ブロックスの18
扉が閉まるのと、とっくの昔に役目を終えている木の柵をマルチャーノ率いる人相の悪い男たち――恐らく最近噂の盗賊たち、結果的にラフィの想像はすべて当たっていたようだ――が乗り越えたのはほぼ同時だった。
人数は正確には十四人、全員馬に乗っており、腰に下げている反り気味の刃物はサーベルだろうか、全員が武装している。
リュージは相手が目の前にいなかったら天を仰ぎたい気分だった。狭い路地や洞窟ならともかく、この開けた場所で刃物を持った十四人と戦闘を繰り広げるなんて、流石に無理だ。では切り札を、ステゴロソウルを使うか、実はそれも出来ない。
素手喧嘩魂に制限はない。
それは真実だが、ないのはあくまで制限だ。この力には明確な弱点が存在する。
それは手加減が難しいということだ。ステゴロソウルは悪魔と、この世に本来いるはずのないものと戦うための力だ、とリュージは思っている。
きっと人間相手に使うことなど本来は想定されていないのだ。
人間相手に合わせた都合のいい出力などない。
一撃でも浴びせれば比喩ではなくミンチになってしまう。
そしてリュージは命の危機だからと、相手の命を奪うことはできない。
それは、本当に最後の一線を越える行為だからだ。
だが、弱音は吐けない。相手に不調を気取られないように、リュージは拳をあげて構えた。
なんとしても、殺さないように制圧してみせる、そう覚悟を決めて――。
目の前で、マルチャーノがゆっくりと馬から降りた。村の惨状を眼に迎え入れつつ、緩慢な動きでリュージの前へとやってくると、ボロボロな村、そして倒れている巨漢を交互に眺めたあと、リュージの方を見る。
警戒を高めるリュージに、マルチャーノは一言訊ねた。
「これは、どういうことですかぁ?」
「ああ?」
「煙が上がっているから来てみればぁ、なんで村が壊れてて、うちの馬鹿が寝てるんですかねぇ?」
「……なに言ってやがる、お前の指示だろうが」
「私のぉ?」
相変わらずねっとりとした喋り方をするマルチャーノの表情は、心底不思議だと言わんばかりのものだった。その表情から嘘が感じられず、リュージは逆に面くらった。
話が根本的にかみ合ってないような、気持ちの悪さがあった。
だがマルチャーノは、そんなことにはなんの興味もないとばかりに鼻を鳴らす。
「たぶんうちの馬鹿が先走っただけだと思いますがぁ、こうなってしまったからにはしょうがないですねぇ、どうせ遅かれ早かれこうなっていたでしょうし、予定が早まっただけですねぇ」
「……やる気なのは、変わらないみたいだな」
燃えている村を見て、表情の変わらないマルチャーノに、リュージはわかりやすく舌打ちした。
マルチャーノが言い終わると共に、後ろに控えていた男たちが雄たけびをあげて剣を鞘から抜いた。それは今から始める略奪と殺人を心からの喜びとする下衆の遠吠えだ。
リュージとしては今の話について問いただしたいところではあったが、マルチャーノの決断は思いのほか早かった。
正直、リュージからすれば厄介でしかないことだ。改めて状況を鑑みて、勝機を探る。
死ぬ気はもちろんない、流石に無傷とはいかないだろうが、最悪の場合、中にラフィがいる、本職の治療魔法は生きていれば重傷でも治せるそうだ。
当然死ぬほど痛いだろうが、死ぬことはない、とっさにそこまで考えたリュージは、傷ついても治してもらえると平気で考えている自分に気づき、異世界に毒されているなと苦笑した。
もちろん気休めだ。一撃で首を落とされたりすれば、治癒もなにもあったものじゃない、油断など、できるはずもない。
「ずいぶん静かですねぇ、もう諦めているんですか?」
「……気の毒に思ってるんだよ、もうすぐ酷い面になるお前をな」
「減らず口をぉ!早くやってしまいなさい!」
囲まれてはいけない、とりあえず動き回って一対一を繰り返す形に、持ち込まねば――突然体がブルリと震えた。武者震い、ではなかった。
緊張状態にあったリュージは気付けなかったが、明らかな異常事態が起きている。
