第15話 石川五右衛門

「お前のこと、どこかで見た気がするぞ……確かどこかの戦場で……んん?」


 石原甚兵衛は、うろんげな目で俺を見てくるが――

 俺は、驚きを顔に出さず、むしろ愛想よく笑みを返した。


「なにせ手前どもはお隣の尾張で商いをやっておりますので、もしやそのあたりで手前とすれ違ったのかもしれませんなあ」


 と、俺は言った。

 ここで変にごまかすよりは、むしろ認めた方が疑いは晴れると思ったのだ。

 要するに、織田家のスパイだという致命的な部分がバレなければそれでいいのだから。


 石原甚兵衛は、なおも首をかしげている。


「そうかの。……確か赤塚のいくさに加勢として出向いたとき、見たような気がしたんじゃが」


 赤塚の戦い。

 今川家に寝返った山口氏が、織田信長と戦ったいくさだな(第一部 第四十七話「赤塚の戦い、信長の咆哮」)。

 この男、あのいくさのときに現場にいたのか……。俺は内心、そう思ったが、


「恐れながら、記憶違いでございましょう。手前は見ての通り、しがない針商人でございます。戦場などはとてもとても」


「左様でござるよ! このような華奢な梅五郎が、戦場に立つとお思いでござるか!?」


 藤吉郎さんが、笑いながら言った。

 すると石原甚兵衛も、思わずニヤリと口角を上げる。


「ふん、言われてみればそうよの。お前のようなヒョロヒョロっとした優男に、いくさ働きなど務まるはずもないわ。勘違いであったか、わっはっは」


 石原甚兵衛は、俺を見下すような目で言った。

 疑いを晴らせたのがいいが……。あんまり気持ちはよくないな。馬鹿にしやがって、くそ。


 ――そして石原甚兵衛は、鳥居さんの方に目を向けると、


「ところで鳥居殿。針商人と商いをするのもけっこうだが、ちゃんと百姓どもは締め上げておりますかな?」


「それはむろん、滞りなく済んでおります」


「ならばけっこうだが。……温情は無用ですぞ。なにせやつらときたら、すぐに隠し田を作って年貢をごまかそうとする。くれぐれも甘い顔をお見せなさるな。三河の国は治部大輔様(今川義元)のご威光によって、保たれていることを肝に命じておきなされよ?」


「ははっ」


 鳥居さんは、またも頭を下げる。

 石原甚兵衛とは親子ほども年の差がある鳥居さん。

 それなのに、こんなにペコペコしなければならないとは……。


 そして石原甚兵衛は、そのまま何処かへと立ち去っていった。

 あとには、俺と藤吉郎さん、そして鳥居さんが残される。


「……なんだか、威張った奴じゃったのう」


「与助さん」


「おっと、これは失言」


 藤吉郎さんは、慌てて両手でくちびるを塞ぐ。

 だが鳥居さんは苦笑いを浮かべるだけだった。


「いや、構わぬ。確かに威張っておるからな。……まったく、困ったものじゃ」


「百姓を締め上げるとかどうとか、言っていましたね」


「うむ。……あの代官は、三河の百姓をとことん締め上げて、駿河に米を送れと言っているのだ。……締めるといっても、すでに三河の民百姓は限界なのだが、困ったものだ。――同じ今川家の代官でも、前任の朝比奈様は左様なことはなく、話せば分かる方だったのだが」


 ……なるほど。

 俺は、三河に来たばかりのとき、農民たちから囲まれたことを思い出した。


 ――今川家の代官の中には、いばるやつらがいるのさ。


 ――儂らを人とも思わぬやつがの。


 ――野良仕事の途中、ほんの少しでも休んでおれば怒鳴り回すクソ侍め。


 あの農民たちに嫌われていたのは、おそらくいまの石原甚兵衛だろう。

 三河の民は、もはや暴発寸前なくらい、石原甚兵衛を憎んでいるようだ。

 今川家の家臣すべてがああいう男とは思えない。前任の人物は立派だったようだし、今川家の総大将、今川義元は名君として知られる一流の大名だ。ただ家来衆には、ああいう尊大な男も出てくるということだ。


