第26話 風林火山の背中

「米や塩や味噌だけじゃない、オカズを、なあ……」


 川中島である。

 武田陣のど真ん中で、俺は腕を組んで考えていた。


 長陣の影響で、武田軍の士気は目に見えて低い。

 このままでは、越後の長尾景虎軍に負けてしまうかもしれない。

 いまこの時点で、武田晴信(のちの信玄)が敗北して、滅亡でもしてしまうと、先の展開があまりにも読めなくなって困る。場合によっては今川義元が甲斐のほうに進出して、尾張に来ず、桶狭間の戦いが勃発しない、なんてことになるかもしれないし……。だから武田軍の士気アップはいま喫緊きっきんの課題なのだ。


「かといって、武田軍全部にオカズを食べさせる?」


 武田軍は10000を超えている。

 それだけの兵に食糧を届けるなんてとんでもない。

 魚を採らなければならない、なんて考えたが、やはりそれは無茶ってもんだ。

 仮に魚採りに成功したとしても、川の魚が全滅しちゃうレベルだし。そうなると戦が終わったあと、川中島周囲に住んでいる民が困るだろう。


「といってもイノシシとか鹿を狩るのもなあ……ひと苦労だし、それもやっぱり10000人に食わせるとなると……?」


「アニキ、ちょっと考えすぎッスよ」


 隣に、次郎兵衛がやってきた。


「そもそも武田軍の兵糧の問題なんざ、アニキが考えることじゃねえんです。武田の大将が頭ァ悩ませることッスよ」


「そりゃそうなんだが……。武田が負けすぎても困るし、それに腹空かしてる兵たちが、気の毒でなあ」


 俺は顔を上げる。

 近くを、雑兵が数人、歩いていた。

 ため息が多く、やはり目に見えて疲れている。


「……ま、そうやって見ず知らずの人のために頑張るのがアニキのいいところッスけど」


「ありがとよ。そう言ってくれるだけでも感謝だよ」


「アニキ、これでも食べます?」


 次郎兵衛が、錠剤みたいなツブを差し出してきた。

 兵糧丸ひょうろうがんだ。武士や忍者が戦場で食べる携行食で、コメを中心に、塩やら味噌やら酒やら、あれこれ混ぜてこね合わせてから、粒状にして乾燥させたものだ。空腹にはもってこいだが、あまり美味くはない。

 なので俺は首を振って「いや、いい。腹は減ってないし」と断った。


「じゃ、あっしはいただくッスよ。……うん、相変わらずまじい。けど腹は満たされるッス」


「そうか、よかったな」


「武田軍にもこれを作ったらいいんじゃないッスか?」


「とっくにあるだろ。というか味の問題だからな。武田軍の兵はまずいメシの連発で、士気が落ちているんだから」


 栄養があったり、空腹が満たされたらいいというものじゃないのだ。

 うまくて、この場で材料が大量に調達できて、しかも栄養もある食べ物……となると……?


「ぼりぼりぼり」


 次郎兵衛は、のんきに兵糧丸を食っている。

 兵糧丸か……。味さえなんとかすれば発想そのものは悪くない……まぜ合わせる……こね合わせて……しかし栄養……


 そのときだ。


 俺の前に、ふいに、なにか光が走った気がして――


「……そうだ、これだ!」


 俺は、ふいに立ち上がって叫んだ。

 その声に、近くの雑兵は驚き、次郎兵衛は「げほげっほ!」とせき込んだ。すまん、驚かせてしまった。

 だが――思いついたのだ。やってみる価値がありそうな策を!




