ブロックスの22
門の周りに、集まっているのは若い騎士たち、その数は十五人、これが多いか少ないかは人によって意見が分かれるだろうが、一人当たり十人近く相手にできる騎士を十五人用意するというのは、少なくともここ最近のブロックスとしては十分に異常事態に部類される。
大規模な戦闘をする規模ではないが、予想できる限りの危機には対処できる人数だ。
本来ならば心強い味方なのだが、そこにいる騎士たちは皆一様にやる気が感じられなかい。へらへらとした口元、だらしなく着崩した騎士服、隊列など組む気もなく、まるで今から行楽に向かう集団のようだった。
その先頭に立っているのは、彼らのリーダー格であるグイド、他と違って彼だけは不機嫌そうに顔を歪めている。
理由は言うまでもなく、この突然の任務、そして隣で自分を見張っているエルモの存在だった。
「面倒くせえな、なんでオレがこんなことしなくちゃいけねえんですか?」
「口を慎め、これは任務だ、我々を信頼している人々にために、仕事をするのは当たり前だ」
「……昨日から急に元気になりやがって」
「私も目が覚めたんだよ、お前を正しく導いてやれなかったのは、団長であり、教師でもあった私の責任だ、お前をまたまっすぐな道に戻す義務が、私にはある」
グイドはうるさそうに手をひらひらを振って、黙るようにエルモに伝えた。
エルモはその姿を、そして背後の騎士たちを見るにつけ、自分の責任の重さを思い知らされる。
グイドがいつからこうなってしまったのか、エルモは思い出せない。
昔から、尊大で権高な振る舞いが目立つ子供ではあったが、同時にある程度の分別を弁えていた子供でもあった。
だから子供特有の全能感が抜けきれば、きっと立派な騎士になるだろうと思って、構うことはなかった。
それが失敗だったのか、教育者としての自分を、今は恥じることしかできない。そして今はその恥を表に出している暇もない。
「それで、繰り返しになるが君たちの任務は――」
「分かってる分かってるよ、カフナって村に盗賊が攻めてくるかもしれねえから、行って付近の警戒に当たるんだろ?一回聞けばそんなもん覚えられる、何度も何度も同じこと言わねえでくれ」
「……分かっているならいい」
「だけどよ、警戒ったっていつまでやればいいんですかねえ団長様?」
「無論カフナが危険から逃れるまでだ」
「つまりあれですか、近くにいる盗賊を全員ぶっ飛ばしたら、今日中に帰ってきていいってことですよね、オレ正直そんななにもねえような退屈なところで泊まりたくねえんすわ」
「口のきき方に気をつけろ、人様の暮らしている村に向かって退屈なところなど、本人たちがいなくても絶対にやめるんだ、高潔さを疑われるぞ」
高潔、グイドはその言葉を聞いて鼻で笑った。
エルモはそれを見て頭に血が上ったのか、グイドの胸倉を掴んで持ち上げる。
齢七十近いエルモだったが、未だ腕が衰えたとは自分でも思っていない、グイドに顔を近づけると、ヘルムの中が汚れるのも気にせず唾を撒き散らして叫んだ。
「何がおかしい! お前たちもだ! 任務の前だと言うのにいつまでへらへらしている!」
あまりの大音声に、周囲でふざけていた騎士たちが、エルモを注視する。
彼らとてエルモの生徒だったのだ、最近すっかり丸くなってしまった恩師の往年を彷彿とさせる姿に、鬼教官と呼ばれていたエルモに鍛えられていた時期を思い出して、身を小さくしたのは少なくなかった。
しかし、エルモがその叫びを一番届けたかった相手は、怒鳴られてもどこ吹く風で、逆に嗜虐的な笑みを浮かべてエルモを睨んだ。
「すみませんね先生、可笑しかったもんで、だってそうでしょ、高潔とか、勇敢とか、騎士にはそういうもんが求められるとあんたは言うけど、それは嘘じゃないですか」
「なんだと……」
