ブロックスの24

 その姿は、前回みた悪魔とはまるで違った。まず巨体ではない。

 何ならリュージよりも小さいだろう、百七十にぎりぎり届かないヴィートと同じくらいだ。

 その姿を一言で表現するならば蝿だ。

 背中から半透明の翅を生やし、二本の腕とは別に脇腹から四本の腕が生えている、掌と呼べる部位はなく、腕の先は鋭いカギヅメ状になっていた。



 最も特徴的なのはその顔、毛のようなものは何もなく、白くて薄汚れた円形の頭部に、目と口と思わしき穴が三つだけ空いている。

 さらにその全てから吐き気を催す臭いの液体が滴っていた。



 姿も形も、違うが、見た瞬間に分かる。

 命を冒涜するためだけに作られたフォルム、紛うことない、悪魔の姿だ。

 たった三週間前の激闘を思い出して、リュージは体を固くした。場にいる人間はすべて固まって声を発することもできない様子だ――例外は二人。



「ほわああああああああああああああ!? なにあれなにあれなんですかあれえええええ!?」

「……そりゃ太りすぎだって言ったけど、あまり健康的なダイエットには見えないわよマルチャーノ?」



 ヴィートは半狂乱状態なだけ、ラフィは顔が引き攣っているところを見るに、虚勢を張っているだけ――。

 だがこの状況で声を上げられるだけ上等だ。とにかくあれは自分の相手だ。リュージは全員に下がっているように言い聞かせようとしたが――。



 それよりも先に飛び出した影があった。グイドだ。

 この状況で戦うだけの精神力には、素直に脱帽させられる。

 グイドは呆けている他の騎士たちを、大声で怒鳴りつけた。



「馬鹿野郎!なにぼさっとしてんだ!」

「グ、グイド……だって、あれ、化け物……」

「それが何だってんだ!! たかだか蠅に負けるほど、落ちぶれちゃいねえだろ!? 俺が行くから援護しろ!」



 グイドは騎士たちに罵倒に近い叱咤を与えると、蝿悪魔に斬りかかった――だけではない、切りかかるタイミングで地面が隆起して蝿悪魔を下から狙う。

 上下からの同時攻撃に対して、蠅悪魔は

 もちろん滑っているのではない、よく見れば蠅悪魔の足は地面に接していなかった。

 地面を滑っていると錯覚する程の、低空高速飛行――。

 グイドは怒りに顔をゆがめて悪魔に追いすがろうと加速する。



 蝿悪魔は追撃をかわすように、背中の翅をこすり合わせるとそのまま空へ飛びあがった。

 すかさずグイドは土の塊を砲弾代わりに飛ばすが、蠅悪魔はアクロバティックな動きで、砲弾を尽く躱していった。

 付近の騎士たちは、それを見てようやく我に返ったのか、宙を舞う悪魔に向かって各々の得意な魔法を放つ。



「撃て、撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃てぇ!」



 火が、水が、風が、土が、宙を舞う蝿悪魔を地に落とすために次々放たれるが、醜い見た目に反して蝿悪魔の動きは華麗だった。

 最小限の動きで、全ての魔法をかわす。

 が、雨が逆流したように打ちあがる魔法を避けきることはできなかった。風の刃を回避した直後の悪魔に、火炎の球が容赦なく迫る。



次の瞬間、悪魔は一本のカギヅメを振り上げると――



「え……?」



 それを放った騎士が、気の抜けたような声を漏らす。

 炎を斬るという意味不明の現象を見せられて、意味が分からないとばかりに呆然としている。

 悪魔はそんな騎士たちを見て、これ以上ないほど嫌らしく口元を歪めた。

 その直後、突然悪魔の顔が歪に膨らんだかと思うと、滴らせていた液体を、目から口から大量に撒き散らす。

 それは魔法を打ちこむために立ち止まっていた騎士たちの顔に、腕に、体に――雨のように降りかかった。



「う、わ……!?」

「ぼさっとするな!」



 呆然と液体を見上げていたヴィートをリュージが突き飛ばして、自らも転がる。

 地面に直撃した液体は、ぶすぶすと音を立てて地面を溶かしていた。

