アルビオンの5
果てしない――とはいっても海のように一面見渡せるものではなく、行けども行けども終わりが見えない、そんな意味の果てしないだ。
それが眼前に広がる花の絨毯を見たリュージの感想だった。
龍二の隣を歩いているアリスはいやに上機嫌だ。たかだか客が止まるくらいでそこまで機嫌がよくなるものだろうか。考えているうちに彼女の城案内とやらは屋外編に移行していた。
「それでね、ここが中庭、私が手入れ手伝ってるのよ」
アリスが得意げに胸を張るのを微笑ましく思いながらも、龍二は咲いている花をじっと見た。
中庭に絨毯のように広がるその花はチューリップ、に見える。
ここだけ見て決めるのも早計かもしれないが、植物の生態が大幅に違っているということはなさそうだ。
「ねえリュージ聞いてるの?」
「ああ、綺麗だな、たいしたもんだ」
「でしょ」
アリスは無邪気に、それこそ顔全体で笑いながら、中庭に設置されているベンチに腰かけた。龍二もそれに続く。
ベンチに座り、オレンジ色になりかけてきた空を見ると、ふと自分は旅行に出かけただけだったような気もしてくる。本当にそうだったらどんなに良かったか。
隣に視線をやると、相も変わらず上機嫌なアリスが足を揺らしていた。
「……なにかいいことでもあったのか」
「え? どうして」
「いや、ずいぶん機嫌がよさそうだからな」
「だってリュージしばらくここにいるんでしょ?」
「まぁ、結果的にはそうなるかもな」
なるかもも何をどうすればいいのか分からない現状、この都市にいれば衣食住は確保できそうなのだから、そうせざるを得ないというのが正しい。
曖昧に頷く龍二に、アリスはベンチ方立ち上がると、チューリップのすぐ傍まで行って屈みこむ。
そして赤色のそれを指先で弄りながら、口を開いた。
「だれか泊まるのなんか久しぶりだし、いつもはパパのお客様だから私の相手なんかしてくれないし」
「なるほど、体のいい暇つぶしってわけだ」
「うん!」
あまりにも少女が隠さずに頷くので、龍二は苦笑した。
だがそちらの方がらしいと思うので別段腹を立てるということはない。
それに、とアリスは続けた。
「いつもはアロマとしか遊べないし」
「……いや、あの爺さんだけが使用人ってわけじゃないだろ?」
「ほかの使用人のみんなは、私がパパの娘だから気を使ってるし、パパは忙しいし」
「母親は?」
「いない」
「そうか」
なるほど、暇を持て余していたところに、丁度自分が現れたわけだと龍二は納得した。
遊び盛りの相手をあの老執事一人がこなすのは難しいだろう。自分で相手になれるならばそれでも構わないが……。
なにぶん子どもの相手はほとんどしたことがないので、何をすればいいか分からない。普段初対面の子どもというのは、龍二の顔を正面から見ただけで泣いてしまうからだ。
そういう意味ではアリスとの会話はあまり子ども相手という感じがしない。
権力者の娘という立場がそうさせたのか、彼女は受け答えもしっかりとしていて、歳不相応には大人びて見えた。
――そんなことを考えていた龍二は、アリスがじっと自分を見ていることに気づいた。
「どうした」
「……いつもママがいないって言うとみんな謝ったり、詳しく聞こうとするけどリュージは聞かないのね」
「自分のことなんて話したいときに話せばいい、無理に聞くものでもないさ、いやな気持にさせたのなら謝る」
「ううん、ママは私が生まれたのと同時に死んじゃったから、悲しくもならないわ、だから私の家族はパパだけなの」
「お前だけ? ほかの家族は――」
「いないわ、ここはパパとママが作った都市だもの」
どおりでさっきから場内をいくら歩いても使用人にしか会わないはずだ。本格的に彼女は話す相手がいないらしい。この年頃の女の子の生活環境としてこれはどうなのだろう。
考え込んでしまった龍二は後ろから近づく影に気づかなかった。
「何だ貴様は、今日客が来るなんて話は聞いてないぞ」
突然聞こえた声に龍二が顔だけ後ろに向けると、そこには二人の男が立っていた。
片方はがっしりとした体に厳つい顔を乗せたスキンヘッドの男、年齢はアリスの父親と同じくらいだろう。
今声をかけてきたのはこちらだ。
もう一人は長い茶髪を後ろでくくった、綺麗な顔つきをした男――こちらは龍二と変わらないくらいの歳だろう。
ある意味並べてみると対極の様な二人である。
その服装はアリスを迎えに来た騎士たちの制服と似ていた。
スキンヘッドが口を開く。
「何だ貴様はと言っているんだ、さっさと答えんか」
「バンゴ、やめて! この人はお客さんよ!」
「客? 申し訳ありませんが聞いておりませんな」
