ブロックスの15
ステゴロソウルの制限に気づいたのは、旅を始めて一週間ほどたったある日のことだった。
この謎の力に目覚めてからというもの、リュージは自身で研究を続けていた。いつまでたってもよく分からないもの扱いでは、いざというときに使い辛いからだ。
この先の旅でいつ必要になるかわからない以上、せめて何ができて何が出来ないかくらいは知っておくべきだ、リュージは意外と慎重派だった。
毎日毎日、夜になると全力で動いて体の調子を確かめたり、持続時間を調べてみたり、ありとあらゆる実験を繰り返した。
余談だがその様子を見ていた御者が日に日にリュージに対して恐怖心を募らせてしまったことに、リュージは最後まで気づいていなかった。
あれこれ試しているうちに分かったことはいくつかある。
まず分かり切っていたことだが、ステゴロソウルはリュージの身体能力を爆発的に上昇させるものだ。その上昇値は尋常でないの一言に尽きる――というか正しい測定をする機材などないので、結局はリュージの感覚的なことしかわからないのだが――その肉体は鋼のような頑丈さを、体力は底なしに、単純な腕力なら計測のしようがないほどになる。
――しかし、言いかえればそれだけだ。
矛盾した言い方をすれば人間離れした動きができるが、人間のできる動きしかできないのだ。
ビームも出ないし、空も飛べない、水中で呼吸ができるわけでもない、あくまで、『あり得ないくらい強い人間』という枠の中でしか動けない力だ。
とはいえ強力なことに変わりはないのだが、リュージがその力の代償に気がついたのは些細なきっかけだった。
物を投げる距離を調べようとして、その辺に落ちてた石を拾った瞬間、意図せずにステゴロソウルが解除された。
当初は何の不調かと慌てていたリュージだったが、何度か試しているうちにある結論に達することになる――。
ステゴロソウル使用中、リュージは武器を使用することができない。その徹底ぶりは何かを投げよう、振り回そうと物を持った瞬間に降下が切れる程だ。
先の戦いで、悪魔を投げ飛ばすことだできたところを思い返すに、直接攻撃としての『投げ飛ばし』まで封じられていなかったのがせめてもの救いか。
結果的にリュージは人外と戦う手段を手に入れた代わりに、人類が手に入れた『道具を使う』という武器を使えなくなったわけだ。
このハンデに気付いたとき、リュージは特に慌てた様子もなく、虚空に向かって小さく呟いた。
「まぁ、元から使う気なんてなかったから良いんだけどよ……」
呟きは虚空にのみ込まれて、すぐに消えた。
※ ※ ※ ※
鎧が椅子に腰かけているのは、傍から見るとシュールな光景ではあった。
エルモはカーラが机に置いた茶を『操作』すると、器用にも鎧の隙間からそれを流し込んでいた。
明らかにヘルムを外して飲んだ方が早い気がするのだが、当の本人はいつも通りのことなのか、気にした様子もなくカーラに向かって朗らかに話しかけていた。
「相変わらず君の入れるお茶はうまいな、カフェでも開いたらどうだね?」
「先生、こんな場所で商売始めても、繁盛するはずないでしょう?」
カーラはそう言ってくすくす笑うと、軽く一礼して部屋から出ていった。
今リビングにいるのは三人だけ、団長がわざわざ訪ねてきたのだ。内密の話かもしれないと思ったマッシ親子は、言われずとも部屋の外へ向かった。
出ていくカーラの後ろ姿を眺めながら、エルモは心底残念そうな声を出す。
「ふむ、それは残念だ、君もそう思わんかね、リュージくん」
「……あの、それで騎士のほうは――」
「それよそれ、見つかったの? 見つかった以外の返事は聞かないわよ」
寝ぼけ眼をこすりこすり、不機嫌そうに言うのは、突然訪ねてきた団長のために無理やり起こされたラフィだ。
急いで着替えたリュージとは違って、寝間着のままだ。
なんとも無礼な対応だが、エルモが気分を損ねた様子はなかった。
「それなんだが、少しばかり困ったことになってしまってね」
「困ったこと?」
「ああ、昨日君たちが乱暴を働いた青年なんだがね」
「言い方に悪意を感じるわ、成敗したと言って、それともブロックスは人を貶める騎士を公然と認めるってことかしら?」
