ブロックスの19

 教会の窓から、西日が差しこんでいた。

 元から誰もいなかった村は、建築物まで破壊されてさらに寂しくなってしまった。残されたのは教会のみ、ここだけは傷一つ付いていなかった。 

 どんな悪人にとっても教会への、女神教への攻撃はタブーなのだ。世界最大規模の宗教一派から公式に敵だと認定されるのは、この世界では生きていけなくなることを意味する。

 自ら巨大な権力を封じたこの世界において、教会が持つ権威は確固たる力として存在している。



 とはいえ教会勢力は基本的に俗世と交わることをよしとしない。

 自分たちに危害が及ばない限りは、対処は各都市、各騎士団に任せて口を挟むことはまず無かった。

 その『自分たち』とは誰のことかについては、深く考えない方がいい。



 濡れた布で目を覆い、木の椅子に寝転んでいるリュージもそんなことは露ほども考えてなかった。

 彼が考えていたのは、そろそろベッドで寝たい、その程度だ。二階から降りてくる足音が聞こえて、リュージは身を起こした。降りてきたのはラフィだった。



「あー疲れた、もう三日分くらいは働いたんじゃないの私」

「爺さんは大丈夫なのか」

「傷は心配ないわ、二、三日寝てたら大丈夫、でも魔法じゃ体力までは回復させられないから、治るまでは安静ね」

「そうか……」

「なーに辛気臭い顔してんのよ、死んだわけでもあるまいし! それに誰が看病すると思ってんの、どうせもっと早く動いてればとか考えてるんでしょ」

「……何で分かった」

「分かりやすすぎるのよあなたは……あのね、人がいいのは認めるけど何でもかんでも自分のせいだと思うのは傲慢でもあるわよ」



 後悔するということは、自分がいさえすれば何とかできたと言っているのと同じだ。

 すべてを抱え込もうとするのは、全てを抱え込んでも自分はびくともしないと暗に告げているのと同じだ。

 それは思い上がりだとラフィは鼻を鳴らす、リュージも概ねその意見には賛同できる。その通りだと頭では納得できる、しかしこればかりは性格的なものだ。どうしようもない。



 結果として何も言えずに黙ってしまうリュージに、ラフィは分かりやすく、大きなため息をついた。



「私がここに来たのは五年前、知らないと思うけど教会に所属してるシスターは、決められた期間どこか僻地で宣教や治療をしないといけないの」

「何だよ突然――」

「黙って聞きなさい、私は当時からお行儀がいいってタイプじゃなかったから、家族とも、熱心な教徒とも折り合いが悪かった。当然私の行き先を決める重役ともね」

「想像つくな」

「黙って聞けって言ってるでしょ、当然反発したわ西の大陸の端も端、この先アルビオンしかないってとこに急に行けって言われたんだもの、反発して、反抗して、結局逆らいきれずにここに来た」



 当時のことをどう感じているのか、ラフィの表情は堅い。本当は話したくないのだと、ひしひし伝わってきた。



「最初はさっさと帰ることしか考えてなかった。なんなら追い出されようと思っていろいろしたわ、でもここの人たちは笑っちゃうくらいにお人好しで、いつの間にか、ここが私の家になってた」



 ラフィは視線を上げた。

 その瞳は真夜中の猫の瞳のように大きく、しなやかで、金色に輝いてさえ見えた。

 当の本人は何かを言い辛そうにしていたが、緊張した面持ちで言葉を紡いだ。



「私の家族を、助けることができたのはあなたのおかげよ、それだけは確実に言える、だから、その、ありがと」



 リュージは口を開けてラフィを見た。

 どうやら自分は感謝されているらしいと気づくまでに時間がかかった。それほどまでに予想していなかったのだ。思わずリュージは笑ってしまった。くつくつと、笑ってしまった。

