第37話 露見!
今川氏館に呼ばれたのは、俺と藤吉郎さんだけだった。
伊与たちは、城下の宿――ではなく、その宿を引き払い、飯尾豊前守さんの屋敷に移動することになった。
飯尾屋敷は、中を片付けたので、少し広くなったらしい。これからはそこに宿泊するといい、ということだった。
そういうわけで、俺と藤吉郎さんはふたりで今川氏館に向かう。
1555(弘治元)年、12月のことだった。
どこか雅な空気が漂う廊下を歩く俺たち。
俺も藤吉郎さんも、裃まで着用して、なるべく品良く足を進めている。
先導するのは、飯尾さんだ。――嘉兵衛さんはいない。呼ばれたのは俺と藤吉郎さんだけだからだ。
「今川屋形は、そなたたちのことを高く評価している。……嘉兵衛よりもな」
歩きながら、飯尾さんはそう言った。
嘉兵衛さんを差し置いて、俺たちだけが今川義元に会うのは、どうにも気が引けるのだが、先方が俺たちだけを希望しているのだから仕方がない。
あとでたっぷりお土産話をしようと思いつつ――やがて飯尾さんが一度、歩みを止め、
「尾張の商人、梅五郎と与助を連れて参りました」
そう言った。
気が付くと、すでにそこは部屋の入口の前だった。
中には今川義元がいるのだろう。俺は緊張で、ごくりと唾を飲んだ。
「入れ」
やや、高めの声が聞こえた。
飯尾さんは礼儀作法にのっとって、部屋の入口を開け、中へと入る。
俺たちも、それに続き――
「……!」
俺はわずかに目を見開いた。
十数畳ほどの広さを誇るその部屋の、もっとも奥。
すなわち上座に、どっしりとしたたたずまいをした、風格のある男が座っている。
あれが――あれが今川義元か!
東海一の弓取り。駿府、遠江、三河3国を支配している大大名。
その動員数は万をゆうに超え、武田晴信や長尾景虎も一目置く、この時代きっての戦国大名……!!
その義元の両脇には、ずらりと侍たちが並んでいる。
今川家の家臣たちだろうか。……おや、と俺は思った。
ひとり、仏頂面の少年が、家臣団の末席に座っていた。
家康だ。そう、あの松平元信もこの席に参列している……。
家康は、俺と一瞬だけ目を合わせたが、すぐに目をそらせた。
この場で真っ先に自分が発言することはできない、といったところか。
さらに家臣団の中には、あの孕石主水もいる。
こちらは俺と、目を合わせようともしなかった。
まあ、こっちは知り合ったときの過程が過程だからな……。
さて。
「御屋形様。梅五郎と与助でござる」
飯尾さんが言った。
「左様か」
義元は、飯尾さんのセリフに小さくうなずいた。
飯尾さんは、すぐに俺たちから距離を取り、家臣団の中に入った。
今川義元と家臣団の注目を浴びているのは、俺と藤吉郎さんだけになった。
注目を一身に浴びているようで、否が応でも緊張する。
「……梅五郎。それに与助」
今川義元が、口を開いた。
俺と藤吉郎さんは、揃って平伏する。
「かねてより、名は聞き及んでいた。川中島の武田軍に兵糧を届け、松下嘉兵衛の商いを手伝い、松平次郎三郎に変わった銃を売り、そしてこの治部大輔(義元)のために具足1000着を揃えてくれたそうじゃな。……その功、大である」
俺と藤吉郎さんは、ただただ平伏している。
発言を許されぬ限り、受け答えはできない。
それが作法である。……あるがそれ以上に、場の空気に気圧されていた。
今川義元の前には、気軽に回答できないなにかがある。威圧感とでもいうべきか。
「梅五郎、そなた、年はいくつじゃ」
「…………」
「梅五郎、御屋形様がお尋ねだ。口を利いても構わぬぞ」
飯尾さんがそう言って、俺は初めて、ややか細い声で、
「……17(数え年)にございます」
「17。若いのう。怖いもの知らずの年ごろじゃ。のう、次郎三郎。そうは思わんか?」
「……は……」
家康は、義元に声をかけられても、わずかにはにかんで頭を下げるだけだった。
義元はそんな家康を見て「ふっふっ」と高い声で笑い、
「次郎三郎とは年も近い。馬が合うたはずじゃ。……パームピストル、か。面白い武器を作って売ったものじゃ。梅五郎……」
義元は、機嫌よさげに――
しかしよく分からないことを言う。
先ほどから、いまいち会話のポイントがつかめない。
義元は俺になにが言いたいのだ? 俺を褒めているのか? そもそもなんのために俺をここに呼んだんだ?
