アルビオンの26
屋根も壁もなくなり、すっかり寂しくなった玉座、騒動が終わり一週間が経つが、まだたまにここに来たくなる。
あの不思議な声との出会いを期待しているのかもしれない。もうここでは会えない、なんとなくそれが分かっていても、不思議と足がここに向く。
それだけじゃなくても、ここは龍二にとって随分思い出深い場所になってしまった。
この世界で初めて命の危機を感じた場所で――。
戦う力を手に入れた場所で――。
そして、戦う決意を固めた場所だ。もうきっと一生ここでの出来事は、いや、この都市で経験した出来事は、忘れることはないだろう。
異世界に来た時に着ていたスーツに身を包み、部屋の体をなしてない部屋の縁に腰かけて、遠く復興を続ける街並みを見る。
あんなことがあったのに生きてる人間と言うのは力強い。感慨に浸っていると背後から小さな足音が聞こえた。
「リュージ、またここにいたの?」
「おう、なんとなく足が向いてな」
アリスは、しょうがないものを見る目を龍二に向けた後、となりに腰かけた。
バランスを崩すだけで地面に真っ逆さまだ。危ないからやめてほしいのだが先にやっていた手前強く言えない。
並んで蟻のようなサイズの人々が動き回る都市を、言葉も無く見る。しばらくして切り出したのはアリスだった。
「ねぇ」
「ん?」
「元いた世界の話教えて」
「……またか」
「だって、いくら聞いても飽きないんだもん」
あの戦いの後、龍二はアリスに自らの出自を明かした。
あれだけいろんな人が勇者と連呼したので隠しきれないと悟ったのだ。
狂人と言われるのを覚悟で告げたところ、彼女はあっさりと受け入れた。本人が言うには記憶喪失よりは説得力がある、だそうだ。初めから嘘だとばれていたらしい。
その日からよく元いた世界の話を聞かれる、とはいっても学のない龍二である、適当なことを言っては、思いのほか深い質問をされて答えられないことの連続だった。
電話が通じる理屈など知らなくとも日本人は電話を使いこなすのだ。その日もそんな感じだった。
「――すごいねぇ、きっとこの世界の全部の都市が協力してもできないことばっかり」
「そんなものこっちだって同じだ、魔法なんてどう頑張っても使えないだろうな」
「でもリュージは魔法が使えないのに、ケビンが倒せない相手倒しちゃったんだね」
それを言われると自分が人間から離れていくようで辛い。
あの不思議な空間から帰ってきた時、龍二にはあの力――
だがあの力が何なのか、自分でも分からない。もし女神が与えてくれた力ならば情報くらい一緒にくれたら良かったのに、と後で思ったものだ。
当然使っている本人が理解してないのに、他の誰に分かるはずもなく。この力は謎のままだ。今でも龍二のなかにあるのは分かるのだが――
それでもヒントはあった。ルイスにあの空間のことを話した際に言われたのだ。
『もしその声が本当に女神さまだと思うのなら、ローゼンニッヒに行く事だ』
東の大陸にある、女神教の総本山、その都市に行けば何か手掛かりが掴めるか可能性がある。
それだけではない。そもそも勇者と魔王も女神が話したことだ。手掛かりがない今、目指すべき場所は決まった。『信仰都市ローゼンニッヒ』へ向かう。
長距離の移動手段が馬車と船しかないこの世界では、どれだけの時間がかかるかは分からないが、現状できることはそれだけだ。
「そういえばケビンはどんな調子だ?」
「うん、もうすっかり元気、まだ左手がないのに慣れてないみたいだけど」
「そうか……」
「あ、リュージに言うと私の実力不足を勝手に自分の責任にするだろうから言うなって言われてたんだった」
「いや、もう良く分かった、元気になったみたいだな」
片腕を失っても彼の言動は相変わらず騎士の鑑のようなやつだ。
ならばそれ以上気に病むのは野暮というものだろう。すぐには切り替えることはできないが……。