「ラフィ、そんな言い方は止めろよ」
「いや、いいんだよ、君の言う通りだ。昨今の若い騎士たちのモラルの低下はブロックスの社会問題でもある、聞く限り君たちの行いは間違ってなかったと思う、しかしね――」
リュージ達の行いを肯定しながらも、エルモは気まずそうに頭をかいた。その様子に二人のなかにある嫌な予感が急速に膨らんでいった。
大きな体躯を小さくして、申し訳なさそうにエルモは事態を説明し始めた。
「今西の大陸全土で犯罪組織が活発になっているって話は知っているかな」
「はい、確かヴィートがそんなことを」
昨日着いたばかりの時にそんな話を聞いた気がする。
四大陸のなかで比較的治安が良いボアル大陸にしては珍しい、というよりここ百年で初めてのことだという、それほどまでにブロックスの威光が行き届いているというべきか。
知っているなら話が早いと、エルモは続けた。
「そのため経験豊富な壮齢の騎士たちがみんなこの都市にいない、居るのは若手の騎士たちばかりだ」
「だから何? 別に若手を回されたからって文句言ったりしないわ、その人たちで構わない」
「それだけで済めば良かったんだが、若い騎士たちのなかでもリーダーのように振舞っている人間がいるんだ。困ったことにそれが思ったよりも大きな派閥になってしまってね」
子どものすることだからと侮ったのが良くなかったとエルモは苦々しく呟いた。
今では若い騎士たちを束ねる立派な勢力として、騎士団のなかでも幅を利かせているらしい。
本人の才能も周囲より頭一つ抜きんでていることもあり、その増長を止める者が周囲にいなかったのも原因の一つではないかと言われているが、今となってはもう手遅れだ。
「……その話が俺たちに何の関係が?」
「正直もう分かっているだろう」
リュージ達のなかに膨らんでいた嫌な予感が、一つの推測を形作る。
できれば外れていてくれと、必死に祈る二人に告げられたのは、予想通りの、最悪な展開。
「君たちが昨日成敗したグイドがそのリーダーだ、しかもどこから聞いたのか君たちが救援を求めてきたのだと知って、誰ひとり行かないように根回しされていたよ」
「……あなた団長でしょ? なんとかできないの」
「すまない、昨日の内に手は尽くしたんだが」
「尽くしたんだがじゃないでしょ、ここは防衛都市でしょ!? そんなひどいこと、あっていいわけない!」
「返す言葉もない」
「この――!」
机に頭を押し付けるエルモに、ラフィが激昂して手を振り上げた。リュージは咄嗟に手を伸ばして、その腕を掴んで止めた。
キッと睨んでくるラフィを、正面から見返す。何秒間そうしていたか、リュージが離さないことを知ったラフィが、力なくその手を下した。
「本当にすまない、そっちのお嬢さんの言う通りだ、全て私の責任であるし、恥ずかしいことだと思っている」
「気にしすぎるのは良くないです、元はと言えば俺たちの行動が原因だ」
俯いているラフィもおそらくそれが分かっているから黙っているのだ。
確かに昨日の時点でリュージ達は自分の行動を後悔していなかったし、今だってしていない。
――それでも、当然のことだが、それこそ子供でも分かるような当然のことだが、やり方を間違ったのだ。
何のことはない、安易な暴力は、ろくでもない結果を呼び寄せるなんて、誰にでも分かることだ。
こうなると今朝見た夢はこれを暗示していたような内容だった。あの時も結局姉に連れられて、謝りに行ったものだ。
それはそれとして、リュージは天井を見上げて、短く呼吸を整えた。
これは自分の責任だ。後先考えずに動いてしまった浅はかさのつけだ。
もう少しうまくあの場をまとめる努力もせずに、暴力に走った報いだ。そんなやり方じゃ何も解決しないって、日ごろから自分自身で言っていたくせに、いざというときこれだ。
エルモは悪くない、自分たちの行動がなければこんなことにはならなかった。
ラフィは悪くない、あの時グイドを許せないと思った彼女の心情を間違っているなんてリュージには言えない。
悪いのは自分だ。すべてどうにかできるかもしれないところにいたのに、怠けてしまった自分のせいだ。
