第17話 松下嘉兵衛との交渉
浜松の外れにある
土塁と水堀に囲まれた、百メートル四方ほどのその城の中を、俺はいま、藤吉郎さんといっしょに松下嘉兵衛に先導されて歩いている。
「本来なら、父上に紹介するところだけど、いまは病を得ていてね。
松下嘉兵衛は、ニコニコ顔である。
彼は、俺たちが尾張の商人だと知ると「ぜひ話をいろいろ聞きたい」と言って、頭陀寺城まで連れてきてくれたのだが――当主が病だ、なんてあっさり旅人にばらしていいんだろうか。初対面のときから思っていたが、どうもこの人は無邪気すぎる気がする。
「あ、そうだ」
そのとき、松下嘉兵衛はぽんと手を叩いた。なんだ、なんだ。
「某、厠へ行くのを忘れていた。小便に行きたかったのだ」
「「…………」」
「ごめんね、ちょっと行ってくる。あ、それとも梅五郎たちも来るかい?」
「……いえ、俺たちは」
「遠慮させてもらいますで」
俺こと、針商人梅五郎と、藤吉郎さんこと、どじょう売りの与助は答えた。
「あ、そう。じゃあそのへんで待っててよ。あー、漏れる漏れる」
松下嘉兵衛はドタドタと、厠へ向かっていった。
その場には俺と藤吉郎さん、そして松下嘉兵衛についていた供の侍が残される。
「……なんというか」
「変わったお方じゃの」
「客人、相すまぬ。嘉兵衛さまはなにゆえお若いゆえ、まだよくものを知らぬのだ」
供の侍が、申し訳なさそうに言った。
俺たちは笑みを浮かべる。
「もっとも、我らは皆、ああいう嘉兵衛さまが好きなのだが」
「憎めぬ方ではあるの」
藤吉郎さんも、うなずいた。
「初めて会うたときは、猿といきなり呼ばれて面食らったが、悪気があったわけではないらしい」
「思ったことを、すぐ口にしてしまう人、という印象を受けましたが」
「しかし、ああ邪気のない顔を見せられては怒る気にもなれぬわ」
藤吉郎さんは、苦笑している。
史実において、豊臣秀吉の最初の君主として伝わる人物、松下嘉兵衛……。
秀吉と嘉兵衛の相性はなかなか良かったらしい。秀吉は嘉兵衛の下で目をかけられ、それなりに出世する。しかしその出世ぶりを同僚に妬まれて、秀吉は松下家を去る。――というのが、俺の知っている秀吉と嘉兵衛の関係なのだが。
とりあえず、俺の目の前にいる藤吉郎さんも、松下嘉兵衛に対して悪い印象は持っていないようだ。史実通り、相性は悪くないみたいだが、はてさて。
「やあ、ごめんごめん。待たせちゃったね」
その松下嘉兵衛が戻ってきた。
そして、城内の一室へと案内される俺たち。
ちなみに城内へと案内されたのは俺と藤吉郎さんだけである。伊与たちは城門の前にて待つことになった。岡崎城のときと同じだ。人のよさそうな松下嘉兵衛だが、やはり、見ず知らずの人間を城内に入れることに用心しているのかもしれない。
さて、部屋に入った俺と藤吉郎さん。
上座に座る、松下嘉兵衛。
向かい合うと、彼はまずこんなことを言った。
「ところで、お金や商品を石川五右衛門に盗まれたんだって?」
石川五右衛門の被害に遭ったことは、すでに松下嘉兵衛に話していた。
俺は、こくりとうなずいてみせる。
「証拠はありませんが、手際から見て恐らくそうかと」
「ふうむ。……盗賊、石川五右衛門がこのあたりを荒らしまわっているのは某も聞いているよ。あちこちから被害の声が届いているんだ」
松下嘉兵衛は、暗い顔を見せた。
「困ってるんだよねえ。
「松下様の責任ではありませんで。悪いのは五右衛門ですわ」
藤吉郎さんが言った。
すると松下加兵衛はニコリと笑い、
「そう言ってもらえると、ホッとする。ありがとう、与助。……ところで話は変わるが」
松下嘉兵衛は――嘉兵衛さんは、少し真面目な顔になった。
「梅五郎。そなたたちは木綿針や鋏を商っていたと聞く。商いの話や、尾張の相場のことを、もっと聞かせてくれないか」
そこで話は商談に入った。
俺たちは、織田家のスパイとして遠江に来たことはうまく隠し、商いの話題だけを嘉兵衛さんに話す。
すると彼は、こちらが驚くほど商売の話題に食いついてきた。