「不愉快な思いをさせてすまなんだの。先ほどのことは忘れるがよかろう」


 鳥居さんは、いかにも申し訳なさそうに言った。

 このひとが謝ることはない。俺は慌てて手を振ったものだが――

 しかし鳥居さん、本当にいいひとだなあ。このひとや、三河の農民たちが、あの石原甚兵衛にいじめられていると思うと悲しくなる。……なんとかできないだろうか? なんとか――


 ふと、隣を見る。

 藤吉郎さんも、面白くなさそうな顔をしている。

 どうやら俺と同じ気持ちらしいな。見れば分かる。


 そのときだ。

 藤吉郎さんもまた、俺に顔を向けてきて――

 目が合った瞬間、彼はニヤリと笑った。


「梅五郎。わしゃ、ちとイタズラを思いついたぞ」


「イタズラ……?」


 俺は、まばたきをした。




 数日後、津島に送っていた神砲衆が岡崎に戻ってきた。

 今回、神砲衆を率いてきたのは、藤吉郎さんの幼馴染の一若だ。


「大将、取引は無事に済ませてきましたぜ」


 と、彼は言った。

 今回の取引の内訳は以下の通り。


【米   13文】が2500、

【木綿 218文】が2500、

【味噌 109文】が1000、

【油  138文】が1000、

【酢   96文】が1000、


 それぞれ、加納でさばいたらしい。

 その上で、


【陶器製アイロン 150文】を100、


 作りあげて、こちらに持ってきた。

 陶器製アイロンは1000個発注していたが、この短い期間ではまだ100個を作るのがやっとだったようだ。

 というわけで、現状はこうなる。



《山田弥五郎俊明 銭 2744貫650文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃       1

    ・木綿針     300

    ・和鋏       50

    ・陶器製アイロン 100



 俺はさっそく鳥居さんに面会し、陶器製アイロン100個を届けた。


「残りの900個は、出来上がり次第、岡崎城にお届けします」


「うむ、ご苦労。では代金として、45貫を支払おうか」



《山田弥五郎俊明 銭 2789貫650文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃       1

    ・木綿針     300

    ・和鋏       50



 さて、取引はひとまずここまでだ。

 問題はここから……。俺は、かたわらにいる藤吉郎さんをチラリと見た。

 藤吉郎さんは、ニヤリと笑う。俺も、笑った――




 さて、岡崎城の台所である。

 俺と藤吉郎さん、そして鳥居さんと、数人の下男下女が揃って、料理を作っていた。


「おう、なんだ、このにおいは……」


 そこへ、例の石原甚兵衛がやってきた。


「香ばしいにおいがしているが……。鳥居殿、これは何事かな?」


「これは石原様。いえ実は、ドジョウ売りの与助が、たくさんのドジョウを持ってきましてな……」


「へへ。おかげさまで、今日はえらくたくさん獲れましたんで、すべて持ってまいりました」


 藤吉郎さんこと、ドジョウ売りの与助さんがへらへらと笑う。

 ここだけ見ると、本当のドジョウ売りにしか見えない。

 鳥居さんは、笑顔を浮かべて言った。


「そこで、こうして岡崎城の台所を貸して、ドジョウを味噌焼きにしておるのでございます」


「ほう、ドジョウの味噌焼き。……それはまた、酒が進みそうじゃな」


 石原甚兵衛は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 鳥居さんから、石原甚兵衛は酒好きだと聞いていたが、どうやら本当らしい。


