アルビオンの6



 一つ重要な事が分かった。



 服が汚れている、そんな理由で先に入浴を勧められた龍二は、手早くそれを終え、貸してもらった服に身を包んでいる。

 着ていたスーツは洗ってくれるとのことで、最初はやたらとごてごてした服を渡されたのだが固辞し、今は町人が普段着に選ぶようなものを貸してもらっていた。

 一つだけ気がかりなのは洗濯機などなさそうなこの世界で、スーツを洗濯板で洗われたら傷がつくんじゃないかという一点だけだ。我ながらケチな性分だと呆れる。



 ベッドに寝転んでいる龍二の傍らには、文庫本サイズの本が置いてあった。

 内容は神話をもとにしたラブストーリーらしいが、中身はほとんど読んでないから分からない。

 ただ一つ分かった事は――



 「偶然、なのか」



 思わず言葉が口から出る。

 それも仕方ない、開かれた本のページそこに書かれているのは龍二にとって見覚えのある、いや、それどころか二十五年使い続けた文字だった。




※   ※   ※





「もう少しいい服貸してもらえなかったの?」



 食堂に入ったあとかけられた第一声がそれだった。

 何人掛けることができるのか疑問を覚えるほど長い机の端の席にアリスが座っていた。その傍らにはアロマが控えている



「あんなゴテゴテした服は苦手なんだ。動きやすい方がいい」


 

 呆れたように手をひらひらと振るアリスに苦笑しながら、龍二は食堂の中を数歩歩いて、その足を止めた。

 こういう場合自分はどこに座ればいいのだろう。マナーのようなものは最低限しか知らないうえに、ここは明らかに日本とは文化が違いそうだ。

 座る位置にも何かルールがあるかもしれない。

 一番手前の席でいいのだろうか。迷っている龍二を見かねたアリスは、ちょいちょいと手でリュージを招きながら言った。



「隣に座っていいわよ、どうせほかに誰も来ないし」

「……こんなに椅子が余ってるのにか」

「客用よ、ほとんど来ないけどね」



 こんな広い部屋で、いつも一人で食事しているというのか、たかだかまだ十数歳の子供が?

 龍二は自分でも気付かないうちに眉間に皺をよせる。

 郷に入れば郷に従えと言う。自分の暮らしてきた場所の文化を、他所で押し付けるのは愚かしいことだ。それにここの人間からすればこれは普通のことなのかもしれない――そうわかっていても、龍二は釈然としなかった。

 無言になってしまった龍二に、同じく物言わずに立っていたアロマが口を開いた。



 「リュージ殿、アリス様は一人で食べるのが寂しいからあなたを待っておられたのです。よければ早く隣に行ってあげてください」

 「アロマ!」



 キッと睨まれてもどこ吹く風の老人は、アリスの隣の席を引いた。

 龍二は無言でそこに座る。硬くて冷たい、すわり心地が良いとは言えない。

 隣に龍二が座ったことに満足したのか、アリスはフォークとナイフを握り料理に手をつけ始めた。



 龍二も同じように、両手にそれぞれを持つと、皿の上にこぢんまりと乗っている肉にナイフを通して、口に運んだ。

 口に入れた瞬間に広がるのは、芳醇なソースの香り。肉も厚く切ってあるのに異様に柔らかく、口になかで溶けていくようだ。

 思えばここ数年コンビニの弁当くらいしか食べていなかった龍二は、思わず声に出して称賛した。



「……うまいな」

「でしょう? これ全部アロマが作ってるのよ」

「これ全部か……すごいな」

「もったいないお言葉です」



 恭しく頭を下げるアロマ、料理のできない男である龍二にはこの料理がどこくらいすごいのかは分からないが、財布の中身をすべて渡してもいいと思えるほどには、アロマの料理は美味だった。

