第4話 英雄の目覚め
「あー、本当に……嫌になっちゃうね」
シュンは蹴り壊した扉の破片を踏まないように注意しながら、リネーゼの足下に立つ。
「幸せに死ぬんだなって実感の直後、なにもかもを忘れた状態で『お前は生き返った』だからね、頭がおかしくなったかと思ったよ」
自嘲気味にわらいながら、シュンは腰を下ろしリネーゼの足にもたれ掛かる。
「だけど、おかしくなったのはこの世界だったんだね」
一万年前にエタロットが現れたことにより、一万年前にリベレイターが現れたことにより、世界はおかしくなり始めた。そのことにシュンは気付いていたが、気が遠くなるほど時間が経てばそれももとに戻るだろうと楽観視していた。
しかし、どうだろうか。
死者の復活が可能になるほど発展した未来では、ヴィートリヒ家のように古い習慣に縛られ続ける人間がいるではないか。
リベレイターという大きな力に魅せられたためだろうか。
リネーゼという手の届かぬ幻想が在るからだろうか。
「まあ、なんでもいいんだけどね」
シュンはリネーゼの足にもたれ掛かったまま、リネーゼの胸に向かって手を伸ばす。
そこに収まっているのは、鋼鉄よりもはるかに堅牢なリネーゼの動力源、『カラミティソウル』。ソウルと略されるそれは、魂と一体化することで無限のエネルギーを生み出すのだ。リネーゼのソウルには、機体と同じ名前の少女の魂が一体化させられている。
そしてリベレイターはソウルと繋がることで不滅の肉体を手に入れるのだ。
それこそが、
「ボクは、約束を果たすだけなんだから」
呟き、シュンはまぶたを閉じる。
柔らかな静寂がシュンの意識を希薄なものとし、その肉体から魂を浮かせ剥がしていく。
「……美しくない」
透き通る声がシュンの魂を掬い上げ、肉体に伸びる精神の糸を絡め取る。
――そう、ボクは美しくない。
スピリットに成るということは、自らの精神をリベレイターに貸し与えるということ。
一万年前であれば、肉体との繋がりを失ってもシュンの魂は精神の糸とともにあるべき場所へ返ることが出来ただろう。
しかし、不完全な肉体に納められた、一度は滅んだ今の魂は、帰るどころか精神という楔を失った瞬間消滅してしまうだろう。
本能的にそれを恐れ、シュンは自身に関する記憶を忘れていたのだ。
――そう、ボクは忘れていた。忘れようとしていた。
――だけど、他の誰でもない、ボク自身がそれを許さなかったんだろうね。許せなかったんだろうね。
肉体から離れ、肉体との繋がりが薄れたシュンの魂は、紅茶に落とされた角砂糖が自然と溶けていくように、精神から切り離されるのを待たずして消滅を始める。
それに抗うように、それに己を委ねるように。
「リセネ……」
シュンは、今にも消え入りそうな、しかしなによりも透き通る声で呟いた。
――刹那
リネーゼは一万年越しにスピリットを得た喜びを表すように、
笑い、笑い、笑い、
そしてこの世の全てを呪うかの如く、
全てを引き裂くような
窓ガラスを震わせる、声よりも音と表現した方がまだマシな大絶叫。
倉庫の壁に阻まれているとはいえ、間近でそれを耳にしたシャーロットは息苦しさも忘れて両手で耳を塞いだ。
「なん、だ……くぉ……目眩がする……」
チカチカと明滅する視界をどうにかしようと、シャーロットはしかめっ面で起き上がる。
「おい、少年」
「なっ!?」
音もなく、気配もなく、燃えるように赤い長髪を持つ少女がシャーロットの眼前に立っていた。
赤髪の少女は髪に負けないほど赤く、そして身体のラインを強調するような鎧を身に纏い、その着心地を確かめるようにしながらシャーロットに問う。
「エタロットは何処にいる」
「…………へ?」
「わからないか? ボクの戦場は何処にあるかと聞いているんだ。此処は知らない土地だ、血の臭いも薄い。しかしボクが此処にいるということは、エタロットが現れたということだろう?」
少女は赤い瞳でシャーロットを射捕らえ、その場から逃さない。
「き、君は……」
歪む視界を通して、シャーロットは赤い少女を見ていた。
赤く、紅く、朱い少女。
目眩のせいで移り変わるその色は、シャーロットがよく知るシルエットを浮かび上がらせていた。
「……リネーゼ?」
「おや、ボクを知っている。それなら良い、早く案内してくれ。世界を救うためだ」
「…………」
「……どうした、具合でも悪いのか?」
そうではない。確かに、シャーロットはリネーゼの絶叫の影響で目眩だけでなく頭痛までしてきたのだが、しかしそれ以上に少女の言葉に衝撃を受けていた。
少女は自らをリネーゼと認めたのだ。
「そんな……あり得ない……」
「具合は悪くないか。それは良かった」
「だってリネーゼは、冷たい、鋼鉄の、巨大な駆動兵器で……」
「その姿のボクも知っているのか、ますます良い。理解のある味方は一人でも多く欲しいからな」
「…………っ」
頭痛がシャーロットを襲う。
眼前に立つ少女は、人影は、本当にリネーゼなのだろうか。
そのことを考えようとする度に、シャーロットを目眩と頭痛が襲う。
「くそ……わからない……頭、が……」
うわ言のように呟きながら、シャーロットは地面に膝を突く。
リネーゼは驚いた表情で彼の肩を持って身体を支えた。
「少年、本当に大丈夫か? ボクは地球人とは身体の造りが違うが、それは明らかに具合が悪いのだろう? 真っ青だぞ」
「僕はいい……、リネーゼ……」
シャーロットは震える指を屋敷に向ける。
「山を二つ……越えると、……エタロットがいる……。ずっと……眠っている……、土色の……」
「山の向こうか、わかった。少年は横になっていろ。なに、後は任せると良い」
リネーゼはシャーロットをそっと地面に仰向けで寝かせ、次の瞬間には音もなく掻き消えていた。
シャーロットはそれを追うように右手を伸ばし、やがて力尽きて地面に落とす。
「シャーロット! シャル!」
ビクトリアが全速力で駆け寄ってくる姿を認めたシャーロットは、
「くそ、頭が…………シュン……」
熱に浮かされたように呟きながら気を失った。
硬い鎧が音を鳴らすのを聞きながら、リネーゼは二つ目の山の頂に立った。
「しかし、彼等は性懲りもなくまたやってきたのか。……いや、これは慢心か」
彼女の視線の先は盆地になっており、そこには小山のようなエタロットが一見無害そうに丸くなって眠っていた。彼等はリベレイターのようにカラミティソウルを持ちながら、冷たい鋼鉄ではなく温かい血の通った肉体にそれを収めている。
「世界も随分と様変わりしたようだが、しかし私のやることに変わりはない」
リネーゼは改めて鎧の調子を確かめるように身体を動かし、それを準備運動代わりとする。
「さ、今日のエタロットはボクを楽しませてくれるかな?」
リネーゼの頭が紅の仮面に覆われ、
鎧に守られずに外気に曝されていた肌色もまた紅色に覆われ、
大地を揺らす轟音と共に、
真っ赤な薔薇の巨人が現れた。
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