第56話 信長公記と歴史の行く末

 やがて、伊与は眠り始めた。

 やはり、まだ疲れているんだろう。

 俺は黙って、伊与の部屋を出る――すると、


「わっ!」


 カンナが、部屋の外にいた。


「な、なにやってんだ、こんなところで」


「え、いや、その。えへへ」


「……笑ってごまかすな」


「つまり、その。なんか気になって。ほら、まだあたし、あの子と話、してないし」


「そりゃまあ、伊与はずっと寝込んでたからな。……てか、なにが気になるんだよ」


「だ、だって、だって。……同じ村の幼馴染のこと、話は聞いとったけどさ……」


 カンナは、そっと部屋の中を覗きこむ。

 伊与は、寝具の上で静かに寝息を立てていた。


「……弥五郎の幼馴染が、あんなに綺麗な子とは思わんかったし。……すっごい可愛い子よね」


 カンナは、なぜかちょっと複雑そうな顔をしている。

 伊与は確かに可愛いほうだが……。


 しかし伊与の容姿とカンナに、なんの関係が?

 俺はわずかに肩をすくめた。


「とにかく伊与は俺と同じで、もう帰るところがないんだ。これからはいっしょに過ごすつもりだけど、いいかな?」


「え、それはそうやろ! 当たり前やん!」


 カンナは、ハッキリとした声で言った。


「もうあの子には弥五郎しかおらんっちゃけん、絶対にいっしょにおってやらんといかんよ?」


 語気を強めて、告げる彼女に、俺は――


「……カンナ」


「な、なあん?」


「お前って、ほんと、いいやつだよな」


「え? え、え、え? そう?」


「うん、そうだよ。……ありがとう」


 俺は、心から言った。


「そう言ってくれて助かる。……俺、カンナと仲間になれてよかったよ」


「や、やけんどうして真顔でそういうこと言うとって! は、恥ずかしいやん、もう! ……好かーん!」


 彼女は真っ赤になって、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 とっとっと。小走りで、部屋の前から逃げてしまう。

 サラサラと金髪が流れた。……俺は、微笑を浮かべてその後ろ姿を見送った。




 さてそれから俺は、リボルバー10を持って大橋さんの部屋へと向かった。

 いろいろあって、津島衆に渡すのを忘れていたものだ。渡さないと。


 大橋さんの部屋にいくと、


「おお、弥五郎少年。ちょうどいいところに。いま、藤吉と前田どのが来ておるぞ」


 という、大橋さんの言葉通り、室内には藤吉郎さんと前田さんが言った。

 ふたりは「おう」「よっ」と俺に笑みを向けてくれた。


 と、いうわけで俺、藤吉郎さん、前田さん、大橋さんの4人が揃う。

 俺はリボルバー10を差し出した。

 大橋さんは、それを見て満足げにうなずいた。


「確かに受け取った。ではこれを2250貫で買おう」



《山田弥五郎俊明 銭 3323貫56文》


<最終目標  5000貫を貯める>


商品  ・火縄銃    1

    ・炭      4



「ふうん、これが藤吉郎の言っていたリボルバーか。なかなか傾かぶいてるじゃねえの」


「よかったら、前田さんの分も作りますけど」


「冗談じゃねえよ。オレっちは槍で充分だ。槍一本で、百万石の殿様にだってなってみせるぜ」


 前田さんは、冗談っぽくカラカラと笑った。

 ……これが冗談でなくなるから怖い。


 前田利家。この時点では、尾張荒子城を縄張りとする土豪・前田家の息子でしかない。だが彼はのちに豊臣政権五大老のひとりとなり、加賀国を中心とする領地を大量に有する大名となる。俗に言う『加賀百万石』だ。

 それほどにまで出世する前田利家だが、若いころは傾奇者、すなわちヤンキーとして有名だった男でもある。……実際、いま目の前にいる前田利家は総髪の頭を油でベトベトに固めていて、なんかやたら不良っぽい。


