アルビオンの22
一番早く動いたのはケビンだった。彼は風の力で自身の速度を上げると、躊躇なくアロマに切りかかった。
しかしそれを予測していたのかアロマはバンゴが落とした剣を蹴りあげて掴むと、それでケビンの攻撃を防ぐ。ケビンは老人とは思えない反応速度に驚きながら、二撃三撃を入れていく、そのまま二人の攻防は続く。
「おい!? バンゴ! アリス!」
龍二はそのすきにバンゴとアリスのもとまで駆け寄った。
片や意識がなく、肩や呆然としていて反応がない。
とにかくここは危ない。傷口に悪いなど一切考えず、二人を抱えてルイスのもとまで走る。
「リュージィ! アロマが、バンゴが――」
「分かってる!」
ショックでうわごとを呟いているアリスの背中を撫でながら、龍二は駆ける。
龍二はアリスをルイスの隣に座らせ、バンゴを置いた。
ひどい出血だ、このまま放っておいたら確実に――
「ルイス!治せるか」
返事はない。ルイスも茫然自失となって返事ができないようだ。
時間がない、龍二はルイスの肩を掴んで揺さぶると強めに頬を叩いた。緊急事態なので方法が荒いのは勘弁してほしい。
何が何だか分からないのはお互い様、それでもルイスは何もできない自分とは違う。固まってもらっては困る。その目に光が戻って来た。
「おい! しっかりしろ!今治療ができるのはお前しかいないんだぞ!」
「――っ!ああ、分かってる、アリス、悪いが手伝ってくれ、時間との勝負になる」
「うん!」
「任せたぞ!」
龍二はバンゴの無事を祈りつつ、切り結んでいる二人のもとへ走り、アロマに横から殴りかかった。
アロマはそれを難なく躱すと、軽やかに跳んで距離をとる。
――やはりいつもの彼からは考えられない身体能力だ。三人で正三角形を作りながら、龍二は叫んだ。
「何のつもりだアロマ!」
「何のつもりとは?」
「ふざけるな!説得はうまくいきそうだったじゃねえか!何で刺す必要があった」
「なるほど、根本的な勘違いをしておられるようだ」
「なに?」
「実は私がルイス様の味方であった、など考えておりませんよね」
違うというのか、バンゴに囁きかけたアロマの言葉が聞こえていなかった龍二には、あの行動はバンゴに与したふりをしたアロマが不意を突いて攻撃したようにしか見えなかった。
「私の目的はもっと別のものなんですよ」
「できればそれを聞かせてもらいたいね、アロマ」
一切集中を切らないまま、ケビンが尋ねる。アロマはその問いには間をおかずに答えた。
なんの躊躇いもなく、予め決められた台本を読み上げているだけのようだ。
「そうですね、一言で言うとこの都市の破壊です」
アロマが何を言っているのか、龍二には分からなかった。ケビンも同様だ。
先ほどから、彼の瞳には何の揺らぎもない。
淡々としゃべり続けるアロマは、まるで機会が人のふりをしているようで、酷く不気味に思えた。
リュージの情動を知ってか知らずか、アロマは語り続けた。
「もっと正確に言うならば――この老いぼれ一人でどれほどの被害を出すことができるか、その実験だそうです」
「実験? お前、さっきから何を言って――」
「お喋りは、ここまでですな」
アロマは懐から小さな石を取り出した、筒のようなしかし先が鋭利に尖っている。透明なクリスタルは不気味な輝きを放っていた。
その石に、龍二は激しい、悪寒を越えた怖気のようなものを覚える。
――あれが何かは分からない、分からないが、このままでは、まずい。
龍二は直観的な確信に突き動かされるように、アロマに飛びかかった。
「やめろアロマ!!」
「すぐに死なないでくださいね、勇者殿」
アロマがその石を胸に突き立てたのを見た次の瞬間、突如発生した衝撃波に龍二は吹き飛ばされた。
「ぐ……なん、だ?」
「無事かリュージ」
衝撃波を防いだケビンが龍二のもとへと駆け寄る。
手を借りて立ち上がる、幸い衝撃波の規模自体は小さかったようで、遠くに離れていルイスたちには何の被害もなかった。
――しかし、そんなことを忘れるほどに、眼前に広がるのは己が正気を疑う光景だった。