「新しい食事を考案しました」


 俺はそう言って、飯尾豊前守さんと松下嘉兵衛さんの前に参上した。

 近くには、藤吉郎さん、伊与、カンナ、次郎兵衛もいる。

 そして、皿の上に載せたあるものを差し出す。それは――


「……これは、餅? いや――焼き飯か?」


 飯尾さんが、目を丸くした。

 そう、俺が差し出したのは串に刺した焼き飯だった。

 焼き飯といってもチャーハンではなく、焼きおにぎりのことだ。

 それも練り潰した上、タレを塗って焼いている、おにぎり。それを串に刺してあるので、餅のようにも見える。


「新しい食事でございます。ぜひ、ご賞味を」


「うむ……」


「毒見は済んでおります、飯尾様」


 嘉兵衛さんが言った。

 飯尾さんは、こくりとうなずき、そしておにぎりを口につけた。すると。


「これは……味噌? いや、それも、甘みのある味噌……!? それだけではない、なにか深みのある味が……美味い! これは美味いぞ!!」


 飯尾さんは、俺の出した焼きおにぎりを激賞し、ばくばくとかぶりついた。

 俺は続いて、神砲衆の部下に命じて、その場にいた全員分の焼きおにぎりをこの場に運ばせる。


「甘い! 甘い味噌だ。なんだ、これは……!?」


「おう、これはたまらん。カリッと焼いた米に、かぐわしい香り……」


「焼いてあるから、こんなに香ばしいのか!? どういうことだ……初めて食べたぞ、こんな味は!」


 飯尾さんに嘉兵衛さん、さらにその場にいた飯尾さんの部下たちまで絶賛しまくる。

 俺は横にいた藤吉郎さんや次郎兵衛たちと目を合わせ、ニヤリと笑った。計算通りだ。


五平餅ごへいもち、と申します」


 俺は説明を開始した。


 五平餅。

 それは炊いた米を練り合わせ、串に刺したものに、タレをかけて焼き上げたものだ。

 江戸時代中期ごろに、木曽地方の人々が考え出した料理で、まだこの時代には存在しない食べ物である。


 もとい。

 味噌を塗っただけの焼きおにぎりならばこの時代にもある。

 だが五平餅は、タレが特殊なのだ。


「味噌に、蜂蜜を合わせてあります」


 と、俺は言った。

 本来ならば砂糖を使うのがいいのだが、この時代の山間部に砂糖があるはずもない。だから、蜂蜜で代用したのだ。砂糖と成分は違うのだが、代用は充分可能である。


 ――あのとき。次郎兵衛と話しているとき、光が走った気がした。

 しかしそれはよく見ると、ミツバチだったのだ。そのとき思いついた。

 そうだ、蜂蜜だ。これと味噌を混ぜ合わせてタレにして、五平餅を作り出せばきっと美味いぞ!

 そう思ったのだ。


「それで、仲間たちと共に蜂蜜を探しにいきました。近隣の百姓に銭を渡し、蜂のいる場所を教えてもらったり、蜂蜜を分けてもらったりして……蜂の巣を見つけたら、あとは火薬を用いて燻したり、百姓に頼んで取ってもらったりしたのです」


 銭が50貫はかかった。

 しかしおかげで、蜂蜜を手に入れることができたのだ。



《山田弥五郎俊明 銭 2785貫0文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃       1

    ・パームピストル   1



「なるほど、蜂蜜と味噌を混ぜたのか。よくもそんなことを思いついたものじゃ」


「梅五郎。そなたはまったく、大した知恵者だね」


 嘉兵衛さんが、にっこりと笑った。

 しかし、嘉兵衛さんはすぐに真顔に戻り、


「しかし梅五郎。味噌と蜂蜜だけじゃないだろう?」


「えっ」


「このタレにはなにかもう一つ、味がある。よく分からないが、あと一段、深みが……」


「それはこの豊前守も気づいていた。他になにか練りこんであるな。答えよ、梅五郎。なにを入れた?」


「それは――」


 俺は、かたわらの藤吉郎さんたちと苦笑を向け合って、


「その、遠江育ちのお二人には、いささか馴染みがない食材かもしれません」


「そう、だな。私たちは……大樹村にいるとき、ときどき食べていたのだが……あそこは山村だったし……」


「あたしは今日が初めてやった……最初見たときは、その、ちょっと、抵抗が……」


 伊与とカンナも、目を伏せる。


「ええい、そんなことを言われるとますます気になる。なにを入れたのだ。答えよ!」


「……蜂の子でございます」


「……なに?」


「蜂の子ども、です」


 俺は答えた。

 蜂の巣の中で、うねうねしている、あの蜂の子だ。

 蜂蜜を取りに行ったとき、同時にゲットした。


 今回の課題は、美味しくて栄養のある食事と武田軍に提供すること。

 そこで、俺が考えたのは、やはり動物性たんぱく質を兵たちに食わせたいということ。

 たんぱく質は魚や肉の摂取によって得られる栄養分だ。……しかし魚や肉は、この山奥では大量に取れない。

 だから蜂の子を取ることにした。あれも貴重な動物性たんぱく質だ。本来ならばスズメバチの子がいいのだが、いまは春だ。スズメバチの子が取れるのは秋なので、それは難しかった。だがミツバチの子でも代用はできる。やや身が柔らかいが、タレに練りこむにはむしろ具合がいい。


 次郎兵衛の兵糧丸を見ていて、思いついたことでもあったのだ。

 要するに、米を練り潰した餅に、蜂の子やハチミツ、味噌などを混ぜたタレをかければ、栄養的にも味的にも最高のものができあがるのだと。

 ま、欠点はやっぱり、蜂の子が苦手な人もいるだろうなってこと……。


「俺と伊与は尾張といっても東側の、山のほうの出身なので、子供のころ、何度か食べたことがありました。好物なんですが……。……ただ、苦手な人もやはりいるので……。でもでも! こうしてタレに練りこめば、気になる人もいなくなるかな、と……!」


