ブロックスの16
都市の外で一件仕事を受けるだけなんて、聞けばそれだけでいいのかとリュージは思った。
命がけの職務につくための資格試験なのだから、もっと過激な、言い方は悪いが試験だって命がけになるはずではないのかと、首を捻っていた。
その疑問に呆れたように返答したのはラフィだ。
「あのね、あなたには分からないかもしれないけど、都市の外に出るって言うのは滅多にないことなのよ」
「けど都市間の移動馬車だってあるだろ、それにブロックスの騎士は大陸全土を守ってるって」
「それは仕事だから、アルビオンの事情は知らないけど、旅行者なんていた?」
「……そう言われるといなかったな、てっきりアルビオンだけだと思ってた」
なにせ西大陸の端にある山岳地帯のなかにある都市だ。
先には何もないし、観光地に選ばれるような都市じゃない。旅行者がいないのはそのせいだとばかり――。
ラフィはやれやれと肩をすくめて、わかりやすくため息をついた。あからさまにバカにされているわけだが、続きを聞きたいリュージは黙ってそれに耐える。
「どこも同じよ、そもそも自由都市連盟が、都市国家を制度化した目的ってのは、人民の平等じゃなくて、コミュニティどうしの繋がりをできるだけ断つことにあるの」
「……なんでだよ? 関わりが無くなることにメリットなんかあるのか?」
「はっきりいうなら、みんな怖いのよ、この世界は二百年近くひとつの国に支配されてたわけだから、一つの勢力が大きくなりすぎることに恐怖があるのよね――損得勘定ができなくなるくらいにはね」
「……なるほどな」
つまりは互いに監視しているわけだ。
どこか一つが力を持ちすぎないように、力を持った誰かが野心に溺れないように――。
ずいぶん極端な対策だとリュージには思えてしまうが……と、リュージの顔を見て言いたいことを察したのか、ラフィもまたため息交じりに苦笑する。
「まあ、それでも最近は交流も増えてきたと思うわよ? 商売だって都市間ですることもあるし、むしろ世界に向けて発信することを目指してるものだってある」
発展とは需要から生まれ、需要とは人間同士の関わりから生まれるものだ。
押さえつけたところで、必ず人間は交流を始める。そうやって発展してきたのが人間と言う生き物なのだから。
「――って言っても、生まれた都市から一切出ずに生涯を送るなんて珍しくない世の中よ? それを踏まえて都市の外での仕事はたいしたことないって言える?」
「……いや、言えないな、悪い、俺が間違ってた」
「謝んないでよ、私が責めてるみたいじゃない……まあ偉そうに言ったけど見習いにそんな危険なことさせる団長はいないわよ、今回だって危険なことにならないってことはあなただって分かってるでしょ?」
リュージは頷いた。むしろそうならないためにこんな手間をかけてきたのだ。
ブロックスからの助けは無事呼ぶことができた。後は彼を間にはさんでマルチャーノと話し合いの席を持てば、ことは丸く収まる……はずなのだが、最大の不安は、二人の後ろをついてくる少年だ。
数メートル後ろを地面を見つめながら歩くその表情は、まさにこの世の終わりがきたと告げられたように真っ青だ。
「むりむり、ホントにむりですよ……こんなの僕には無理だぁ、僕には壁の上がお似合いなんだよぉ」
ブロックスを出てからはや数時間、ずっとこの調子で世の嘆いている少年に、いい加減にラフィの堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減しゃきっとしなさいよ! リュージだって大丈夫って言ってるじゃない!」
「だ、だってぇ、相手は盗賊を従えてるかも知れないんですよね!? 取り囲まれたりしたら……もう駄目だぁ!」
空中にその光景を見てしまったのか、ヴィートは道のど真ん中で膝を抱えて蹲ってしまった。都市を出てから三十分に一回はこうなって、そのつどヴィートが諦めて立ち上がるまで待っている。
しかしこのままではカフナに着くのが深夜になってしまう、不安を感じている少年に鞭を打つのも酷だが、言ってる場合ではないかと、リュージが近寄ろうとしたが、先に動いたラフィが、ヴィートの顔を両手でつかむと無理やり目を合わせた。
「いいヴィート? ここでぐずぐずしてる間にも、カフナは刻一刻とピンチなの、あなたの助けを待ってるのよ」
「ぼぼぼ、僕なんて連れてってなんになるんですか、役に立ちませんよ」
「それは私たちが決めることよ、何回も言わせないで、あなたは立ってるだけでいいから、戦いになんてならないから――お願い、頑張って、頼れるのはあなただけなの」
