第38話 新月の下の襲名

「ぐっ!」


「あっつ!」


 俺と藤吉郎さんは、思い切り突き飛ばされて――

 もんどりうって悲鳴をあげた。


 今川氏館内の牢である。

 あれから俺たちふたりは、今川家の侍たちに殴られ蹴られ、ボコボコにされ、


 ――今日はそれくらいにしておけ。明日、拷問にかけて、逆に織田家の情報をことごとく吐かせてやるわ!


 今川家の侍たちはそう言って、俺たちふたりを縄で縛り、そして牢屋にぶちこんだのだ。


「……藤吉郎さん、生きてますか……?」


「な、なんとかの……。しかし……痛えのお……」


「ぐぐ……」


 俺は地べたに横たわったまま、口の中の血反吐をぺっと床に吐き出す。

 ……骨折は……たぶんしてないか……? し、しかし全身打撲……。い、痛え……。


「だが……命があるだけ儲けもの……かな……」


 独りごちる。

 すると、藤吉郎さんがへへっと笑った。


「なにが儲けなものか。……明日からもっと手厳しい責めが待っとるぞ……」


「…………」


「わしらが知っている尾張の情報や……弥五郎、汝が知っているさまざまな武器の作り方も問われるじゃろう……」


「そ、んな、こと……」


 げほ、とまた血を吐く。

 拷問、か。……いやな言葉だ。

 そんなものを受けたら、いよいよ死んでしまうかもしれない。あるいは死ぬよりも辛い目に遭うか……。


 ――何時間か、経った。

 その間、全身をずっと横たえていたが……。

 だめだ、痛みはまったく引かない。眠ろうにも、体が痛すぎて眠れない。


「くう……」


 藤吉郎さんも同じらしい。

 低いうめき声をあげている。


「えらいことに……なりましたね……」


「……覚悟の上じゃ……とはいえ……こたえるの……」


 冷たい床の上に、ふたりして寝転んでいる。

 12月の気候もよくない。どこからか入り込む隙間風が、傷ついた身体をいっそう苦しめていく。

 そのくせ、空気が乾いているので喉だけはやたらと渇いた。水……水が飲みたい。一口でいい。水……。


 顔を上げると、牢の入り口に雑兵が立っているのが見えた。水をくれ、と言いたかった。

 しかし、彼に届くほどの声さえ、いまの俺には出せそうにない。

 ……ちくしょう……。


「弥五郎……なにか……いい道具でもないか……?」


「全部取られちゃいましたよ……リボルバーも、パームピストルも……」


「そうか……。い、いよいよ……万事休すかの……?」


「……藤吉郎さん……」


 なんとか、藤吉郎さんだけでも逃がしたい。

 せめて彼を尾張に戻さなければ、日本の歴史は大幅に狂ってしまう。

 いや、歴史がどうこうなんて、どうでもいい。……俺はこの相棒を、生かしてやりたい。例えこの命に代えても……!


 ――なんとか……なんとかして……ここから脱出を……。


 最後の力を振り絞り、立ち上がろうとした。

 なめるなよ、こっちは転生者だ。伊達に一度は死んでいない。

 どうせ一度は消えた命。それならここで、最後の輝きを見せてやる。なにかひとつ大暴れしてやる――




 と、そのときだった。




「がっ!」


 低い声が聞こえた。

 顔を上げると、牢の入り口に立っていた兵が、ぶっ倒れている。

 そしてその入り口からは、ひとりの少女がこちらに向かって駆けてくる。……その姿は!


