第9話 甲相駿三国同盟

「今川領に潜入、ですか」


「そうじゃ。……ときに弥五郎。今川義元いまがわよしもとを知っておるか?」


「もちろん」


 尾張の東側に位置する、三河国、遠江国、駿河国を支配しているのが、今川家だ。

 その今川家の領主が、今川義元。東海一の弓取りと称される、極めて優秀な大名である。

 そして今川家と織田家は、隣国同士の常というか、信長の父である織田信秀の代からずっと仲が悪く、争いを続けている。


「では、その今川家が、甲斐の武田家や相模の北条家と同盟をしたことも知っておるかの?」


「……知っております」


 いわゆる甲相駿三国同盟こうそうすんさんごくどうめいだ。

 駿河の今川義元。甲斐の武田信玄。相模の北条氏康。

 いずれもこの時代を代表する戦国大名だが、彼らはこの時期、三国同盟を結んで手を取り合った。武田家は北へ、北条家は東へ、今川家は西へ、それぞれ進軍するために、背後の憂いを無くそうと同盟を結んだのだ。


「さすが弥五郎、物知りなことよ。殿は、その同盟のことが気がかりなのじゃ」


「でしょうね。このままいけば、今川はいよいよ本気で、尾張に攻めてくるでしょうから」


 今川家は、北にある武田家、東にある北条家と同盟を結んだ。

 南は海である。ということは、進むのは西だ。西とはすなわち尾張だ。

 今川義元は甲相駿三国同盟を結んで、背後の憂いを無くしてから、西の尾張へ進軍しようというハラなのだろう。子供でも分かる筋書きだ。


「ゆえに我が殿は、今川家の情勢を、より深く知りたいと思っておられる」


「なるほど。それで藤吉郎さんは、今川領へ侵入し、情勢を探るお役目をいただいた、と」


「そういうことじゃ。わしゃ、百姓のせがれで顔が侍らしくないからの。このツラならば、織田家の間者とは思われんじゃろう」


 藤吉郎さんは、ニッと笑って、自分の顔を指さした。

 確かに藤吉郎さんのサル顔は、猛将や忍びの類には見えない。

 むろん顔だけが理由じゃないだろう。織田信長は、藤吉郎さんの能力を見込んだ上で仕事を与えたに違いない。


「そういうわけで、わしは今川領へゆく。三河、遠江、駿河……。今川治部大輔いまがわじぶのだゆうが支配する国々を巡り、情報を得る。……じゃが、わしひとりではさすがに心もとない。汝がいっしょに来てくれたら、心強いんじゃ。どうじゃ、今回もわしを助けてくれんか?」


「もちろんです。行きますよ」


 俺は、うなずいた。


「個人的にも、今川家の動きは知りたいですからね。いっしょに行きましょう」


「さすがは弥五郎。よう言うてくれた。汝ァ、天下一の相棒じゃ」


「目指すは天下の大商人、ですからね」


 俺は、ニヤリと笑った。

 笑いつつ――続ける。


「それで藤吉郎さん。今川領に行くにせよ、ただフラリと行くだけじゃダメでしょう」


「それはそうじゃ。それなりに準備も必要となるし……」


「どうでしょう、商人のフリをして今川領に潜入するのは。……いや、俺の場合はフリじゃなくて本当に商人なんですが」


 つまり、俺と藤吉郎さん、それに神砲衆から仲間を少し引き連れて、合計数人のチームとなり、旅の商人として今川領へ入っていこうというのである。


「ついでながら、ここで少しでも銭を稼げば、のちのち熱田の銭巫女に対抗するための資金にもなります」


 俺は、熱田の銭巫女についての情報を藤吉郎さんに伝えながら、そう言った。

 藤吉郎さんは銭巫女の情報を聞き、さらに何度も何度もうなずき、


「そういうことか。……なるほど、面白いの。今川家の情報を調べつつ、商いをやって金も儲けるか」


「一石二鳥ってわけですよ」


「……イッセキ、ニチョウ?」


 藤吉郎さんは、怪訝顔を見せる。

 おっと、一石二鳥ってのはイギリスのことわざで、この時代の日本にはなかったな。


「間違えました。つまり、一挙両得ってわけです」


「そういうことか。……うむ、確かにそうじゃの。商人をやりつつ情勢調査。面白い。じつに面白い。それでいこう、弥五郎。決まりじゃ!」


 藤吉郎さんは、ぱちんと手を叩いた。

 これで次の方針は決定だな。今川領へ商いにゆく!