冗談ばかり言っているラフィの、真剣そのものな声を聞いて、流石のヴィートは緩慢に頷くと、のろのろと立ち上がって自ら歩き始めた。
その足取りは変わらずに重たいが、少なくとも歩く意志を感じさせるものだった。
その後ろ姿を見ていると、ラフィが小さく呟いた。
「今の言い方は卑怯だった?」
「なにがだ」
「あの言い方だと、あの子なら断れないだろうなって思ってやったの」
「お前が言わなかったら、俺が似たようなこと言ったよ、それにカーラだって言ってただろ、あいつに必要なことだって」
すっかりやる気を失い、日々を過ごすばかりで騎士の資格試験など夢のまた夢かと思っていた息子に突然舞い込んだチャンスだ。
ヴィートの背中を力いっぱい叩き、三人に手を振って見送る姿はまだ目に新しい。
送られていく息子の絶望的な顔もまた然りだが――。
前衛芸術になりそうなヴィートの顔を、頭を振り払って追い払う。
「――それにお前は何も嘘なんてついてない」
「え?」
「あいつが必要なのも、あいつしかいないのも、危険なことにならないのも、全部本当のことだ……気に病むなよ、らしくないぞ」
「……たった一日の付き合いで知ったような口をきくもんじゃないわ」
そう言われると言葉がない。しかしたった一日の付き合いでも沈んでいる姿が似合わないと言えてしまうのは彼女の振舞い故だ。
ラフィもそれは自覚してるのか、口では言いながらもリュージの言葉に少し励まされ、表情には明るさと勝気さが少し戻ってきていた。
「ふう、確かにそうよね、私何も嘘ついてないし、よく考えたら何も間違ったこと言ってないじゃない、流石私、今日も素敵!」
「いつも以上に調子に乗れとは誰も言ってないからな」
嘆息一つ。
前を見ると、ヴィートは地面を見たままとぼとぼ歩いていた。
まだこれから半日近く歩くのに彼もこの調子ではたどり着く前に、気持ちと共に地面に沈んでしまうのではないだろうか、何か気を紛らわせるような話題でもあればいいのだが、と、リュージの目に飛び込んできたのはヴィートの腰にある鋏だった。
都市を出る際に、エルモがヴィートに渡していたものだ。
神妙な顔でそれを渡すエルモと、真っ青になりながら震える手で受け取ったヴィート、何か大事なものなのだろうか。
「なあヴィート」
「はい?なんでしょう」
「そうがちがちになるな、ただの世間話だ、その鋏って何か特別なものなのか?」
「は、え?これですか?」
ヴィートは専用のホルダーにとめていたそれを目の高さまで持ち上げた。黒に近い灰色の鋏はよく見ると薄く発光していた。
「変わった、鋏だな」
「リュージさんってば何言ってるんですか、これただの『禁じ鋏』ですよ」
「禁じ鋏?」
「はい、騎士団なら誰だって持ってるでしょ?これがなくてどうやって仕事するんですか」
リュージは気づいた。
おそらく、久しぶりにみたこの世界にしかないものだ。
しかも知っていなければおかしいレベルのもの、どうやって話を合わせたものかと困っていると、ラフィが話に加わってきた。
「リュージはアルビオンの出身なのよ」
「ああ、そうだったんですね!なるほど、それなら見たことがないわけだ!」
アルビオンと言う名前を聞いて、とたんに納得するヴィート、リュージにとっては謎が深まるばかりだ。
隣に立つラフィに説明を求める視線を送るも、ラフィはヴィートに聞けと言わんばかりに、彼を見た。
「……結局それって何なんだ」
「これはですね、『古代道具』の一つですよ」
「古代道具?」
「あれ?古代道具って言い方もアルビオンにはないんですか?」
「あ、ああ、みたいだな」
「えっとですね、古代道具っていうのは、『測り紙』『禁じ鋏』『響き石』の三つをさして言う言葉ですよ、『測り紙』は分かりますよね」
分からない、とは言い難い雰囲気だ。
どう答えたものか迷っていると、見かねたラフィが耳元で囁いた。
「あの『インベントリ』の容量調べるときに使うやつよ」
「――あ、ああ、分かる、あの『インベントリ』の容量調べるときに使うやつだろ」
「そうです、それで、この『禁じ鋏』も古代道具の一種、騎士が仕事の際には必ず持ちます」
「鋏を何に使うんだよ、攻撃するのか」
真顔でそう言うと、ヴィートが目を丸くして、リュージを見たあと、さっと顔を逸らした。
よく見れば肩が震えている。不審に思っていると、ラフィがゆっくり首を振りながらでリュージに言った。
「禁じ鋏を武器に使う、それ有名な冗談よ、しかもどこで言っても絶対にうけないやつ」