「おごう……!?」


「はい、お待たせっ。泥棒が助けに来てやったよ~」


 場に似合わぬ笑みを浮かべて、おごうが登場したのである。




「さっさと逃げるよ。伊与たちはとっくに、駿府の郊外に逃げているからね。ウチらも合流するのさ~」


「わ、分かってる。だけど身体中が痛いんだ……! そんなに早く動けねえよ……!」


「そうじゃ、おごうよ。もうちっとゆっくり歩かんか……つつつ……!」


 おごうは、針のような、何か細い鉄の棒を使って、あっさりと牢屋の鍵を開けてしまった。

 こうして助けてもらった俺と藤吉郎さんは、牢を脱出し、館内を進んでいる。

 人気のない場所や、建物の死角を進みつつ、なんとか外へと抜け出そうとしているのだ。


「それにしても、よく来てくれたぜ、おごう」


 俺は心から言った。


「俺たちが捕まったこと、よく分かったな」


「あれからすぐに飯尾屋敷にも今川の兵が来たからね。その場はみんなで戦って脱出できたけど、弥五郎と藤吉郎もきっとやられているって思ったから、助けに来たのさ。……へへ、泥棒の腕前も役立つもんだねえ」


「しかし、なぜ五右衛門の娘の汝が、わしらを助けるんじゃ? わしらは親の仇じゃぞ?」


「言っただろ。ウチは親父のことが嫌いだったし、別にそこは恨んでないって。……それに助ける理由ならあるさ」


 おごうは、薄い笑みを浮かべた。


「孕石の兵に捕まったとき、アンタたちはウチのこと――なんだかんだ言って、助けてくれたもんな」


「…………」


「だからウチもアンタたちを助ける。なんだかんだ言ってな」


「……立派なもんじゃ」


 藤吉郎さんは、ニタリと口角を上げた。


「見上げた心根じゃぞ、おごう。その気持ちがある限り、盗賊の技も決して悪徳にはならんわい」


「あは、そうかい。……こんなウチでも、石川五右衛門の娘でも、少しは誰かの役に立てるんだな」


「おおとも、役立つ役立つ。汝が生きてこの世にある限り、石川五右衛門の名も悪の象徴にはならんでよ」


「そうかあ。……嬉しいね~。……あんなやつでも親は親だ。その汚名を返上できるのなら――ウチが盗賊になることで悪名を晴らせるのなら――へへ、いっそ、その名を使おうかな?」


「ほう。……名を使う?」


「そうさ」


 おごうは、ニッと笑って言った。


「今日からウチは、五右衛門。……正義の盗賊、すなわち義賊の、二代目石川五右衛門だ!」




 ――今川氏館の中は、さすがに広い。

 その中を、敵の死角を突きながら移動しているものだから、なかなか外には出られない。


「おごう……いや五右衛門よ。汝はどうやって、館内に侵入したんじゃ?」


「壁の上を乗り越えて入ってきたよ~……。だけどいまの弥五郎たちには、そんな体力残ってないよね?」


「万全だったとしても、壁の上はちょっと越えられないな……」


 俺は苦笑した。

 なんとか、地上から、この館を脱出するしかないのだが……。

 小屋の陰に、そっと隠れている俺たち。……館の門は目の前だ。

 あそこさえ突破できたらいいのだが、門番らしき兵が2人もいる。

 銃があれば強行突破もできそうだが……あいにく武器もないし、体中がボロボロだ。戦闘はできそうもない。

 ……どうすればいい。どうすれば……。


 そのときだった。


「そこにおるのは、誰じゃ?」


 後ろから、声が聞こえた。

 しまった、隠れているのがバレたか!?

 俺と藤吉郎さんと五右衛門は、慌てて背後を振り向いた――



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お久しぶりです。

変形性脊椎症という病気になり、腰が痛く、作品の手直しも容易にできなかったので、しばらく更新できず申し訳ございませんでした。書きだめしていたクラウド自伝を投稿するだけでやっとでした。

まだ腰痛も完治していないのでとりあえず自分のペースでやっていきます。


そしてもうひとつご報告ですが……

本日、4月24日、日本経済新聞様の夕刊に、須崎正太郎のインタビュー記事が掲載される予定です。

「戦国商人立志伝」のクラウドファンディングについての記事です。まだ私も見ていないのですが。

よかったらチェックしてみてください。


では今後ともよろしくお願いいたします。


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