だったら、責任は自分で取るしかない。当然のことだ。
「とりあえずカフナに戻るしかないな」
「帰るって、このまま帰ったら何の意味もないでしょ……」
「だからってここに残ってもどうにも出来ないだろ、だったら帰って他の方法探すしかない」
「他の方法って、それを思いつかなかったから私はこうやってここに――」
「一人の時はな――今は違う、俺がいる」
ラフィがここに来たのは、できる限り今回の件を穏便に終わらせるためだった。
ブロックスが直接介入してくれば、あのマルチャーノと言う商人も割に合わないと踏んで帰るだろう、そんな目論見だったのだ。
だが、権力に頼れない今、リュージに取れる解決策はたった一つ、
――拳を握ることしか無い。
結局自分は変わってないなと、呆れるしかない。
今しがた暴力に頼って反省させられたばかりなのに、こんな最低の方法しか選べないのだから。
「お前はマルチャーノがこの付近の盗賊を雇ってるって考えたんだろ」
「そうよ、ここ最近で明らかに量が増えたって、それがどうかした?」
「だったら簡単な話じゃねえか、この付近にいる盗賊を片っ端から捕まえてくればいい、あいつに繋がるまでな、これが一番手っ取り早い」
ラフィがぽかんと口を開けていた。
リュージがあまりにも真顔でそんなことを言ったからだ。誇張なく短い付き合いだが、もっと理性的だと思っていた男が、随分荒々しいか行ける策を出してきたから、とっさに返事ができなかったのだ。
「時間はかかるかもしれねえが、これなら村を守りながら黒幕にも辿りつける、悪くない作戦のはずだ、少なくとも項垂れてるよりはずっといい」
「……リュージ、それは作戦とは言わないわ、力技っていうのよ?」
「分かってる、でも俺ならできる」
普通の人はそんな作戦は考えない、襲ってくる敵を倒して、倒して、倒して、誰もいなくなったら舞台の全貌が見えるようになる、リュージが言っているのはそういうことだ。相手がどのくらいの規模なのかも知らずに、だ。
あまりに無茶苦茶、あまりに無謀、だが、自分でも知らずにラフィは頬を吊り上げた。十人聞けば、十人が彼女の職業をシスターだとは答えない、そんな凶悪な笑みだった。
「――いやあ、私も大人になっちゃったもんだわ、大きな力に頼るのに必死で、そんな単純なことに気づかないなんてね」
言うと突然ラフィは椅子の上に立ってリュージを見下して、指さした。
その瞳はギラギラと力に溢れていて、今から未来には希望しかないとでも言いたげに輝いていた。
「その作戦でいくわ! 私も手伝う!」
「馬鹿、俺一人でやる。危ないだろうが」
「いらないお世話ね、言っちゃ悪いけど私あなたより強い自信あるわよ」
「いや、そういう問題じゃ――」
「そういう問題よ、それにこれはもともと私の問題、あなたは巻き込まれただけ、なんなら逃げてもいいのよ?」
「……言うじゃねえか、だったらお望みどおり頼らせてもらうぞ」
ラフィがすっとリュージに手を差し伸べた。
リュージはそれを迷わず握った。もともと二人ともタイプは同じだったのだ。
――考えるよりも先に動いた方がいいと、そう信じているタイプ。
「ま、待ちたまえ、二人とも!」
それを見ていて焦ったのは団長だった。ブロックスから応援が出せないことを伝えるのは、本当に気が重いことだった。
頭を下げろと言われれば地面に擦りつけただろうし、殴りたいと言われれば鎧も脱ぐ所存だった。それでも結局、泣くなく帰る二人を見ることになってしまうだろうと、諦めていた。
それがどうだこの目の前の状況は、二人とも応援が出ないと分かったとたんに自分たちで解決することを迷わず選んだ。
危険はもちろんある、下手をすれば死んだっておかしくない、リュージに至っては昨日知った村のためにだ。エルモからすればふたりは事態を甘く見てるとしか思えなかった。
「他の方法を考えてはだめなのか、危険すぎる!」
「やーよ、もう決めたもの」
「リュージくん! 君は何のためにそこまでする!? カフナには昨日着いたと聞いたぞ、命をかける義理はないはずだ」
「……必要ないだろ、そんなもの」
「必要、ない?」