「ご、ごめんなさい笑っちゃって!リュージさんが真顔でそんなこと言うから!」
「うるせえな、本当に知らねえんだよ」
「そ、そうですね、笑っちゃダメですよね、ごめんなさい、えっと禁じ鋏は髪か爪を切ることにしか使えないんです」
「髪か爪?騎士団がなんでそんなものを」
「もちろん切るだけじゃないです、この鋏で髪を切られると、しばらくの間魔法が使えなくなるんです」
「使えなくなるって、そんなことが可能なのか」
「はい、盗賊とか捕まえた時に、まずはこれで髪を切るんですよ、髪を剃ってたら爪でもいいです」
「爪もない場合は?」
「……最悪の場合は刃を体に滑らせるだけでもいいです、ただそれだとすぐに効果が切れるので」
なるほど手錠のようなものかと、納得すると同時に新たな疑問が湧きあがってきた。
これはどういう仕組みなのだろう。魔法を封じる魔法でも込められているのか、それはないと即座に否定した。
道具に魔法を永続的にまとわせる、いわゆる『付与』と呼ばれる技術ははるか昔より研究されているが未だ結果は出ていないという。
それならばいったい――。
「考えてるところ悪いけど、仕組みなら私たちも分かってないわよ」
「……また顔に、それより、分かってないのか?」
「古代道具は謎が多くて、仕組みもそうだけど、どこで作ってるのかとか、何でできてるのかとか、全部分からないんです、古代道具って名前も、いつから作られてるのかも解らないってところから勝手につけられた呼び名で――。」
「アルビオンに古代道具がないってのは?」
「それはあれよ、言っちゃ悪いけどあの都市って貧乏じゃない?古代道具って高いのよ、西の大陸では手に入らないしね、中途半端な量買うと輸送費がとんでもないことになるわ」
「あ、でも測り紙は別ですよ!インベントリの測定は連盟法で義務づけられてますから」
ここで聞かなければ一生気付かなかったような事だ。一か月近く滞在していても、知らなければ当然分からない。
それに今までの話を聞いていると、アルビオンで生まれた子供ならば、それこそ知らずに一生過ごすことだってあるだろう。関わらなければ危険からは切り離されるだろうが、同時に自分の知らない文化との交流も完全に断たれる。新たな出会いは、無くなるのだ。
「……そう考えると鎖国も考えようだな」
「え?なにか言いました?」
「俺の知らない世界がまだまだあるって言ったんだよ、お前も外に出るのは初めてなんだろ?」
「そうですね、ずっと都市のなかで暮らすと、思いこんでました」
「だったら下ばっか見てないで周り見てみろよ」
ヴィートは言われて初めて気付いたという風に、辺りを見渡していた。
木々が茂っている、草が揺れている、太陽が見下ろしている。葉っぱが揺れている、小川が見える、野兎が駆けまわっていた。どれもこれも都市のなかでだって見ることができる風景だ。
だけど、自分が知らない世界だ。初めて見る景色だ。
見慣れた緑色か、太陽か、風の音か、自分の胸の内に自分でも気付かなかった何かを作り出しているのは――。
「リュージさん」
「おう」
「その、なんて言ったらいいのか、よく分らないんですけど、世界って実はきれいだったんですね」
「……おう、そうだな」
ヴィートの今考えていることなど、リュージには分からない。瞳に映る世界が、彼にどんな影響を与えるのかも。ただ目の前の少年は、広がる景色に感動していた。狭い世界の外側に、感動していた。
外に出ずに生きていく人間は、この感動を知らずに死んでいく、リュージは何となく寂しく思った。
しかしそんなことはお構いなしに、ラフィは佇んでいるヴィートの頭を小突いてリュージを軽く睨んだ。
「なーに男二人で昼間からポエムしてんのよ、さっさと行くって言ってるでしょ」
「あ、す、すいません!」
「……ポエムするってなんだよ、情緒がないなお前は」
「そんなものは忙しい現実の前にいつも敗れ去るのよ、ほら分かったら手と足を動かす動かす!」
「は、ハイ!」
ラフィの手拍子に合わせて手と足を出してしまうヴィート、あっちもあっちで会って間もないのに完璧な上下関係ができていた。
これも相性がいいと考えていいものか、ある程度ヴィートが進むと、ラフィが戻ってきて隣に並んだ。
「結構元気そうよ。よかったわね」
「なんで他人事なんだよ」
「他人事だもの、それにしてもこんな急に元気になるなんて、さっきまでの時間なんだったのって話よ」
「言ってやるなよ、自然を見て自分のちっぽけさに気づくなんて、若さ感じていいじゃねえか」
