第39話 脱出

「そこにおるのは、誰じゃ?」


 振り向くと、そこには確かに具足を着込んだ今川の雑兵が3人立っていた。

 ひとりはたいまつを、残りのふたりは槍を持っている。

 まずい。こんなところで見つかるとは……!

 思わず顔をしかめた、そのときだ。


 ――しゅっ。


 と、風を切る音が聞こえ、と同時におごう改め五右衛門が飛び出し、雑兵のひとりのアゴに、下から鉄拳を叩き込んだ。――いわゆるアッパーカットである。

 素早い身のこなしだった。敵は反応する時間もない。――五右衛門はさらに、残りのふたりにもアッパーを繰り出す。

 たいまつが、地面に落ちた。そのまま五右衛門は炎を思い切り地べたに押し付けて何度もこすりつける。


 火が、消えた。

 あたりに静寂と暗闇が戻る。


「……危なかったね~。こんなところにも人がいるとは思わなかったよ」


 五右衛門は、さほど慌てたふうでもなく、淡々と語る。

 地面を見ると、ぶっ倒れた雑兵は全員、気を失っていた。


「見事じゃのう、五右衛門。いまの体術は、どこかで習うたのか?」


「父親にちょっと習ったけど……まあ、ほぼ我流だよ。知ってるかい、藤吉郎さん。顎の下って、強く殴られるとこうなるんだよ」


「確かに、顎の下は急所のひとつだからな。……ありがとう五右衛門。また助かったよ」


「礼を言うなら、館から脱出してからにしてほしいな。……さあ、どうする? 夜の間にここを出ないとちと厄介だよ」


「そうだな。……なにか、いい策はないか――ん、待てよ、そうか」


「弥五郎、なんぞいい知恵でも浮かんだかの?」


「ええ、ひとつだけ。……藤吉郎さん、五右衛門。手伝ってください」


 新月の下、俺は小声で言った。




 ――数分後。


 今川の兵たちが見張りに立っている館の門に、俺たち3人は堂々と接近していた。

 ただし、具足を着ている。……先ほどの雑兵たちが着ていた具足を拝借したのだ。


 今川家に具足を売ったのが、俺たちであることが幸いした。

 具足の剥がし方も着込み方も、俺たちは熟知していたからだ。

 なお、雑兵たちはまだ気絶しているが、さるぐつわをして物陰に押し込んでいるから、まだしばらくは見つかるまい。


「よう、ご苦労さん」


 俺は、門までやってくると、たいまつを掲げ、さも同僚をねぎらうように声をかけた。

 門の内側を守っている兵士たちは、おや、という顔を俺たちに向ける。


「なんだ、こんな時間に館を出るのか?」


 もっともな質問を、俺に向けてくる。

 俺は、にっこりと笑い、


「ああ、ちょっと使いを頼まれてね」


「使い? 誰の? どんな用で?」


「それはちょっと言えないよ。まあ、野暮用ではあるんだけどね」


 俺は笑顔を作りながら、努めて明るくそう言った。

 全身打撲の傷がうずいている。顔が引きつっているんじゃないかと不安になった。

 しかし、なんとか芝居をやりきらねばならない。頑張れ、弥五郎。俺は自分で自分を励ました。


「ふうん。……夜も遅えのに大変だな。夜道、気を付けていけよ」


「おう、ありがとよ」


 俺は手を挙げて、門のくぐり戸を通る。

 藤吉郎さんと五右衛門も、黙って通った。

 五右衛門など、女であることがバレたらちょっと厄介なので、鉢巻きを巻いて、頭を伏せ。顔を見せないようにしている。


 3人揃って、門をくぐった。

 よし、いいぞ。なんとか外に出られた。

 眼前に、橋がある。橋を渡った先には、駿河の平原が見えた。

 とにかく今川氏館から離れることだ。そうすれば、どうにかなる――


 と、そう思ったときだ。


「おい、待て」


 門の外側を守っている兵から、声がかかった。

 俺は、ぎくりと一瞬身を固めてからゆっくりと振り向く。


「……おぬし、見ない顔だな」


 兵は、静かに言った。

 俺は、にこにこ顔を作る。


「へ、……実はその、新入りで」


「新入り? 兵が新しく入ったなんて話は、聞いたことがないがな。……おい、そっちの2人も。よく顔を見せろ」


 門番は、槍を掲げたまま、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 まずい。こいつ、俺たちを怪しんでいる。このままじゃ脱走者だとバレてしまう。

 五右衛門が女だというのも露見してしまう。そうなると、かなり厄介なことに――


 と、そのときだった。


「いや~、はっはっは。門番どの、さすがはお目が高い!」


 藤吉郎さんが、突如、バカでかい声を出した! な、なんだ!?


「実は新入りとはごまかし! わしらは飯尾豊前守さまの足軽でしてなあ。ちょっとアレな用事があったので、身分を偽って館の中におったのですわ、はっはっは」


「あ、アレな用事?」


 藤吉郎さんがあっさりとごまかしだと認めたことに、門番は逆に目を白黒させている。

 俺も、目を何度もまばたきさせていた。藤吉郎さん、どうするつもりだ?

