第16話 遠江の六斎市
石川五右衛門に金と商品を奪われてしまった俺たちは、慌ててその後を追った。
三河を出て、東へ街道を進んでいく。目指すは遠江国だ。
「盗人め、ただでは済まさんぞ!」
藤吉郎さんは、ブリブリ怒りながら街道を歩いている。
怒っているのは、もちろん俺も一緒だ。金や商品を盗まれてしまったんだ。人が必死になって集めたものを……。五右衛門め、許さないぞ。
「小屋の中に、不用意に置いといたのがまずかったよね。ちょっと目を離しといたスキにこれやもん……」
「油断していたつもりはなかったが……。いや、いまとなってはなにを言っても言い訳になるな。弥五郎、本当にすまない」
「伊与とカンナのせいじゃないさ。悪いのは盗んだ五右衛門だ」
「しかしそれにしても、伊与と次郎兵衛に気配も悟られずに盗んでいくとはのう」
藤吉郎さんは、少し感心したように言った。
すると、次郎兵衛も口を開く。
「石川五右衛門……。遠江を根城に、三河や駿河を荒らしまわっている凄腕の盗人だそうで。何十人もの手下を率いているときもあるそうですぜ」
「何十人もか。……まるでシガル衆だな」
俺は、
東海の空は、どこまでも果てなく澄んでいて心地よい。
青い空を見ていると、五右衛門にやられた腹立ちが、少しだけおさまった。
しかし、石川五右衛門か……。
21世紀にもその名が残る大泥棒、石川五右衛門。
京都を中心に暴れ回り、金持ちや権力者を相手にのみ盗みを働いたため、義賊として庶民の間で名高かった――なんて伝説もあるが、実際のところ、史実の五右衛門がどういう人物だったかは、よく分かっていない。出身地もその経歴も所説ある。いまから行く遠江の出身だった、という説もあるのだ。
まあとりあえず、実在したことは確からしい。そして最終的には――俺はちらりと藤吉郎さんを見た。藤吉郎さんは、まだ腹立ちがおさまらないのか顔を真っ赤にしてガニ股でのしのし歩いている。……五右衛門は最終的には、豊臣政権によって捕らえられ、釜茹でにされてしまったというが……。
その五右衛門と、いま俺たちが追っている五右衛門はイコールなのか? それも分からない。
とにかく、いま確実に俺たちがやるべきこと。
それは遠江のどこかにいるらしい石川五右衛門を見つけ出し、金と商品を取り返すことだ。
「持ち金、1文もなくなっちゃったしな」
「食べ物と酒はある。これを換金すれば、しばらくはもつだろう」
「それに弥五郎。鳥居さんのアイロンの件があるよ。アイロン900が完成次第、岡崎城に届けられる手はずになっとるけん。そうすればアイロンの売上が入るけん、旅は続けられるち思うばい」
「だな。まあ死ぬことはないだろう」
俺は、仲間たちの顔を見ながら言った。
現在のメンバーは、俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、次郎兵衛、あかりちゃんの6人だ。
神砲衆の他メンバーはいったん津島に戻し、先ほどカンナが言ったアイロンの仕事を行うように命じてある。
「ところで弥五郎」
伊与が言った。
「私たちは、これからどこに行くんだ? 遠江といっても広い。あてもなく五右衛門を探してもどうしようもないぞ」
「それなんだけどな。歩きながら考えていたんだが、ひとつ案が浮かんだ」
「どんな案ですか?」
あかりちゃんが尋ねてくる。
俺は笑顔と共に答えた。
「六斎市に行こうと思う」
この時代、加納や津島、熱田のような大都市は、店が開かれ、あるいは市が常に開かれており、いわゆる商業都市の様相を呈していた。
だが、市場はもちろん大都市だけで行われていたわけじゃない。
田舎の村々でも、市場が開かれ、商いが開催されていたのだ。
ただ、常時ではなかった。月に数回、限られた日にだけ市が開かれていたのだ。
その数回のペースは、鎌倉時代から室町時代初期にかけては月に3回ほどだったが、経済が発展していくにつれその回数は増え、室町時代の中後期には月に6回ほど、市が開催されるようになっていた。ゆえに、この田舎の市のことを『六斎市』と呼称する。
なぜ、六斎市と呼ぶか。
そもそも六斎とは、仏教の信者が特に規律を守るべきとされた6日間のことで、それは毎月の8日、14日、15日、23日、29日、30日と定められていた。仏教の信者はこれらの日に、寺院に参拝すると御利益があると信じられていたのだ。
寺院に仏教の信者が集まる日。ということは、人が集まるので、商売になる日でもある。目ざとい商人たちは、寺院の門前に出店を作り、あるいはゴザを敷いて物を並べ、仏教徒たちにものを売った。それがどんどん膨れ上がっていって市場となり、『六斎市』の誕生、というわけだ。
――というわけで、俺たちは数日をかけ、野宿を繰り返し。
