第23話 尾州錯乱(と、その余波)

 あたりはいよいよ薄暗い。

 夕方の津島の町。

 その外れにて。


「ウイッ、ウイッ、ウイッ! ウイッ、ウイッ、ウイーッ!」


 俺と同様、戦国時代に転生したフランス人――

 ではなく、ただの酔っ払いである滝川一益が目の前にいる。

 赤ら顔で、酒臭い息をあたりにまき散らしながら。


 かと思うと。


 ――くわっ!


「「ッ!?」」


 滝川一益は、俺とカンナを睨みつけてきた!

 な、なんだなんだ。思わず身構える俺たち――


「おげえええええげろげろげろげろげろ」


「うわっ!」


「ちょっ……!」


 滝川一益は突然、その場でゲロり始めた。

 ……なにかと思えば、吐きたくなっただけか。

 び、びっくりした。

 いや、目の前で吐かれまくるのもそれはそれで驚いてるけど。


「あ、あの……」


 あかりちゃん、と呼ばれていた子がやってきた。


「もしかして、『もちづきや』にいらっしゃったお客様ですか?」


「あ、うん。……そうだけど」


「やっぱりそうでしたか! いらっしゃいませ。『もちづきや』へようこ「げろげろげろげろげろ!!」


 あかりちゃんの歓迎のあいさつは、滝川一益のリバースによってかき消えた。


「……なんていうか、すみません」


「……あ、いや……。……大変だね……」


 あかりちゃんが、滝川一益に代わって俺たちに謝ってくる。

 近くで見ると、吸い込まれそうな綺麗な目をした、可愛らしい女の子だった。


「その、こちらのひとは滝川久助さまといいまして。悪いひとじゃないんですよ。ただちょっと、お酒を飲みすぎるだけで」


「げろげろげろげろ。……ち、ちくしょう、不覚だ。オレとしたことが、こんな――げろげろげろげろ!」


「ああ……もう、こんなに吐いて。お水、持ってきましょうか?」


「い、いや、いい。……げろげろげろげろ!」


 ゲロインならぬゲロ武将と化してしまっている滝川一益。


 あかりちゃんは、心配そうに滝川一益を見つめながら、しかし小さくため息をついた。


「――もう、滝川さま。あしたのイノシシ退治の件、どうされるんですか?」


「んぐ。うっぷ。そ、それは――」


「このままじゃ、とても行けませんよね?」


「そ、そんなことは。こ、この滝川久助、引き受けた仕事は必ず、げ、げろげろげろげろ!」


「「…………」」


 俺とカンナはその様子を半ば呆れ気味に見ていたが――

 やがて俺は、あかりちゃんに声をかけた。


「イノシシ退治って、なんだい?」


「あ、はい。……北のほうに、わたしの親戚が住んでいる村、海老原村っていう村があるんですけど。最近、そこに気性の荒いイノシシが出て、田畑を荒らしているんです。それを滝川さまが退治するっていうお話になっていたんですよ」


「なるほど」


「だけど、この様子じゃ無理そうですね」


「そ、そんなことはない!」


 滝川一益は声をあげた。


「お、オレは、オレはやるぞ。断固としてやるぞ。米1俵と銭1貫がかかっているんだ!」


「米1俵と」


「銭1貫……」


 俺とカンナは顔を見合わせた。


「そういう約束だったんですけどね。イノシシを退治したら、村がそれだけの報酬を出すって。でも――」


「げ、げろ。……げろげろげろげーろ!」


 ……無理そうだな。

 なんでイノシシ退治の仕事の前日に飲んじゃうかなあ。

 まあ、酒好きってそういうもんだろうけど。


 ――それにしても、米1俵と銭1貫か。

 俺はカンナをちらりと見た。彼女も俺に、綺麗な顔を近付けてくる。

 俺たちは、ひそひそ声を交わし合った。


(銭1貫と米1俵か。欲しいな)


(それも欲しいし、ここで少しでも名を上げれば先の商売に繋がるかもしれんよ?)


(先の商売って……)


(アンタ、武器とか作るの得意なんやろ? ここでアンタが鉄砲なり新しい武器なりでイノシシを退治して有名になってさ、そこからはイノシシ退治の武器とか罠でも作って売りさばけば、儲かるかもしれんばい?)


