第34話 今川義元の依頼

「実はね、今度、今川屋形が、川中島の戦いを調停することになったんだ」


 と、嘉兵衛さんは言った。


 そう、この年(1555年)の春先に始まった川中島の戦いは、秋になったいまの時点でもまだ続いている。

 あまりの長陣に、武田軍の士気は萎え、兵糧の問題も発生し――そこを俺たちが手助けしたことは記憶に新しい。

 武田軍は苦しかった。しかし対する長尾軍も、同時に苦しかった。お互いに、そろそろ戦をやめたいと思い始めた。


「冬が近くなり、間もなく雪も降る。そうなればますます泥沼だ」


 と、嘉兵衛さんはさらに言った。


「そこで、武田屋形(武田信玄)が今川屋形に、戦の調停を依頼した。このあたりで戦をやめたいので、仲直りのためになんとかしてくれないか、というわけだ」


 しかし、と嘉兵衛さんは言う。


「武田家は今川家の同盟国だが、長尾家はそうじゃない。仲直りしようと今川家が話を持ちかけても、突っぱねてくるかもしれない」


「確かに。長尾家といえば天下に知られた武門の家柄。越後の兵も極めて屈強であり、かつ自分たちの力に強い自信を持っていると聞きます」


「そうだ。そんな越後の長尾家に和睦の話を持ちかけるのは、容易じゃないわけさ。……さて、それならば。……長尾家に、和睦の話を拒否されないためにはどうしたらいい?」


「拒否されないほど、今川家が強くあればいい」


「そう、その通り、さすがは梅五郎だ。――今川家は、その強さを長尾家に見せつけなければならない。では、そのためにどうすればよいか? ……今川屋形は考えた。考えた結果――今川家の上級兵士たちに最新の具足を着せて、川中島にみずから出兵することを考えたのさ」


「…………!」


 俺はわずかに目を見開いた。

 今川義元みずから兵を出し、威力調停、というわけか……。

 なるほど、つべこべと論を述べたり手紙を送りつけるよりも、兵を出して実力を見せつけ「お前ら仲直りしろ」というほうがよほど説得力がある。

 まして、そこに新しい具足があるのならば、なおさらだ。


「与助から聞いたけど、尾張では、具足の作り方も駿河と違うそうだね」


「はい、紐の編み方が異なります」


 尾張国全体は、ここ数年、『尾州動乱』と呼称されるほどの内乱状態にあった。

 そのために、尾張国と近隣は、武具や防具の普及と進化が他地域と比べるとやや進んでいる。

 具足ひとつにしてもそうだ。尾張の具足は、駿河の具足と比べると、紐の編み方がやや異なる。

 

 具足に使う紐を『威糸おどしいと』という。具足に使われる鉄板(すなわち、胸を守る板や、背中を守る板)は、この紐によって繋がれている。板と板を繋いでいる部分を紐にすることで、戦いのときに運動しやすいようにしてあるのだ。

 この繋ぐ部分が、尾張では、あえてゆったりとした編み方になっている。そうすることで、ヒジやヒザなどの屈伸の自由が利き、身体のひねりも楽にできる。

 たかが紐ひとつで、具足の利便性はずいぶん変わるのだから面白い。


「その具足を、今川でもぜひ使いたいのだ。今川屋形は、尾張の具足が大量に手に入るのならば、金は惜しまないと言っている」


「おお、豪儀ですね!」


「なにせ尾張は織田家の勢力下。尾張から大量の具足は容易に仕入れられぬ。その具足が手に入るのならば大金を出しても惜しくはないという話さ。……なあ梅五郎、そちならばあるいは、尾張から具足を大量に仕入れることができるんじゃないか。飯尾豊前守さまもそう思って、今川屋形にそちのことを推挙したんだよ」


「飯尾さまが! ……光栄なことでございます」


「そうだろう、これはありがたい話なのさ」


 嘉兵衛さんは、うんうんとうなずいた。


「これまで今川家は、友野二郎兵衛という商人が作った友野座と深く交流してきた。天文二十二(1553)年には、今川屋形がみずから、友野座に朱印状を交付し、駿府の商いを一手に引き受けるべしと許しを与えている。……だが」


「だが?」


「今川屋形も考えが深いからね。友野座と交流を持ちつつも、他国の有力な商人とは付き合っておこうと思っているのさ。……だから梅五郎、そなたに話が来た。今川屋形は、尾張出身で前途有望な若手商人であるそなたと、繋がりを求めている」


「今川屋形が……」


「――とまあ、ここまで偉そうに語ったけど、これは全部、飯尾さまから聞いた話さ」


 嘉兵衛さんは、照れ臭そうに頭をかいた。


「最初に話を聞いたとき、某は話の半分も理解できなかった。与助に説明してもらって、やっと全部を理解できたのさ」


「そういうわけじゃ、梅五郎」


 藤吉郎さんは、穏やかに言った。


「これは我々にとって絶好の機会じゃぞ。尾張の具足を仕入れて今川屋形に売れば、金も入り、屋形の覚えもめでたくなる――」


「……それは、そうですが」


 俺は藤吉郎さんの瞳を覗きながら、その真意を測っていた。

 尾張の具足を仕入れて、今川家に売る、か。

 今川家の戦力増強に繋がってしまうな。これについては大橋さんあたりに相談してみる必要がある……。

 まあ、もっとも、尾張の具足はどっちみちこの時代にある具足なのだ。

 俺が動かなくても、代わりの誰かが動いて、遅かれ早かれ今川家は尾張の具足を入手してしまうだろうが……。


 問題は、今川屋形の覚えがめでたくなる、という点。

 俺と藤吉郎さんは、本来、織田家の人間なのだ。

 今川家の情報を得るためにこの場所にいるのだ。

 だとしたら、今川義元の覚えがめでたくなれば、あるいは――義元本人に接近し、大きな情報を得ることができるかもしれない。そう考えれば、この話はやはり乗るべきなのだ。


 だが、たったひとつ。問題は――


「頼むよ、梅五郎。なんとか、頑張ってもらえないかなあ」


 この、人の好い松下嘉兵衛さん。

 前々から思っていたのだが、嘉兵衛さんを騙してこの地にいることは、どうにも良心が痛むのだ。問題はそこだけだ……。


『太閤記』などに登場する、秀吉最初の主君、松下嘉兵衛。……藤吉郎さんと馬が合うのは予想できたが、この人は俺にも優しい。いや、俺だけじゃない。伊与にもカンナにも、穏やかな態度を見せる。善人なのだ。


 ――俺はいずれ、なんらかの形で、この人の好意と思いやりに、絶対に報いなければならないと思った。藤吉郎さんの目を見ると――わずかに彼も、うなずいた。俺たちは同じ気持ちらしい。――そうですよね、嘉兵衛さんにはいずれ、本当に、恩返しをしないといけませんよね……。


 だから、そのときまでは。……ごめんなさい。

 利用するような形になってしまいますが、嘉兵衛さん。


「分かりました。では尾張の具足を仕入れましょう!」


 俺は景気の良い声で、叫んだ。

 嘉兵衛さんは、ニコニコと笑って、


「さすがは梅五郎だ! 今回もよろしく頼むよ!」


 何度も何度もうなずくと、俺の肩をぽんぽんと叩き、最後は手まで握ってくれたのだ。

 その手は、とても温かかった。




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