アルビオンの23
あんな岩のような皮膚を、拳で殴るほど龍二も馬鹿ではない。
ならばどこを狙うか――もちろんあのアンバランスに細い脚に決まっている。あわよくばそのまま倒れてくれればなお助かる。
龍二は助走をつけて飛び上がると、悪魔の脛めがけて踏みつけるような蹴りを繰り出した。
この巨体だ、転べば簡単に起き上がることは適わないだろう。そんな狙いがあったが――
「痛ってぇ!」
岩どころではない、鋼に思い切りぶつけたような感触に、龍二の足に急激な痺れが拡がっていく。
――足の裏使ってもこれかよ
比較的自分にダメージが少なそうな攻撃方法を選んでもこれだ、早くも対抗手段を失った龍二は他の攻撃手段を探す。
ケビンは少し離れた場所から、例の緑の斬撃を飛ばしていた。こちらは少しは効果があるのか、悪魔はその右手の塊を使って防いでいた。
二人にとって幸運だったのは、悪魔は見た目通りにに動きが遅かったことだ。
攻撃がくる頻度は決して多いとは言えない。油断さえしなければかわすこともできる。
「――とはいえ、これじゃ埒が明かねえ!」
前後左右から、足を狙ってみるがどの角度からけってもダメージは見られない。それに比べてこっちはおそらく一発もらったら致命傷だ。攻撃の度に崩れていく部屋がそれを示している。その緊張感に体力と集中力ががりがりと削られていく。
いくら回避できるスピードと言っても、この調子で延々と続けば、負けるのは確実に龍二たちの方だ。
「リュージ、離れろ!」
ケビンが、悪魔の攻撃で崩れた床や壁に剣を向ける。すると瓦礫が一斉に宙を舞い、目にもとまらぬスピードで一直線に悪魔めがけ飛んで行った。
龍二を気絶にまで追い込んだあの技だ。しかし今のスピードを見ていると、やはりあの時でさえ全力で戦っていなかったことがわかる。
一度受けたおかげであの技の威力は知っている。小さな礫ですらあの破壊力があったのだ、ましてや今回は人の頭ほどもあるような瓦礫が、ガトリング砲もかくやというスピードで殺到している。
もし的にされているのが人間だったならば、数秒で跡形もなく吹き飛ばされていただろう――そう、人間ならば、だ
「嘘だろおい――」
龍二の額を流れていく汗が、完全に冷え切ってた。
あの礫の弾丸の中、悪魔は攻撃など見向きもせず、逆に龍二たちへの攻撃を続ける。
左手は鋭利な五爪、右手は破壊力の塊、そのうえこちらの攻撃は効かず、今現在相手が消耗している様子もない――このままでは確実に自分たちが体力を使い切るほうが早い。長期戦は、不利でしかない。
悪魔はそんな龍二の思考すらも許してくれない。頭上まで振りかぶられた肉塊が、力任せに床に叩き付けられた。
地面を転がってその一撃をを回避した龍二の体が、衝撃だけでボールのように宙に跳ねる。
「うおおおおおおおお!?」
「リュージ! 捕まれ!」
龍二は宙を舞って助けに来たケビンの腕をつかむ。
空を飛ぶという魔法の使い方は、非常に高度なものだ。
この世界の魔法は生き物の体に影響を与えることができない。つまり人間の重さを変えることもできない。
そんな縛りのある魔法で、空を飛ぼうとするならば、方法は非常に繊細は風の操作に頼ることになる。
つまり不安定な空中で、急激に増えた重量に耐えきれるほど、おおざっぱな魔法ではないということだ。
「――がはっ!!」
「――ぐぅっ!?」
結果的に龍二とケビンはぐるぐると空中で回転しながら、真っ逆さまに地面にたたきつけられた。
上下感覚すら失う痛みの中、龍二はは力を振り絞って地面に手をついた。
立て直すのを待つ義理など、相手にはないのだから――。
痛む身体に鞭打って、次の攻撃が来る前に立ち上がった龍二に視界に――それは入った。
――瓦礫に足を押しつぶされて身動きの取れなくなっているルイスと、その傍で泣き叫ぶアリスが。
もちろん二人の存在を忘れていたわけではない――ただ戦いの余波が龍二の予想よりもはるかに大きかったというだけのことだ。しかし余波がもたらした結果は思ったよりも深刻だ。
龍二は何かを考えるよりも先に、思い切り地面をけった――それこそ痛みすら忘れるほどの速さで。
隣から突進してきた悪魔すら、ぎりぎりまで視界に入らなかったほどに――。
すんでのところで、龍二は大きく前転すると、その突進を回避する……だが流石にタイミングが悪すぎた。
避けたと思った悪魔の足が、龍二の肩を掠める。それだけで龍二の駆けた距離はゼロになる。ごろごろと地面を転がされて、再びケビンの隣に行きついた。
「ぐ、ァ……ちくしょう……」
「リュージ!? 無事か!」
「……俺のことはいいから、はやくルイスとアリスを――」
「――それを許すほど、私は慈悲深くないのですよ」
悪魔が重々しく口を開いた。
その姿を見上げながら、龍二は顔をゆがませる。
正直言って、この化け物と戦いながらあの二人を助けるのはあまりにも無理がある。
ルイスは今のところ足を瓦礫に挟まれているだけで、致命傷を負っているわけではなさそうだ。そんな幸運が何度も続くとは思えない。
あと二、三度同じ攻撃を受ければ、この部屋、延いてはこの階自体が崩れてもおかしくはない。
あの二人は、一刻も早くこの場から逃がさねばならない――できればあの悪魔に邪魔をさせないように、そしてその方法自体、ないことはない。