「あ、それとね、バンゴともいろいろ話してるのよ」
「お、そうか何か面白い話聞けたか?」
「うん、なんかパパよりバンゴのほうがママの話してくれる」
「……お、おう」
なぜだろうすごく申し訳ないことを聞いた気持ちになった。
誰にだって青春時代ってものがある。そこを突っ込んでも良いことは無い、忘れよう、龍二は一緒に出ていけと大きく息を吐いた。
バンゴは、一命を取り留めた。今はもう歩けるようになっているしあれ以来周囲への態度も軟化しつつあるとはアリスの言だ。
しかし本当に魔法と言うのは卑怯なほど強力だ。専門職でないルイスの治療でここまでできるのだから、話によると本職の治癒魔法使い――教会関係者――は切り落とされた手足を付け直すことができるらしい。医者泣かせにもほどがある。
――まあこの世界では彼ら彼女らが医者なのだが。
「リュージはここにきて一カ月なのに、いろんな問題を解決したね」
「俺の力なんていつもほんのちょっとだろ、バンゴだってお前が説得したしな」
「でもね、いろんなことが動き始めたのはリュージが来てから」
アリスはたまに見せる大人びた横顔を見せる。
リュージはその顔をするアリスは無理をしているようで見ていて辛かったが、今日は違った。大人びた、それでいて晴れやかな顔をしている。
「リュージは本当に勇者様なんだね」
「……やっぱまだ恥ずかしいな、その呼ばれ方」
「もう、行っちゃうの?」
「――ああ、もう行く、魔王ってのがいるのも分かったし、きっとこれは俺がやらなくちゃいけないことなんだって、分かったからな」
龍二は、傍らにあったバッグをとった。
ルイスが選別にとくれた日用品だ。金子もこんなにいらないと断ったのだが、かばんの重量が変わるほどもらった。
一人のものじゃない、都市全体の感謝なのだと目を見て言われては、断ることなどできるはずもない。
ずしりと感じるこのバッグが、この都市で龍二がしてきたことの結果だ。
バッグを手に、その場か離れていく龍二の背中にアリスは短く声をかけた。
「ばいばいリュージ」
「ああ、またな」
「また来てくれるの?」
「……分からない」
「そこはね、嘘でも来るって言うんだよ?」
こうして城戸龍二は異世界にきて、初めてであった、妹のように感じていた少女と別れた。
階段まで来たところで、人影が彼を待っていた。傷だらけの老人はアリスの方を見て、そのあとリュージを見て言う。
「あれでいいのですか」
「いいんだよ、別れってのは言葉で取り繕うもんじゃない」
「そうですか……では行きましょう、馬車の準備ができております」
「ああ」
龍二はアロマと共に階段を下りる。アルビオンの城も、これで見納めだ。
結論から言うとアロマは生きていた。ただしただでは済まなかった。
目覚めたアロマは、龍二の知りたかったことをすべて忘れていた。
あの石のこと、自分の目的のこと、自分に命令した人間のこと、ちなみにあのアロマがジャンクスピリットと呼んだ石は、あの後砕けて塵になりどこへともなく消えた。
近道をしようとする龍二を嘲笑っている何者かの存在を、強く感じさせられる一件となったのは間違いない。
その先にきっといる魔王に、いつか手を届かせなければならないと、強く決心させられた。
「よし、もう行くよ」
町の入口、一番近くの都市へと龍二を運ぶ馬車に荷物を詰め終え、あとは乗り込むだけだ。
「本当にもう行くのかい」
「ふん、せっかちな男だな」
「ああ、あんまり長くいると、名残惜しくなっちまうからな」
見送りはたったの三人、アロマとケビン、バンゴだけだ。これは都市の復興で忙しい住民たちを慮って、龍二が出立を誰にも告げていないからだった。ケビンとルイスは反対したのだが、龍二は頑として譲らなかった。
「しかし、アリス様が来ないとは意外だね」
「一応最後の別れならさっき済ませた」
「だが、見送りは別じゃないか?」