「さっき決まったんだもの」
「勝手な事をされては困ります、そういう話は先に私に通してもらわねば――」
「そう言う話はパパとしてちょうだい」
スキンヘッドの男――バンゴ――はアリスの視線を正面から受け止めると、不機嫌そうに鼻を鳴らして、さっさと来た方へと引き返して行った。
残された長髪の男はこちらへ軽く頭を下げる、
「団長が失礼なことを、申し訳ありませんアリス様」
「いいの、あなたも大変ねケビン」
「いえ、有事の際はとても頼りになるお方です……それより、君がアリス様を助けられた」
「あ、ああそうなるな」
「それはすごい、実はあの二人は他の都市でも指名手配されていた有名な人攫いでね、短剣と格闘しかできないが十分凄腕だそうだ」
短剣と格闘しか、という言葉に引っかかる。武器と体意外に使うものなどあるはずはないのだが。
それとも実は見かけによらず科学が発展していて、特殊な武器があったりするのだろうか……街並みを見るにその線は無い気もする。
ケビンと呼ばれた男は、黙っている龍二を見て、謙遜していると思ったらしく、感心したように深く頷いた。
「それだけの腕を持っていながら随分控え目な人だ、能ある鷹は爪を隠すというやつかな」
「いや、そんなんじゃない、本当に運が良かっただけだ」
「……ふむ、ではそういうことにしておこうか、それでは私もこれで」
ケビンは顎に手を当てて何かを考えるようなしぐさを見せたかと思うと、爽やかな笑みで二人に頭を下げて、バンゴが歩いていった方角へと歩いていった。
突然現れて突然去った二人に、龍二が呆気にとられていると、
「……ごめんなさいリュージ」
「ん?」
「バンゴが失礼な事――」
「気にしてないしお前が謝ることじゃないだろ、それより今のは?」
「アルビオンの騎士団の団長のバンゴ、隣に居たのは副団長のケビンよ、城の警備の担当なの」
なるほど警備からしてみれば得体のしれない男がアリスと一緒に居れば警戒するのは当然のことといえる。
だが――。
リュージはバンゴという男が自分に向けていた視線を思い出して、違和感を覚えた。
何というべきか、警戒していただけではないように感じたのだ。
あの男が龍二に向けていたのは、そう、言うなれば軽蔑のような――
「リュージって考え込むのが癖なの?」
「ん、ああ悪い何か喋ってたか」
アリスが無言で指をさす先には、先程執務室で別れたばかりの執事アロマが立っていた。
アロマはきっちりとした歩幅で龍二の目の前まで来て、頭を下げる。
「お客様、お部屋の準備ができました」
「ああ、分かった」
「アリス様も準備を、この方は私が連れて行きます」
「はーい、じゃあリュージ後でね」
軽い足音を聞きながら、龍二たちはそれとは逆方向へと歩き始めた。
暮れ始めた空の下から、再び城内へ、明るさを失い始めた廊下はそれを補わんとするランプの光で照らされていた。
何となくその明かりを見ながら歩いていると、徐にアロマが声を発した。
「ありがとうございます」
「……昼間のことならもういい」
「いえ、だけではありません、あんなに楽しそうなアリス様は久しぶりです」
「そうなのか」
「はい、リュージ様のおかげかと」
「俺が? 確かに助けはしたが、あいつとは今日が初対面だぞ、そんなに懐かれるようなこと――」
「それでございます」
急にそれと言われても、何の事だか分からない。
アロマはその龍二の様子を見て、静かに微笑んだ。もっとも後ろを歩いている龍二にはそれは分からないが。
「失礼ですが、リュージ様は貴族であられますか」
「いや違う」
「でしょうな」
「……分かってるなら訊くな」
「平民でありながら、市長の娘であるアリス様に対して『あいつ』と言いましたね」
「言ったな、それがどうかしたか?」
「それが嬉しかったのでしょう、父親が都市長なんかやっているとまわりは色眼鏡で見ようとしますからな」
その言葉に、龍二はなんとなくアリスの境遇が分かってしまった。
尊敬でも、蔑視でも、特別扱いされる側は大して変わらない、ただ他とは違うと暗に告げられているだけだ。
龍二は何となく嫌な気持ちになった――自分の子どものころを思い出して。
「下らないな、誰の子どもだろうと子どもは子どもだろ、そんなのは当たり前だ」
「ええ、全くです。しかしその当たり前ができる方は今この世界にはほとんどいないのですよ」
「……あんたは、どうなんだ」
特に意味を持たずに発した問いかけに、アロマは答える気がないのか肩をすくめるばかりだった。
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