第41話 信州の冬
雪の降りしきる、信濃の山道を進んでいく。
三河は今川の兵でいっぱいだという嘉兵衛さんの情報を信じて……
俺たちは信濃を経由して美濃、尾張へと向かうつもりだ。
ずいぶん遠回りになるが、身の安全には代えられない。
川中島方面に旅をした経験があったのがよかった。
道がどんなふうになっているのか、分かるのだ。
たった一度往復しただけだが、それでも経験ゼロよりはずっとマシだった。
「弥五郎、怪我は大丈夫ね?」
籠の外から、カンナが声をかけてくる。
「ああ、ずいぶんマシになったよ。まだ戦うことはできそうにないが……」
「敵が来たら、私が弥五郎を守ってやるさ。安心して養生に務めろ」
と、今度は伊与が言った。
守ってやる、か。……なんだか伊与らしいセリフだが、ひさびさに聞いた気もするな。
まったく伊与は、たった1日だけのお姉さんなのに、いつも年上ぶっちゃってさ……。
「……あっ、アニキ。ちょっといいスか?」
今度は次郎兵衛の声が聞こえた。なんだ、どうした。
「山ン中に、小屋が見えるんスよ。ちょっと見てください」
「小屋? どれ……」
俺は籠の窓を開けて、外の景色を見る。
すると山林の中に、薄汚れた小屋がひとつ、建っていた。
以前、この道を通ったときには気づかなかったが……。
人の気配はしない。近場の農民が建てた作業小屋だろうか?
「ちょうどいいッスよ、アニキ。あの小屋でしばらく……出来たら数日、休みませんか? アニキと藤吉郎さんは怪我だらけだし、みんなも、この強行軍で疲れが溜まってるッスから」
「……だな。よし、そうしよう。小屋を勝手に使うのは気が引けるが、出ていくときにいくらか銭でも置いていこう」
こうして俺たちは、山中の小屋で休息をとることにした。
入り口には鍵がかかっていたが、これは五右衛門があっさりと開けてくれる。
小屋は、案外広かった。
サイズは十二畳くらいだろうか? 囲炉裏もあるのが助かる。
俺たちは小屋の中で足を休め、休息を取り、さらに食事を摂って体力を回復させた。
「水は、外の雪を使って……火も、枯れ木を使うとして……食べ物は、まだあるんだよね? あかりちゃん」
「お米と塩が多少……。ただ、余裕はありません。あと10日もすれば尽きてしまうと思います」
「それまでに、どこかで調達せにゃならん、ちゅうことかの」
「近場で農家でも見つけて、なんとか食べ物を買えないものかな」
「どうやろねえ、あっちも冬越えの真っ最中やし……」
全員で、意見を出し合う。
だが結論は出ず――やがて俺は疲れから、眠ってしまった。
今川領を離れてから、ずっと籠の中で、たまに居眠りをするくらいだったのだ。とにかくとことん、眠りたかった。
何時間が経っただろう。
わいわいと声が聞こえたので、俺は目を覚ます。
「つっ……な、なんだ、いったい」
まだ痛む身体を引きずりながら、立ち上がると――
小屋の入り口で、みんながなにやら騒いでいる。
「おう、弥五郎。いいときに、いや悪いときに起きたの」
「藤吉郎さん、どうしたんですか?」
と言いながら小屋の入り口に目を向けると――む。
見慣れない人たち数人が、こちらを睨みつけている。
「おぬしら、うちの小屋でなにをやっとるんだ?」
「うちの小屋……」
「そうじゃ。作業小屋から人の気配がするから、なにかと思って来てみれば!」
なるほど。どうやら、この小屋の持ち主たちらしい。
俺はみんなの代表として前に出て、とにかく頭を下げた。
「すみません。俺たちは旅の者です。山の中を歩いて疲れていたところに小屋があったので、無断で休んでしまいました。申し訳ありません」
「なにを、この……。すまん、で済むか。うろんなやつらめ!」
「そうじゃ、勝手に小屋を使いおって!」
「いや、本当に申し訳ないことです。もちろん、すぐに小屋を引き払いますし……それと一泊した分、銭を支払うことで償いとしたいのですが」
「なに、銭……」
人々は、互いの顔を見合った。
こんな山中においても、銭の効き目はやはり強力だ。彼らの強面が、わずかに緩んだ。
だが、人々の中のひとりは、さらに大きな声を出し、
「いや、だめだだめだ。だいたいおめえら、どこの誰だかわかんねえ怪しげな連中じゃねえか。……もしや長尾家かどっかの間諜でねえか?」
「そうじゃ、間諜かもしれん。それならお殿様に突き出せば、手柄になるぞ……」
「て、手柄……手柄かあ……」
人々の顔色が変わる。怪しげな流れになってきた。
ここは信濃のどこか。武田家の勢力下だろう。武田は今川と同盟国……。ここで捕まると、厄介なことになるな。
「どうする、弥五郎」
伊与が、静かに尋ねてくる。
戦ってでも切り抜けるか、と聞いてきているのだ。
罪もない人たちと戦うのは気が引けるが、俺たちもここでやられるわけにはいかない。
なんとか、この場を脱出するしかないか――
と、そう思ったときだった。
「おぬしたち、そこでなにをしておる」
小屋の外から、声が聞こえた。
人々はいっせいに、小屋の外に出る。そして、
「こ、こりゃ殿様!」
人々はいっせいに叫んだ。
どうやら、この地方を治める殿様がやってきたらしい。
「なにやら騒ぎがあると聞きつけて、やってきてみればこれだ。いったい、なにがあったのだ」
「へい、殿様。実はわしらの小屋を勝手に使っている、うろんな連中がおりまして」
「うろんな連中?」
小屋の外で、殿様と人々の会話が交わされている。
殿様とやらは、いったい誰なんだろう。当然だが、いま俺は小屋の中にいるので顔が見えない。
いや、しかし……どこかで聞いたような声なんだが……?
