第31話 相国寺余波

「滝川久助。津島にいるという噂は、本当だったか」


「た、滝川さん。どちら様ですか、このひとは」


「……和田伝右衛門。近江国(滋賀県)甲賀の豪族だ」


「お初にお目にかかる。自分は和田伝右衛門惟政と申す」


 和田伝右衛門惟政は、馬鹿丁寧にお辞儀をした。

 どうも、実直な性格らしい。

 俺とカンナも慌てて頭を下げるが――

 しかし俺は内心、驚いていた。


 和田惟政だって?

 この時期は確かに、まだ近江国甲賀の豪族だ。

 だけど、のちに室町幕府と繋がりができて、幕府の奉行衆になる人じゃないか!?

 そんな人が、なんで滝川さんと知り合いで、しかもこの津島にいるんだ?


 和田惟政は、俺とカンナへのあいさつもそこそこに、滝川さんに食らいつく。


「久助。お前ともあろう者が、なぜこんなところで遊んでいる」


「……なんだっていいじゃねえかよ。それよりお前こそ、どうして津島なんぞに来た」


「久助がいるという噂を聞いて、やってきたのだ」


「オレがいると聞いて……? オレが目的なのか?」


「そうだ。久助、お前の助けが要る。いま、甲賀の里は危機なのだ」


「なに?」


「敵に囲まれ、まさに敗亡しようとしている」


「……どういうことだ?」


 滝川さんは片眉を上げる。

 和田惟政は、説明を開始した。


「ことしの夏、京の相国寺で戦いが起きた。三好長慶の軍勢と、公方様(足利義輝)の軍勢が衝突したのだ」


 ……相国寺の戦いか。

 その話を聞いて、俺はピンときた。


 この時期、京の都を事実上、制圧しているのは、三好長慶という戦国大名だ。

 本来、京の主であるべき室町幕府の第13代将軍、足利義輝あしかがよしてるは、実質的な力がなく、京都を奪回できないでいる。


 それを不満に思った足利義輝は、部下の細川晴元ほそかわはるもとと共に、何度も三好長慶を打ち倒そうと試みる。

 その過程で発生したのが、1551年7月に京都で起きた相国寺しょうこくじの戦いだ。

 足利義輝派と、三好長慶派の戦い。

 しかし足利派は敗退し、これによって足利義輝の帰京は絶望的となる。

 室町幕府の権威はいよいよ衰退し、天下の行く末が分からなくなっていくのである……。


「……相国寺しょうこくじの戦いの余波は、我が近江の国にも巻き起こっている。すなわち、公方様(足利義輝)は敗北したが、それでもやはり公方様につくべきだという者、現実を見て、三好家と親しくなるべきだという者。派閥は分かれ、争いが始まろうとしている」


 そして、と和田惟政は言った。


「甲賀の里は、合議の結果、あくまでも公方様に忠誠を尽くすべきだと決めたのだが――その結果、三好派の勢力から狙われつつあるのだ」


「…………」


「三好家は、強い。甲賀の里はいま、里にひとりでも多くの戦力が欲しいのだ。……久助、お前が来てくれたら百人力、いや千人力だ。頼む、甲賀に戻ってくれ」


「…………」


 滝川さんは、しばし押し黙っていたが。

 やがて苦虫を嚙み潰したような顔をして、


「いまのオレはただの浪人だ。なんの力もねえよ」


「久助!」


「戦力を増強したいなら、こっちの山田弥五郎に頼んでみな」


「え!?」


 突然、話をふられて、俺は仰天した。

 和田さんは、ちらり。俺のほうを見る。


「山田弥五郎は、見ての通りまだ若い。だが、火薬や鉄砲の扱いに長けている。はっきり言って、その能力はオレより上だ。だから、こいつに頼んでなにか新しい鉄砲だか火器でも作ってもらうんだな。そのほうが、オレが戻るよりよほど戦力になるさ」


 それだけ言うと、滝川さんはきびすを返し、


「伝右衛門。オレなんかに頼るのは、もうやめろ。昔の滝川久助は死んだ」


 それだけ言うと、立ち去ってしまった。

 あとには俺とカンナ、和田惟政さんが残される。


「久助……」


 和田さんの、悲しげなうめきがあたりに響いた。




 10分後。

 俺とカンナと和田さんは、『もちづきや』の中にいた。

 まあ、なにも外で突っ立っている必要はない。

 とりあえず中に入ろうじゃないか、ということだ。



《山田弥五郎俊明 銭 18貫742文》

<最終目標  5000貫を貯める>

 商品  ・火縄銃   1

     ・陶器    3

     ・炭    17

     ・早合    2

     ・小型土鍋  1

     ・米    15



 炭1を、『もちづきや』にプレゼントした。

 場所の使用代と、あとはこの炭を使ってお湯でも沸かしてくれ、と頼んだのだ。


「――久助と自分はな、甲賀でいっしょに忍術の修行をした仲なのだ」


 ぽつりぽつりと、和田さんは話し始めた。


「そうだ。もう何年も前になるかな。甲賀の里にふらりと訪れたあいつは、我が父に必死に頼み込み、忍びとして弟子入りすることになった。ふつうアカの他人が里で修行を積むのは難しいが、あいつの父親と我が父が、旧知の仲であったのが幸いした」


 滝川さんが忍術に詳しかったのは、そういう過去があったからなのか。

 史実でも、滝川一益は甲賀忍者だったという説があるけど。


「だが久助は、ある日突然、甲賀の里を出ていった。――『世話になっておきながら申し訳ない。だが自分はもはや、忍びにはなれない。田舎に戻って田畑を耕したい』などと言い出してな。父も自分も驚き、止めた。久助ほど忍びの才能がある者もいなかったからな。……だがやつは聞かず、甲賀の里を出ていった」