「俺たちに求められてるのは敵を倒すことでしょ? 市民を守るとか、言ってるけど、その実オレ達がやってるのは、悪者をぶっ飛ばしてるだけだ、強さ以外何が求められるってんです?」
グイドの言うことも一理はある、確かに騎士は単純な強さを求められる。
しかし、それだけではいけない、もしそれだけならば、自分たちは傭兵と何も変わらないのだ。誇りを持たずに、利益で動く傭兵と何も変わらなくなってしまう。そのことは、何よりも深く教えてきたはずだった。
あまりのショックに呆然としているエルモの手を、グイドは払って、つまらなそうに前を向いた。
かつての教え子に、自分から言えることはもはや無くなってしまったのかもしれない、エルモが無力感に打ちのめされていると、足音が聞こえてきた、顔を上げると、門のほうへ全力疾走してくる人物がいた。
その人物は騎士たちの最後尾にたどり着くと、誰かを探しているのか、立っている騎士たちの顔を見ながら一番前までやってきた。
「団長!」
「リュージ君じゃないか!? 来ないから心配したよ、さあもうすぐ出発だ」
リュージはたどり着いて一目で、エルモが意気消沈していることを見抜いたが、今はそれどころではなかった。
最前列から改めて騎士たちの顔を眺める、ヴィートがいなかった。
「くそ、先に着いちまったのか、団長、ヴィートがまだ来てない、少し待って――」
「おいおいおいおい、なんだよ、こいつの村なのかカフナってのは」
「お前は――」
いまにも切りかかってきそうなほど怒って、睨みつけてきている人物にリュージは遅れて気づいた。
「通り魔の村なんざ救うのは嫌だぜ、オレは」
「通り魔?」
「そうだろうが、道端であっただけの俺を何の前触れもなく殴ってきたお前が通り魔じゃねえならなんだってんだ、てかあれか、昨日のシスターもカフナの奴か、いよいよやる気なくなってくるな」
「……暴力を振るったことは謝る、だが何の前触れもなくってのは納得できないな」
どんな理由があっても人を傷つけてはいけない、そんなことは分かった上で、リュージは昨日行動を起こしたのだ。
どうしても許せないことが、あったからだ。
「人の古傷を抉って楽しいか、ヴィートは今必死に前向こうとしてるところなんだぞ」
「あいつの名前出すんじゃねえよ、胸糞わりい、野郎がどう思おうがオレの知ったことじゃねえ」
雰囲気が変わったのに、リュージは気づく。
怒り一辺倒だったグイドに、別の感情が現れたのだ。
それは怒りと似て非なる、もっとどろどろとした、恨みや憎しみといった感情だった。思い返せば最初に城壁の上でグイドと出会った時、最後に見たグイドの顔、今と全く同じ顔をしていた。
「……お前、ヴィートと何かあったのか? なんでそんなに目の敵にするんだ」
「名前を出すなと今言ったばっかりだ、それから余計なことも聞くな、オレはあいつの顔すら思い出したくねえんだ、せっかく昨日一日顔を見てなくてすっきりした気分なのによ」
「……お前知らないのか」
「ああ?なにがだよ」
また、足音が聞こえてきた。
今度は走っているのは分かるが足音が弱い、気が進まないのに走っているのが、聞いているだけで分かる。足音は、少しずつ隊列――と言うには乱れ過ぎているが――の一番後ろに加わった。
後方にいた騎士たちは、やってきた人物を見てざわめいた。当人は見るからに落ち込んでいて、周りの目を気にしていない。
グイドは、最後にやってきた人物、ヴィートを見ると、歯をむき出しにして、エルモに食ってかかった。
「おい!どういうことだ! あいつがいるなんて聞いてねえぞ!」
「先に任務にあたっていた者と、後から合流することだって珍しいことではない、なにか問題でも?」
「あるに決まってんだろ! オレは嫌だぞ、あいつと一緒の仕事なんざ!」
