第5話 竜と薔薇

 土色のエタロットはおよそ百年前、他のエタロットよりもずっと早くから地球に下り立ち、そしてなにをするでもなくこの盆地で眠り始めた。

 風雨に曝されても目覚めず、砲火に曝されてもなお目覚めず、そのエタロットは眠り続けた。

 やがて地球上に他のエタロットが現れ、暴れ始めると、この無害なエタロットは多くの人々から忘れられるようになった。



 しかし今、エタロットは百年近い眠りから目を覚ます。

 轟音と共に起こった地響きのためか、

 自身に向けられた燃えるような殺気のためか。

 エタロットは体表に堆積した土石を溢しながら、眠たげに首を持ち上げ山の頂で腕を組んで仁王立ちする赤い影に視線を向けた。


「やあ、お目覚めかな?」

「…………」


 リネーゼの問い掛けに、エタロットは溜め息を吐くように大きく鼻息を吐き出した。

 舞い上がる土埃。それを気に止めた様子もなく、エタロットは緩慢な動きで前肢を大地に突き立てる。


 ゆっくりと、

 ゆったりと、

 その巨体で風を巻き起こしながら、

 その巨体から熱気を噴き出しながら、

 その巨体を大きく変貌させながら、

 周囲の山を優に越える体躯を得た土色のエタロットは、


 その巨竜のような姿でリネーゼを見下ろした。


「なんとも、これは……」


 脂肪の塊から筋肉の塊に変貌したエタロットの姿に、リネーゼは思わず腕組みを忘れるほど唖然とする。


「やはり君達も生命体。これは当然の進化と言うべきか……」


 リネーゼは顔に右手を当て、視線をエタロットの頭上、灰色がかった空に向ける。



「――なんと美しいっ!」



 リネーゼが歓声を上げた直後、無造作に振るわれたエタロットの前肢が彼女の身体を殴り飛ばす。

 赤色が風を引き裂きながら緑に富んだ山に叩きつけられた。


「……とんだご挨拶だな、まったく」

「GRRRRR……」


 リネーゼは鎧の隙間から熱風を噴き出しながら膝を立てて起き上がろうとすると、

 空気の壁が叩き割られる轟音を纏いながらエタロットの右腕が振るわれる。

 リネーゼは咄嗟に胸の前に突き出した両手でそれを受け止めようとし、


「ぉあっ」


 破裂音。

 エタロットの巨大な拳の先で、山を形作っていた土木が雨のように大地に降り注ぐ。

 圧倒的な破壊力を前に、しかしリネーゼは両腕を消し飛ばされながらも笑みを浮かべていた。


「良い、良いぞ! 圧倒的な破壊力、そして有無を言わせぬ理不尽なほどの暴力! ボクは君に万雷の拍手を贈りたい!」


 リネーゼは当たり前のように消し飛ばされた両腕を鎧ごと再生させ、愉快そうの手を叩く。

 直後、赤い軌跡はゆるく弧を描きながら、自身に向けて振るわれた土色の左腕をなぞるように飛び越えた。

 リネーゼはエタロットの肩を飛び越すついでに巨大な背中に蹴りを入れるが、筋肉の鎧に呆気なく弾かれながら山の斜面に片膝を突く。


「GRRRRAAAA!」


 大地を震わせながら、エタロットは振り向き様にリネーゼに向けて巨大な尾を振るう。

 リネーゼはそれを手刀で斬り飛ばし、髪を自在に操り宙を舞う尾を掴むと、そのまま瞬時に吸収した。


「GYAAAAAAA!」

「怒るな、怒るな。眠っていたところを起こしてしまったことは謝る。ボクが悪かった、許して欲しい」


 リネーゼの両腕と同じようにエタロットの尾も再生されるが、しかしエタロットの土色の瞳の内側は轟々と怒りに燃えていた。


「GGAAAAAA!」


 叩きつけるような咆哮。

 幾重にも響く歪んだ木霊が止むよりも早く、

 エタロットの口腔内部に光が生まれ、


「そう来るか!」


 リネーゼの歓声と共に、彼女に向けて千年樹の幹よりも太い光線がエタロットの口から吐き出された。

 リネーゼは再び両手を前に出しエタロットの攻撃を防がんとする。

 無音の光線と赤い壁が交錯し、

 空気が割れる。


「純粋にエネルギーをぶつけてもボクには効果はないぞ、エタロット! いやむしろ逆に効果的とも言える!」


 嬉々として叫ぶリネーゼの掌に弾かれ滅茶苦茶な方向に飛び散る光線は、全てリネーゼの長い髪に捕らえられ漏れなく吸収されていた。

 エタロットが怒りに任せて光線の出力を上げれば上げるほどそれはリネーゼに吸収され、

 リネーゼの鎧は紅く妖しく輝きを増していく。


 やがて鎧の輝きがエタロットの光線を紅く塗り替えるほどにまで強くなると、

 リネーゼは左手を前に突き出したまま、

 右手を大きく腰まで引き絞り、

 大地を蹴ってエタロットに飛び込んでいった。


「名も知らぬエタロットよ! ボクの全力、受け止める気はあるか!?」


 その言葉に応えるように、エタロットは光線を止めリネーゼを睨み下す。

 それを確認し、リネーゼは心底嬉しそうに口角を上げた。


「ならば受け取れ! そして――!」


 真紅に燃える拳が分厚い土色の胸板に叩き込まれる。

 その瞬間、








        色が消えた。








 乾いた土が豪雨のように降り注ぐ中、巨大なクレーターの中心に二つの影があった。


「随分と派手にはしゃぎ過ぎてしまったな……」


 人間の少女の大きさにまで小さくなり、さらに仮面が外れたリネーゼは右肩を回しながら小さく呟く。彼女の前には、ひび割れたカラミティソウルを剥き出しにしたままの土色のエタロットが苦しそうに蹲っている。

 リネーゼは今の彼女よりもひと回り小さくなったエタロットに視線を落とすが、特に気にした様子はない。


「名も知らぬエタロットよ。君は以前の争いの場には居なかったが、しかし敢えて問わせていただきたい」

「GRRR……」


 リネーゼは両腕を大きく広げ敵意のないことを示すが、しかしエタロットは半分欠けた頭を持ち上げ威嚇するように唸る。

 酷く無邪気な笑みが、土色のエタロットに向けられた。


「以前ボク達と争ったエタロット達はどこにいるのかな?」

「GAAAAAA!」


 土色のエタロットはその崩れ欠けた肉体を狼のような姿に再構成し、リネーゼの細い首筋に食らい付く。


――――。


 小さな音が、降りしきる土に吸い込まれる。

 地面に横たわるエタロットの背から覗くカラミティソウルには、大きな亀裂が走っていた。


「……最期まで会話は出来なかった、か。でも、君の純粋さは確かに感じたよ」


 リネーゼは土に埋もれていくエタロットの傍に膝を突き、その欠けた頭をそっと撫でる。

 土色のエタロットはひび割れたソウルをリネーゼの赤い髪に絡めとられ、覚めることのない眠りにつく。


「今はお休み。機会があれば、また会おう」


 ソウルを奪われたことで、エタロットの肉体は淡い光となり次第に形を失っていく。

 やがて跡形もなくなった土色のエタロットにリネーゼは一瞬だけ名残惜しげな視線を向け、ひび割れたソウルを両腕で抱え直しその場から跳び去った。

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