第25話 川中島の兵糧問題

「――せええぇぇぇいっ!」


 山中に、伊与の激しい声音が響いた。

 一閃。白刃がきらめき、ひげ面の男は血を噴き出してその場に倒れる。


「次から次へと、まったくキリがない……!」


「無理もないよ。こんな山の中じゃ。……佳代、ご苦労だったね。褒美は頭陀寺に戻ってからたんと出すよ」


「ありがとうございます。しかし私は、梅五郎の雇われですので」


 嘉兵衛さんの褒め言葉(偽名だが……)に、頭を下げる伊与。

 それを見て、嘉兵衛さんは目を細めた。


「梅五郎は、いい家来をもっているね」


「まったくだ。飯尾家に欲しいくらいだな」


 嘉兵衛さんのセリフに首肯したのは、飯尾豊前守さんだった。

 伊与の実力が、尾張だけでなく他国の侍にも認められたことで、幼馴染の俺は鼻が高かった。


 現在地は、信濃国の山道である。

 飯尾さんを大将に、嘉兵衛さんを副将にした一団、おおよそ300人が、北へと進んでいる。

 しかしその300人の3分の2は、戦闘員ではない。物を運ぶための人足だった。そして、その物とは――兵糧だった。

 そう、俺たちはいま、兵糧を運んでいるのだ。人気のない山道の中、たまに襲ってくる山賊を追い払ったり倒したりしながら、汗を垂らしつつ食べ物を運搬しているのである。


 届け先は、川中島。

 武田晴信率いる武田軍に、米と塩を届けるために……。




 1555(天文24)年。

 戦国史上に名高い『川中島の戦い』が勃発していた。

 甲斐国(山梨県)の戦国大名、武田晴信(のちの信玄)は、南の今川義元、北条氏康と同盟を結んだことにより背後の憂いをなくし、北の信濃国(長野県)へとその勢力を伸ばした。これに対し、信濃国の北にある越後国(新潟県)の戦国大名、長尾景虎(のちの上杉謙信)は、自国を守るため、北信濃を武田家に渡すわけにはいかなかった。長尾景虎は北信濃に出陣。こうして武田家と長尾家は、信濃北部にある川中島にて激突することになる。


 歴史上、5回に渡って行われるこの『川中島の戦い』――今年、1555年に行われている戦いは、2回目の川中島の戦いにあたる。 最初の川中島の戦いは、2年前、1553年にすでに行われていた。そのときぶつかり合っていた武田家と長尾家は、お互いの実力を認め、しかし次こそは相手を倒すと意気込んで川中島に出兵したのだ。


 しかし、武田晴信と長尾景虎――

 戦国史上に名を残すことになる名将ふたりの勝負は容易にはつかない。

 2回目の川中島の戦いは、長期戦となった。ことしの春先には川中島に集結した両軍は、しかし2か月以上経ったいまでも、決着がつかず、互いに睨み合っている。


 こうなると、食糧の問題が出てくる。

 長尾軍8000に対して、武田軍12000。

 12000人の兵を食わせるのは容易なことではない。

 まして武田家は、本拠地の甲斐から川中島まで遠く、兵站線はとても長くなっていた。兵糧の運搬も一苦労だ。

 特に山国の甲斐は、塩の補給が難しい。塩を、武田晴信は求めた。――ここで武田家は、同盟国の今川家に食糧の補給を要請。特に塩を届けてほしいと頼み――その結果、海辺の浜松を支配する飯尾豊前守さんと、その家来である松下嘉兵衛さんが、米と塩を川中島まで届けることになったのである。


 林道を抜け、さらに進んでいき、そこから小高い丘に上がる。

 すると、

 

「おおい、武田の陣が見えたぞぉ」


 一団の先頭に立っていた藤吉郎さんが、大声で叫んだ。

 すると、誰もがわっと声をあげる。長い山道に、誰もがうんざりしていたのだ。

 藤吉郎さんがいた場所まで行くと、確かに、はるか彼方に、俺たちが食糧を届けるべき武田軍の旗が密集しているのが見えた。目的地はあそこだ。やっと着いたぞ。


「者ども、到着したからとて、油断はするな。こういうときが一番危ないのだぞ」


 飯尾豊前守さんが、厳しい口調で言った。

 石川五右衛門と戦ったときに、不意を突かれたことを反省しているのだろう。

 大将の言葉に、飯尾家の人たちは大きくうなずいた。むろん俺たちもうなずいた。

 なお、ここにいる神砲衆のメンバーは、俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、次郎兵衛以下20人である。山道が厳しすぎるので、あかりちゃんには留守をお願いした。


 飯尾補給隊(と、仮に呼んでおこう)は、米と塩を積んだ馬を率い、武田晴信の陣へと接近していく。


「嘉兵衛。これから一団が陣へと近づくが、敵ではなく今川家の補給隊であることを武田側に知らせてくれぬか」


「心得ました。……梅五郎、与助。ついてきてくれるか?」


「「合点」」


 俺、藤吉郎さん、嘉兵衛さんの3人は、武田家の陣へと向かっていく。

 途中、当然のごとく武田家の兵につかまるが、今川家の者であることを伝えると、兵は「しばし待ってくだされ」と言って、陣のほうへと向かっていった。上司に報告に向かった、といったところか。