「そういや、あの伊与って娘、どうしたよ? てめえが連れて帰ったんだろ?」


「いまは奥の部屋で眠っていますよ。だいぶん疲れていたようで」


「そういえば、弥五郎少年。あの娘、どうも清州では、死んだことになっておるようじゃぞ」


「えっ、どうしてですか?」


「なにせあの乱戦じゃったからのう。それで戦が終われば城に戻ってきておらんのだ。死んだと思われても仕方があるまい」


「よほど身分が高くない限り、戦場で行方不明になったら戦死扱い。城から居場所がなくなっている。よくある話だぁな」


「まして伊与は、雇われだったようじゃしのう」


 大橋さんたちは、それぞれの感想を口にする。俺は黙っていた。

 とはいえ、さっき伊与と話をしていたとき、俺はある程度この展開を予測していた。

 なぜなら、伊与は――歴史書に、その名が登場しているからだ。


『信長公記』。

 戦国時代の史料のひとつとして名高いその文献。

 その中の『深田・松葉両城取り合い』という項目の中に、こんな一文があるのだ。


 堤伊与。

 清州城に仕える武士だが、織田信長と坂井大膳の争いの中で討ち死に。


 ――その堤伊与が俺の幼馴染の伊与と同一人物とは限らない。

 しかし偶然にしては、できすぎている。


 ……俺は考える。

 藤吉郎さんの苗字の件。

 俺が連装銃で介入しなければ、あるいは織田家が負けていたかもしれない赤塚の戦い。

 さらに今回の伊与の一件……。


 俺は大樹村の誓いからこっち、もはや歴史が変わっても構わない、目の前にいる大切な人たちを守りたいという気持ちで動いてきた。しかし、その結果はなぜか、むしろ史実通りになっている。

 となると、ひとつの推測が成り立つ。……俺の転生は計算外のことではなく、むしろ歴史の内だったんじゃないか? だとしたら今後の歴史は、俺が動けば史実通りになり、逆に動かなければ史実通りにならないんじゃないか?


 ……しかし、炭団だの連装銃だのリボルバーだの、未来の武器や道具を開発してしまっているのも事実なんだ。これで史実通りといってもな。

 どこまでが歴史の内で、どこまでがそうじゃないんだろう?

 分からない。なにもかもまだ、分からない……。


「弥五郎よ、今後、伊与は、汝が面倒を見たらええ」


 思案にふけっていると、藤吉郎さんが言った。


「ええ、元よりそのつもりでした」


「うん、ならばよかった。……それにしても弥五郎、ついに再会できたのう。よかったのう!」


 うん、それについては本当によかった。伊与は、二度と離さない。

 藤吉郎さんはニコニコ笑って――かと思うと、急にヒヒヒと下品な声を出し始めた。


「しかし今日から汝ら、ひとつ屋根の下で住むんじゃのう。ええのう、ええのう。まあ汝らは、もともと夫婦みたいなもんじゃったからのう。なんら問題はあるまい!」


「いや、夫婦って! 俺たちはただの幼馴染で――」


「おっ、なんだなんだ。ひょっとして色恋話か? 聞かせろよ、オイ!」


 前田さんが、俺の肩を抱いてくる。

 太い腕から、ほんのりと花の香りがした。

 香り水でもつけているんだろうか。さすが傾奇者だ――って、そうじゃなくて!


「ほ、ほ、ほ。若い者はええのう。……ところで藤吉。それに又左。我が屋敷になんの用じゃ? まさか色恋話のためだけに、ここまでわざわざ来たわけじゃなかろう」


「おう、そうだったそうだった。……実は山田弥五郎よ。願いあげたい儀がござる」


 前田さんは、ふいに真面目な顔になり、声の調子まで変えた。


「見たこともない槍か銃を500、用意できないものだろうか?」


「槍か銃を500? なんでまた」


 俺が尋ねると、前田さんは「こういうことなんだ」と前置きして話を始める。


「我が殿――織田三郎さまと、隣国美濃の主、斎藤山城守(斎藤道三)さまが、義理の父子関係であることは知っているな?」


「ええ。斎藤山城守さまの娘――濃姫さまが、三郎さまの奥様なんですよね?」


 有名な話である。

 俺の相槌に満足したのか、前田さんはうなずいて、


「だが、三郎さまと山城守さまはまだ実際にお会いしたことがない。戦国の世だからな。義理の親子とはいえそれは当然なのだが――しかし今度、このおふたりが顔合わせをすることになった」


「なんですって……」


 織田信長と斎藤道三の会見。これも有名な話だ。

 って、ちょっと待てよ。前田さんが槍か銃を用意しろと言ったのは、まさか――


「その会見のときに我が殿は、新しい槍か銃を持っていきたいとおおせなのだ」

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