 ラフィはすっぱいものを食べた時のような顔になって抗議した。



「何よ、私がお礼するのがそんなにおかしい? 人がせっかくまじめにしてるのに、不満なら取り消すわよ!」

「いや、おかしくねえよ、家族のために頭下げるのは、おかしいことじゃねえ」

「……まあ家なんて言ってももうヤコポ爺ちゃんしかいないけどね、建物も壊されちゃったし」

「今度はお前が後ろ向きになるのか? ……似合わないぞ」

「うるさいわね、急に元気になっちゃって」

「ああ、お前のおかげでな」

「……ああもう、言わなきゃ良かったわ」



 元気づけられたのは本当のことだ。

 人間は現金な生き物で、自分のやっていることを、誰か一人にでも認めてもらえたら、意味を与えてもらえたら、それだけでどこまででも進んでいけるようになる。

 自分の内側から生まれたエネルギーだけで生きていくことはできないのだ。



 だからリュージは素直にラフィに感謝する。生きていてくれたヤコポにも――。

 気怠さが満ちていた体に力が戻ってきた。単純な奴だと、我ながら呆れた。嫌な気分では決してなかったが。

 それに、いつまでも悩んでいる暇もなかった。ずっと頭の奥に引っかかっていること、懸念していることがある、そっぽを向いているラフィに、リュージは話しかけた。



「ラフィ、話がある、真面目なやつだ」

「なによ」

「俺は今からブロックスに戻ろうと思ってる」

「……どういうこと?」

「マルチャーノのことだよ。姿が見えないなら、逃げたって考えた方がいい、そして逃げたあいつが考えること、分かるだろ?」

「言いたいことは分かるわよ、あいつの生き残る道は、もう徹底的な口封じしかないもんね」



 マルチャーノと盗賊とのつながりは完全に露呈してしまった。

 もはや工事の許可の有無など問題ではない、なにせ盗賊たちというこれ以上ないほどの証拠がこちらにあるのだ。

 これがブロックスにバレたらマルチャーノはおしまいだ。もはや工事云々ではなく、犯罪者になるか否かの瀬戸際にいると言っていい。

 犯罪者は罪を償わない限り、渡航もできなければ、都市に入ることもできない。

 しばらくは隠れていれば暮らせるかもしれないが、それだっていつかは見つかってしまうだろう。



 マルチャーノに残された道は、事件にかかわった人間を全て消してしまうことしかないのだ。

 それには賛同するラフィだったが、だからブロックスに行くという意見には首を捻った。



「でも、応援なんて必要かしら? あなたが帰ってくる前にあいつが来るかもしれないし、それに私亜人よ?盗賊くらいならいくらでも相手できるわ」



 亜人、字で書くとまるで人間ではないかのような響きだが、ただ一つの特徴を持っていることを除けば、れっきとした人間だ。

 だが逆にその一つが、彼ら彼女らに他との圧倒的な差を作り出している。

 亜人の特徴、それは生まれついての、常人とは一線を画す魔素保有量インベントリの容量――つまりは使える魔法の規模だ。



 常人の、優秀な治療魔法ならば、一度に二、三人を癒すことができる。

 しかしそこが限界だ。対して亜人は一度に十数人の同時治療が可能だ。戦闘力に置き換えるとより顕著になる。



 通常の騎士が相手取れる限界は、武装した十数人だと言われている。

 これが亜人になると、その五倍近い人数を相手にできる、しかもこれは相手を殺さずに取り押さえる『制圧』を目的とした場合の数字だ。

 相手の生死を問わなければ、さらにその数倍の人数は相手にできるだろう。

 だからラフィが言っている言葉は大げさなものではない、盗賊程度なら彼女の力だけでも解決できるはずだ。だが、リュージは首を横に振った。



「お前はシスターだ、戦う人間じゃないだろ?」

「あら、優しいこと言うのね、でも戦力を戦力として数えないのはどうかと思うけど」

「武器を使えることと、暴力に慣れてることは違う……お前は平気で誰かを傷つける人間じゃない」

「グイドは二人で殴り飛ばしたのに?」



 この女、分かっていて言っている。

 にやにやしながら、まだかさぶたにもなっていない失敗を抉ってくる。というかラフィの失敗でもあるのだが、その辺は気にしてなさそうだ。

 それに口ではふざけつつ、リュージが自分を気遣っていることは理解しているのか、追撃の軽口はなかった。

 リュージは頭を掻きながら、もう一つの懸念を告げる。



「――それにな、なんていうか、うまく言えないんだが、嫌な予感がするんだ」

「いやな予感?なに、占いでもできるの?それとも第六感とか言い出すつもり?」

「だからうまく言えないんだ、ただあのマルチャーノの消え方は普通じゃなかった、碌でもないことが起きる気がする……ただの勘でしかねえが」



 繰り返している通り、リュージには何の根拠もなかった。

 ただ、胸中を占める不安が、確かなものとしてあるだけだ。

 ――あるいは、言葉にできない繋がりを感じたからかもしれなかった。

 ここにいること自体が不思議のリュージと、急に人が消えるという不思議、その二つにまったく関わりがないと、決めつけることはできない。



 当然ラフィにはそんなことは分からないが、真剣な顔のリュージが直覚的に何かを感じ取っているのだということは分かったらしく、神妙な面持ちで頷いた。



「分かった、そこまで言うならあなたの勘ってやつ、信じるわ、行くなら早く行ってきて」

「……できるだけ早く戻ってくる」

「そんな顔しなくても、帰ってくるまでは何が何でもここは守ってみせるから、この私にどーんと任せときなさいって!」

「ああ、頼む」

「あとヴィート連れてきなさいよ、説明が簡単になるだろうし、ってあの子どこにいるの?」

「さっきは外にいた、多分その辺にいるさ、見つけて連れて行く」



 リュージは力強い足取りで歩き出す。

 見えないタイムリミットが刻々と迫ってきている、足を止める暇もない。

 リュージは外に繋がる扉を勢いよく開いた。

 ――ドア越しに何かにぶつかった感触が届く、続いて何かが倒れる音が聞こえた。背後ではラフィが「あちゃー」と目に手を当てていた。



 恐る恐る扉を開ききったリュージは、扉に顔面を強打した挙句、後ろ向きに倒れてもがいているヴィートの姿を見た。



「……すまん」



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