「うわ、おっさんくさ!」
「お前俺より年上って――」
「……黙れ」
後方から感じた殺気に、ヴィートが体をビクッとさせて振り向いた。
「……落ち着け、俺は何も言ってない」
「この世にはね、通じる冗談と通じない冗談があるのよ、覚えておきなさい」
「分かった」
無表情が逆に恐ろしかった。
リュージは自らのうかつさを呪う。年齢の話を女性に振ってはいけないのは常識だと言うのに――。
女は怒らせると男には到底まねできないプレッシャーを放つのだ。その重みたるや悪魔相手に一歩も引かなかったリュージの意気地をへし折ることなど、た易くこなす。
せっかく足取り軽く歩いていたヴィートが、立ち止まっておろおろし始めた。気にするなと手を振って無理やり歩かせる。
隣を歩くラフィのプレッシャーは薄れていた。一難去ったようだ。
「それにしても、こんなに遠かったっけ、まだ着かないの」
「お前まだ三時間もたってねえぞ、着くのは早くて夕方だろ」
「もう疲れたー!二日連続でこんな距離歩くなんていやー!誰かさんに年増扱いされて余計疲れたー!」
「根に持つなよ、悪かったって、もう二度と言わない」
「ラ、ラフィさん!早く行きましょうよ、僕今ならやる気満々ですよ!」
全く機嫌は戻ってなかった。
眉間にしわを寄せて座り込むラフィを、ヴィートが必死に立ち上がらせようとする、さっきとは真逆の展開だ。
しかし気弱な彼に女性を無理に立ち上がらせることなどできるはずもなく、周囲をうろうろするばかり、リュージはどうしたものかと空を仰ぎ見た。
雲ひとつない、いい天気だ。
何もなければこのままこのあたり一帯散歩したくなるくらいの快晴だ。なんで空はこんなに広いのに人間は下らないことで争うのか、そう考えて現実から逃避しようと試みたが、逃げようと思って逃げきれるなら苦労はしない。
しかたなくもう一度しっかりと謝ろうとしたリュージは――おかしなものに気づいた。
気づいてしまった。リュージは中空の一点を指さして、二人に問う。
「おい、あれなんだ」
「……え!?あれって――」
その方角を見たヴィートの息をのむ音が、膝に顔をうずめているラフィにまで聞こえた。
「なによ、二人して誤魔化そうったってこればっかりは許さないかんね!絶対に、絶対に――」
「ふざけてるわけじゃない! 見てみろ!」
声も、表情も、一切の遊びがなかった。
ふざけている場合じゃないと、隠すのが苦手な表情にありありと出ている。流石に何かあったと察したラフィは、リュージが示すものを見て――。
背筋が凍った。
このあたりはもともと背の高い樹木や、林が少なかった。
建設都市の街道整備がいち早く進んだのもそのおかげだ。そして今、草原地帯のはるか遠く、見えているものは立ち上る黒煙だ。ここからでは小さい煙、だが、あれは、あの位置は、自分たちが目指している場所ではなかったか。
一番早く動いたのはリュージだ。流れるような動きでラフィを右脇に、ヴィートを左脇に抱えた。
「ちょ、ちょっとリュージさん!?遊んでる場合じゃないですって!あれカフナですよね!」
「遊ぶかよ、これが一番早い!」
途端、リュージの体から発せられる銀色の輝き、ヴィートはこれから何が起こるのかを察して額に汗を浮かばせた。
「あの、リュージさん?」
「喋んな! 舌噛むぞ!」
「待って、待って待って!待っ――」
悲鳴を上げる暇もなかった。二人を抱えている人間の、それ以前に人間の出せる限界をはるかに超えたスピードでリュージは駈け出した。
脇に抱えられているヴィートは、風が顔面に直接あたるせいで呼吸ができない、必死の思いで風が自分たちに当たらないように『操作』した。
体への負荷が減ったことに、リュージが驚く。
「魔法も使えるんだな、苦手って聞いてたぞ」
「使わなきゃ死んじゃいそうだからですよ! 何考えて――ていうかこれどうなってるんですか!?」
風景が自分たちに追いつかないという人生初の事態にヴィートの脳の処理機能が限界を迎える。
脇に挟まれながら叫び続けるヴィート、しかし直後に放たれたリュージの呟きが、彼をさらなる恐怖に突き落とした。
「これならもう少しスピードあげても大丈夫そうだな」
「……うそですよね?」
リュージの足が数倍の速さで動き始めたのはその直後のことだった。走りながらリュージは心配だった。カフナももちろんだが、一言も発さずに黙りこんでいるラフィのことが、気掛かりだった。
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