そして遠江・浜松の六斎市にやってきたのだ。
わいわい。
がやがや。
人々が集まり、列をなし、物品を並べ、売買を繰り返している。
俺たちは、そんな人混みをかき分けて、市場の中を進んでいく。
「賑やかやねえ。まるで加納や津島のごたる」
「いや、さすがに津島には及ぶまい。しかし確かに人が多いのう」
「弥五郎。よく浜松で六斎市が開催されることを知っていたな」
伊与が言った。
六斎市の開催日は、昔は仏教の悪日。すなわち8日、14日、15日、23日、29日、30日と定められていたのだが、戦国中期になると日付にほとんどこだわらなくなっている。
例えばこの遠江の国では「1と6のつく日は浜松で、2と7のつく日はどこそこで、3と5のつく日はあそこの村で」なんていうふうに、市の開催場と日付がかなり自由に決まってきているのだ。
「前にどこかで聞いたことがあってね。今日は浜松で市が開催されているって」
俺は笑いながら言った。
その『どこか』が未来であることは言うまでもない。
「とにかく、今日六斎市が開かれていたのは幸運だったよ。これだけの人がいれば、石川五右衛門について知っている人がいるかもしれない」
「そうじゃな。よし、それではさっそく皆で手分けして、五右衛門のことを調べてみようではないか」
「合点。任せときんしゃい」
かくして、メンバーはそれぞれ別れて市場中に散る。
俺も、市場中を駆け巡りながら、人々に尋ねて回った。
……しかし、情報はなかなか手に入らな。
石川五右衛門という泥棒の名前は、やはり遠江では有名らしい。
「金持ちばかりを狙っている、盗人らしいの」
なんて、みんなが回答する。
だがしかし、その五右衛門がどこにいるのか。
そのアジトはどのあたりか。そういう話題になると、誰もが首をひねるのだ。
俺は2時間ほど聞き込みを続けたが、情報はろくに得られなかった。
「まあ、居場所が知られている泥棒なんているわけないか……」
俺は村の外れにて、石の上に腰かけて思わず愚痴った。
陽射しが、溶けるように熱い。思えばもう春になってきている。
「おう、弥五郎」
声をかけられた。
振り向くと、藤吉郎さんが立っていた。
竹筒を持っており、かと思うとそれを俺に向かって突き出してきた。
俺は受け取り、中の水をグイッと飲み干す。ぬるめの水だが、しかし渇いた喉にはたまらなく美味い甘露だった。
「どうじゃ、弥五郎。なにか分かったか?」
「いいえ、さっぱりです。藤吉郎さんは?」
「同じじゃ。手がかりまったくなし」
さすがの藤吉郎さんも腕を組んだ。
俺もしかめっ面を作る。
「遠江に急いで来たのは、勇み足でしたかね。いったん津島に戻って、お金と食料を持ってくれば良かったかも」
「いや、五右衛門を逃すわけにはいかなかった。一刻も早くこの国に来たのは正解だった。……と思うがのう」
「今夜は手持ちの酒でも売って、宿代にしますか。しかし酒や食べ物までなくなったら、どうしましょう」
「芸でもやって小銭を稼ぐか。弥五郎、汝、種子島で的当て芸でもやったらどうじゃ」
「俺だけが芸ですか? 藤吉郎さんは?」
「わしゃ、猿芸でもやってみよう。きききき、うきききき! どうじゃ、ははは」
「……あんまり猿そっくりでビビりますよ……」
猿芸を見せてふざけだした藤吉郎さんを見て、俺は呆れ笑いを浮かべる。
……そのときだった。
「やあ、本当の猿かと思った!」
甲高い声が聞こえた。
振り向くと、愛らしい顔をした若侍がいる。
年のころは10代後半。俺や藤吉郎さんとそう変わらない年齢の少年だ。
後ろには、御供まで従えているその侍。ちょっとした家の武士だろうか? ニコニコと、人のよさそうな笑みを浮かべている。
「猿かと思えば人。人かと思えば猿。そなた、面白いなあ。もっと猿芸をやってくれよ!」
「なんじゃ、汝。ただでは見せぬぞ。猿芸を見たけりゃ、銭をよこせ」
藤吉郎さんが、不満そうに言う。
すると、若侍の後ろにいた御供が「これ」と藤吉郎さんをたしなめた。
「下郎。こちらのお方をどなたと心得るか」
「知るもんか。名乗りもせずにそんなことを言われても、こちらは分からんで」
藤吉郎さんは、口を尖らせる。
すると若侍は、爛漫な笑みを見せた。
「あはは、その通りだ。名乗らない
若侍はいきなり人を猿呼ばわりである。
別にこちらを見下しているようにも見えないが、よほど無邪気か、世間知らずなのか。
俺と藤吉郎さんは、やや呆然としつつその少年の顔を見つめていたのだが、やがて彼はニッコリと笑って名乗りをあげた。
「
松下嘉兵衛……?
もしかしてこの人、豊臣秀吉の最初の主人だったという、あの松下嘉兵衛か!?
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