「――ところで方針が決まったはいいですが、さて、どんな商いをやりますかね?」


 俺は、腕を組んだ。


「今川領といえば、まず三河……。三河で売れるものといえば……」


「それじゃがな、弥五郎。わしゃひとつ、案がある」


「うかがいましょう」


「木綿針はどうじゃ。三河は木綿の産地。美濃の針を仕入れていけば、きっと売れる。儲かるぞ!」




「木綿針やったら、津島、熱田、清洲、加納……どこでも売りよるけど、一番安いのは、加納やねえ。美濃の関鍛冶がすぐ近くにあるっちゃけん」


 カンナに相談したところ、そんな助言が返ってきたので。

 俺と藤吉郎さんは、美濃の加納へとやってきた。

 伊与とカンナ、さらに前田さんと小六さんまでいっしょだ。


「ずいぶん、大所帯だな」


「当たり前だ。また前みたいに襲われたらどうする」


 俺の独言に、伊与が答えた。


「銭巫女の手先は、どこに潜んでいるか分からないんだぞ。この人数でも少ないくらいだ」


「そういうこったぜ、弥五郎。気をつけるに越したことはねえさ」


 と、こう言ったのは槍をかついだ前田さんだ。


「おめえも、もう昔の山田弥五郎じゃねえ。津島の神砲衆の大将なんだ。おめえひとりの命じゃないってことだけは、よっく心得ておくこったな。……今回の今川領行きにゃ、別のお役目があるから、オレっちはついていけそうにねえが……。無事に帰ってこいよ」


「もちろんです。こんなところで死ぬつもりはありませんよ。伊与たちのためにも――」


 と、俺は言った。


「伊与たちのためにも、自分のためにも。必ず仕事を成し遂げて、生きて戻ってくるつもりです」


「……ああ、その意気だ」


 前田さんは、小さくうなずいた。


「おう、猿よ。あそこに木綿針売りがおるぞ」


 そのとき小六さんが、市場の片隅を指さした。

 確かに、中年の男性が地べたの上にむしろを敷き、針を並べて売っている。

 客がいないせいか、なんだか退屈そうだ。アクビまでしているし。

 だが、それでも針売りは針売りだ。

 俺たちは、男性の前に移動して、声をかける。


「いらっしゃい。……おう、こりゃお若いお客さんで」


 男は、俺たちの姿を見て、あからさまにやる気をなくした。

 俺と藤吉郎さんが、若僧なので、たくさん針を買いそうにないと思ったのだろう。

 どうにも、全体的にやる気のない商人である。


「針売り。ちと、尋ねるが」


 藤吉郎さんが、言った。


「針は1本で、いくらになるかの?」


「18文ってとこだね。買う? お買いになさる?」


 針売りは、やる気なさげにこちらを見てくる。

 俺は、チラリとカンナを見た。18文という売値は妥当か、と聞いたのだ。

 彼女は小さくうなずいた。問題なし、というわけだ。


「じゃあ、買います」


 と、俺は言った。

 すると、針売りはへらっと笑う。


「へい、お買い上げありがとうございます。何本、ご入用で……? 1本? 2本?」


「あるだけください」


「……へっ?」


「いや、ですから」


 俺は、満面の笑みで言った。


「おたくの在庫分、全部買いますんで。何本あります? 100本? 200本?」




 ――そういうわけで。

 1本18文の木綿針150本をここで購入した。

 さらに俺たちは、加納市場を駆け巡り、他の針屋から、1本19文の木綿針を250本。1本20文の木綿針を300本、購入した。



《山田弥五郎俊明 銭 1986貫550文》

<最終目標  30000貫を貯めて、銭巫女を倒す>

<直近目標  今川領に潜入し、情勢を探る>

商品  ・火縄銃    1

     ・木綿針  700



「とりあえずは、こんなもんかな」


「だが弥五郎。この木綿針、売れなかったらどうするのだ?」


「そんときゃ、加納市場でまた売りさばいたらええやん。似たような価格で売れるけん、大出血にはならんやろ」


「なあに、売れる売れる。三河の針の需要はすごいんじゃ。ぜったいに売れるわい!」


 加納から津島に向けて移動する間、そんな言葉を交わし合う俺たち。

 背負った唐びつの中で、木綿針がしゃりしゃり音をたてていた。

 それにしても、藤吉郎さんが唐びつを背負っている姿はよく似合っている。


「その姿なら、織田家の足軽組頭だとは誰も思いませんよ」


「そうか? うふ。……いや待て、そりゃ褒め言葉か、弥五郎?」


「褒めてる褒めてる。なかなかそこまで商人っぽくなれる輩はそうはいねえって」


「又左には聞いておらんで!」


 カラカラと笑う前田さんに、噛みつく藤吉郎さん。

 藤吉郎さんはいつの間にか、前田さんを相手にタメ口きくようになっていた。

 それだけ仲良くなったってことか。まあ、藤吉郎さんも、もう小者じゃないからな。


「ま、しかし」


 と、藤吉郎さんは言った。


「そこまで商人に見えるのなら、今回の仕事はうまくいきそうじゃの」


「きっといきますよ、藤吉郎さん」


「おう。……やり遂げるぞ。今川領潜入調査!」


「はい!」


 こうして俺と藤吉郎さんは、今川領に潜入する準備を整えたのである。

 まずは尾張の東にある隣国、三河へ向かおう!

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