アルビオンの4
見える限り廊下はまっすぐ続いている。次の曲がり角にたどり着くまでどれだけ時間がかかるだろうか。
実家が和風家屋だった龍二にとっては見えるもの全てが新鮮だ。心の奥で密かに感動していると、隣を歩いていたアリスが龍二に半目を向けていた。
「……なんだ」
「何でそんなにきょろきょろしてるの」
どうやら全く密かになっていなかったらしい。
向けられた瞳からはアリスは城に龍二を上げたことを後悔しているのがひしひしと伝わってきた。
いくらなんでも見すぎたかと、龍二は深く反省する。仮にも人の家なのだ。マナーがなっていなかった。
「それにさっきから使用人に会うたびに頭下げるのはやめなさいよ」
「仕方ないだろ、日本人の習性みたいなもんだ」
「ニホン?」
「俺の住んでたところだ」
「聞いたこと無い地名ね、どこらへんの村かしら」
「……一応国の名まえだよ」
「国? 都市のことでしょ? だったらそんなはずないわ、都市の名前くらい全部覚えてるもの」
知らないのも当然だろう。いや、知っていてくれたらその時点で全て解決したのだが、きっとそれは甘い希望だ。かなわぬ夢だ。
夢だといえば現在の状況が一番夢物語だが。ここが本当に異世界ならば、少女が自分の故郷を知っているはずはないのだ。
「まぁ考えてもしょうがないか」
「何一人でぶつぶつ言ってるの」
「ちょっとな」
「ちょっと何よ」
「……色々あるんだよ大人には」
「なにそれ!」
おざなりに扱われたのが癪に障ったのか、アリスは頬をふくらまして早足になったが、悲しきかな龍二にはなんの問題にもならない速度だった。
早足で引き離しているつもりなのに、むしろ今まで歩くスピードを落としていた龍二からすれば、歩きやすい速さになっただけだった。アリスの機嫌が更に悪くなる。
「何怒ってんだ」
「知らない! 人のこと子ども扱いして」
「扱いも何も子どもだろうが」
「あ! またそうやって私もうすぐ十二なのよ」
「……だから子どもだろ?」
「きぃー!」
現実でその声上げる人間に初めて出会った。
アリスはその後も顔を真っ赤にして抗議してきたが、龍二はそれを聞き流して歩き続けた。
「ここであってるんだよな、ったく何でこんなに部屋が多いんだ」
「これだから田舎者は嫌だわ、レディの扱い方ってものを知らないんだから」
「いい加減機嫌直せよ」
結局目指していた部屋に着いてもアリスの機嫌は治らなかった。
龍二は女と子供の相手は慣れていない、女の子どもともなれば尚更だ。だが怒らせたのが自分である以上、フォローはしなければならないだろう。この扉の向こうにいる人物のことも考えると余計にそうした方がよさそうだ。
「分かった。俺が悪かった、お前は立派なレディだよ」
「……本当にそう思ってる?」
「ああ」
「うそ、目つきが悪いもの」
「これは元からだ」
密かに気にしているところをつつかれて、龍二は憮然とした態度で小娘の頭をポンポンと叩いた。
「……じゃあさっき何考えてたか教えてね」
「あー、そうだな俺の中でも少しこんがらがってるから、考えがまとまったら話す、約束だ」
「なら許してあげる!」
アリスが笑みを浮かべたのを見て胸をなでおろす。
流石にこの都市の最高責任者であり彼女の父親の前に行くのに、怒らせたままでは都合が悪い。
そう、この部屋の向こうにはこの場所のトップがいるのだ、あまりにも現実味が無いので緊張もしていないが――
「それじゃあドア開ける――」
「そろそろ、入って来てくれないかね」
部屋の内側から聞こえた声、どうやらおふざけに時間を割き過ぎたようだ。痺れを切らした部屋の主が呼びかけてきたのだ。
「アリス、あんまりパパを待たせないでおくれ、仕事が山積みなのだから」
「はーい、入りましょリュージ」
「あ、ああ」
二人が入った部屋は、龍二が想像していたよりもだいぶ狭かった。向こう側が見えないほど書類が山積みにされた机とその隣に立っている白髪の男は路地裏で会ったアロマだった。先に帰ったはずなのに当然のように先にいる。とにかくその部屋にはそれ以外何もなかった。
