第11話 木綿針商人・藤吉郎(と弥五郎)

「誰だ、お前ら」


「うぬらこそ、どこのどいつじゃ」


 囲んできた男たちの中で、ひときわ背の高い中年男が言った。

 こいつがリーダー格らしい。

 俺は、名乗った。


「尾張の商人、梅五郎うめごろうだ。木綿針の行商のために東へ参っている」


 と、これは偽名。

 三河以東に行くにあたって、俺たちはそれぞれ偽名を使うことにしたのだ。

 神砲衆の山田弥五郎、織田家の木下藤吉郎という名前を使えば、正体がバレる可能性があるからだ。

 なお、藤吉郎さんは与助、伊与は佳代、カンナはお蜂、あかりちゃんはおつき、とそれぞれ偽名がついている。

 聖徳太子たちは……もともとが偽名だからそのまんまだ。

 その聖徳太子たちも、俺の横で構えをとっているが――


 しかし肝心の相手が、突如、眉間のしわを取り、


「なんじゃ、尾張者か」


 と息を吐いた。


「商いに参ったって?」


「木綿針を扱うておるそうな」


「まことか? 偽りではあるまいな」


「そういえば、なんだか尾張臭い顔じゃなあ」


 男たちは、わいわい言い出す。

 尾張臭い顔って、どういう顔だ。

 ともあれ、どうにか戦いにはならずに済んだようだ。


「あなた方、俺を誰と勘違いしたんです?」


 俺は尋ねた。

 しかし男たちは「……」と押し黙り、答えない。

 すると、藤吉郎さんが「よし!」と手を叩き、ニコニコ顔を見せる。


「のう、汝ら。ここでひとつ提案なんじゃが」


「……なんだ?」


 突如、明るい声を出した藤吉郎さんに、男たちは険しい顔を見せたが――

 次の瞬間、藤吉郎さんが出した言葉に、彼らは唖然とした。

 なぜなら、


「ひとついっしょに、メシでも食わんか?」


「……はあ?」


「いやいや、本当の話。昼下がりで、皆、腹が空いてきたころであろう。わしらも、そろそろなにか食べようかと思っていたのじゃ。どうじゃ、おのおの、三河衆。こうして巡り逢うたのもなにかの縁じゃて。なあ?」


「「「…………」」」


「梅五郎も、ええの?」


 藤吉郎さんが振り返る。俺は思わずうなずいた。


「よし、決まりじゃ!」


 と、いうわけで――食事になった。

 その場でたき火が起こされ、持ってきた食材を用いて、あかりちゃんが手際よく食事を作ってくれた。

 津島ですでに用意していた握り飯と漬物。さらに持ってきたばかりの兎肉や狸肉が、火で炙られ、塩で簡単に味付けされる。


 戦国時代は、鳥や小動物の肉類がよく食されていた。しぎ、鹿、兎、狸、きじ、猪、狐、鶴、がんなどが、よく食べられていた肉だ。なお、魚も鮒や鮎、鯉、スズキ、鯛などが食べられ、エビや貝やイカ、タコも食べられた。副食物としては、昆布やダイコン、豆腐、ウド、ワラビ、ククタチ、ゴボウなどもよく食された。

 なにせ旅に出るわけだから、基本的には日持ちのする米や干物、漬物を中心に食材を持ってきているが、それでも最初のうちくらいはと思い、多少は肉や野菜も持ってきていた。まだ1月だし、そうそう腐らないとも思ったしね。


 というわけで、俺らと三河の百姓たちは一緒にメシを食った。

 熱々の肉が、噛みしめるたびに肉汁を溢れさせ、さらに塩味もほどよく効いて、実に美味い。

 三河衆も、最初は警戒していたが、焼肉の香りに逆らえなかったのか、食欲に敗北したのか、俺たちと一緒に食事を始めた。


「どうじゃ、三河衆。酒もあるぞ」


 と、藤吉郎さんが飲酒まですすめる。


「猿顔、うぬは尾張者のくせにずいぶん気が利く」


「なにせ猿じゃからのう。機転が利かねば、人間の世では生きていけぬのよ」


「うまいことを言いやがる」


 男たちは、どっと笑った。

 酒の勢いと肉の美味さが合わさって、彼らはずいぶん顔が緩くなってきた。

 食べ物と酒の力は偉大だ。あれほど俺たちを睨んでいた連中が、いまや100年の知己のように穏やかに笑っている。


 やがて。

 藤吉郎さんは尋ねた。


「のうのう、汝ら。先ほど、なぜわしらを襲おうとした? 誰とわしらを勘違いしたんじゃ?」


「…………」


 男たちは、赤ら顔を見合わせたが、やがて言った。


「今川衆よ」


「今川衆?」


「そうよ」


 男たちは、語った。

 いま、三河を支配している松平家。

 その上に、今川家がある。これは尾張でも知られている事実だ。

 しかも松平家の当主、竹千代は、まだ幼いために今川家の本拠、駿河国にて育てられている。だから三河はいま、今川家からやってきた代官に支配されている状態なのだ。


 だがその今川家は、三河国において、松平家の持っている租税権をほとんど奪ってしまった。

 そのために松平家の家臣団は貧窮している。それだけではない。松平家に属する農民も、そういうことなので、今川家に対しては頭が上がらない。だから、


「今川家の代官の中には、いばるやつらがいるのさ」


「儂らを人とも思わぬやつがの」


「野良仕事の途中、ほんの少しでも休んでおれば怒鳴り回すクソ侍め」


 三河衆は、波立つように愚痴を飛ばしまくった。


「梅五郎とやら。先ほどはすまなんだ。うぬらを一瞬、今川の手下かと思うた。またいつも通り、怒鳴りにきたのかと……。いよいよ儂らも堪忍袋の緒が限界じゃ。いっそこの場で殺してやろうか、そう思って……」


「……そういうことだったのか」


 俺は何度もうなずいた。

 三河松平家と、駿河今川家が主従関係にあるのは、俺も知っていた。

 そして主従の状態でありながら、支配している今川家に対して、三河の領民が決して良く思っていなかったという知識も、一応持っていた。

 しかし現実に、こうして三河の農民から話を聞くと、松平と今川の対立は、思っていたよりもずっと深刻なものらしい。


(ひとつ、情報を得たの)


 藤吉郎さんが、俺にヒソヒソと耳打ちした。


(三河の百姓。今川に対して従順に非ず)


 藤吉郎さんは、ニヤリと笑っている。

 情報収集という役目を、藤吉郎さんは忘れていない。

 いや、むしろ最初から、食事と酒をすすめたときから藤吉郎さんは、農民たちから情報を得ることだけを考えていたに違いない。……さすがだ。


 よし、俺も仕事をしなければ。


「ところで、三河衆。木綿針は、入用ではないかな?」


 俺は言った。


「この梅五郎は針商人だ。針が欲しいなら、用立てるぞ」


「始まったわ」


 三河衆は、げらげら笑った。


「そうくると思うておった。商人め、針を儂らに売るために、酒をおごったな」


「そりゃ当然じゃろう! ただで酒をおごるもんかい。針の1本くらい買うてくれやい」


 藤吉郎さんが、援護射撃をくれた。

 針の商いを手伝ってくれているのだ。

 いや、それだけではあるまい。情報収集にやってきたスパイだと、万が一にも見抜かれないために、針商人の仕事もやっているのだ。俺にはそれがありありと分かった。やはりさすがだ。抜け目がない。


「よしよし、ここは商人の顔を立てよう。女房殿に伺いのひとつでも立ててくるか。ではないか、おのおの方」


 三河衆のリーダー格が言った。

 すると、他の男たちも「そうじゃな」「うむうむ」と次々うなずく。

 藤吉郎さんの酒接待は役に立った。このやり方、俺も覚えないとな。


「そいじゃ、儂らの村まで来い。女房が欲しいというのなら、木綿針を買うてやる」




 というわけで、俺たちは三河衆の村々までやってきた。

 村には、男たちの家族がいた。俺は彼ら彼女らに、木綿針を見せてみる。


「さてさて、おのおの方。これなるは美濃の関にて、鍛冶屋が打った木綿針。質の良さでは天下一品、出雲の国の玉鋼にて作りあげた、日ノ本一の針でござる!」


 俺は、声を張り上げる。

 かつて加納市で、父ちゃんが使っていた口上(第一部第十三話「藤吉郎登場」参照)をまねたのだ。


「ぜひとも一度、その手に持って試してくだされ。そんじょそこらの野鍛冶の針とはわけが違う。騙されたと思うて使うてみれば、違いが分かる!」


「そう、その通り! この猿顔もこの針にゃ参った! 木綿を一度縫ってみたらの、スイスイスイっと針が通るのじゃ。嘘じゃないぞよ。スイスイスイじゃ!」


 藤吉郎さんも、手伝ってくれる。

 その言い方が、面白い。スイスイスイ、という部分が、村の子供たちには大ウケだった。


「スイスイスイ!」


「あははっ、スイスイスイ~」


 よく分からないところで大笑いするのは、子供の特権だろう。このあたりは戦国も未来も変わらない。

 ともあれ、俺や藤吉郎さんの営業努力が実ったのか。そもそも農民たちが酒接待で心を許していたからなのか。木綿針は、なかなか売れた。


「このあたりじゃ、銭はあんまり使わんのよ」


 農民の女房が、言った。


「米で支払うて、いいかね」


「もちろん」


 俺はうなずいた。

 米を、あとで換金すればいい。

 さて交渉の結果、針1本を米4と交換することになった。

 針1本は、18文から20文で購入している。そして米1は場所によるが、6文から11文の価格で取引できる(第一部第三十四話「米相場交易」参照)。米4ならば最低でも24文で売れるだろう。利益は出る。