「すると今日の晩飯はドジョウか。楽しみじゃ」


「いえ、石原様。このドジョウは、百姓たちに皆、くれてやるつもりでして」


 鳥居さんが、笑顔で告げる。

 すると、石原甚兵衛はむっとした顔を見せた。


「百姓に? なぜじゃ」


「常日頃より、汗水を垂らして働いている者たちでござる。たまにはこうして、ドジョウのひとつでも振る舞って、慰労してやるのも我ら為政者の務めかと」


「馬鹿な! 下々が働くのは当然であろう! だいたい百姓ふぜいにドジョウなど贅沢じゃ。くれてやる必要はない!」


「は……。で、ではこのドジョウはどうしましょう?」


「決まっている。ワシが食う。……ええい、良いにおいをプンプンさせおって。もう我慢できん。食わせろ。酒も持ってこい!」


 石原甚兵衛は大声をあげた。

 下男たちは、慌てて酒を用意する。

 そして俺と藤吉郎さんも、どじょうの味噌焼きを皿の上に載せ、石原甚兵衛のところへ持っていった。


 彼は、腹が減っていたのか、それとも、よほど酒とドジョウに目がないのか。

 台所の片隅に積み重ねてあった薪の上にどっかと座り、そのまま酒をぐいっと飲んで、ドジョウをぱくつきはじめたのだ。


「おう、美味い!」


 石原甚兵衛は、目を輝かせた。


「ううむ、このドジョウのぷりゅんぷりゅんした食感。こたえられぬ。焼いた味噌の香ばしい香りもまた良い。かぁっ、酒が進む!」


 えらく饒舌に食レポをしつつ、どじょうと酒を口へと運んでいく石原甚兵衛。

 その場にいた者たちは、誰もがぽかんとして彼を見ていたが、


「おう、なにを見ている。もっとドジョウを持ってこい!」


 石原甚兵衛はなお叫ぶので、下男たちはさらにドジョウを彼のところへ持っていった。

 鳥居さんは、その様子をじっと見ている。

 石原甚兵衛は、それに気が付き、


「鳥居どの。そなたも一杯、まあどうだ」


 と、酒をすすめた。

 威張りちらしている男だが、さすがに松平家の侍である鳥居さんには少し配慮したようだ。

 だが鳥居さんは「いやいや」と首を振った。


「儂は遠慮いたしまする」


「なぜじゃ。ドジョウはお嫌いかな?」


「いえ、好物でござるが。……しかし、そのドジョウは」


「む? このドジョウは?」


「――腐っておりますゆえ」


 鳥居さんがそう答えた瞬間、石原甚兵衛は「へ?」と馬鹿みたいな顔を見せた。

 そこで、待ってましたとばかりに藤吉郎さんが口を開く。


「いや実は、今回持ってきたドジョウは、とっくに死んで、腐って、沼の上に浮かんでいたものなんですわ。とはいえ、百姓の皆々様で分けて食うくらいはできるかもと思い、持ってきたのでごぜえます」


「な。……お、おぬし! そんなものをワシに食わせたのか!?」


「説明する前に、石原様がよこせよこせとおっしゃいますんで……!」


「っ……!」


 石原甚兵衛は、そこで顔を青くし、腹をさすりはじめると、


「は、腹が……うううう……!」


 彼は慌てて立ち上がり、その場から走りさっていく。

 おそらくトイレにダッシュしたのだ。間違いない。

 その、腰を引いたように走り去っていく後ろ姿は、じつに滑稽だった。

 台所にいた俺、藤吉郎さん、鳥居さん、さらには下男下女まで。皆、どっと笑った。


「ははは、やりおった! 食い意地を張るからじゃ!」


 藤吉郎さんは大笑いである。


「あんなにがっつかないで、百姓に譲っていれば、腹も壊さなかったであろうにのう!」


「腐ったドジョウをあんなに食べたんです。きっとしばらくは腹を壊していますよ」


「ふふふ……。日ごろから欲深く生きておるからだ。腹を壊すくらい、いい薬になったであろう」


 鳥居さんまで、ニヤニヤ笑っている。

 実に楽しそうだった。


「……久しぶりにスッキリした。針商人梅五郎、どじょう売りの与助。感謝するぞ。こんなイタズラをしかけるのは何十年ぶりか……。ふふふ、愉快なものじゃな!」


 鳥居さんの笑顔を見て、俺と藤吉郎さんは目を見合わせた。

 俺たちは、織田家のスパイだ。鳥居さんを騙していることになる。

 こんなイタズラを仕掛けることが、罪滅ぼしになるとは思わないけど、それでも、少しでも鳥居さんに気持ちよくなってもらえたなら、よかったと思う。


「鳥居さん」


 俺は、思わず口を開いていた。


「今川家の傘下になって、苦しいことも多いと思います。……ですが、世の中に止まない雨はありません。必ず松平家に、また陽の光が当たるときがくるでしょう。無明長夜の三河にも、必ず夜明けはおとずれます」


 俺は確信をもって告げた。

 いまは、今川家の代官に支配されている岡崎城……。

 しかしこの城の本来の城主、松平竹千代は、大人になって必ずこの城に戻ってくる。

 そして、最終的には――天下人になる! 鳥居さんたちの苦労は報われる!


