第32話 孕石主水との対決

「出てこい、松平ぁ! そっちが殺すというならこっちもブッ殺してやるぞぉ!!」


 孕石主水はらみいしもんどは、屋敷の外から罵声を飛ばし続けている。

 家康と石川さんは、その声の大きさに思わず耳をふさぎ、顔を寄せ合う。


「どうする、与七郎」


「どうもこうも、殿様があんなに殺す殺すとわめくからでしょう」


「元はといえば、あっちがオレと松平をコケにしてきたからだぞ?」


「いまさら言っても仕方がありません。どうします? 本当に殺し合いますか?」


 石川さんは、サラリと言った。

 冷静でおとなしそうな人に見えたんだが、このひともやっぱり侍だ。

 やるべきときには、やる覚悟があるらしい。――だが主君である家康は首を振った。


「本当にやったら、さすがに今川屋形が黙ってないさ。捨ておけ。そのうちあっちも飽きて帰るよ。本音で言えばブッ殺したいところだがな」


 家康は、さすがに少し落ち着いたらしい。ゆっくりとそう言った。

 とりあえず、この場で松平と孕石の戦争になることはなさそうだな。

 俺はちょっとホッとした。……だが、そのときだった。


「――おい、娘。この屋敷になにか用か。おぬしも松平の家の者か」


「え。あ、いや……ウチはただ、この屋敷に知り合いが入ってるはずだから、ちょっと見に来て――ちょ、ちょい待ち。なにするの! ねえ、ウチはただの女の子……ねぇッ!?」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 あの声は――まさか、おごう!?


「おい、梅五郎!」


「分かってます! なにやってんだ、あいつ!」


 俺と藤吉郎さんは、慌てて部屋を飛び出して、そのまま屋敷の表に出た。

 すると――うわっ。孕石家の人間らしい兵が10数人も集まっているぞ。

 その先頭には背の高い侍が――あれが家康と敵対している孕石主水か。

 そして――


「梅五郎~。たぁすけてぇ~!」


「……なにやってんだ、お前」


 案の定、おごうが孕石に捕まっていたのだ。

 いつのまにやら、縄でぐるぐる巻きにされている。


「いや~、あんまり帰ってこないもんだから、ちょっと様子を見に来たらこれだよ~。参っちゃったね、えへ」


「えへ、じゃねえよ、えへじゃ! しかもあっさりと捕まって……! 初めて会ったときのあの戦闘力はどこにいったんだ!?」


「だって完璧に油断してたんだもん! まさか駿府城下で孕石家の兵からいきなり捕まるとは思わねえしさぁ!」


「普通の娘なら、我々もこんなことはしない。だが松平家ゆかりの娘なら話は別だ!」


 孕石は、大声で叫んだ。


「さあ、松平の小せがれ! 出てこい。出てこなければこの娘がどうなるか分からんぞ!」


 戦場かと思うほどの声音。

 非常に迫力がある孕石の雄叫びに、俺は多少気圧されつつ――


「あのう、孕石さん」


 おずおずと、声をかけた。


「そのおごうって娘は、松平さんとは無関係ですよ。で、厳密に言うと俺たちともほぼ他人で」


「そうそう。知り合ったばかりじゃし。だから人質としてはまったく価値がありませんで」


「ひでえええええ! 梅五郎! 与助! 女の子が困っているのにそれでもアンタらは男か! 人間か~!」


 おごうは縄で縛られたまま、ミノムシみたいにじたばた暴れた。

 事態はいよいよ収拾がつかなくなっていく。孕石は無言のまま、なにやら呆然としていたが、やがてはっと我に返り、


「と、とにかく! 松平次郎三郎! 出てこい!! こんな状態になっても屋敷から出てこぬとあっては、おぬしもいよいよ駿府中の笑いものよ! そら、者ども。いっそこのまま笑ってやれい!」


 げひゃひゃひゃひゃ!

 うひゃうひゃうひゃうひゃ!


 孕石家の兵たちが、げらげらと下品に笑う。……だからってわけではないだろうが――


「お」


「あっ」


「松平の殿様……」


 孕石、俺、藤吉郎さんはそれぞれ目を見開いた。

 屋敷の中から、「おう!」と言って、家康&石川さんが登場したからだ。


「オレならここだ、孕石。……いつもいつも、こっちをコケにしやがって。しかも今度は若い娘を人質か。いよいよ堪忍袋の緒が切れそうじゃぜ!」


「ぬかせ、小童! 人質の子の分際で、生意気にも屋敷なぞを貰いおって。そういうところから、貴様のことが気に食わんのだ!」


「へえ。やたらとオレにつっかっかってくると思えばなんのことはない。ただのヤキモチ、ひがみ根性だったか。これは傑作。孕石家の名声も地に落ちたな!」


「言うたな、小せがれ! もはや我慢ならん、ここで雌雄を決してくれる! もはや顔だけではない、貴様の声も足音も、息の音さえも聞き飽きていたところだったわ!」


「その言葉、そっくりそのまま返してやるさ! やるぞ、与七郎!」


 家康は、刀に手をかける。その後ろで「やれやれ、もはや、やむなし」と言って石川さんも刀を抜こうとする。

 孕石以下、敵の兵たちも槍や刀を構えだす。一触即発。さすがにまずいことになってきた。

 場はもう冗談では済まない。斬り合いが始まろうとしていた。……実にまずい。松平側はわずか2人、孕石側は10数人。戦えば、家康はおそらく殺される。あるいはなにか策でもあるのかもしれないが、なんにせよ、この場で戦いは実によくない。




