服ですね、あのらっく、って。これ、海老原村でも作ってみようかなあ」
「冬場は売れそうな服だな。今年は無理だとしても、次の冬には、アノラックを神砲衆で作ってみたらどうだ? 売れそうだぞ」
次郎兵衛が、あかりちゃんが、伊与が、それぞれ告げる。
いいな、それ――と、俺は寝ころんだままうなずいた。横になっていると、やはり相当楽だ。藤吉郎さんも、さっきから横になっているのだが、こちらも気持ちいいのか、ぐおーぐおーとイビキまでかいている。俺は苦笑した。他のメンバーも、苦笑いを浮かべている……。
――だが、ただひとり。
カンナだけは、なにやら神妙な面持ちで、
「次の冬、か……」
俺にしか聞こえないような、小さな声でつぶやいたのである。
翌日。
アノラックは完成した。そして、
「ほう、これは……」
春日さんは、俺たちから手渡されたアノラックを着込むと、小屋の外に出て、くるくるとファッションモデルのように回転してから、
「これはずいぶん、暖かなものだな!」
と、快活な声音でそう言った。
「イノシシの毛皮でこんなものが作れるとはな。アノラック……これの作り方を教えてくれるというのか?」
「はい。これを着込めば寒さ対策は万全です。いくさのときにも役立ちますし、村人たちも助かるでしょう」
「うむ、おおいに助かる。寒さは信州人にとって一番の敵だからの」
春日さんは満足そうに言った。
「しかし、良いものを教えてもらった。何かお礼をせねばならんの」
「それでしたら、イノシシの肉と――他の食べ物も、できたら少しは欲しいのですが」
「それは無論手配しよう。しかし、これほど良い服を教えてもらったのだ。多少の食べ物ではな――おお、そうだ」
春日さんは、ふところに手を入れると、なにやら袋を取り出して、俺に手渡した。
「これを受け取ってくれ。せめてもの気持ちだ」
「これは……甲州金じゃないですか!」
そう、袋に入っていたのは甲州金だったのだ。
それも10個も!
「少ないが、路銀にでもしてくれ」
「いや、多すぎますよ、こんなに!」
「いや、この服は十二分にそれだけの価値がある。なにせこれがあれば、もはや寒さに凍えることはなくなるのだからな。梅五郎、その金、受け取れ」
――こうして思わぬところで金を稼いだ俺たちは、さらに食料も補給することに成功した。
アワとヒエと、蕎麦を300。さらにイノシシの肉の塩漬けを10。受け取ったのである。
さらに俺たちは、別の毛皮を貰い、それで人数分のアノラックを手に入れた。
《山田弥五郎俊明 銭 24104貫740文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 尾張に向かう>
商品 ・火縄銃 1
・甲州金 20
・籠 2
・アワ 300
・ヒエ 300
・蕎麦 300
・猪肉塩漬け 10
・アノラック 10
これで食料問題と寒さ対策はバッチリだ。
というわけで俺たちは、準備が終わった翌日にも、この場から旅立つことにしたのである。
「行くのか。もう少しゆっくりしていけばいいのに」
春日さんはそう言ってくれたが、俺たちはやはり旅立つことにした。
今川軍が、いつここまで手を伸ばしてくるか、分からないからである。
「ありがとうございます。ですが、用がありますので」
「名残惜しいことだ。……ではせめて、例の温泉には立ち寄っていけ。ここから西に向かったところにある」
春日さんは温泉の位置を、細かく教えてくれた。
「なにもかも、ありがとうございます!」
「道中、気をつけてな」
「春日さまも、今後のご武運をお祈りしますで!」
厚く礼を言う、俺と藤吉郎さん。
春日さんは笑顔で、そんな俺たちを見送ってくれた。
こうして俺達は、再び雪の山道を歩き出す。
「アニキのアノラックのおかげであったかいッスね!」
「まったくじゃ。雪も苦にならんのう」
「「「「「ういっす!」」」」」
「温泉まではどれくらいでしょうか」
「それほど遠くはないと思うが」
次郎兵衛、藤吉郎さん、自称・聖徳太子たち5人衆、さらにあかりちゃん、伊与たちが喋りながら歩く。
しばらく小屋で休んだおかげで、だいぶん疲れは取れたようだ。
あとは温泉に浸かれば、完璧だな。
「……お、あれかな?」