「嫌でもやってもらう、これは君の意思じゃない、任務なのだ」
「……いいのかよ、そんな態度とって、若い奴らが全員言うこときかなくなったら困るんじゃねえのか」
「やれるもんならやってみろ小僧! ただしそのせいで一人でも犠牲が出てみろ、私は自分の命をかけてお前に相応の報いを受けさせてやる!」
どれくらいの時間、そうして睨みあっていたのか、先に折れたのはグイドだった。
近くにあった壁を殴りつけると、ヴィートを射殺さんばかりに一瞥し、「行くぞ」と他の騎士たちを引きつれて、都市の外へ向かっていく。
エルモは大きく肩で呼吸をして、リュージに向き合った。
「すまない、大変かもしれないが、君の言うとおり何かが起きるのならば、一番頼りになるメンバーを選んだつもりだ……それより、ヴィートは何かあったのかね」
リュージはそれには、曖昧に答えつつ、移動せずに残っているヴィートのもとへ向かう。ひどい顔をしていた。目は腫れ、すすり過ぎて鼻も赤くなり、よほど強く叩かれたのか左の頬は腫れていた。
ヴィートは、リュージが近付いてきたことに気づき、顔を上げたが、リュージが背負っているケースを見て、あからさまに上げた顔を曇らせた。
リュージは、あえてそのことには触れない。
今言葉を尽くすことに意味はないとわかっているつもりだからだ。
自分が頼まれたのは、渡すべき時に渡すことだけだ。そしてそれは多分、今ではない。
「また歩いていくのか?」
「え?あ、いや、今回は馬を使います、急ぎですし」
「馬か、ヴィート、頼みがあるんだが」
「……はい」
「俺馬に乗れないんだ、後ろに乗せてくれ」
てっきり、ライモンドの剣のことを言われると思っていたヴィートは、拍子抜けしたのか、「はあ」と気のない返事をすることしかできなかった。
外へ向かって歩き出すリュージについていくと、その背中のケースが嫌でも目に入る、憂鬱を隠しきれずに、ヴィートは俯きながら歩いた。
※ ※ ※ ※
少年は不機嫌だった。それと言うのも一人のクラスメートが原因だ。自分は所謂天才だと、少年は自覚を持っていた。亜人として生まれては来れなかったものの、どのような難しい魔法だって、一度見ればイメージできるようになったし、剣だって校長であるエルモを除けば、もう先生にも負けない、当然同期を相手に、向かうところ敵などない、はずだった。
「くそっ!ガイオの野郎、まぐれあたりで調子に乗りやがって!」
「おい待てよ、グイドー」
「おいてくなよー」
今しがた終わった、剣術の稽古、教師の思いつきで始まった負け抜け式の手合わせ、グイドは最初から、最後まで順番を誰にも譲らなかった。それはつまり負けなかったということ、いや違う、例外として、一つ可能性がある、それは最後の最後で負けた瞬間に授業が終わること、グイドが通った道だった。
「そんなに怒るなよグイド」
「しょうがねえじゃん、お前十分くらい戦いっぱなしだったんだぜ、そりゃ疲れるよ」
「うるせえな、なんにも分かってねえくせに」
取り巻きの二人は、グイドの敗北をスタミナ切れのせいだと決めつけていたが、そうではないことはグイド自身が一番分かっていた。
スタミナの計算だって戦いながら行っていた。最後の最後まで、集中を途切れさせないために、それなのに負けた。
ガイオ・マッシ、あのブロックスで最強と噂のライモンド・マッシの長男だ。そして本来なら一度も躓かずに生きて行けたはずの少年の前に現れた壁であり、この時代のもう一人の天才だった。
「ちくしょう、最後のフェイントに引っかかったんだ、でも前も同じ技使ってたからな、次はそれを見越して――とにかく絶対負けねえ」
少年は何かにつけガイオに張り合った。座学、魔法、剣術、いつだって一位二位の争いは彼らのもとで巻き起こっていた。