俺は小屋の外に顔を出して、殿様とやらの顔を確かめようとした。すると――
「あ、あなたは!」
「そなた……確か梅五郎とやら!」
そこにいた『殿様』は、春日源五郎だった。
のちの高坂昌信であり、俺たちとは川中島で一度出会った、その人だったのだ。
改めて、小屋の中である。
俺たちは、春日さんと向き合っていた。
「驚いたぞ。松下家お抱えの商人であるそなたが、こんなところにいるとはな」
「手前どもも、まさか春日さまとここでお会いするとは思いませなんだ」
俺はニコニコと愛想よく言った。
……どうやら、俺たちが今川家から逃げていることは、春日さんには伝わっていないようだ。
正直、ホッとした。もしも春日さんにまで今川家の声がかかっているとなったら、かなり厄介なことになっていただろう。
「こんな雪の中でまで商いをするとは、骨折りなことだな。……村の者たちには、拙者からよく伝えておこう。怪我人ゆえ、小屋を使ったのは仕方がなかった、との。もっともそなたが言うように、いくばくかの銭くらいは、やったほうがよかろうがな」
「もちろんです。お騒がせしましたし、銭3貫をお支払いしたく」
「こんなボロ小屋1泊で、3貫か! 村の者はえらい得をしたな」
春日さんは、大きく笑った。
《山田弥五郎俊明 銭 24104貫740文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 尾張に向かう>
商品 ・火縄銃 1
・甲州金 10
・籠 2
「3貫も支払ったのなら、しばらくこの小屋で休んでいくがいい」
「いえ、やはり無断で宿泊したのは気が引けますので、すぐにお
さっきも思ったが、なにせここは武田領。
いつ今川の手が伸びるか分かったもんじゃないからな。
春日さんに、
「そうか、残念だ。……そなた、怪我もしているだろう。休んだほうがいいと思うがな。……そうだ、この小屋から西へ向かったところに、地元の人間しか使わぬ小さな温泉が湧いている。そこに浸かったらどうだ。傷に効くぞ」
温泉!
それは耳寄りな話だった。俺だけでなく、藤吉郎さんも伊与たちもわずかに目を輝かせる。
ひたすら寒い中を歩き回っていた俺たちだ。とにかく熱い湯に浸かりたかった。
「その情報、とてもありがたいです! では、温泉は使わせていただきます」
「うむ、使っていけ。村の者しか使わぬ温泉だが、銭3貫も払っておけば不平を言う者もおるまい。――しかし」
春日さんは、なお眉をひそめた。
「本当に旅立つのか? これからまだしばらく、雪が降り続く気配だぞ。こんな寒い中に、若い娘も連れて旅をするのはあまりおすすめできんがな」
春日さんは、本当に、心配そうに言った。
「だいたい今年の冬は、特に寒い。寒さになれた信州の者まで凍えていてな。この寒さをどう乗り越えたらいいものかと話し合っているほどだ」
「それほどまでに……」
そうなると、俺たちも強行軍で旅をしないほうがいいのだろうか?
いくら今川が怖いといっても、雪の中で凍死してしまっては元も子もないし。
やはりしばらく、この場に留まったほうが賢明だろうか?
そう思ったときだった。
「あ、あのっ」
一同の中から、あかりちゃんが声をあげた。
「春日さま。ひとつだけ、よろしいでしょうか?」
「む? なんじゃ、申せ」
「実はわたしたち、食べ物が少なくなっていまして。よろしければ、お米やお塩を少しでも分けてもらえないとかと思いまして」
そうだった。
食糧の問題もあったんだ。
サンキュー、あかりちゃん。
旅立つにしろ残るにしろ、確かに食べ物はここで補給していきたいな。
「米や塩か。こちらもあまり余分はないが……いや待てよ。確か今日の朝、村の者が猪狩りをしていたな」
「イノシシ、ですか」
「そうだ。何頭か狩ったと言っていたから、その肉ならば、少し分けてやれるかもしれんの」
何頭もか、ずいぶん狩ったんだな。
まあイノシシは冬が繁殖期で、動き回る生き物だって、海老原村の八兵衛翁も言っていたし(第一部第二十六話「イノシシ退治」より)……。
村に出てきたところを狩られたんだろう。かつて、俺たちがやったみたいにな。
ん。
待てよ、イノシシが何頭も……?
俺は、ふと気が付いた。……これはうまく使えば、面白いことになるかもしれないぞ?
「汝、またなにか思いついたの?」
隣の藤吉郎さんがニヤリと笑う。
俺もまた、口角を上げてうなずいた。
旅立つために必要なアイデアが、たったいま、浮かんだのである。
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