 俺は必死に弁明したが、海際の浜松育ち。

 蜂の子食いに縁がなかったと見える、飯尾さんと嘉兵衛さんは、


「蜂の子……だと……? あの、うねうねした……?」


「白っぽいやつだよね……昔、見たことだけはあるけれど……」


 飯尾さんと嘉兵衛さんは、思わず顔を見合わせて――


「「うええええええええええええええええええええええ」」


 その場で、顔を青くしたのであった。

 ……だから、聞かないほうがよかったんだよな……。

 ちなみに、蜂の子のことは『へぼ』とも言うんだけど、五平餅にへぼのタレをかけたものはへぼ五平とも言うそうだ。これ豆ね。




 さて、そんなこんなはあったものの。

 味と滋養は申し分のない、へぼ五平。さらに武田軍の兵は甲斐や信濃の出身者が多いため、蜂の子を食べるのにも抵抗が少ないだろうということで、へぼ五平は飯尾さんを通じて武田晴信に伝わった。

 武田軍も、兵糧の一種として蜂の子は食していたが、やはり味が段違いであった。へぼ五平を食べた武田晴信は、兵たちへの食事として即座に採用した。

 へぼ五平の作り方は、俺が、飯尾さんを通じて武田晴信に伝えた(身分が違いすぎるので直には会えないのだ)。

 そしてへぼ五平を食べた兵たちは、美味い食事に感激し、士気を再び回復させたのである。


 ――これでいい。

 これで武田軍が一方的に敗北することはないだろう。


「梅五郎。甲斐の屋形(武田晴信)がそちに礼を言っていたぞ。よくぞこんな、面白い食べ物を考案してくれた、と」


 川中島から引き上げる直前、飯尾さんが言った。


「魚や獣肉ならば量に限度があるが、蜂の子ならばよく取れる。ましてタレに混ぜ込めば、少ない蜂の子でも充分だし、なによりも美味。今後の武田の戦にも役立つ食べ物だった、と。手柄、一番槍十度とたびにも匹敵する、と」


「ありがたきお言葉……」


「そして梅五郎。そなたにこれを、預かってまいった。心して受け取るがよい」


 そう言って、飯尾さんは袋を差し出した。

 その中身は、なんと、金が入っていた! 青山さんのときのようなニセモノじゃない。本物の金だったのだ!

 しかもその黄金。丸っこくて、オハジキのような形をしていて、というより金貨のようにも見えた。こ、これはもしかして――


「これ、噂の甲州金やないと!? 武田家で作られとる黄金の貨幣よ! す、すごいやん、や――梅五郎!」


「ああ、これほどのまぶしい黄金がもらえるなんて! いくらになるのか想像もつかん!」


 カンナと伊与が、目を丸くする。

 俺も喜んでいた。まさか武田晴信から甲州金をもらうことができるなんて! やったぜ!

 甲州金は、袋の中に10枚入っていた。しかしこれでも、売ればかなりの金になるだろう!


「ううむ、川中島くんだりまで、来た甲斐があったのう! いや~、黄金かあ。……いいのう! 黄金を丸っこくしたら、こんなにも良い意匠になるんじゃのう。……たまらんのう!」


 藤吉郎さんは、うっとりした顔で、甲州金を見入っている。

 確かにこんな遠くまで来た甲斐があったってものだが――そこで俺はふと思う。

 藤吉郎さんは、のちに天下を取ったあと、天正大判という黄金の大判を鋳造するわけだが。

 まさか今日の経験が、のちの天正大判に繋がったんじゃないだろうな。…………まさかね??



《山田弥五郎俊明 銭 2785貫0文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃       1

    ・パームピストル   1

    ・甲州金      10



 ――そういうわけで、大きな感動と感激と、金を手に入れた喜びを胸に、俺たちはその日、川中島を立ち去った。


 もう一度、この場所に来ることはあるんだろうか?

 なんとなく寂しい気持ちになりながら、最後。川中島を立ち去る瞬間。

 来たときにも上った小高い丘から、川中島のほうに目を向けると、はるか遠くに、鎧武者の後ろ姿がちらりと見えた。

 まさか。……まさか、とふと思ったが、しかしその背中は。あまりにも遠くから見ているのに、威容と威厳がこちらまで伝わってくるあの背中は――


「武田晴信……」


 ぽつり、と藤吉郎さんはつぶやいた。

 やはり、そうだろう。……直感としか言えなかったが……

 しかし、俺と藤吉郎さんは確かに感じたのだ。




 武田晴信こと、のちの武田信玄の存在を。





 彼方に見える武田家頭領から発せられる、圧倒的な存在感。

 まさに、動かざること、山の如し。

 あれが名将の持つカリスマってやつなんだろうか?

 俺と藤吉郎さんは、言葉には出さねど、それを確かに感じていた。


 武田晴信。……信玄。

 いつか、戦う日が来るんだろうか?


 風林火山の旗の威厳を、本人の背中からはっきりと感じながら、川中島における短い生活は終わりを告げた。

 俺たちは、再び遠江へと舞い戻る……。

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