第7話 惑い
「めーん!!」
剣道場には竹刀を打つ音が響き渡る。
団はちらちら入り口の引き戸を見てしまう。鮮美はまだ来ない。
「ら、……ら」
「小原!」
顧問が怒鳴っている。それは――今は練習試合の真っ最中で、次が自分の番だからか!
「すみませんでした!」
剣道部主将は慌てて面をつけて竹刀を持ち、対戦相手と向き直った。
勝者はいつものように団だった。だが余裕はない。辛勝だった。
部員らを集め、顧問が口を開く。
「よし、試合を見たが、全員腕を上げたな。……それなのに小原ぁ!おまえは主将だろうが!三年が引退して、自覚はあるのか!」
道場でびりびりと響く声に、団は緩慢に反応した。
「……すみません」
なげやりともとれる態度に部員たちは息をのむ。次いで血管の切れる音。
「小原、準備して試合だ!」
激昂した顧問が道場の真ん中を指差した。
小原はいつも後攻を基本としている。相手の出方を待ってからカウンターのように一本をとる、というのが戦法だ。同じ後攻型には速攻で攻め、すぐに勝負をつける。鮮美にてこずりがちなものの、顧問が相手であっても互角に張り合える。それが主将たる小原団だ。
だが今日は、がむしゃらに突っ込みいなされているだけだった。
「どうした!いつもみたいな正確さはどこにいったぁ!?」
キレがなく、剣筋も読みやすい。そして襲い来る顧問からの突きを防御するのでやっと。泥臭い試合が続き、顧問との距離をとろうとして後退した。その際団は足を滑らせる。
背中から落ちるとき、窓から見えたのは、暗くなった空。反比例して明々としている道場。立ち上がらない団にすっと、暗い影が落ちた。
「……もういい。やる気がないなら部活に来るな」
顧問はそう言い残し、解散、といった。
ありがとうございました、と大きな挨拶が顧問を見送る。足音が遠のいた後、部員たちはそろそろと近づいてきた。
主将の指示を待っている。仰向けの姿勢から動かないこんな無様な姿でも、主将と言ってくれ、先輩と慕ってくれる。
本当は、いつもだったら各自で自主練だ。でも今日は。
「……終わろうか」
異論はでなかった。
なにも考えられない。鮮美のことで胸騒ぎがするのか、顧問に失望されたのか、ありえないくらい竹刀が言うことを聞かないのがショックだったのか。
どれが一番心のスペースをとってるかなんてわからない。
挨拶をしたあとも、団は正座をしたまま道場に座っていた。仲間たちは気にしながらも、何も聞かずにいてくれて、全員静かに道場を出た。正座を続けると、耳は勝手にかちこちと秒針の刻む音を数えた。
――今なにをしている。なにを話している。なんで来ないんだ。でも行けない。幸祐の言うようにややこしいことにはしたくない。
長時間の正座の結果、団はよろけながら立ち上がる。
始めたのは基本動作。竹刀を振るっていても雑念は消えない。でもなにかしておかないと、気が変になりそうだ。頼むから、消えてくれ。
――扉ががらりと開いたのは、数え切れないほど竹刀を振るっていたときだった。
ぱっと顔を見やったが、入ってきたのは顧問と、青柳だ。彼女は自分の荷物に加え、部室に置いていた団の荷物も抱えていた。
たぶん落胆した顔を浮かべたんだと思う。青柳は、少し痛そうな顔をした。
「青柳、ありがとう。廊下で待ってたら寒いだろう。暗いしもう帰りなさい」
どうやら青柳は、ずっと道場の外で待っていたらしい。今朝といい今といいたかが鍵を返すためだけに。
「はい、わかりました。……さようなら」
青柳はぺこりとお辞儀をすると、静かに引き戸を閉めた。廊下を歩くただでさえ小さい足音が完全に消えた後、顧問兼体育教師、那須義武が団の隣に座る。
「……小原、今日の欠席、聞いてるか?」
ーー鮮美の無断欠席だ。
「……はい。クラスでちょっとトラブルがあって。遅れるとは言ってました」
隠しても見破られそうなので、正直に事実だけを伝えることにする。
那須は腕組みをしたままうなずく。
「そうか」
那須はそれ以上詳しく聞いてこなかった。今はそれがありがたい。どう話していいか団も分からなかったから。
今の団と同じように、顧問は大きく息を吐く。
「鮮美なあ……。お前は知ってるか?この時期に進路希望用紙白紙で出したり、試合メンバー決める試合でわざと負けたりな。っとに職員会議であいつの名前を聞かない日はないよ」
団は黙ったままだった。進路のことは初耳だが、試合のことは鮮美が誰にも悟られないよう、日々の練習から入念に計算して行っていた。目立ちたくないからと、団に話してくれたことを除いて。
「それに、おまえもな」
「えっ?」
話が自分に飛び火した。
「……危ないよ」
押し黙っていると、那須は言い募った。
「鮮美のこと、よくネットに書き込まれてるだろ?こっちも削除依頼はしてたけど。ほんと仕事が早いよな。書き込んだやつのとこに殴りこみ前提で話し合い行ったり、ちょーっときつい言葉で鮮美のストーカーを学校何日間か休ませたり。ああ、あと姫島にハッキングとかウイルス送るとかさせたりも。罪状は傷害、恐喝、あとサイバー犯罪か?これ以上は、さすかにめんどくさいことになるぞ。……一応、俺のとこで止まっているけどな」
団は感情が顔に出やすい。全てを見通している顧問の顔を見れなかった。
「……俺はな。学生同士の恋愛も、部内恋愛も別にやっていいと思うよ。一線を越えたり、周りに迷惑かけない程度だったらな。でも全部エネルギーつぎ込むな。プラスのときはそれでいいけど、万が一マイナスになったらどうなる。……そればっかりに頼りすぎるな。まわりみんなが分かるほどちょっとしたことで一喜一憂するんじゃない」
自分でも、異常なほどだと思う。ここまでのめり込むとは知らなかった。だけど、どうしても、どうやったって止められないのだ。試合のときはどんな大会でも自分の感情なんてコントロールできるのに。
「……先生。俺は、どうしたら良いんでしょう。……怖いんですよ。なにが怖いのか分からないんですけど、怖いんです」
那須は立ち上がると右手を軽くあげ、手加減なしで生徒をどついた。
「―――ってえええええええええええええ!!」
面をはずしていたので頭むき出し。髪の毛はこういう打撃には少し弱い。あまりの痛さに頭を抱えていると、頭上から顧問の叱咤する声が降る。
「何腑抜けたこ言うとる!!強くなるしかないわ!ちょっとやそっとでうろたえんくらいにならな、生きていけるか!」
那須は息継ぎをすると身をかがめ、団を起こした。
「すまんかったな。説教長かった。――おまえここで着替えて早く帰れ」
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