 やがて予想通り、武田の陣中から、小者を数人引き連れた侍が登場した。


「武田家臣、春日源五郎でござる」


 侍は、薄いひげこそ生えているが、おそらくまだ20代と思われる。

 目元が涼しげで、しかし眉間のあたりに向かい傷を残している人物。

 気は優しいが力持ち、という表現が似合いそうな男だったが――


 春日源五郎。

 っていうと、たぶん春日虎綱……。

 のちの高坂昌信じゃないかな? この人は……。

 たぶんそうだろう。高坂昌信といえば、川中島衆を率いて長尾家と戦っていた、武田家の中でも特に武田信玄の信頼が厚かった武将のひとりだ。この場所にいるのもうなずける。


「今川家臣、飯尾豊前守が寄子、松下嘉兵衛でございます。兵糧を届けに参った旨をお伝えするべく、まかり越しました」


 嘉兵衛さんは、その場にひざを突きあいさつをする。

 俺と藤吉郎さんなどは、その場に平伏した。


「ご苦労に存ずる。浜松の塩は美味いと聞いている。食するのが楽しみでござった」


 春日源五郎は、やや冗談っぽく言った。

 顔を伏せているので見えないが、笑ったような気配も感じた。


 ややあって、飯尾豊前守さんが補給隊と共に到着する。

 補給隊はただちに荷物を下ろし、武田の陣に米と塩を搬入する仕事にかかる。

 俺と藤吉郎さんと嘉兵衛さんも、その仕事にかかった。――春日源五郎は、飯尾さんと一緒に武田の陣へと入っていった。


「おそらく飯尾豊前守は、武田晴信と会うのであろうな」


 米を下ろしながら、藤吉郎さんは言った。


「でしょうね。兵糧を届けてくれた同盟国の家臣ですから、それは丁重にねぎらうことでしょう」


「わしもぜひ見てみたいのう、武田晴信を……」


「同感です。――三郎さまにお伝えする、最大の情報のひとつになりますしね」


「うむ」


 ひそひそ声で会話をする俺たち。

 こうしている間にも、藤吉郎さんは武田の陣の隅々にまで、油断なく目配りしているのだ。

 武田晴信の陣構えや、軍の構成、武器の数、兵の士気などは、すべてが貴重な情報だ。川中島くんだりまで、やってきた甲斐があったというものだ。


「……しかし……」


 藤吉郎さんは、ふいに言った。


「弥五郎よ。わしゃ、武田晴信の軍勢といえば、鬼神も避けて通る強さだと思うていたが、いまひとつ士気に欠けると思わんか?」


「……それは……」


 俺も、それには気が付いていた。

 武田晴信の軍勢は、足軽や雑兵の表情が、いまいち冴えない。

 長期に渡る戦場に、うんざりしているのだろうか。長尾家と共に戦国最強とうたわれた武田家の軍勢とは思えないほど、いま俺たちの眼前にいる兵士たちは、やる気が感じられないように思えた。


 ――その理由は、その日の夜に分かった。

 飯尾補給隊は、その晩は武田陣の外れに宿泊していたのだが、夕食のとき――嘉兵衛さん、俺、藤吉郎さん、伊与、カンナの5人だけで食事をしているときに、嘉兵衛さんが言ったのだ。


「食べ物が足りないのさ」


 と。

 俺は、怪訝顔を見せた。


「どういうことです? 米や塩は、今日、まさに我々が届けたではないですか」


「それだけじゃ、さすがに足りないのさ。ただでさえくたびれる長い戦の場で、ひたすら米と塩ばかり食べていて、誰もが疲れきっている。――分かりやすく言えば、武田家の兵は、他のものも食べたいと思っている」


「他のものというと、例えば魚とかですかの?」


 藤吉郎さんが言うと、嘉兵衛さんはうなずいた。


「ま、そんなところだね。……何十日も、米と塩と、たまに味噌を食べるくらいじゃ、さすがに力も出ないだろう。……だからといって川魚を採ろうにも、10000を超える兵のために魚釣りをするわけにもいかない。武田のお偉いさんたちは、みんな考え込んでいるらしいよ」


「はいはいはいっ。嘉兵衛さん。それならあたしたちが、浜松から干物でも運んできたらいいっちゃない?」


「干物を運ぶ余裕があるなら、米や塩を運んでくれと、武田の大将は言うだろうね。一番欲しいのは、やはり米と塩。――その上で、魚が欲しい、という話なのだから」


「ならばいまこの場で、川から魚を採れたらいいのだろうが……しかし釣りをしている余裕もないし……」


 伊与が小さくつぶやく。

 その通りだ。釣り以外の手段で、魚を採らなければならない。

 かといって、この場には地引網もない。――さて、どうしたものか?

 武田家の食糧問題に、こちらが頭を悩ませるのも妙なものだが、しかし俺は考えてしまった。名もなき普通の兵たちが、腹を空かしているのも気の毒だ。できることなら、なんとかしてやりたい。……ささいなことだが、これがきっかけで武田家が長尾家に完敗し、滅亡でもしようものなら、この後の歴史の展開もまったく読めなくなってしまうし。


「梅五郎よ。なんぞいい知恵でも浮かぶかの?」


 藤吉郎さんが、俺の顔を覗き込む。

 俺は眉間にしわを寄せ、ううんと考え込むのであった。


----------------------------------

いよいよ本日、「戦国商人立志伝」発売です!

筆者の地元、福岡の書店さんでも存在を確認しました。

シリーズが続くかどうかは1巻の売上にかかっております……。

なにとぞ皆様、書籍版「戦国」をよろしくお願いいたします。

書籍版限定の外伝や、歴史ゲーム好きならニヤリとできるオマケもありますよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る