海上のからす
「はじめまして。
どうか、ご安心ください。みな船室へ戻りました。いまは、からすとあなたのふたりきりです。それに、からすの手で、あなたさまのお顔は可能な限り整えておきました。血を拭きとって、髪を梳いて、お化粧もほどこして……いまは棺に横たわり、とても安らかに見えます。ですから、ご安心くださいね。
ええ。あなたさまは死にました。この船にはお医者さまはいらっしゃいませんでした。からすも、みなさまも、手を尽くしました。けれど、助けられませんでした。みな悲しみましたが、それでもわれらの手であなたさまを送ります。賤しい身ですが、死のけがれを手にとるものとして、死の聖なるをまもるものとして、このからすが儀を執り行います。あなたが深く眠れますように。
さあ、眠る前にすこしお話をしましょうね。これもきまりですけれどどうか、こどもの頃のように……。
からすは、どのような方からも死者であるなら、遺品をお預かりさせていただいております。この中から決まり通りのささやかな品と、数枚のコインをついばんで、からすは死者を渡るのです。そういう決まりであるのです。
ですから御かばんの中に、リボンを見つけたのです。赤いリボンの髪留めでした。絹のきれいなリボン、ぴかぴかの新品のリボンです。海上の光をうけて透けるような麗しい赤です。娘さんでしょうか。お土産、だったのでしょうか。からすには、想像することしかできません。ただ、いっしょに包まれたおかしを見てそう思ったのです。
お亡くなりになるまでの、みじかい間。痛みどめに眠りながら、すこし、すこし意識があったなら、さぞさびしく口惜しかったことでしょう。からすも、口惜しいです。いまあなたが目を開いて、肯いてリボンの話をしてくれたらどんなにいいかと思うのです。この船に僧侶さまがいたらばどんなによかったかと。
けれどあなたがからすへ宛てた
からすはこの海の向こうへ飛んでまいります。ですから、どうかその目を閉じてくださいまし。さようならは確かに伝えられるのですから。
……ああ。はじまりました。
船のみなさまが、お歌を歌っているのが聞こえますか。あなたへの歌です。ですからお話もそろそろおわりです。あなたの痛みに暇が与えられるのです。あなたが深く眠れますように、からすは強く祈ります」
[棺を引きずる音。重い木材]
[あなたの頭側が持ち上がり、押し下げられる。梃子の原理で、船首に脚から乗る]
[祝詞]
[諸手が突き落す。落下。水音]
[泡、水面に血煙]
[烏の声]
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