アロマの肉体が膨れ上がりぼこぼこと形を変えていく、それは子供が水風船を握りつぶして遊ぼうとしているようにも見えた。
言葉を失う一同の前で、いつしかそれは一つの形へと固まっていった。
出来上がったそれをリュージは、言葉もなく見上げる。
その体躯は軽く五メートルは超えていた。
上半身が膨れ上がり、代わりに下半身はアンバランスなほど小さい。天井が高いこの玉座の、それでも半分の高さを埋めていた。表皮はひび割れているものの脆さは感じさせず、逆に岩のようにごつごつしている。
眼球らしきものはなく、その場所はぽっかりと空洞になっていて、頭からは尖った角が、口からは牙が突出していた。
だが特筆すべきはその手だろう。両手とも異様に大きく、形も変形している
左手は、五指全てが鋭利な詰めとなって、掌というものは存在していない。
逆に右手は歪な鉄の塊をくっつけたように、巨大な塊がついているだけで、指が存在しなかった。
その場の誰もが呼吸を忘れた。
恐怖か、絶望か、否それすらも通り越した思考の放棄だ。衝撃が臨界点を超えた精神の防御反応だ。言葉にせずともこの姿を見ている者の抱く思いは一つだ。
こんな生き物がこの世のものであるはずがない、こんなおぞましい、生き物を殺すためだけに生まれてきたような冒涜的な生き物が、この世のものであるはずがない。
もしそんなものが存在するとすれば――。
人はそれを、『悪魔』と呼ぶだろう。
悪魔はおもむろにその大きな口を開いた。次の瞬間、
ヴオオオオオアオアオアオアオアオアオアァォアォアァオアォオオ――!!
鼓膜が破壊されたのではと疑うほどの衝撃が龍二を襲い、片膝をつく。
立てている膝が震えて動かない、生まれて初めて呼吸をする赤子のように空気を求めるが何も入ってこない。
城戸龍二は明らかに恐怖にのまれていた。隣のケビンも、剣を地面に突き立て辛うじて立っている。
――なんなんだ、いったい……!
勝てるわけがない、戦おうとすることすらおこがましい。向こうは殺戮者で、こっちは殺されるだけの羊だ。それがはっきりと自覚できた。
生物としての本能でとっさに逃げようと考えた龍二は、後で何かが倒れる音を聞いた。
玉座の隅まで移動してたルイスとアリスが腰を抜かして動けなくなっていた。
龍二に少しだけ冷静さが戻ってくる。そうだ逃げるわけにはいかない、後にはあの二人が、バンゴもいるのだ。
龍二は自分の頬を力の限りぶん殴った。口の中に広がる血を地面に吐き捨て、口元をぬぐいながら立ち上がる。
「ケビン!動けるか」
「……ああ、君のタフさには驚かされるよ」
「お互い様だ――ルイス!アリス!そっちには絶対にこいつは行かせない! 安心してろ!」
リアクションを見ている暇もない。
並び立って、悪魔を睨む。勝てるのかも、そもそも戦いになるのかも、この際問題ではないのだ。
――ただ目の前に迫った現実と対峙する、どこで生きていたって何をしていたって、それこそサラリーマンだって、同じことをする。
悪魔が口角を上げた。嬉しいのだと遅れて理解するまでに時間がかかった。
「良かった、戦う気概はありそうだ」
ざらざらとした耳触りの悪い音
その口から意味のある言葉が出てきたことにさえ違和感を感じるが、やはり目の前のこの悪魔は――
「アロマ、なんだな」
「そうですよ、リュージ殿、いや、異界の勇者!」
「俺は勇者なんかじゃない、できれば今すぐ逃げたいと思ってるただのサラリーマンだ」
「それを決めるのはワタシです、さあ、この都市を守りたくば、私を打ち滅ぼせ!勇者よ!」
「話を聞かねえ野郎だ、手加減はしねえ、怪我しても文句言うんじゃねえぞ!」
なけなしの見栄と意地を総動員して、なれない挑発をする。さらに笑みを深めた悪魔の口元から巨大な牙が覗く。
人間二人は咆哮と共に悪魔に飛びかかった。悪魔にとっては蚊の羽音ほどもない、圧倒的な化け物にとびかかるその姿はゴリアテに石ころで挑むダビデ少年のようだった。
――片方は石すら持っていないが。
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