 さっきまで立っていた地面の有様に、ヴィートは顔を青くして震えを激しくする。



 ――もしリュージさんが突き飛ばしてくれなかったら。


現に避けることができなかった者は悲惨だった。


「ぐああ!熱いいいいいい!」



 顔に液体を浴びた青年は、耐え切れない熱さを取り払おうと、顔を擦った――擦ってしまった。




 ずるり、と擦ったところの皮膚が簡単に剥けた。




 剥けたなんて生易しい表現が当てはまらない。

 手のひらにこびりついた自分の顔の皮膚を見て、まず最初に抑えきれない悍ましさを、吐き気を、そしてようやくやってきた激痛に、青年は絶叫し、のたうち回る

 他の騎士たちもほとんどが蝿悪魔の液体を浴びてしまったようだ。

 あるものは腕を、あるものは足を、押さえてはさらに傷を広げ、最後には押えることすらできず、耐え切れぬ灼熱と激痛にもがき苦しんでいる。



「くそっ!ラフィ!」

「分かってる! さっさと連れてきて!」



 リュージは近くに転がっている騎士たちを、ラフィは遠くで倒れている騎士たちを、それぞれ肉体を魔法を駆使して、一か所に集めていく。

 集めた傍からラフィが治療を開始するが、傷が塞がるのが遅い。

 十二人もいるからか――いや、それだけではなさそうだ。



「この液体、皮膚と肉の接合部をピンポイントで腐らせて――って何これ!? 腐食が広がってく!? これじゃ解毒と洗浄と皮膚の再生を同時に進めないと意味がないわ!」

「ええと、つまりなんだ!」

「戦いは一切手伝えないからよろしくってこと!」

「端からそのつもりだ!」



 一人になってしまったグイドは、剣と魔法だけで蝿悪魔と戦いを繰り広げている。

 リュージはネクタイと腕時計を外し、上着を脱ぎすてると、小さく呼吸を整えて、覚悟を決めるように拳をに握った。

 そうして、未だ震えているだけのヴィートに、担いでいたケースを渡す。



「これ持ってろ」

「……僕は、これを使う気なんてないですよ」



 ヴィートは恐怖に支配されながらも、それだけははっきりと口にした。

 まだ狂ってない証拠だ。リュージは安心する。場違いにも安堵感を抱いた。

 リュージはケースから剣を取り出すと、ヴィートに差しだす。ヴィートはそれから顔を背けて、首を左右に振った。



「だから嫌だって言ってるじゃないですか!」

「持つだけでいい」



 リュージの有無を言わせぬ真剣な声音に、ヴィートは渋々柄を握って、剣を自らの手に持った。

 ヴィートは普段剣を持つことに慣れていない。

 だから持っただけでどんな剣か分かるなんてことは絶対にない、それでもこの剣をもった瞬間に違和感を覚えないほど鈍感でもなかった。



「――この剣、なんか、変じゃないですか?」

「その気になったら抜いてみろ」

「……それは」

「なあヴィート」

「は、はい!」

「お前のお父さんがお前を尊敬してたってやつ、あれ、嘘じゃないと思うぞ――少なくとも、お前に自分らしく生きてほしいって、親父さんはそう思ってたんだ」

「どういう、意味ですか?」

「――さあな、自分で確かめろ」



 リュージは戦場に向かった。

 人生二度目の人外との戦闘、こんな短期間でこなしたいとは、絶対に思わない。

 それでも、それが自分のやることだと今は確信してるから、リュージは固く拳を握った。





※   ※   ※   ※






 グイドは焦っていた。

 魔法だって肉体の活動の一種だ。使い続ければ疲労がたまるし、限界を超えれば動くことさえできなくなる。

 援護がなくなってしまた今、グイドは限界をこえたペースで魔法を使い続けなければならなかった。



「当たれ当たれ、当たれってんだよ!」

「あたりま、せぇん!」



 遮二無二魔法を使い、当たらなくて苛立ち、苛立つことによってさらに命中率が下がる、最悪の悪循環が出来上がっていた。

 そうこうしているうちに、鋭利なカギヅメが背中を襲う。

 


