アルビオンの21

「おや、勇者様のお出ましか」



 間に合ったようだが、事態がイマイチ飲み込めない。

 この場にバンゴとルイス、それにアリスがいるのは理解できる。

 意外なのはただ一人、後ろ手に縛られて気を失っているアリスを捕まえているアロマだけだ。

 確かに今朝の言動を考えると理解はできる。龍二を呼びに来たのは彼だ。焦っていたせいでそこまで気が回らなかったが、そもそもアロマがバンゴ側にいなければあんなことにはなりえないのだから――だが、納得できない。



 常日頃アリスを微笑ましそうに眺めていたあの視線が――。

 ルイスを心から慮っていたあの仕草が――。

 その全て嘘だったとはどうしても思えない。

 表情からは何もうかがい知れないアロマに、龍二が何かを呼びかけようとするよりも先に、隣に立っていたケビンが龍二に小声で伝える。



「……団長の胸の徽章を見ろ」

「……あれは」



 龍二には見覚えがある、だいぶ前にバンゴとぶつかったときに彼が落としたものだ。あの時は思い出せなかったがいま思い出した、あのマークは――



「団長、なぜ帝国の徽章を……」

「二度も同じことを言うのは面倒だ、だいたい想像はつくんじゃないのか」

「――では、冗談ではないのですね」

「これを冗談だということは、俺の誇りを穢すことだ」

「残念です」



 龍二にも何となくの見当はついていた。

 彼はおそらくかつて世界を支配していた『帝国』の関係者で、国を作るとは帝国の再興のことを言っているのだろうと。

 さしずめここはその第一歩と言ったところか。ここまで考えたところで軽く頭を振る。バンゴが何を考えていようとここに至っては関係ない、この街には一か月分の恩がある。

 それを壊そうとするのであれば――戦うしかない、その覚悟で来たのだから。



 龍二は拳を固く握りしめると、バンゴを睨み付けて最後の確認をする。



「――じゃあもう引く気はないんだな、バンゴ」

「愚問だ、誰の名前を気安く呼んでいる」

「そうか、なら手加減はいらないな――目ぇ覚めてから泣くんじゃねえぞ!」

「待て、貴様にはこれが見えておらんのか」



 アロマがアリスの首に短刀を突きつける。

 それだけで龍二たちの動きは封じられた。

 バンゴはそれを眺めると、鞘から剣を引き抜いてその切っ先を二人に向ける。



「今更ここにたどり着いたところで、もう貴様らに打つ手はないのだおとなしくしていろ」

「……誇りだ何度と偉そうに言っといて、やることは随分小さいんだな」

「ふん、いつもなら憎たらしいと思うだろうが、今はむしろ心地いい……負け惜しみを言うことしかできない見るのはな」

「団長……たとえ貴方にどんな目的があろうと、通すべき道理という者だあるはずでしょう? これは大人の争いだ、子どもを巻き込んではならない!」

「……そうか、そういえばお前はブロックスの出身だったな、どうりで立派な騎士道精神だ――反吐が出る」

「――っ!! あなたと言う人は……!!」



 怒りに顔を歪めるケビンを意にも介さず、バンゴは表情の消えた顔を空に向けた。

 その表情を見て、龍二は少しだけ違和感を感じる。なんというか、短い付き合いだが、バンゴと言う人間がこのタイミングで浮かべる表情は、もう少し嗜虐的なものだと思っていたからだ。

 だというのに、今空を仰いでいるバンゴの表情は、まるで――。



「――お前、本当にこんなことしたいのか?」

「……何をいきなり」

「だったらなんでそんな顔してんだ……ひどい顔だぞ?」

「何が言いたい」

「だから――本当はこんなことしたくないんじゃないのか?」



 バンゴの目が大きく見開かれる――しかしそれも一瞬のこと、バンゴは開いた眼を血走らせながら、今までの余裕はどこへやら、射殺さんばかりの視線を龍二にぶつけてくる。

 他の人間ならば怯んだかもしれないその視線を、龍二は真正面から見返す。

 バンゴは、大きく舌打ちをすると龍二から目を逸らした。

  


「……下らん、俺がこの都市に来たのは元からこのためだ。それを言うに事欠いて、俺がこんなことを望んでないだと? ふざけるな!俺はこの時を待ち望んでたんだ! そのためにこの都市で過ごした! 貴様らなんぞと過ごしてきたのも、下らない記憶を積み重ねてきたのも、すべてそのためだ!! 俺は、俺は躊躇ってなどいない!!」



 捲し立てるように叫び続けたバンゴは、肩を大きく上下させて息を切らせる。

 声を荒げている姿は、何故だか、必死に言い訳をしているようにも見えた。

 咄嗟に言葉を失って、黙り込んでしまうほどに、必死な姿だった。 

 


