第12話 鳥居伊賀守忠吉
彼は、松平家に仕える戦国武将だ。のちに徳川家康に仕え、関ヶ原の戦い前夜に伏見城で壮絶な討ち死にを遂げる戦国武将、
三河に来て早々に、まさかこんなひとと出会えるなんて。俺は思わず問うた。
「鳥居さんは、どうしてここに?」
「尾張から商人が来ておると聞いて、なにを商っておるのか興味本位で来たまでよ。……領内の見回りも兼ねての」
鳥居さんは、ニコニコ顔で言った。
だが、セリフの後半を俺は聞き逃さない。
興味本位、というのも嘘ではないのだろうが……。
俺たちが怪しい人間かどうか、そこを確かめに来た、というのが本音だろう。
なにせ尾張は織田家の土地。三河の松平家とは現在、敵対しているのだから、そこから来た人間は、商人であろうと疑うのは当然だ。
「お疲れ様でございます。手前は、村の皆さまにお役に立てるような針をお届けしたいと、その一心で……」
俺は、へこへこ笑いながら頭を下げる。
ここで鳥居さんに怪しまれては、情報収集も商売もできないからな。
幸い、鳥居さんは笑みを崩さず、
「村の者からも、よく働く商人だと聞いておる。励むがいい」
と、言ってくれた。俺はまた、頭を下げた。
さて、そのときである。
「アニキーっ!」
と、聞き覚えのある声がした。
振り向くと、次郎兵衛がいた。
さらに神砲衆の面々が10人と、馬が2頭。馬には荷駄がくくりつけられている。
いったん津島に戻った自称・聖徳太子と自称・平将門に代わって、次郎兵衛たちが来たのだ。
「おう、五郎兵衛。いま津島からついたのか?」
と、俺は問う。
彼にもいちおう偽名を名乗るように指示してあるのだ。
「へい、いま到着しやした。アニキの指示通り、鋏を持ってきていやすぜ」
「おう、ありがとう。……いくらだった?」
「鋏ひとつで、220文。それを100個、仕入れてきておりやす」
俺が、周囲に聞こえないよう小声で尋ねると、次郎兵衛はそう答えた。よし、すべて俺の指示通りだ。
《山田弥五郎俊明 銭 1919貫550文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 今川領に潜入し、情勢を探る>
商品 ・火縄銃 1
・木綿針 500
・米 800
・和鋏 100
鋏は、鍛冶屋清兵衛さんお手製の逸品だ。
俺はこの鋏を、銭なら仕入れ値の3倍の660文。米ならば100で商うことにした。
「鋏が届いたそうじゃ」
「米100? 少し高うないか……」
「いや、岡崎の野鍛冶に打ってもらったらもっとする。あいつは強欲やけ」
農民たちが集まってきて、鋏の値についてワイワイガヤガヤとしゃべる。
そして鋏を品定めすると、農民たちはそれぞれ米で鋏を求めていった。
というわけで今回は、針100が米400に。鋏30が米3000になった。
《山田弥五郎俊明 銭 1919貫550文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 今川領に潜入し、情勢を探る>
商品 ・火縄銃 1
・木綿針 400
・米 4200
・和鋏 70
「今回は、こんなもんかな。もうちょっと売りたかったけど」
「鋏って、針よりも使いませんし長持ちしますから、そんなにしょっちゅう買いかえませんからね」
あかりちゃんが言った。確かにその通りだ。
まあ、これから三河国内をもっと動くから、針や鋏はその都度売っていけばいいんだが。
「とりあえず米を4200も持っていても仕方がない。尾張に送るか。源義経、巴御前、紫式部。3人で米を持ち帰り、近隣の市場の相場を調べて、もっとも高値で売れるところで売ってくれ」
「「「ういっす!」」」
俺は自称・源義経らに指示をくだす。……てか、そろそろ本名を教えてほしい。名前がなんともまぎらわしい。
「……ふうむ、針商人梅五郎」
そのときだ。鳥居さんが言った。
「そちは思っていたよりも、大きく商っておるようじゃのう。その若さで、人を次々と使うとは。尾張ではさぞかし鼻が高かろう」
「あ、いえ、左様なことは。手前などまだまだ……」
鳥居さんのセリフに、俺は少し慌てた。
目の前で、すこしやりすぎたか? 警戒されてしまったか?