それどころか、上手くいけばそのままこの悪魔を倒すことさえできるかもしれない。問題は失敗がそのまま死に直結するということだが――。
――そんなの、今さらだな
龍二は軽く目を閉じると、小さく呼吸を整えてから、目を開く。
その視線は一直線に悪魔に向けられていた。
「――ケビン、お前はあの二人をここから離れた場所に連れて行ってくれ」
「……いきなり何を言っているんだ?」
「いいから急げ……あいつは、俺が一人でやる」
「なっ――何を言っているんだ!?」
いつでも冷静を保っているケビンの取り乱した様子に、龍二は場違いにも笑いそうになった。
「君一人でどうにかなる場でもない! バカなことを言うのはよすんだ!」
「ああバカだろうな、だがバカなりに考えて言った――冗談じゃねえ」
「だったら、なおさら――」
「悠長に話しておられますが――それは許さないと言ったはずです……心配することは無い、どうせ遅かれ早かれこの都市は滅ぶ、順番が遅いか早いかの違いですよ」
決定事項のように語る悪魔に対して、龍二は鋭い声で言った。
「おい、かかってこいって言ったのはお前だろうが」
「む……」
「勇者様が、相手してやろうってんだ――うだうだ言ってねえで俺と戦え!!」
悪魔の動きが、完全に止まった。
悪魔の口角が上がり、そのまま口が裂けて頬がなくなる。
恐ろしいが、間違いなく悪魔は笑っていた。
「いいでしょう、その挑発、乗ってあげましょう!!」
「――というわけだ、そっちは頼むぜケビン」
「だが――!?」
龍二は悪魔にばれないようにケビンの背中を叩く。
驚いて顔を向けてくるケビンと視線を交わした龍二は、自分の思惑が伝わることを祈りながら、必死に視線で語り掛けた。
「……頼む。これが最後のチャンスなんだ」
「――分かった、死ぬんじゃないぞ」
伝わったかどうかは分からないが、ケビンは真剣な面持ちで頷くと、直立する悪魔の横をすり抜けて一直線にルイスたちの元へと向かっていった。
ケビンが瓦礫をあっという間に動かすのを視界の隅に収めながら、龍二は悪魔に声をかけた。
「随分素直に聞いてくれたな」
「言ったでしょう? 順番が変わるだけだと」
「……ああ、そうだな、順番は変わる。最初に倒れるのが、お前になるからな」
明らかな虚勢、しかし龍二の目は決して死んでいない。
強い輝きを秘めたままの視線を前に、悪魔はますます愉快そうに、声を張り上げた。
「――では、胸を借りますぞ、勇者殿!!」
開戦の火ぶたは一瞬で切られた。
悪魔が振るう五爪を、龍二はできる限り小さな動きで避けていく。
当然だが龍二の負担は今までよりも増える、今まで二人で分散していた攻撃を、ひとりで受けているのだ、いくら相手の動きが緩慢だからと言って限度というものがある。
そのうえ相手の体のでかさもあり、回避の動作がいちいち大きくなるのだ。体力の消耗が馬鹿に出来ない。
気がつけば息を切らせている龍二を見て悪魔が嗤う
「もう体力の限界ですか、この老いぼれでもぴんぴんしてるというのに」
「ドーピングしてる分際で偉そうに言ってんじゃねえ」
「それだけ元気ならまだやれますな――しかし逃げているだけでは勝負になりませんぞ?」
確かに、攻撃手段が見つからないとはいえ、このまま避けるばかりで悪魔に飽きられてしまうとそれで終わりだ。
気が変わったと言ってルイスたちの元へ行かれてしまっては、龍二にはどうすることもできないのだから――。
龍二は覚悟を決めると、異形の両手での攻撃をかいくぐり、助走をつけて――跳んだ。
「おおおおおおおおおおおお――らぁっ!」
渾身の力を掌で、悪魔の腹を打つ。
人体が出せるとは思えないほどの激突音が、あたりに響いた。
悪魔が、後ろにずれる、数ミリではあるが確かに後ろに動かされた。
「ほう、これは凄い」
「そんな平然と言うんじゃねえよ!」
平然と感心までして見せる悪魔に対して、龍二が払った代償は決して安くない、掌は裂け、血が溢れ、骨まで見えかかっている。
それでもためらう気はない、骨が軋み、肉が裂けても掌ていで打つ、打つ、打つ、かわす、打つ、かわす、かわす――
そして不意に、龍二は悪魔の背後にそれを見た。待ち望んでいた『それ』を――まだ気づいていない悪魔が、龍二に向かって怒鳴る。
「足掻いたとてこの程度ですか! ならば潔く死を選びなさい!」
「ああこの程度だ! なんせ俺はただのサラリーマンだからな! お前みたいな化け物をなんとできてたまるか!」
「何を――」
「だから、頼むぞケビン!」
その声に驚いて振り返った悪魔は、高速で飛来してくるケビンと――その手に握られた緑色に輝く剣を見る。
極彩色に輝く刀身は、一見しただけで爆発寸前まで高められたエネルギーが内包されていることを感じさせた。
「――やってくれ!」
「リュージ! 死ぬんじゃないぞ!」
ケビンの剣は次々に色が変わる、極彩色の輝きを放つその剣を、大上段の構えで持つ、剣先から天高く伸びた光は瞬く間に天井を蒸発させ曇天を部屋の中へと招き入れた。
完全に回避のタイミングを失った悪魔が、忌まわしそうに剣を睨みつける。
ケビンは上げていた剣を振り下ろした。たったそれだけの動作で、城は、半分に割れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます