第10話 三河物語

 三河に行く。

 と決めたはいいが、旅立ちの準備はこれでなかなか大変だ。


 まずメンバーを決めねばならない。

 いろいろと検討した結果、三河行きのメンバーは、俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、あかりちゃん、それに自称・聖徳太子たち5人の合計10人に決まった。

 俺がリーダー、藤吉郎さんが副リーダー、伊与が護衛、カンナが商売、あかりちゃんが炊事等家事全般、聖徳太子たちはそのときの状況によっていろんな仕事をこなす、という感じになるだろう。

 神砲衆の残りメンバーは津島に戻り、商務を行う。

 俺たちと神砲衆の連絡は、次郎兵衛や田吾作たちがやることになった。


 さらに、荷物を運ぶための馬4頭を、海老原村から1頭10貫で購入。

 続けて1か月分の食料(米や水や干物など)や衣類等を、5貫で購入。



《山田弥五郎俊明 銭 1941貫550文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃    1

    ・木綿針  700



 そんなこんなで、旅立ちの準備が整ったのは、1555(天文24)年の1月のことだった。


「気をつけて行ってこいよ」


 津島まで見送りに来てくれた前田さんが言った。


「前田さんも。なにが起こるか分からない時代ですから、充分気をつけてくださいね」


「おう、もちろんさ。……っと、そういえば、堤と蜂楽屋はどうした?」


 前田さんはキョロキョロしながら言った。

 伊与とカンナは、いまここにいない。


「さっき、大橋さんに呼ばれていたんですよ。なんか話があるって」


「大橋つぁんが、伊与とカンナに? 珍しいのう」


 藤吉郎さんも、首をかしげる。

 確かに、大橋さんが伊与とカンナふたりだけに話があるのは珍しいことだ。

 俺たちは揃って、小首をかしげる。――と思っていると、遠くからふたりがやってくるのが見えた。


「お、来た来た。おーい、伊与、カンナ。こっちだ」


「ああ、弥五郎……」


「ごめん、お待たせ……」


 やっと合流したふたりは、目に見えてテンションが低かった。


「どうした、ふたりとも。なにかあったのか?」


「大橋つぁんから、どんな話があったんじゃ?」


 俺と藤吉郎さんは、揃って質問する。

 だが、伊与とカンナは互いに顔を見合わせて、


「まあ、大した話ではない」


「うん。そのうち話すけん」


「「……?」」


 そんな伊与たちを見て、俺と藤吉郎さんもまた、互いに視線を交わす。なんなんだ、本当に。

 伊与は、薄い笑みを浮かべる。


「本当に、大した話じゃないんだ。気にしないでくれ。……さあ、行こう!」


 伊与が笑顔でそう言ったので――まあ確かに、深刻な話じゃないんだろうな。

 と言うかたぶん、みんなの前では言いにくいんだろうなと俺は思い、


「よし、それじゃ行こう。旅立ちだ!」


 あえて、明るい声を出した。

 その声音に、藤吉郎さんも、伊与もカンナもあかりちゃんも、聖徳太子たちも大きくうなずく。

 いよいよ出発だ。目指すは隣の三河国。――松平家の支配する土地だ!




 澄み渡るような空の下を、俺たち10人は進む。

 津島から、東へ。やがて南東へと道を歩く。

 人も獣も姿を見せない広い野原が、なんとなく心を大きくさせた。


「弥五郎、汝ァ、三河に行ったことはあるのか?」


「ありませんね。藤吉郎さんは?」


「ずいぶん昔に、一度だけあるわい。まだ諸国を流れ歩いとった時分にの。――そう、そのころな、矢作川で魚を獲っておったら『小僧、オラにも魚を分けてくれ』って声をかけてきた大男がおったんじゃ。それが――」


「小六さんですか?」


「その通り。弥五郎、相変わらず勘がいいのう! そうして小六兄ィと縁ができたわしは、しばらく兄ィの下で働いておったんじゃ。……三河はそれ以来じゃ。いや、懐かしいのう」


 藤吉郎さんはニコニコ顔で語る。

 かと思うと、ふいに真面目な顔になり、


「しかし矢作川なんぞ、三河の西側じゃ。わしらが目指すべき場所は、矢作川を越えた東の土地。岡崎じゃ」


「岡崎って、松平のお殿様が治めているところですよね?」


 あかりちゃんが言う。


「おう、あかり。もしかして三河には詳しいのか?」


「とんでもない。行ったこともありません。……でも、いくらなんでもそれくらいは知っていますよ。お隣の国ですから」


「まあ、それもそうじゃの。……では、その松平家が、現在は今川家の傘下に入っているのも知っておるか?」


「……それも、話だけは」


 あかりちゃんは、うなずいた。

 そう、三河の戦国大名松平家は、今川義元の傘下にあるのだ。


「でも、どうして松平家は今川家の下にいるんですか?」


 あかりちゃんは、無邪気に尋ねてきた。


「話すと長くなるんだけど――」


 と、俺は解説を開始した。

 そもそもなぜ、松平家が三河国を支配しているのか。

 それはいま(1555年)から200年ほど前、徳阿弥という時宗の坊主が三河国に流れ着いたことから端を発する。

 徳阿弥は、教養があったらしい。三河国の北部に位置する山村、松平郷を支配する小領主、松平太郎左衛門信重に気に入られた。そしてその娘の婿となり、松平親氏まつだいらちかうじと名乗ったのである。

