第1話 神話より出ずる者
――世界は絶望に満ちていた
――地の底から這い出るでもなく
――海の底から涌き出るでもなく
――彼等は空から現れた
――醜い巨体を鎧に押し込み
――醜い姿でいのちを呑み込み
――やがて世界は
――醜い笑い声で満たされた
「…………」
色が落ち、あちこち磨り減った絵本を捲っていたシャーロットの手が止まる。
黒い雲に隠された太陽の下で這いずりまわる三体の異形の化け物共が絵本の中で彼を嘲笑っているようだった。
ソレ等は、一万年ほど前に太陽系外から地球に降り立ち、地球上のあらゆる生命を喰らい尽くさんとした『エタロット』と呼ばれた地球外生命体である。
鋼のように硬い殻を纏い、山のように巨大な身を引き摺るその姿は、まさに醜悪な
当時禁忌とされていた兵器では、エタロットの硬い殻に傷を付けることが出来ても致命傷を与えることが出来ず、逆に禁忌がもたらす毒によってさらに多くの生命が滅びへと向かう結果となってしまった。
太刀打ち出来ない巨大な力に怯え、圧倒的な絶望を前に未来を祈ることも叶わぬまま、せめて安らかな死を望むだけしか人類に道は残されていない。
誰もがそう考えていた。
そしてそれは、現実とはならなかった。
「…………」
シャーロットはエタロットの足下で嘆き悲しむ人々の絵を眺めながら、ページを捲るために指の腹を滑らせ、しかしページを捲ることが出来なかった。
ページを捲れば、絵本の世界に救世主が現れる。
リネーゼを含む四機の駆動兵器、『リベレイター』。そして、シャーロットが幼い頃から憧れ、目指し、為らんとした、リベレイターと共に戦う
既に手の届かぬ存在となった救世主の姿がそこにあるというのに。
しかし彼はページを捲ることが出来なかった。
「…………」
シャーロットは虚ろな視線をエタロットの赤い眼に落とす。
絵本の中に閉じ込められた、醜い絶望の塊。
「僕は……醜いのか?」
そんなはずはない。リネーゼのスピリットと為るために育てられた僕が、醜いわけがない。ただ、そう……美しくなかっただけ。
強くなかっただけ。
シャーロットは唇を噛み、手元の絵本から窓の外に見える空に視線を移す。
真っ黒な油に白の絵の具を混ぜでもしたかのような色の雲が、空を一面覆っていた。
世界は今再び、エタロットの侵略を受けている。
神話の中の救世主達が残したリベレイター四機のうち、リネーゼを除く三機がソレ等を退けるために戦っている。
こんなところで感傷に浸っている場合ではないことくらい、シャーロットは理解している。
しかし、見放されてしまったのだ。
リネーゼからも。
ヴィートリヒ家からも。
ヴィートリヒ家が所有する邸宅の地下に設けられた祭壇で、その儀式は行われていた。
神話の中に登場したスピリットの一人であり、リネーゼと共に戦った絶世の美少年と伝えられるフカザキ・シュンを現代に蘇らせるための儀式。
これはシャーロットがリネーゼに認められなかった時のために用意されていた、次善の策である。そもそも死者の蘇生は殺人、クローン、人造人間などに並ぶ禁忌とされており、それに携わった人間は成功失敗に関わらず厳しく罰せられる、神の法に触れる禁忌の儀式。
しかし、それに頼らなければならないほど、ヴィートリヒ家は追い込まれていた。
シュンの子孫であるとさせるヴィートリヒ家の当主は代々リネーゼを受け継ぎ守ってきたのだが、しかしその全員がシャーロットと同様にリネーゼに自身のスピリットたりえないと、美しくないと拒絶されているのだ。
一万年越しに再び現れたエタロットが、一万年前と同じであれば三機のリベレイターだけでソレ等を追い返せたかもしれない。
リネーゼが一万年前から同じ言葉を繰り返し続けていても構わなかったかもしれない。
しかし、世界の様子は一万年前と大きく変わってしまっている。人々は、世界は、リネーゼがいつまでも眠っていることを許してはくれないのだ。
既に進退窮まったヴィートリヒ家には、禁忌の道しか残されていないのだ。
「――――――――」
喪服を身に纏ったヴィートリヒ家の大人達は、祭壇に仰向けで寝かせられた一糸纏わぬ黒髪の少年に頭を垂れ、一心不乱に呪文を唱えている。
なにかに憑かれたように、言葉とも吐息ともとれるような音を口から吐き出し続けるその没落貴族達は、ともすれば怪しげな宗教集団のようでもあった。
この場に次期当主であるシャーロットの姿がないのは、シュンの蘇生の件には一切関わっていないからだ。
正義感の強い彼がこのことに反対することはヴィートリヒ家の者なら誰でも理解していたし、そもそもシャーロットはまだ若い。故に、ヴィートリヒ家の当主、シャーロットの父が何故大罪を犯そうとしているのか、彼は理解出来ないだろう。
「…………んぁ」
祭壇に寝かせられた少年が小さく呻き声を上げた。途端、呪文を唱える声が止む。
祭壇のすぐ近くで膝を突いていたヴィートリヒ家当主、ビクトリアが腰を上げ、祭壇で寝そべるシュンを見下ろした。
「……フカザキ・シュン様」
「……ぁー? 今、安らかに死んでいく雰囲気だったでしょ……。普通起こす?」
「いえ、フカザキ様。あなたは一度お亡くなりになり、そして今、私達の手によって蘇ったのです」
「…………なに?」
ビクトリアの言葉でシュンは閉じていたまぶたを瞬時に開き、身体を起こしながら夜色の瞳で周囲を見渡す。
シュンの見知らぬ銀髪達が、喜びに満ちた表情で祭壇の彼を見上げていた。
「……フカザキ、か」
一瞬、シュンの瞳に影が落ちるが、彼は思案するようにまぶたを閉じてそれを隠した。
一糸纏わぬ姿でありながらも、シュンの一挙一動には洗練されたものが垣間見え、彼のために用意された美少年然とした肉体は、違和感なくシュンの魂を納めているようだった。
それを確認出来たことに歓喜したのか、ビクトリアは顔を綻ばせる。
「フカザキ様、このビクトリア・ヴィートリヒがあなたを永い眠りより目覚めさせたのは他でもなく――」
「あのね、今二回も死ねることを大変喜ばしく思っていたところなんだけど」
「ああ、フカザキ様、不快に思うのもわかります。しかし、私達にはあなたに頼るしか方法がなかったのです」
ビクトリアの言葉にシュンは小さく息を吐き、閉じていたまぶたを開いて目の前の男の顔を睨み付ける。
ビクトリアはそれを真剣な表情で受け止めた。
「フカザキ様、人類は今再びエタロットの脅威に曝されています。どうか、私達にあなたの力をお貸しください」
ビクトリアはシュンに跪き、深くその頭を下げた。それに倣うように、彼の後ろで膝を突いていた者達も一斉に頭を下げる。
シュンはそれを不快げに睨み下していたが、やがて彼は顔に諦めの色が浮かべ、小さく息を吐いた。
「……まあ、面倒なことだろうとは、思ってたけどさ」
シュンは生まれたままの姿の自分を見下ろし、なにか確認するように自身の身体のあちこちを触る。
しばらくして、彼はもう一度祭壇に寝そべった。
仰向けではなく、喪服の集団に背を向けて。
「わからないことだらけだ……」
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