 ……まあ財布は持っていないのだが。

 ふと隣を見ると、自分が褒められたわけでもないのにアリスが得意げな顔をしていた。



「どう!? アロマはすごいでしょ、料理もできるし、裁縫も、園芸も、城の修繕も全部全部やってるのよ!」

「そりゃ、ずいぶんと働き者だな」

「お褒めにあずかり光栄です……それよりアリス様、食事中に大声をあげるのはマナー違反ですぞ」

「何よアロマ、照れてるの?」

「お喋りをされるということは、もうお食事を片づけてもいいですかな」

「やめて!」



 少女と老執事のやり取りを見るに余計な心配をしていたようだ。

 確かに食べているのはひとりだが、少女は別に一人ぼっちというわけではなさそうだ。

 幾分か気が軽くなった龍二はフォークで肉を口に運ぶ。気のせいか数秒前よりも味が鮮明になった気がした。



「そういえば龍二はいつまでいるつもりなの?」



 皿の上からすべてがなくなりかけたころ、アリスからそんなことを言われた。

 正直一番困る質問だ。いつまでいるつもりかなど自分が一番聞きたい。

 とりあえず元の世界に帰る手がかりを見つけなければならないし、それまでどのくらいかかるのかも解らない。だから正直に答えた。



「実はな、白状すると行く当てがないんだ……その、ここへは急に来ることになったせいでな」

「へえ! こんなところに急に来る用事なんてよっぽどのことだったのね」

「アリス様、仮にも市長の娘が都市を『こんなところ』呼ばわりするのは如何かと」

「だってほんとのことじゃない! 西ボアル大陸のさらに最西端よ? 他の都市に行くのだって何週間もかかるのよ!?」

「ぼあるたいりく……?」



 また知らない単語が現れて混乱する龍二だったが、とりあえずこのアルビオンがこの世界にとっても辺境の地であることは確実なようだ。

 と、考えるのは後にするべきだろう。

 ここが辺境であるならば、ここからの話はより重要になってくるのだから。



「……それで、だな、恥ずかしい話、着の身着のままで来たんだ。金もほとんどない」


 実際はまったくもっていないわけだが、それはわざわざ言わずともよいことだ。

 龍二は、座ったままアリスとアロマに頭を下げた。


「迷惑じゃなければ、少しの間ここにおいてくれないか?」

「ホントに!? いいわよ!」



 椅子を倒さんばかりに勢いよく立ち上がるアリス。

 その顔は喜色満面というのがしっくりくるほどに輝いていた。

 ――それよりも、龍二は自分で頼んでおきながら、慌ててアリスに聞き返した。

 



「おい、勝手に決めていいのか」

「大丈夫よ、アルビオンに客が来ることなんてほとんどないんだから、部屋なんて有り余ってるわ、ねえアロマ」

「そうですね、アリス様が許可すると言うのならば、私からは何も」



 無邪気な笑顔を向けてくるアリスに、龍二は逆に不安になった。

 こんなにあっさりと衣食住すべての問題が解決してしまっていいのだろうか。

 あまりにも都合よく物事が進みすぎている気がする。

 そんなことを思っていると、アリスが何か思いついたようにポンと手を打った



「そうだ! じゃあ条件をつけてもいい?」

「……どんな条件だ?」

「ここにいる間は私のお供になってね」

「お供?」

「お父様が一人で城の外に行っちゃダメっていうの、でもリュージならすごい強いし、お父様も許してくれるかも――」

「……俺は構わないが、そんな簡単にいくか?」



 所詮自分はよそ者である。

 結果としてアリスを助けはしたが、だからと言って護衛など任せられるとは思えない。

 顔をしかめていた龍二は、アリスの後ろでアロマが口元に手を当てて何やら思案している様子に気づいた。



「そうですね、確かにリュージ殿ほどの方がそばに居られるのなら良いかもしれませんな」

「いやあんたは俺が戦っているところ見ていないだろ」

「いえいえ、お話を聞くだけでも十分伝わりました。アリス様、ルイス様には私のほうから伝えます」

「ありがとうアロマ!」



 こうして龍二は、彼にとっては条件ともいえないような条件のもと、異世界における拠点を無事に手に入れたのだった。

 なんだかうまくいきすぎている気もしたが……

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