 その親氏は、松平郷の者を家来にして、その武力を背景に、少しずつ領土を広げていった。ときには暴力で、ときには買収で。松平家はおのれの領土を手に入れていく。


 それから時が流れた。

 1520年代、三河の西部を支配する松平家に、英傑が登場した。

 松平清康まつだいらきよやす、という、親氏から数えて7代目にあたるこの人物は、13歳で家督を継ぐと、瞬く間に三河国全土を切り従えていった。清康こそ、戦国大名松平家の中興の祖といっていいだろう。


 ところがその清康は、家臣に殺されてしまう。

 清康の跡継ぎは、松平広忠まつだいらひろただといって、このとき、まだ子供だった。

 そのため、松平家をまとめることができず、父・清康のように三河国内の諸勢力をおさめることもできなかった。

 仕方なく、松平広忠は、駿河の大名、今川家を頼ることにした。そうするしかなかった。


「この結果、三河の松平家は今川家に従属する形になった、ってわけさ」


 俺は説明を終えた。

 ふわあ、とあかりちゃんは目を丸くする。


「お兄さん、相変わらず物知りですね。松平ちかうじ、さんですか。よくそんな大昔のひとのこと、知っていますね……」


「うむ、わしでもそこまでは知らんかった。さすがは弥五郎じゃのう」


 藤吉郎さんさえ、何度もうなずいて感心するさまを見せる。


「いや、ちょっと勉強しただけですよ」


 と、俺は苦笑いを浮かべた。


「――それじゃ、いまの松平家って、その、松平広忠っていう人が殿様なんですか?」


「いや」


 俺は、かぶりを振った。


「松平広忠も、もう死んだ。死因はよく分からない。病気とも暗殺ともいうけれど、とにかく不明だ。いまの松平家の当主は、広忠の息子。――松平竹千代まつだいらたけちよ、というはずだ」


「松平竹千代さま、ですか」


「ああ」


 俺はうなずいた。

 うなずきつつ、藤吉郎さんの横顔を見る。

 そう、松平竹千代――現在の松平家の当主であり、まだ幼いために今川家に引き取られ、いまは駿河国で生活しているはずの、その男。


 彼こそ、のちの徳川家康とくがわいえやす。江戸幕府の初代将軍。

 藤吉郎さんこと、豊臣秀吉と共に、乱世を終わらせる役目になる人物だ。

 藤吉郎さんは、松平竹千代の名前を聞いても特に顔色を変えない。この時点では面識もなにもないはずだから当然だが――

 しかし秀吉と家康は、のちのちライバルになり、また主従にもなる。


 ついでにいえば義兄弟にもなる。

 秀吉の妹が、のちのち徳川家康の正室になるからだ。


 ……藤吉郎さんも、こうして話をしている松平家の殿様と、自分が義兄弟になるなんて、想像もしていないだろうな。


「まあそういうわけで、三河の松平家はいま、今川家の傘下にある。俺たちはその三河の政情を調査しながら、商いをやって金儲けをしようってわけなのさ」


「な、なるほど。よく分かりました。わたし、お料理とかお裁縫とか、そういうことしかできませんけど、頑張りますっ」


 あかりちゃんは、両の拳を握って言った。

 すると自称・聖徳太子たちが「よろしく頼むよ」「あかりちゃんのおにぎりは美味いからねえ」なんて、わいわい囃したてたりする。賞賛の言葉を受けて、あかりちゃんはちょっと顔を赤くした。


 ――ところで。


「弥五郎」


「なんです、藤吉郎さん」


「伊与とカンナ。ありゃどうしたんじゃ」


「…………」


 俺はちらりと後ろを見た。

 伊与とカンナは、先ほどからまったく会話に参加してこない。

 伊与はまだともかく、いつも明るいカンナが今日に限ってはやたら無口だ。


「大橋さんからされた話が、関係あるんですかね?」


「ふむ。しかし思った以上に長い間、沈黙しとるの。大橋つぁんめ、まさかあのふたりに、愛人になれとか言うたのではあるまいな」


「冗談はやめてくださいよ。大橋さんがまさか」


「キヒヒ。むろん軽口じゃ、許せ。……しかし本当に、なにがあったんじゃろうのう?」


 藤吉郎さんは首をかしげる。

 俺も、内心、怪訝に思っていた。

 今夜にでも、少し尋ねてみようか。

 いやしかし、デリケートな話題だったら……ううん、でもなあ。


 と、そんなことを考えていたそのときだ。


「御大将!」


 と、突然、自称・聖徳太子が叫んだ。

 なんだと思って顔を上げると、眼前に、数人の男たちが登場している。

 手には、クワやスキを持っている。顔は、渋面だった。友好的な空気ではない。


「誰だ、お前ら」


 俺は尋ねた。

 が、返事はない。

 物取りか。あるいは野盗の類か?


 俺はそっと、懐中にあるリボルバーに手を伸ばした。

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