 藤吉郎さんはニコニコ笑う。

 そして、


「ほれっ! これですわ、これ!」


「え? ――ひゃあっ!」


 藤吉郎さんは無理やり、五右衛門の顔面を門番にさらした。


「お、おんな……?」


 門番は、ますます戸惑いの声をあげる。

 藤吉郎さんは、ニヤニヤ笑って、


「もうお分かりでしょうが、門番どの。この娘はの、飯尾さまのコレなんじゃ。コーレっ。……うふっ。飯尾さまもあれでなかなかスキモノでのう、この娘とつい先ほどまでたっぷりと、楽しんでおられたのですわい」


「な、な、な……」


 五右衛門は、顔を真っ赤にしている。

 当然だ。突如、縁もゆかりもない飯尾豊前守さんの愛人にされてしまったのだから、そりゃ赤面もする。


「ところがじゃ。飯尾さまの正室が、明日の朝にもこの館に来ることが先ほど分かってしまった。ご承知の通り、飯尾豊前守さまの奥方といえば、今川屋形の姪御でしょうが。館に娘を連れ込んで逢瀬を重ねていたと分かっては、これは一大事ということになる。……そういうわけで、こんな時間ではあるが、娘を無理やりにでも館の外に放り出そうと、そういうことになったのですわい!」


 ……よくもまあ、ここまでペラペラと、口から出まかせを並べたてられるもんだ。

 さすがは藤吉郎さん、弁舌のスキルは超一流だな。しかも、飯尾さんの個人情報まで話に盛り込んでいるし……(そう、飯尾豊前守さんの奥さんは、今川義元の姪なのだ)。


「わっはっは。いやもう、飯尾さまにも困ったもんですわ。こんな夜更けに館を追い出されるこちらの娘もじつに不憫! ……さすがに飯尾さまも哀れに思ったのか、我らを護衛につけ、夜だから危ないというので具足まで着せて男装させ……と、こういう次第になったのですわい。――これで仔細はお分かりかな、門番どの!?」


 藤吉郎さんは、あくまでも朗らかに叫ぶ。

 その陽気さにつられたわけではないだろうが、門番の兵は、うむ、と小さくうめいたあと、


「……そういうことなら、行ってよし! ……しかし、飯尾さまにも困ったもんだのう」


「いやはや、まったくじゃ! すみませんのう、迷惑をかけて。……では娘どの、相棒。参ろうぞ!」


「あ、ああ……」


「は、はい……」


 藤吉郎さんが歩き出す。

 俺と五右衛門は彼に従い、夜の駿河へと飛び出した。

 途中で後ろを振り向いたが、門番はずっと、館の門前に立っている。追ってくる気配はない。……よし、いいぞ!


「藤吉郎さん、助かりましたよ」


「なんのあれくらい、朝飯前じゃわい。わっはっは」


「……でも、なにもウチを飯尾豊前のおめかけさんにしなくても……恥ずかしぃ~……」


 五右衛門は再び真っ赤になったが、藤吉郎さんはもう、笑うだけだった。


「恥ずかしいくらいで無事に脱出できたのだから、よしとせい、五右衛門! ……それより、ここからどこへ行くべきかの?」


「ある森の中で、伊与たちと合流する手はずになっているよ」


「そうか。よし、なんとかそこで頑張って走ろう!」


 こうして俺たちは、今川氏館を脱出したのであった。




 ――1時間後。


「弥五郎!」


「藤吉郎さんも! 無事やったね!?」


「あんまり無事じゃないが……」


「生きてはおる。……つつつ……歩いたらますます身体が痛むわ……」


 館から抜け出した俺たちは、駿河の山林の中で、伊与たちと合流した。

 伊与、カンナ、次郎兵衛、あかりちゃん、自称・聖徳太子たちが勢ぞろいしている。


「アニキ。こんなこともあろうかと、籠を買っておいたッス」


「あたしと次郎兵衛の独断で、ひとつ7貫したけど……。この籠に乗りんしゃい、ふたりとも。これで一気に逃げるばい!」


 次郎兵衛とカンナが言った通り、林の入り口には籠がふたつ、用意されていた。

 引き戸までついた『乗物』と称される籠で、ちょっとした高級品だ。

 だが、ありがたい。俺と藤吉郎さんは全身がズタズタの上に無理をして走りまくったので、もう歩くこともできなかったのだ。


「ありがとう、カンナ。次郎兵衛。ふたりとも、最高だぜ。……頼む!」



《山田弥五郎俊明 銭 24107貫740文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領から脱出する>

商品  ・火縄銃       1

    ・甲州金      10

    ・籠         2



 俺と藤吉郎さんは、揃って籠に乗り込んだ。

 引き戸を閉めると、中がいちおうの密閉空間になる。

 すると急に暖かさを感じた。よほど身体が冷えていたのだろう。


「よし、早急に駿府から脱出するぞ! 五人衆、籠は任せた!」


「「「「「ういっす!!」」」」」


 伊与の指示のもと、自称・聖徳太子たち5人が籠をかつぐ。

 5人のうち2人は女性だが、2人がかりで籠の棒を持ってくれた。


 夜の闇に紛れて、俺たちは一気に駿府から脱出する。

 急いで逃げねばならない。目指すは俺たちの故郷、尾張だ!

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