「…………」


 鳥居さんは、少し不思議そうな顔をしていたが――

 やがて、まなじりに涙を浮かべて、


「年を取ると、いけんの」


 と、言った。


「どうも、涙もろくなる」


「…………」


「針商人梅五郎、有り難し。その言葉、なにより嬉しい。不思議じゃが、そちの言葉には奇妙な真実味がある」


 鳥居さんは、それだけ言うと、やがてニヤリと笑い、


「儂もせいぜい長生きしよう。竹千代さまが、再びこの地にやってきて、三河の夜を照らしてくれるその日のために」




 こうして、こうして三河国は岡崎城での物語は一区切りがついた。

 藤吉郎さんは、尾張にいる大橋さんへと使者を飛ばす。今川家からやってきた岡崎城の代官と、三河衆は、必ずしもうまくいっていないという情報。さらに鳥居忠吉は老人だがなかなかの人物だという情報。岡崎城の間取りや、三河の地形などなどの情報も――


「三河はこんなもんじゃろう。次はさらに東の国、遠江とおとうみじゃな」


「いよいよ本格的に今川家の勢力下ですね」


「うむ。織田家の人間とバレたらどうなるか分からんぞ」


「気を引き締めていきましょう」


 俺と藤吉郎さんは、そんなことをしゃべりつつ、近場の村へと向かっていった。

 鳥居さんから紹介され、この数日、寝泊まりしていた村である。そこには伊与たちが待っているはずだ。


 田園風景の中をくぐり抜けて、歩いていく。

 やがて村々が見えてきた。すると、伊与とカンナがこちらに走ってくるのが見えた。


「元気だなあ、ふたりとも」


「弥五郎に会いたくて走っとるんじゃ。もてる男は辛いのう」


「からかわないでくださいよ、藤吉郎さん」


 軽口を叩き合っていた俺らだが――

 しかし伊与たちの顔色がやけに険しいのを見て、すぐに冗談をやめる。


「どうした、ふたりとも。なにかあったのか?」


「すまない、弥五郎。私がいながら大変なことに……」


「お金が……家の中に置いといたお金が盗まれたんよっ!」


「「……なに!?」


 俺と藤吉郎さんは、揃って頓狂とんきょうな声をあげた。


「朝起きたら、もうなくなっとった。銭も割符も商品も、全部! なにもかも!!」


「残っていたのは、酒と食べ物と、義父様の形見の火縄銃だけだ。これは別の場所に保管していたから……」


「なんだと……!」


 俺はさすがに、顔を青くした。

 なにもかも盗まれた? そんなことがあるのかよ!?



《山田弥五郎俊明 銭 0文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃       1



 本当になくなっていた。

 泊まっていた家に戻ってみると、確かに金も商品もなくなっている。

 ま、まさか全部盗まれるなんて。そんなこと……。


「犯人の目星はついておりやす」


 そのとき、次郎兵衛がやってきて言った。


「村人たちに聞き込んできやした。……最近、このあたりにゃ、金持ちだけを狙って盗みを働く凄腕の泥棒がいるらしいです。証拠はありやせんが、十中八九、そいつの仕業ッスよ、アニキ」


「凄腕の泥棒? そんなやつがいるのか……」


「遠江から三河にかけて活発に動いているらしいッスよ。どこが根城かは分からないッスが、名前はハッキリしていやす。泥棒のくせに有名人ってのも妙ですがね」


「なんて名前なんだ、そいつは」


 俺が問うと、次郎兵衛は答えた。


石川五右衛門いしかわごえもん


-----------------


 近況ノートのほうにも書きましたが、3月はダッシュエックス文庫から「童貞を殺す異世界」という異世界ものも出します。そちらの発売に向けての作業もあったので、ずいぶん更新に間が開いてしまっていて申し訳ございません。


 その分、3月中旬から非常に濃い動きをお見せできると思います。「戦国」の更新ペースもじわじわ回復していきます。本当に期待してください。「戦国」については書籍化だけじゃない、いろんな動きをお見せしますので!


 今後とも、よろしくお願いいたします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る