――吐いた息が、白い。
気温が急激に下がっているのだ。今まさに戦おうとしていた男たちも、突然の寒気に戸惑っていた。
「なーに、勝手に面白そうなこと始めてんのよ」
教会の扉が開く、中から出てきたのは、勝気に笑うシスターだ。
ごく自然に現れた彼女は、またごく自然にリュージの隣に並んだ。まるでそこにいることが当たり前だと宣言しているような登場に、反応できたのはリュージだけだった。
「……もう大丈夫なのか」
「最初っから大丈夫だったに決まってるでしょ、相手の油断誘うための演技よ演技……演技の最中にあなたが終わらせちゃうから、言うタイミング逃しただけよ」
ラフィはそう言ってそっぽを向く。
おそらく本音半分、照れ隠し半分と言ったところか、リュージは小さく嘆息しながら、視線だけラフィの方に向けた。
「真っ先に攻撃されてたみたいだけどな……」
「このラフィさんにだって予想外なことくらいあるわ」
「ばっかり、じゃなくてか?」
「言ってなさい、そんで、時間稼ぎご苦労さま」
直後のことだった。徐々に冷えていた空間が、さらに冷たさを増す。
――ビシッと音を立てて、空間が凍った。
何もなかったはずの場所に、巨大な氷のドームが出来上がる。
呆けていた盗賊たちは、何一つできずにドームのなかに閉じ込められ、呆然としていた。
「……強いっていうのは冗談かと思ってたんだけどな、俺の出番はなかったんじゃないか?」
「あら、こんなか弱い女に一人で戦えって? 紳士じゃないわね」
もう呆れるしかなかった。リュージが命まで覚悟した戦力差が一瞬で片付いた。
こんなことができる存在にか弱いなんて形容詞を使っていいのだろうか。
本当に、本当に――。
「魔法ってのは、ひどいズルだな」
若干自分のことを棚に上げて、リュージは呟いた。
もうため息しかつけない、勇者が聞いて呆れるものだ。
ドームに閉じ込められていた盗賊たちは、やっと我に返ったのか、氷のドームを内側から剣で殴って壊そうと試みていた。
ラフィがそれを見て意地の悪い笑みを浮かべて、中にいる盗賊たちに呼びかける。
「そんな簡単に壊れるもの作ってないわよ、それに、まさか私がその内側を凍らせられないなんて思ってないでしょうね?」
盗賊たちがざわめき始めた。
まさかも何もそう思っていたのだ。物を凍らせる魔法が難しく、魔素を多量に使うのは周知の事実、となればこれは使える限りの魔素を使った奇襲でしかない。
よってこの氷を壊せば一気に形勢逆転できる、今の状況をそう読んでいたのだ。
そこまで見抜いていたラフィは、その浅はかさを笑った。
「亜人の魔素切れを期待するなんて、禁じ鋏で攻撃するのと同じくらい笑えない冗談ね」
亜人、その単語が聞こえた瞬間、盗賊たちは抵抗を諦めて、手にしていた剣を地面に落とした。
その言葉が意味するところを、全員が知っていたからだ。金で雇われた身である彼らは、どこまでも自分の命のことしか考えていなかった。
戦いともいえない戦いはかたがついた。後残されているのは、尻もちをついているマルチャーノのみ、ラフィはすべての元凶でもあるこの男に近づいて行った。
「ひっ!」と情けない悲鳴を上げながら、後ずさるマルチャーノ、ラフィはすぐ近くまで来ると、冷たく言い放った。
「さぁて、やってくれたじゃないマルチャーノ、あなたはもう少し賢い悪党だと思ってたわよ」
「ま、待ってくれ!私は何も命令なんてしてない! この村を襲ったのはあいつの独断なんだ! 私は無実だ! こんなことをするつもりなんてなかったんだ! 脅すだけのつもりだったんだ!」
ねっとりとした喋りからさえかなぐり捨てて、マルチャーノは手足をばたつかせる。
ラフィはそんなマルチャーノに、つまらなさそうに見下ろした。
「いつもの態度はどうしたのかしら? 追い詰められてるからって、情けないと思わないの?」
「くっ! た、頼むから信じてくれ! 私は――!」