「……あいつは泣き虫なんだ、見てればわかるだろ」
「ああ、なるほど」
ケビンは全てを察し、アリスのかわいらしい意地に口の端に笑みを浮かべた。
「それじゃ、世話になったな」
「こちらこそ、君がいないとどうなっていたことか」
固く握手を交わす、この男も短い間だったが親友と言っても過言ではないほど心を許しあった。
元の世界では友達と言える人間は数人しかいなかったこともあり、懐かしい気持ちだった。
「じゃあなアロマ」
「リュージ殿、あなたには返しきれない恩があります」
「それを俺に感じてる暇があったら、都市を大事にな」
「耳の痛い限りです」
リュージはその流れでバンゴにも手を差し出す、バンゴは鼻で笑って握ろうとしなかった。
最後までぶれない、立派な奴だと龍二は苦笑した。
「貴様の手を握るなど頼まれてもごめんだ」
「嫌われたもんだ」
「――ただ、次に会った時なら考えておいてやる、だから、死なないようにな」
本当に随分丸くなった、人間きっかけさえあればいつだって変わることができるのだ。いつだって遅すぎるということはないのだ。
今回の騒動、城の人間は住人に対して包み隠さずすべてを告げた。
伝えることができないこともたくさんあったが、騒動の発端がバンゴであることも、白の破壊はアロマが主犯だったことも、すべてを正直に話した。
住人たちは、すべてを聞いたうえで笑ってそれを許した。
死人が誰も出なかった、それだけでいいのだと――。
本当に、お人よしの多い都市だ。
龍二は荷台に乗り込むと、御者台にいる男に向かって
「それじゃ、頼む」
馬車が走りだす。新たな世界へ龍二を運ぶために――
突然異世界に呼び出されて戸惑っていたサラリーマン城戸龍二の物語はいったん休憩だ。
ここから始まるのは、綴られていくのは英雄譚、主人公は異界の勇者、リュージ・キド。
徐々に小さくなるアルビオンの都市に、リュージは手を振った。
温かい都市に、勇者を生み出した地に――。
※ ※ ※ ※
地平線に向かって走る馬車を、アリスは眺めていた。
その背後から聞こえてきた足音が、アリスのすぐ隣で止まる。
――ルイスは静かにアリスの隣に腰かけると、優しい声音で娘に声をかけた。
「アリス?」
「パパ……」
「こんなところで見送りかい?」
ルイスの問いかけに、アリスは軽く頷いた。
「うん、さっきお別れはちゃんとしたもの、それにここからのほうが遠くまで見えるし」
「アリス」
「なに?パパ」
「泣くことはね、恥ずかしいことじゃないんだ……別れが寂しいのは当然のことなんだよ」
その言葉に、アリスはゆっくりとルイスを顔を合わせた。
ルイスは無表情で、黙り込むアリスに笑いかけると、その頭に手を乗せて言葉を続ける。
「パパはね、ママが死んでしまった時にちゃんと泣かなかったのを今でも後悔してるんだ、君に同じ失敗はしてほしくない――だから今はパパの胸を使いなさい?」
「……ん」
アリスの小さな頭が、ルイスの服に埋まる。
「あのね、リュージが勇者様じゃなくてもよかったの、強くなくてもねよかったの」
「ああ、そうだね」
「何も知らなくても、変な服着てても、ちょっと無神経でもよかったの」
「ああ」
「――ずっと、ずっといてほしかったの」
「ああ、パパもだよ」
アリスは泣くことはよくないことだと思っていた。
それでも泣き虫な自分は泣いてしまうから、せめて小さく泣こうと思っていた。でも、父が認めてくれるなら、いいのかもしれない。
アリスは泣いた、大きな声で泣いた。ずっといてほしかった、兄のように思っていた人を思って――。
ルイスはアリスが泣きやむまでその背中を優しく撫でながら、自らの友人でもある男が乗っている馬車を、消えるまで眺めていた。
気のせいか、彼はこちらに手を振った気がした。
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