「アリス、みんなが心配する、勝手に外に出てはダメだ」
いや、気付かなかっただけでもう一人、書類の向こう側から声が聞こえてくる。さっき聞いた声だ。
「だって暇なんだもの、毎日毎日お勉強ばっかり、もっと自由にお買い物とかしたいわ」
「仮にも君は都市国家の市長の娘なんだよ――たとえここがアルビオンだとしてもね、それを理解しなさい」
「……ごめんなさい」
その有無を言わせぬ声音にアリスは表情を曇らせた。
気まずい沈黙が部屋を支配する――前に机の隣に立っていた執事が手を鳴らした。
アロマは表情を柔らかくしながら、穏やかな声音で空気を変える。
「そこまでにいたしましょう、アリス様、市長がどれだけあなたを心配なさったのかをしっかりお考えください」
「……はい」
「市長、お客様を放っておかれるのは失礼というものですぞ、仮にも都市国家の市長なのですから」
皮肉を混ぜたその言葉には、しかしどこか市長に対する親しみを感じさせた。対する机の向こうからも、雰囲気が柔らかくなった声が聞こえてくる。
「……そうだな、お前の言うとおりだアロマ。顔も見せずにすまない、私はアルビオンの市長ルイス・アルビオンだ」
「……城戸龍二、いや、リュージ・キドです」
「ふむ、リュージ、今回のこと本当にありがとう、市長として、一人の父親として、礼を言うよ」
「いや、別にたいしたことは、偶然その場に居ただけで」
「その偶然が無かったらと思うとゾッとする」
普段人に褒められる経験が少ない龍二は何だか落ち着かない気持ちになった。モノ好きな後輩を除けば前向きな感情で接されるのは随分久しぶりだ。
「それで、礼にもならないかもしれないが、アルビオンに居る間はこの城に滞在してくれ」
「パパ本当!?」
「ああ、勿論だともお前の恩人だ、盛大な持て成しは期待しないでもらいたいがね、それでも良ければ」
「……それなら、是非お願いします」
龍二にとっても願ってもない話だった。今晩をどうやって過ごすべきか、正直それが頭の片隅に引っかかっていたのだ。
意味不明な状況に陥ってもとりあえず今日の夜のことを考えなければならないのが人間というものだ。
「それじゃあ適当に城内で時間を潰していてくれ、部屋が準備できたらすぐに呼ぼう」
「はーい!リュージ行きましょ、案内してあげる」
はしゃぐアリスに手をひかれ、龍二は部屋を後にした。
再び二人だけになった部屋で、足音が十分遠ざかったのを確認してから、机の向こう側からアリスと同じ髪の色をした細身の男が、眼鏡の位置をなおしながら現れた。
あまり健康的とは言えない痩せ方をしているのは、自分で言っていた通り忙しいせいだろう。
ルイスはこめかみを指で揉みながら、傍に立つアロマに語り掛けた。
「一見普通の男に見えたが」
「人を見た目で判断すると痛い目にあいますぞ、ルイス君」
「……お前にはどう映った? アロマ」
「そうですなぁ、この年寄りの目を信用してくれるなら」
頭髪と同じ白色の髭を弄りながら、アロマはリュージと名乗った青年が立っていたところに視線をやった。
穏やかでありながら、全てを見逃すまいとする力強い視線だ。
「試してみる価値は、十分にあるかと」
「そうか、ならばお前に任せる、方法は何でもいい」
「かしこまりました」
「ああ、待て」
部屋を出ようとしたアロマは、主からの呼びかけに立ち止って振り返る。
壁にもたれかかったルイスは淡々とした口調で、市長として命令した。
「客室の準備も頼む、綺麗にしておけよ、なんせこの世界を救うお方かもしれないんだからな」
「……かしこまりました」
扉が開き、閉まる、部屋で一人になったルイスは、元通り椅子にかけ、山積みになった書類を手に取った。部屋に聞こえる音は紙の上を万年筆が滑る音だけだ。
その音がいつまで続いていたのかは、誰も確かめるすべが無い。
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