「分かってるわよ、人を直接傷つけるような度胸、あなたにあるわけないものね」
慌てて言い訳を繰り返すその態度を見るに、さっきまでの余裕も、マルチャーノの精一杯の虚勢であったようだ。
言っていることも本当である可能性はゼロではない。だが、そんなことはもはや関係なかった。
「でも、他の悪事までなかったことにはならないわよ、本当は書類が偽装だって暴くとこまでやるつもりだったけど手間が省けたわ、あの盗賊たちはきっと色々教えてくれるでしょうね」
「くっ、ぐぐぐぐ……」
「もうあなたは終わり、私が何かするまでもないわ」
「……くそ、くそ、くそがぁ! もうちょっとなんだ! あと少しなんだ! 貴様らのような貧乏人が駄々をこねたせいで私の計画が狂ったんだ! 貴様らのせいだ、貴様らの、この、くそ女がぁ!!」
泡を飛ばして激高するマルチャーノ、その姿からはもはや虚勢をはる気概さえ折れてしまったことが容易に知れた。
ただ相手を罵倒することしか残されていない男に、ラフィの視線が冷える――氷よりもずっと、ずっと――。
「つまらない人ね、マルチャーノ」
「止めろ、見下すな、私を見下すんじゃあない!私ををぉ!」
何が琴線に触れたのか、ここにきてマルチャーノは初めて暴力に、自らの手を使った暴力に訴えた。
冷めた目のラフィが、それにこたえることはなかったが――。
ラフィは一歩横に、ずれただけだった。後ろから現れたのは、傍観する気だったリュージ。
リュージは突っ込んできたマルチャーノの胸倉を掴んで、ラフィの作った氷のドームへと投げつけた。
マルチャーノは背中からドームに叩きつけられて、悲鳴を上げる暇もなく、あっさりと気を失った。
「……最後の面倒ごとだけやらせるんじゃねえよ」
「仕事がなくて寂しそうだったからよ、感謝してもいいわよ?」
「人を戦うのが好きな奴みたいに言うな」
とりあえず決着はついた。
予想外の形ではあったが、解決したと言っていいだろう、あとはこの盗賊たちとマルチャーノを騎士団に引き渡せば全て丸く収まる。
こんどこそ休める、リュージは教会の壁にもたれて瞳を閉じた。一件落着と言うには、村の被害が大きいが、取り返しのつかないことにならなかったのなら御の字だ。
とりあえず一息つこうと、地面に座り込んで目を閉じる――暇もなく、思い切り肩を揺さぶられた。
同時に、ラフィが慌てた様子で、耳元で叫ぶ。
「ちょ、ちょっとリュージ!?」
リュージは目を閉じたまま、それに応じる。
「どうした? まだ残ってる奴がいたのか? 悪いができるなら一人で頼む」
「逆! いないのよ」
「いないって……そりゃ今お前が閉じ込めたとこじゃねえか、これ以上いる方が困って――」
「違う! マルチャーノがいない!」
「ああ? なに言ってんだ、さっきまでそこに――」
リュージは目を開いて、地面に伸びているマルチャーノに視線を送ろうとして――目を見開いた。
そこには、誰もいなかった。
そんなはずはない、今さっきまで確かにそこで気を失っていた。
リュージが目を閉じていたのはほんの少し、ラフィに至っては一瞬目を離しただけだ。
それだけの間に目を覚まして、見えなくなる位置まで逃げ出すなんてできるはずがない。しかも至近距離にいた二人に一切気付かれずに、という条件付きだ。
リュージはまだ閉じ込められている男たちに、問いかけた。
「おい! マルチャーノはどこに行った!?」
「し、知らねえよ!」
「知らないわけあるか! 目の前だぞ!?」
「それはあんたらだって同じだろう!?」
リュージは捉えられている男たちを見回すが、全員が困惑を隠しきれていなかった。
嘘を言っているようには見えないし、おそらく全員が同じ答えを返すだろう。
「どうなってんのよ……」
途方に暮れたラフィの声、原因は分からないが、この状況はたった一つのシンプルな答えを示していた。
決着は、まだ着いていない。
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