俺は思わず唾を飲んだが――しかし、別にそういうわけでもなかったらしい。
「どうじゃ、針商人梅五郎。ここはひとつ取引といかんか?」
「取引?」
「うむ。……尾張はいろいろと物があろうが、この三河にも産物はあるのじゃ。木綿はもちろん、味噌に油、酢などもある。どうじゃ、これを買うてみんかの?」
なんと。
鳥居さんは俺を警戒していたんじゃない。
商いの相手として、見ていたのだ。
ここで、俺は思い出した。
鳥居忠吉は、後世では、松平家に忠実だった武人として知られている。
しかしそれと同時に、三河国内で商業や水運業を行って利益を出していた、商人としての一面も持っているのだ。
のちに徳川家康が世に出ていくとき、鳥居さんは家康のために大金を用意していたという逸話がある。それは倹約の積み重ねによって貯めたものだが、しかしそれだけではなく、商いによって貯めたお金でもあったのだという。
……なるほどね。
鳥居さんは三河の産物を俺に売りたいのか。
しかしこれは俺にとってもメリットがあるかもしれない。
三河の木綿や味噌を仕入れて、尾張や美濃で売れば、儲かるかもしれない。
よし、やってみよう。
「むろん、木綿も味噌も、他の品も、それが良い品物であるならば、お取引をしたく存じます」
「おお、そうか。ではひとつ、商うてみようか」
鳥居さんは、相好を崩して言った。
木綿は1枚で76文。
味噌は小さな桶ひとつで64文。
油は、これまた小さな桶ひとつで85文。
酢は、やはり小さな桶ひとつで70文。
以上の相場で、現在は商っているとのことだった。
「入用ならば、ただちに必要な分だけ用意する。どうじゃ?」
「……どうだろう、カンナ」
俺は背後のカンナを振り返る。
彼女は小さくうなずいた。
「その価格なら、加納まで持っていけば充分に利益が出るち思う。特に木綿は美濃のほうなら3倍近い値段で商われとるし」
「そうか。よし、やろう」
「買うてくれるか。ありがたし。……それで、いかほど買うてくれる?」
「そうですね……」
チマチマと商っていても仕方がない。
ここはどんどん儲けていきたい。
「すべての物産を1000ずつ、購入します」
「ほ……ま、まことか」
「まことです」
「ほう……」
俺の即断に、鳥居さんは目を見開き、かと思うとニッコリと笑い、
「針商人梅五郎。そちは実に大気者じゃのう!」
産物が売れて嬉しいのか、鳥居さんはホクホク顔である。
こうして俺は、鳥居さんからすべての物産を1000ずつ購入することにした。
《山田弥五郎俊明 銭 1624貫550文》
<最終目標 30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>
<直近目標 今川領に潜入し、情勢を探る>
商品 ・火縄銃 1
・木綿針 400
・米 4200
・和鋏 70
・木綿 1000
・味噌 1000
・油 1000
・酢 1000
「ますます荷物が増えたのう」
藤吉郎さんが、少し呆れ顔で言った。
「すぐに津島へ運びますよ。……しかしあれだな」
「ん?」
「せっかく鳥居さんと知り合えたのに、ただ木綿や味噌を商うだけなのはもったいないなと思いまして」
「……なるほど。弥五郎、汝の考えとることは分かったぞ。あの鳥居という侍に、ものを売ろうというのじゃろ。それもなにか、汝にしか売れぬ新商品を」
「さすが藤吉郎さん、分かってらっしゃる」
俺はニヤリと笑った。
最終的に30000貫を稼ぎたいのだ。
そのためには、鳥居さんに、高い金を払ってでも欲しいと思わせるものを作りたい。
「しかし、それはどういう品がいいか……」
「頑張れ、弥五郎。あの鳥居という侍と親しくなれば、松平家の本拠、岡崎城に接近できる。ますます情報を得られるというものじゃ」
さすが藤吉郎さんだ。
常に一挙両得の思想をしている。抜け目がない。
俺も藤吉郎さんの期待に応えたいんだが……。しかし鳥居さんが欲しがるものなあ。
三河といえば木綿。木綿といえば裁縫。裁縫に使うもの……として針や鋏を持ってきたんだ。
だが他になにか……。裁縫……。服飾……。服、服に使うなにか……?
そのとき、ひゅうと風が吹いた。
「……寒いな」
伊与が、ぽつりと言った。
「1月だから仕方がないが、このあたりは特に冷える気がする。もう少し、厚着をしてくればよかった」
「津島から取り寄せよう」
「おう、弥五郎。それならわしの分も、新しい服を頼む。どうもわしの着物はヨレヨレで、さすがに見栄えが悪い」
藤吉郎さんは、嘆くように言った。
なるほど、確かに藤吉郎さんが着ている服は、何年物なのかというヨレヨレぶりだった。
「もうちょっと、いい服を着てくださいよ。足軽組頭になったんでしょう?」
「組頭になった分、いろいろと物入りになったんじゃ。着物まで手が回らんわ」
「そういうものですか。しかしそのヨレヨレぶりは確かにちょっと――」
と、そこで俺はふと気が付いた。
ヨレヨレの着物……? ……これはもしかして……!
俺の中に、光り輝くアイデアが浮かび始めていた。……そうだ、これは売れるぞ!
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