だからといって少年はガイオを疎ましくは思っていなかった。むしろ、天才たる自分がさらに高い位置に行くための、いい好敵手だと思う余裕すらあった。
自分は天才である、そして天才として生まれた自分には周りを正しい方向へ導く責任があると少年は信じていた。
よって彼は誰よりも努力をしたし、人を妬んでいる暇もなかった。向かってくる者が真剣ならば、どんなに才能がない人間が相手でも全力で戦った。
人によっては高慢に映る姿勢は、
――だからこの日も少年は敗北を糧にリベンジを誓ったのだが、
「あ、あれガイオの弟じゃねえか」
取り巻きの一人が訓練場の隅を、背中を丸めて歩いている少年を指さして言った。グイドは思わずそっちに視線を送った。
「……あれが? 嘘だろ、だってあいつめちゃくちゃ弱そうだぜ、根暗っぽいし、人違いじゃねえの」
「違わねえよ、おれんちとあいつんち近くだもん、前髪長くて、こそこそ歩いてんのはヴィートだよ、あいつ最近初等部にあがったばっかりなんだけど、剣がからっきしだからバカにされてんだって」
取り巻きたちの話を聞きながら、自分のライバルである男の弟、ヴィート・マッシが、あまりにも兄であるガイオと似ていないのに驚いた。
ガイオは、文武両道で、人柄もよく、皆からも信頼されていた。かわいそうにきっとあの弟は、生まれてくる前からガイオにいろいろ吸い取られてしまったのだろう。
ここで少年の心にはいつもなら絶対に存在しないいたずら心が芽生えた。
それがなぜだったのか、なぜこの時だったのか、少年は今でも分からない、少年は、取り巻きたちを残して、ヴィートに歩み寄った。
「よお、ヴィート」
「は、ハイ!?ぼくですか」
「ああお前だよ」
「あ、あの、誰ですか? はじめましてですよね?」
「おれはガイオのクラスメートだ」
兄の名前が出たことで安心したのか、ヴィートは幾分か平静を取り戻して、上級生と向き合った。とはいっても頭一つ分は背丈が違う、相手の顔を見上げながら、何の用だろうと、首をかしげているヴィートにグイドは微笑みかけた。
「お前の兄さんに、弟が剣の扱いで悩んでるって聞いてな」
「えっ!? 兄さんが、そんなことを」
「そう、それでオレは剣だけなら、あいつにも負けないんだよ」
「そうなんですか!? 凄いです!!」
瞳を輝かせて飛び跳ねる年下の少年を前に、少年はほんの少し後ろめたさを覚えたが、初志は貫徹すべしと、思いついたいたずらを実行に移した。
「だから、オレがお前に稽古をつけてやるよ」
「え……でも、今日の授業は終わって――」
「大丈夫だよ、ちょっと練習用の剣借りるだけだから」
後から来ていた取り巻きたちは、その言葉に驚いた。
年齢が下の人間との手合わせは、教員の監視がない限り校則で固く禁じられているからだ。
「お、おい! なに考えてるんだよ、怒られるぞ!」
「そうだよ、止めろって、グイド!」
少年――グイド――は、その言葉には耳を貸さず、不穏な流れにおろおろし始めたヴィートにこう言った。
「ほら行こうぜ、兄さんみたいになりたいだろ?」
「……はい」
ヴィートは、その言葉には逆らえなかったようで、渋々着いてきた、後ろでは取り巻きたちが顔色を変えて、「先生を呼びに行こう」とか話していたが、グイドにはどうでもよかった。
別に本気で殴ろうってわけじゃない、すこしおどかして遊ぼうと思っただけだ。
グイドが強めに剣を振って、恐怖で目を瞑ったヴィートのおでこを、つんと押してやる、そのくらいのことだ。先生を呼ばれたって来た時には片付けまで終わってるだろう。
そんな軽い気持ちで始めた、いたずらが、グイドの生き方をどれほど歪めるか、彼自身この時はまだ知らなかった。
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