「目の前に困ってる奴らがいるんだよ……義理はなくても、理由にするには十分だ」
困ってる人がいるから、助けを求めている人がいるから、それは、騎士が動く理由ではなかったか、エルモの胸中を言い得ない感情が渦巻いていた。
それは感動だったかもしれないし、恥だったかもしれない。目の前の青年が何者か、エルモは初めて分かった。
「……そうか、君は、勇者だったな」
「その呼ばれ方は、好きじゃないけどな」
「いや、君はそう呼ばれるに値するよ、今分かった」
グイドが若手を率いるようになってから、ブロックスは変わってしまった。騎士は人を守る自分たちを、あたかも優秀な人間であると思い始めた。守られる人たちを侮り始めた。
最初は何とかしようとした、それでも「全員が一度にやめたらこの都市どうなるんですかね?」と笑うグイドを前に、すっかり諦めてしまった自分がいた。
誇り高きブロックスの騎士として、あるまじき姿だったのは自分だ。エルモは腹をくくって正面に座る二人を見据えた。二人もエルモの雰囲気が変わったことに気づいた。
「二人に、提案があるんだが」
「……聞かせてください」
「話を聞いた限りでは、ブロックスがカフナの保護に踏み切ったと思わせればいいんだろう? だったら行くのは見習いでもいいはずだ」
見習い、それは正式には騎士の資格持っていない、騎士学校を卒業した直後の少年などに与えられる称号だ。原則として見習いは一人で仕事にあたることができない。正式な騎士の助手と言う形で、同行を許されるのが関の山だ。
それは端的に言えば、見習いは戦力としては感情に入れられないレベルだからなのだが……今回においては、言い方は悪いがほしいのはブロックスの名前だ。来てもらえるなら贅沢は言えない。
「もしかして、見習いなら大丈夫なの?」
「いや、グイドは見習いも自らの派閥に取り込んでいるよ」
「問題解決してないじゃない」
「話を最後まで聞いておくれ、ブロックスの騎士見習のなかで一人だけグイドの派閥に加わっていない子がいるんだ」
「加わっていないって――あ!」
「そうか!」
ラフィとリュージは同時に声を上げた。心当たりがある、というか心当たりしかない、二人が同時にエルモを見ると、エルモは頷いて、部屋の外に声をかけた。
「ヴィート! 入ってきなさい!」
「は、はい! なんですか!」
突然呼ばれて慌てて部屋に飛び込んだヴィートは、室内の様子がおかしいことに気づいた。
ラフィは瞳を輝かせて自分を見ているし、リュージも何かに納得したように頷いている。何が何やら分からずに二人を見ていると、座っていたエルモが、文字通り重い腰をあげて立ち上がり、ヴィートの目の前まで歩み寄った。そしてぽんと肩を叩く。
「あ、あの、団長?」
「なあヴィート、君はいつも実に真面目に職務に励んでいると私は思う。君ほど真面目な少年は今どき珍しいと言っていいだろう」
「はあ、ありがとう、ございます?」
「確かに君は少々臆病なところがあるが、気にすることはない、勇敢であることは大切だが、勤勉さだって掛け替えのない美徳だ」
「ヴィートが立派な人だって私も知ってるわ」
「お前はやればできると俺も思ってるぞ」
エルモは明るい声で、ラフィはにやにやしながら、リュージだけは真顔で、三者三様の褒め言葉に、ヴィートは背筋に寒気が走るのを感じていた。
少年の背に走る、嫌な予感が加速していく。
「ど、どうしたんですか? 皆さんおかしいですよ!?」
「おかしくなどないよ、君の普段の働きに対する正当な評価だ、ところでヴィート、ブロックスで見習いが騎士になるための条件は知っているかね?」
「そ、それは、もちろん……都市外で起きた問題を、一件自力で解決することですよね?」
「そうだよく覚えていたね、それでね――君そろそろ騎士になってみない?」
「…………へ?」
エルモの後ろに、両手でサムズアップしてるラフィの姿を見たとき、事態はよく分らなかったが、とりあえず断れないことを悟った。
ヴィート・マッシ、騎士になるための試験、半強制的に開始。
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