「そなたたち、思っていた以上に大きな商いをやっておるのだなあ。三河の松平家とも商っておったとは! ――それならどうだろう、そなたたち。松下家とも取引をしてみる気はないか?」
「松下家と……?」
「うん。――当家の領内には、良い腕の職人がいてね。陶器や
そのセリフを聞いて、俺は内心、ふうむとうなった。
確か、未来の松下屋敷の井戸跡から、陶器や硯が出土したという話を聞いたことがあるな。松下領内には職人がいたってわけか。
「六斎市で某は考えた。職人の品をどうやって銭にすればいいか……。あそこにゴザでも敷いて某が物売りでもすればいいのか? しかしそれで果たして儲かるだろうか?」
「お言葉ながら、あまり儲からんでしょうなあ」
藤吉郎さんが、ニコニコ顔ではっきりと言った。
「浜松の六斎市は、我が尾張の津島や熱田、美濃の加納と比べて、市の規模が小そうござる。そこに硯や陶器を並べてもさほどの商いになるとは思えませんで。それに松下さまご自身も、思ったことをはっきりと言葉に出してしまうご性分。正直に申せばあまり商いに向いている性格ではございませぬ」
「あはは、与助。ずいぶんと言ってくれるじゃないか。……だがその通りだ。某は六斎市の模様を何度も見に行ったが、これはだめだと思ったよ。某に商いはいまひとつ務まらぬ。向いていない」
嘉兵衛さんは、藤吉郎さんに負けないくらいの笑顔で言った。
このふたり、やっぱりずいぶんと馬が合うみたいだ。本音をばしばしと言い合っているのに、雰囲気がまったく険悪にならない。さすが秀吉と松下嘉兵衛ってところか。
「しかし商いに向いてないとはいえ、やはり職人の品は売りだしたい。……そこでだ、梅五郎、与助。頼みがあるんだよ。どうだろう、そなたたちが、陶器や硯を買ってくれないだろうか?」
「陶器や硯を。――それは、とにかくその品物を見てみないと、なんとも言えませんが……」
「ああ、それはもっともだ」
嘉兵衛さんは家来に命じて、いくつかの陶器と硯を部屋へと運ばせた。
陶器は、茶碗や壺が。硯は平べったく真っ黒なものが。
俺と藤吉郎さんの眼前に並べられる。
「へえ、これはいい茶碗ですね」
俺は、白い茶碗を手に持って、じっと眺めながら言った。
まっさらで、なかなか良い意匠をしている。持ったときの手触りもいいじゃないか。
「おい、梅五郎。汝、いつの間に陶器に詳しくなった?」
藤吉郎さんが怪訝顔を見せたので、俺はニヤリと笑った。
「甲賀に行っている間、上方から流れてくる陶器をさんざん見ましたからね。……それに、例の焙烙玉。あれを作るために、甲賀の里はたっぷり陶器を仕入れたんですが、そのとき安物から高級品までさんざん目の当たりにしたんです。おかげで勉強になりましたよ」
「ふうむ、やるもんじゃのう。……しからばわしは、こちらの硯石を拝見。――や、こちらもなかなか良いもんじゃぞ、梅五郎。この硯ならばよその国へ運んでも充分に売れよう」
「与助。そなたはどじょう売りのくせに、硯の価値も分かるのか」
嘉兵衛さんが、驚いた眼で藤吉郎さんを見る。
藤吉郎さんは、笑った。
「幼いころ、寺に入れられたころがありましてなあ。そのときにいた坊主が、硯に凝っておりまして、それで学ばせてもらいましたわ。――ところでこの硯、どことのう甲斐の雨畑硯の作り方に似ているような……?」
「あ、ああ、そうだ。実は甲斐からこちらまで流れてきた硯職人がいてね、その職人が作ったのがその硯だ。よく見抜いた。すごいなあ、そなたたち!」
嘉兵衛さんは目を見開いて、俺たちの鑑定力を賞賛する。
「我が領内の職人の腕前を見抜いてくれて嬉しいよ。どうだい、その硯や陶器、買い求めてはくれないか!?」
嘉兵衛さんのそのセリフに。
俺と藤吉郎さんは、再び顔を見合わせる。
そしてお互いにうなずき合い――
回答した。
「いや、この陶器と硯は、現状ではちょっと買えませんね」
俺は、そう言って取引を断った。
すると当然、嘉兵衛さんはあわてる……。
「な、なぜだい。この陶器と硯の価値を、認めてくれたんじゃないのか!? どうして買ってくれないんだ、梅五郎!」
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