「梅五郎。そして与助よ」
義元は、改めて口を開いた。
「今川家のためにずいぶん骨を折ってくれたようじゃ、それについては治部大輔みずから礼を言おう。……しかしじゃ」
「…………」
「その骨折りは、まことに今川家のためかな? あるいはおのれの私欲のためかな? ……ふっふっ。……あるいはもっと、大きなもののためにそなたたちは動いていたのではないか?」
「は…………?」
俺は、わずかに顔を上げた。
「御屋形様、それはどういう――」
「
雷鳴の如き、今川義元の
義元は――先ほどまでの恵比須顔など、どこへやら。
悪鬼のごとき形相で、俺たちを睨みつけている!
「針商人梅五郎、ならびにどじょう売りの与助! 治部大輔が気付かぬと思うたか。そなたたちの肩書と名前など真っ赤な偽り。まことの名前をこの場で申せ! 申せぬか!? ならば治部大輔が言うて進ぜよう。――うぬらの正体は、織田弾正忠の忠実なる手先! 神砲衆頭目の山田弥五郎と、足軽組頭の木下藤吉郎であろう!!」
「「…………!!」」
俺と藤吉郎さんは、仰天し、はっと顔を上げ――
その瞬間だ。部屋に、どどど、と侍が十何人も飛び込んできた。
誰もが抜刀し、切っ先をこちらに向けている。その顔はいずれも敵意に満ちみちていた。
――しまった……!
今川義元にバレていたんだ。俺と藤吉郎さんの正体!
し、しかし、どこで!? なぜ、こんなことに!?
「久しぶりだな、梅五郎。……いや、山田弥五郎か」
侍たちの中から、ひとりの男が登場した。
見覚えのある男だった。こいつは、こいつは確か――
「
藤吉郎さんが言った。
そうだ、岡崎城の城代を務めていた今川家の代官、石原甚兵衛だ。
あんまりイバっていたもんだから、俺と藤吉郎さんのふたりで腐ったドジョウを食わせた、あの男……。
「あのときは気が付かなかったが、あのドジョウの一件はどう考えてもおぬしらの
「くっ……!」
「梅五郎などと名乗って、なにを企んでいたのかと思えば……さんざん駿遠領国でご活躍だったそうじゃな。目当ては金か、情報か……。なんにせよ、おぬしもここでおしまいじゃ!」
「…………!」
俺は顔を蒼白にした。……しくじった!
遠い三河の地にいる石原甚兵衛が、まさか俺の正体を思い出して、駿河までやってくるなんて。
侍たちは、俺たちに迫ってくる。
懐から、リボルバーを取り出そうとした。――しかし間に合わない。ひゅん、と侍の一人が剣先をふるい、俺の右手の甲をかすめたのだ。
「ぐっ!」
わずかに、血が流れた。
「弥五郎!」と藤吉郎さんが叫ぶ。
マズい。状況は最悪だ。こちらはたったふたり。囲まれている。しかも室内。
伊与たちもここにはいない。……いや、いまにして思えば、宿を出て飯尾さんの屋敷に移動させられたのも、俺たちを捕まえるためだったんじゃないか? そうだとしたら、いまごろは伊与たちもやられているんじゃ――
その飯尾さんは、部屋の片隅で、俺たちから目をそらしている。
短い間とはいえ、仲間として一緒に働いた飯尾さん。俺たちがやられるのを直視したくはない、といったところか。
家康も、そうだ。こちらは若いせいか、顔に脂汗を浮かべているが、しかし俺たちを助けてくれそうな気配はない。
……くそっ、もはやどうしようもないのか!? 俺たちはここで殺されるのか!?
右手の甲を抑えつつ、俺はくちびるを噛みしめた。――口の中が、血の味でいっぱいになっていく……。
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