「どうしましたぁ? 止まって見えますよぉ?」

「ぐぅう! ふざけやがって、蝿野郎がああ!」




 怒りを原動力に体を動かそうとするも、限界だった。

 片膝をついて動けなくなるグイド、すると頭上から声が聞こえた。



「ブロックスの騎士もたいしたことありませんねぇ、拍子抜けだなぁ、いっそのこと今後の邪魔にならないように、これが終わったらブロックスを滅ぼしますか」

「――っ!? てめえ……そんなこと、させてたまるかぁ!」



 剣を支えに、グイドは立ちあがった。

 ブロックスを滅ぼすと言われた瞬間に、彼の胸に湧き上がってきたのは、生まれてから現在までの記憶、都市のなかで生きてきた、自分の生きてきた都市だ。

 それをこんなぽっと出の、訳の分からない化けものに破壊されてたまるものか、



 日ごろ見下している連中の顔が次々浮かんできた。

 なけなしの体力で練った魔法を剣に込める。

 炎を纏った剣を、大上段に構え、グイドは集中する、蝿悪魔はそれを挑発と受け取ったのか、グイドの周りを円を描くように旋回した。


 

 

 回転の速度が上がる。砂塵を巻き上げ、小型の竜巻すら起こすような速度のそれは、もはや傍から見れば一つの輪のように見えた。

 それが最高速度に達したとき、蠅悪魔は中心にいるグイドに頭から突っ込んだ。

 グイドは上げた剣を振り下ろす、自分のなかにある全てを賭けて、振り下ろした剣は――。



 蝿悪魔の頭とぶつかり、粉々に砕けた。勢いはとどまることを知らず、蝿悪魔はグイドの腹に強烈はヘッドバッドを喰らわせる。

 骨が砕ける音、内臓がつぶれる音、最悪の重奏を聞きながら、グイドは闇の中に落ちていった。



「私の、勝ちだぁぁぁ!!」



 全ての騎士を倒した蝿悪魔は、勝利の余韻に浸った。

 それが尚早であったのを知るのは直後――すぐ隣から聞こえた声が聞こえたからだ。



素手喧嘩魂ステゴロソウル



 周囲の景色が急速に流れていった。

 剣の直撃すら、一切のダメージを受けなかった顔に、激痛が走る。

 殴られたのだと気づくのに、時間がかかった。



「ヴィート!頼む!」



 目の前の男は、倒れた騎士を持ち上げると、教会の前にいる少年に向かって、騎士を投げた。

 けが人の扱いとは思えないが、それは近くにいるシスターの治療魔法を信用しているからだ。蝿悪魔は男を睨みつけた。銀色の輝きを背負った男を――。



「貴様ぁ! 何者だ!」



 痛みに顔を歪め叫び散らす悪魔に、リュージは拳を付き付けると、短く言い切った。



「勇者だよ……一応な」

「ふざけたことを、遊びなら場所を選ばないと死にますよぉ?」

「そりゃこっちのセリフだ」

「――なにぃ?」

「お前のやってんのはガキが思うとおりにならねえって癇癪起こしてんのと同じだ――それを信念だと、笑わせんな!」 

「……話し合いに来たんなら、もう結構です」

「だろうな、言っただけだ」



 信念とか、決意とか、言葉は軽くない。込めた思いは必ず相手に伝わる、伝わってしまう、マルチャーノの言葉には思いも、熱もなかった。

 そんな言葉のために、傷を負った騎士たちの代わりに、言っておかなければ気が済まなかった。意味がないのは最初からわかってていも――。



 リュージは固く握った拳を、悪魔に向かって突きつけた。



「これ以上バカやるつもりなら――俺を倒してからにしろ」

「言われなくともぉ!!」



 互いに距離をとって見合った。ピクリと、先に動いたのはどっちだったのか、一人と一体は、激突した。

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