「嘘よ」



 場には似合わない高い声がバンゴの言葉を遮った。

 全員がその発生源を見る――アロマに抱えられたまま、バンゴを睨みつけているアリスを――。

 いったいいつから目を覚まし、話をどこまで理解しているのか、少女はそれでも口を開く。



「下らない思い出なんて思ってないくせに!」

「なにを――」

「私知ってるのよ、バンゴの部屋の引き出しの中! 」



 これまで何を言われても態度を崩さなかったバンゴが初めて強い苛立ちを浮かべてアリスを見る。



「貴様!どこでそれを」

「昔勝手に入ったのよ! バンゴがパパとアロマに悪口ばっかり言うから、なにか弱みでも掴んでやろうと思って!」



 そんな幼いいたずら心は、机の引き出しを開けたとたんに胡散霧消した。

 ――そこにあったのは、小さく折りたたまれた一枚の絵だった。

 描かれているのはできたばかりのアルビオン城の中庭で、机を囲む四人の人物。

 着ている物もみすぼらしく、顔も今よりずっと若々しいが、それでも誰かは分かった。



 これからの未来に期待を持ち、やる気に充ち溢れているルイス。

 暖かな木漏れ日に目を細め本を片手に紅茶を嗜むアロマ。

 優しい、温かい笑みを浮かべて三人を見る、知らない女の人。

 そして、無愛想な表情で、それでもどこか満足そうな表情のバンゴ。



「私、わかるもん!あの顔は嘘なんかじゃないもん! バンゴだって楽しかったんでしょ、だからあの絵捨ててないんでしょう!?」

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れぇ!」



 感情のままにアリスに駆け寄ったバンゴは、力の加減などせずにその頬を張った。

 アロマの手を離れたアリスは床に転がる。それでも彼女は怯まなかったすぐさまバンゴのほうへ視線を戻す。



「黙らないもん!なんで嘘つくの、何で楽しかったって、これからもこうしていければいいって思えないの!」



 幼い主張だ。だがバンゴはそこに反論することなく苦しげに顔を歪め、呼吸を荒くするばかりだった。アリスを見るその眼にはもはや憎悪といっても過言ではないほどの激情が込められていた。



「腹立たしいガキだ、生まれた時からずっと、お前はキャロルと似過ぎている、あの頃を、思い出してしょうがない!」

「やっぱり、楽しかったんじゃない」

「ああ、そうだ!楽しかったさ、人生で一番な!! ――だが俺は帝国の再興のために生まれ、そのために育ち、その為だけに生きてきた、それ以外の生き方は知らんのだ!」



 その言葉に、応えられるものはこの場に誰もいなかった。

 彼がどんな生き方をして、何を自分に課してきたのか、それを否定する材料など、この場の誰も、世界中の誰も持っていないのだ。

 故にかけられる言葉などない。



「――そうか、あの絵は無くしたとばかり思っていたが、君が持っていたんだな、バンゴ」



 それでも声をかけるとしたら、それは言葉では伝えられないものを必死に伝えようとする感情があるからだ。

 ルイスの口から洩れたのがそれだったのかもしれない。



「懐かしいな、まだキャロルが元気だったころだから、君たちと会って二年くらいだったかな。偶然都市に来ていた絵描きに描いてもらった」

「……うるさい」

「ただでさえ貧乏だったのに、絵なんかに金を使うなって、君に怒られたんだったな」

「うるさいと言っているだろう……!」

「――なあバンゴ、また一緒に考えよう。あの時から、僕たちはずっとそうしてきたじゃないか、どうしようもないことがあったとき、皆で膝つき合わせて必死に頭悩ませてきたじゃないか、きっと今回だって何か考え付くよ」



 龍二はルイスのほうは見ない。

 震えている声も、おそらく流れている涙も、自分に向けられたものではないのだから――。

 ルイスは懸命にバンゴに、ずっと一緒にいた友人に語り掛ける。


「生き方も、道も一緒に考えよう、頼むよバンゴ、僕は友達を失いたくないんだ……」



 バンゴの眼から一滴の涙が落ちる、手からは剣も落ちた。

 震える唇は何を言葉にしようとしているのか、その唇が何かを形作る前に――



 ――バンゴが目を見開いて、口から血を吐きだした。



「あ、ぐ……」

「バンゴ君、私が君に協力しようと思ったのはね、私たちの境遇が少しだけ似ていたからです、目的があり、にも拘らずここでの生活に幸福を覚えてしまった」

「き、さま、な、にを……」

「それでもね、私たちの違いはたった一つですよ――私は決して迷わない」



 何が起きたのか、誰にも分らなかった。

 バンゴが倒れるのがいやにスローモーションに見え、その背中に突き立っている短剣と、それを突き立てたであろう男の――アロマの顔が見えた。

 何の温度も感じさせない、見たこともないアロマの顔が――。



 アリスのすぐ横にバンゴが倒れ、その背中に赤い染みが大きくなっていくのを見てから、ようやく時間は再び動き出した。

 アリスの悲鳴が玉座に響き渡った。

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