 ……やるしかないか。




 俺はチラリと、隣の藤吉郎さんに視線を送った。

 藤吉郎さんは(ん?)という感じで怪訝な表情を見せたが――すぐに小さく首肯する。

 ころはよし。――そして次の瞬間だ。




 ぱぁーんっ!




 音が、響いた。

 なんだなんだと、その場の誰もが慌てふためく。

 なんの音だ、いまのはいったいなんなんだと、孕石家の兵士たちがざわめきだす。そして、


「な、縄が……」


 おごうを縛っていた縄の一部が、千切れていた。

 直後、おごうはぱっと立ち上がり、一秒にも満たない時間でスルリと縄を抜けると、地を蹴り、俺たちの隣にまで一足飛びに逃亡してきた。

 孕石の兵たちは、さらに戸惑う。


「な、なんなんだ、いったい!?」


「なにもしてないのに、縄が千切れたぞ」


「き、奇術かなにかのようだ……」


 そのとき、藤吉郎さんが叫んだ。


「祟りじゃ! こりゃ祟りじゃあっ!」


「た、祟り……?」


 孕石が、片眉を上げた。


「そうじゃあ! わしはこれでも昔、京の都の鞍馬山に行ったことがあるっ。言うまでもなく九郎判官義経のおった、あの天狗のおる鞍馬山じゃ。――そこでわしは聞いたのよ! 罪なき女子供を意味もなくいたぶる者には、必ずや天狗の祟りがあると。おお、ぶるぶるぶる。これこそまさに天狗の祟りに違いない!」


「て、天狗だと?」


「そんなバカな、天狗なんているわけが……」


「しかもこんな、都合よく天狗が登場するもんか……」


「いいや、天狗じゃ! そうでなければ、縄が千切れたりするわけがない! ……おう、見ろ。縄の千切れたところを! わずかに焦げておるではないか!」


 藤吉郎さんの言う通り、地べたに落ちた縄。

 その千切れた部分は、わずかだが黒く焦げていたのだ。

 それを見た孕石家の兵たちは、顔を蒼白にして――「わっ!」と短く叫び、


「天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」


「祟りじゃ。祟りがあったんじゃ!」


「逃げろ、逃げろっ!」


 全員、いっぺんに逃げ去ってしまった。

 孕石は、なお呆然としていたが、ひとりではなにもできない。


「小童。……覚えておれ!」


 きびすを返し、逃げ去ってしまった。

 そんなわけで、あたりに静寂が戻る。

 残された、俺、藤吉郎さん、家康、石川さん、おごうの5人は、その場に立ちすくんだ。


「祟りなんて……本当にあるのかい……?」


 おごうは呆然としていたが――

 俺は彼女に、ニヤリとした笑みを見せた。


「あるわけないだろ。いまのは俺がやったんだ。……こいつでな」


 俺は、おごうにそれを見せた。

 手のひらの中に包み込んだ、パームピストル。

 そう、俺はこの銃で、おごうを縛っていた縄を撃ったのである。


「な、なにそれ。もしかして、鉄砲? そんな鉄砲があるの!?」


「現にこうしてあるじゃないか。……それにしても藤吉郎さん、助かりましたよ。とっさに口八丁で孕石家の連中を脅かしてくれて」


「弁舌はわしの得意技じゃからな。……汝から視線を送られたとき、だいたいなにを考えているか分かったわい! じゃから手助けしてやった!」


 藤吉郎さんは、白い歯を見せた。

 そして、それとは対照的なのがおごう。

 顔を、少し赤くしている。


「梅五郎……アンタ……ウチのこと、助けてくれたんやね……」


「どうだ、少しは見直したか?」


「ん……そりゃ、まあ――あ、いや。なに言ってんだい。ただ、少しはやるなって思っただけ! 別に感謝なんてしてないんだからねっ。勘違いしないでよねっ!」


 ツンデレかよ。

 しかもまたえらいテンプレな。

 とはいえ、おごうをとりあえず助けられてよかった。


 そして――


「梅五郎、そなた」


 家康は、俺の持っていたパームピストルを見つめる。


「そ、そんな鉄砲まで持っているのか? 詳しく見せてはくれまいか……? ううむ、これはすごい……!」


 家康は、目を丸くした。

 いつだったか、滝川一益さんや佐々成政さんのときと同じような反応だ。

 これは――トラブルに巻き込まれてしまったが、しかし商売のチャンスの予感!


 俺は内心ニタリと笑って、パームピストルを改めて強く握りしめた……。

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