「ねえねえ、あたし忍びのことは詳しくなかけど、里を出て、処罰とかはされんと?」


「伊賀の里は厳しいが、我ら甲賀はそうでもない。来るもの拒まず、去る者追わずの精神でやっている。もちろん勝手に出ていった者は追われるが、正式な手続きを踏んで脱退した者まで追うことはない」


 和田さんは説明した。……そういうものか。

 まあ、忍者のオキテ云々って後世の創作だって言われているしな。

 いわゆる上忍、中忍、下忍みたいなシノビの階層も実際にはなかったらしいし。


「とにかくそうして、久助は甲賀を出ていった。あれほどの男がなぜ忍びをやめてしまったのか、それは分からんが……とにかく惜しいことだ」


「「…………」」


「――ところで」


 和田さんは顔を上げた。


「久助が言っていたが、山田うじ。火薬の扱いに長けているとは、マコトか。マコトならば、久助が言ったように、ぜひ甲賀のために火器を作ってほしいのだが」


「え。……ああ、ええと……まあ、それなりに……」


「それなりでは困る。……見たところ、貴殿はまだ年少だ。申し訳ないが、とても火薬を扱えるとは思えんが――」


「弥五郎が火薬を扱えるのは本当よ、和田さん。……これ、見てみ。こういうのを、弥五郎は作っとるとよ」


 カンナが荷物の中から早合を取り出し、和田さんに見せた。

 そして早合の性能も、カンナが説明する。

 すると和田さんは「ほう……」と目を見開いて、早合を細かく観察し始めた。

 ――さらにそのとき、部屋の中にあかりちゃんが登場し、


「弥五郎お兄さんは、その早合で滝川さまと一緒にイノシシ退治をしたり、比良城の佐々内蔵助さまと商いの取引をしたりしたんですよ」


 と、俺たちに白湯を出しながら笑顔で言った。


「ほほう、比良城の佐々内蔵助か。若いが、鉄砲に達者な人物だと聞いたことがあるぞ」


「佐々さんのことを、ご存知なんですか?」


「耳聡くなければ、甲賀の者は務まらぬゆえな。……いや、しかし山田うじ。この早合といい、佐々内蔵助との繋がりといい、貴殿はすでに実績のある方のようだ。いや、これは自分が失礼であった、申し訳ない」


「あ、いえ……」


 あまりに丁寧にお辞儀されたものだから、俺のほうがかしこまってしまった。

 やっぱりこの人、真面目だよなあ……。


「では山田うじ。改めてお願いする。甲賀の里のために、火薬を使った武器を作ってくれないか」


「武器……」


 佐々さんのときと同じだ。ふたたび、依頼がきた。


「なにを作ればいいのですか? 早合ですか?」


「いや。……我が里には、鉄砲を扱える者がそう多くはない。それなのに早合を仕入れても、意味がない」


「まあ、それはそうです」


「誰でも使える火器があれば、里の戦力増強になる。……どうだろうか。甲賀衆300人が全員使える。そういう火器はないだろうか? それもできれば早急に手に入れたいのだが」


「早急に、ですか。難しいなあ……」


 そう言われて、俺はちょっと考えた。

 誰でも使える火器となると、鉄砲とか、あるいは鉄砲の弾とかじゃダメだ。

 さらに、すぐ作れる、となると。……もういっそ、火薬をそのまま敵にふりかけてタイマツでも放り込んだらどうだ、なんて乱暴な発想が出てきたりするのだが――


 ん? 待てよ。

 火薬をそのまま、ってのはさすがにムチャだが――


「――焙烙玉はいかがですか?」


 と、俺は言った。

 和田さんは、ふむ、と目を見開いた。


「焙烙玉。……名前は聞いたことがあるぞ。確か、瀬戸内海の海賊がよく使っている火器ではないか?」


「さすがは和田さん、ご存知でしたか。その通りです」


 俺は笑顔でうなずいた。


「ねえねえ弥五郎、焙烙玉ってなん?」


「焙烙玉っていうのは、陶器の中に火薬を詰め、そこから導火線を伸ばしたものだよ。線に火をつけて、敵に向かって投げつける。そうすれば――陶器は爆裂し、敵兵に痛手を与えることができるってわけさ」


「左様、そう聞いている。……なるほど、焙烙玉か。それならば確かに、鉄砲よりは扱いが楽だ。火をつけて投げる。誰でも使えるな」


「手ぬぐいに包んで、ブンブンと振り回しながら投げるといいですよ。投石と同じ要領です」


「なるほど、なるほど。……これはいい! 焙烙玉、ぜひ作っていただきたいな。……しかしそんなもの、本当に作れるのか?」


「作れます。材料さえ集めれば、すぐに」


 俺がそう言うと、和田さんは「頼もしいことだ」と、大きくうなずき、


「その火器が本当に価値のあるものならば、もちろん有料で購入しよう」


 と、言った。


「しかし自分は、まだ焙烙玉の現物を見たこともないのでな。……どうだろうか、山田うじ。まずは試作品をひとつ、作ってみてくれないか。その結果次第で、大量に生産してもらうかどうかを決めよう」


「それはごもっともです。……かしこまりました。では試作品を作りましょう!」


 よし、このチャンスは必ず活かすぞ。

 焙烙玉を作って儲けるんだ。……それにしても、加工貿易ルートはやはりイケるな。このペースでどんどん稼ぎたい。


「しかし……やはり久助。あいつが戻ってきてくれたら……」


 最後に和田さんは、ぽつりと言った。

 ……ううん、滝川さんには、いったいなにがあったんだろう。

 どうにもそれだけが気がかりだ。

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