「やけど、もうちょい儲けが欲しいねえ」


 カンナが言った。

 なお、彼女は三河に入ってから、金髪と目元を布で隠している。言うまでもなく外見が目立つからだ。

 できれば津島に残ってほしかったのだが、カンナは同行したがった。それに彼女がいないのは商いの戦力上、ずいぶん痛手なので、仕方なく許可することにしたのだ。その能力が、さっそく発揮されている。


「木綿針200本は売れたばい。これで米800。やけどこれじゃ相場の高いところで売っても、1貫文になるかどうかってとこやし」


「だよなあ。もう少し儲かるものを持ってくるべきだったか」


 しかし三河でなにが売れるか、よく分からないからなあ。

 木綿針の需要は確かにあるんだよな。

 三河は木綿の産地だ。針の需要は強い。

 そのとき、農民の奥さんが言った。


「鋏はないかね? あれがあると便利なんじゃが」


「鋏?」


「うん。裁縫仕事にゃ、鋏もいるから。あれがあるなら欲しいんじゃがね」


 鋏。鋏か。……ハサミ。

 そうだ、連装銃を作ったときに、和鋏を使ったことがあったな(第一部第三十七話「連装銃完成」参照)。

 鍛冶屋清兵衛さんや、佐々さんに話をすれば、和鋏は調達できるだろう。


「日数さえいただければ、和鋏は調達できますよ」


 とそう言うと、奥さんは笑顔で「じゃあお願い」と言った。

 彼女だけではなく、近くの家の奥さんたちも欲しがった。

 これは、儲けになるな。


「よし、聖徳太子、平将門。いったん津島に戻り、鍛冶屋清兵衛さんから和鋏を仕入れてきてくれ」


「おっと、それとこいつも」


 藤吉郎さんが、ふたりの手紙を渡した。


「大橋つぁんに渡しておくれ。……大事な文じゃぞ」


「藤吉郎さん、それは」


 俺がヒソヒソ声を出すと、藤吉郎さんも小さな声で答えた。


「さっき手に入れた三河の情報じゃ。少しでも手に入り次第、大橋つぁんを通して殿(織田信長)にお知らせする」


 今回のスタンスがここで決定した。

 俺たちは三河から東に進み、商いを行いつつ情報を得る。

 そして物品の需要が分かり次第、津島に人を送り、物を仕入れてくる。

 その際、藤吉郎さんの手紙もいっしょに送る。……これでいこう。


 こうして、聖徳太子と平将門はいったん津島に駆け戻り、俺たちはこの農村の空き家にしばらく滞在させてもらうことにした。

 滞在費用は、荷物の中にある酒を渡すことで解決した。酒好きだなあ、みんな。




《山田弥五郎俊明 銭 1941貫550文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃    1

    ・木綿針  500

    ・米    800




 さて、俺たちが村に滞在して数日。

 老いている、しかし締まった顔をした武士が、村にやってきた。

 白髪頭のその人物は、村のあちこちを見て回っていたが、やがて俺と目が合う。


「尾張の針商人というのは、そちかな?」


「はい、手前でございます」


 俺は慇懃に頭を下げる。

 誰だか分からないが、農民はけっこう愛想よく彼と話していた。

 ということは今川家じゃなくて、松平家の侍か?


「手前、尾張よりやって参りました、梅五郎と申します」


「うむ。寒い中、励んでおるようじゃの」


「あの、あなた様はいったい……」


「おお、申し遅れたな」


 老武士は、穏やかに笑った。


鳥居伊賀守忠吉とりいいがのかみただよし。見知りおいてもらおう」


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「戦国商人立志伝」書籍化についての続報を、お届けします。


こちら、KADOKAWA様より2018年3月31日、「L―エンタメ小説」シリーズとして発売されます。

イラストレーターは「戦国大戦」などを手がけた、KASENさんに担当していただきます。


今月は書籍化作業等でいっぱいいっぱいですが、

来月になったら落ち着くと思います。そうしたら、またどんどん投稿していきます。

目標は3月末、書籍発売時点で第2部完結までいくことです。頑張ります。


書籍化についての続報は、入り次第、またお知らせします。

よろしくお願いします!

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