(イノシシ退治の武器とか罠、か。それがちゃんと効果のあるものなら、確かに需要はあるだろうし、売れるかも――)


 と、話していて、ふと気付く。


「あかりちゃん。……あ、ええと、あかりちゃん、でいいかな?」


「あ、はい。呼び方はご自由にどうぞ」


「ありがとう。……あのさ、あかりちゃん。イノシシって、その村の人たちは自分たちで退治しないのかな?」


 戦国時代の村人なら、弓なり槍なりで武装していると思うんだけど。

 そう言うと、あかりちゃんはちょっと困ったみたいに言った。


「もちろん、村の人たちも退治しようとしたそうですが……。なにせいま、海老原村には若い人がいないから、やっぱり難儀しているそうで」


「若い人がいない? なんで?」


「だって、近ごろ、尾張は激しい内乱続きじゃないですか。若い人はどんどんいくさに出て、そのまま行方知れずになったり、亡くなってしまうことが多くて。……海老原村は特にそれが多いんです」


 尾張が内乱……。

 ――そうか、そうだったな。

 1551年冬の尾張の情勢を、改めて思い出す。


 そもそも、この時期の尾張を実質的に支配していた戦国武将は誰か。

 それは織田弾正忠信秀という。織田信長の父親だ。

『尾張の虎』と称されるほどの人物で、この人が出てきて、乱世の尾張国はまとまり始める。


 しかし。


 織田信秀はいまから数年前。

 すなわち1540年代後半から、いくさでの敗北が増え、さらに病気がちになった。

 そのため、織田弾正忠家は尾張における求心力と統率力を失ってしまう。


 尾張国はリーダーを失った。そうなると、誰も彼もがおのれの欲を満たそうと行動を始める。

 武家勢力、寺社勢力、商人、野盗。ありとあらゆる勢力が、少しでも金や土地を手に入れようと、尾張国内を暴れ回り始めた。その有様は、「尾州錯乱(『定光寺年代記』)」と称されたほどだ。


 日本全国が乱れまくっている戦国時代。

 だがその中でも、この時期の尾張は特に荒れているのだ。

 いまにして思えばあのシガル衆も、尾張がそういう状況だから好き勝手暴れているんだろう。


 もし織田信秀が健在なら。

 尾張国内がもう少しシャキッとしていれば。

 シガル衆のような野盗集団は暴れ回らず。

 海老原村にも若者が、もっといたに違いない。


「海老原村に若い人がいない理由は分かったよ。そういうことなら、困ってるだろうな」


 俺はうなずきながら言った。

 それからカンナと視線を交差させ、お互いにこくりとうなずくと、


「どうだろう、あかりちゃん。そのイノシシ退治、俺たちがやろうか?」


「え。お兄さんが、ですか?」


「うん。……滝川さんがやるのなら、それが一番いいんだろうけど。どう見ても無理そうだし」


「そ、そうですね。……でも、お兄さんがですか……?」


 あかりちゃんは、困惑気味に俺を見てくる。

 自分とほぼ同世代の少年が、イノシシを倒せるのか?

 そういう疑問があるんだろう。

 俺は、装備していた鉄砲を彼女に見せた。


「こう見えても、いちおう鉄砲は使えるんだ。ぜひ任せてくれな――」


 その瞬間だ。


 ――ヒュンッ!


 俺の眉間のすぐ先を、『なにか』がかすめた。

 その『なにか』はそのまま、俺のすぐ横にあった『もちづきや』の壁に突きささる。


 ……え? なに?


 思わず、壁のほうを見る。

 その『なにか』は、棒手裏剣だった。

 先端が見事に尖っている、エンピツのような鉄の投擲武器。

 もし突き刺さったら、怪我はもちろん、当たりどころによっては死亡も免れない。

 な、なんでこんなもんが、いきなり飛んできて――


「ヒック」


 棒手裏剣が飛んできたほうを見ると、滝川一益が構えていた。

 そして彼は、俺をぎろりと睨んでいたのだ。


「イノシシ退治はオレが引き受けた仕事だ。てめえ、なにオレの仕事を横取りしようとしてやがる。……ヒック。……金1貫と米1俵は、譲れねえよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る