春日さんと別れてから半日も歩くと、その場所は発見された。
近場の人間しか知らないという隠し温泉……。白雪の積もる山中の中、湯気を立ち上らせているその場所からは、硫黄の香りが漂っている。近付いてみると、そこには確かにお湯が沸いていた。岩石に囲まれているその場所は、天然の湯船となっている。さらにご丁寧なことに、温泉の近くには2軒、小屋が建っていた。村人たちが作ったものだろうか。中は両方とも6畳くらいで、決して広くはないが、それでも家があるだけありがたい。
「これはしばらく休めるのう!」
「ええ、近場の人しか来ない場所ですし、ここなら今川軍も来ませんよ」
「アニキと藤吉郎さんは怪我をしているんだ。この場所でしばし湯治といくが上策ですぜ」
「「「「「その通りっす!」」」」」
「――次郎兵衛たちの言う通りだ。身体が回復するまで、しばらくここで休みましょう、藤吉郎さん」
「うむっ!」
こうして俺たちは温泉に入り、肉体を癒すことにしたのである。
小屋が2軒あったので、俺たちは、男女で分かれて宿泊した。
まずは女性陣が入浴し、次に男性陣が入浴する。……もっとも俺は貰ったアワ・ヒエ等を帳簿につける仕事があったので、まだ入浴せず、みんなが上がったあとでいい、と言った。単純に、一番風呂より最後の風呂の方がゆっくり入れると思ったのもある。
藤吉郎さんたち温泉から上がってきて体を拭くなり、小屋の中に体を横たえ、グーグーといびきを立て始めた。次郎兵衛たちもそうだ。やはりみんな、相当疲れていたんだな。
もちろん、俺自身もくたびれている。
とにかく温泉に入りたい。
というわけで、誰もが寝静まった夜。
俺は月と星のあかりを頼りにしながら小屋を出て、全裸になり、温泉に身を沈めたのである。
「……くうううううう~~~! あ~~~、たまらん……!」
これは気持ちいい。最高だ。
熱々のお湯の中にくたびれた身体を横たえると、傷口に温泉が染み込み、こわばった筋肉が一気にゆるんでいくような感覚を覚えた。
「あーーーー、血が流れる。首に、肩に、腰に、血が循環してるわ……あああ~~……」
この時代に転生してからこっち、熱いお湯に浸かったことは数えるほどしかない。
基本的にこの時代の風呂は蒸し風呂だからな。お湯に浸かりたいときは、こんなふうに温泉にでも入るか、あるいは自分で桶にお湯でも張って入るしかないのだ。
神保町の屋敷には、蒸し風呂をつけているんだけど……湯船もなんとか作ってみるかな。無事に帰れたら、だけど。
「しかし神砲衆のみんな……どうしているだろうなぁ。みんな俺と連絡が取れなくなって困ってるだろうな……」
早く戻らないと。
しかし焦っちゃいけない。
いま俺たちはだいぶんくたびれている。
ここで疲れを取っておくのも戦いのひとつだ……。
そんなことを考えながら、なお温泉の中に身体を横たえていた――
そのときであった。
「……弥五郎」
「え?」
突然、女の声がした。
ギョッとして振り返る。すると、
「……か、カンナ?」
そこには一糸まとわぬ姿の、カンナが立っていたのである。
夜の帳の中でも分かる。真っ白な肌に豊満な乳房、細い腰回りに肉付きのいい太もも……。
若さと麗しさに満ち溢れた裸体がそこにあった。いや、月明かりさえ浴びたその身体からは、一種の神々しささえ感じる。
って、そんな余裕をかましている場合じゃない!
「な、なにやってんだよ、カンナ、お前。その姿、いったい――」
「話があるけん」
「は!?」
「あたしも一緒に入ってよか? ……よかよね……」
こちらの答えを聞くまでもなく、カンナはチャプチャプと温泉の中に入ってくる。
白い肌が蠢くたびに、お湯が激しく波打った。
カンナの顔が真っ赤なのは、おそらくだが、温泉に浸かっているからだけではない。
もじもじとしながら、しかし明らかに何かの決意を秘めたまなざしで、彼女は俺のことをまっすぐに見据えて、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「カンナ……?」
「…………」
カンナは無言のまま、俺の右手をそっと手に取った。
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