第81話 水没せしもの。
私はいま薄暗い森の中を一人で歩いている。最悪、本当に最悪な気分だ。
低級魔族、魔獣三千体を使って力押しでフォールーン砦を攻略する作戦は、勇者の召喚した化け物によってほぼ全滅の憂き目に合わされた。
異界にいる父上から送って頂いた人造魔石を使ったゴブリンの量産計画と、その中から出現するであろう上位種を育成する計画はイノシシの魔獣もろとも勇者によって壊滅した。
そして、ウェイバーン真皇国の首都から遠い南部地域に魔素濃度の高い地域を作り出し、盗賊を操って人間どもを同士討ちさせつつ、強い悪意を持つ人間を鬼人化させ戦力とする計画も勇者によって潰えてしまった。
更に、欲深い人間を取り込んで利用し、ドリアードを使って魔素溜まりを作り、マナの強い人間の領域に魔素濃度の高い活動拠点の構築をする計画も全て勇者によって破壊された。
ドリアードを殺され、拠点を破壊されてしまった為に魔族領域から地下坑道を使って魔族軍戦力を送り込む挟撃作戦も実行不可能となり、ルーン平原の地下にあった地下迷宮と、そこを管理していたキラーアントとルーターワームもハイ・オーダーズであった
そして扱いに困っていた伝説の魔獣、超巨大ルーターワームを自爆覚悟で解き放った
「ああ、勇者、勇者、勇者、勇者……なんぞ我に恨みでもあるのかボケ――――っ!!」
私は巨大な湖に向かって大きな声で叫んだ。
ん? 湖??
「え――――――――――っ!!!」
ルーターワームやキラーアント共の大量出現によって魔の森と呼ばれたフォールーン西の森林を抜けた先には、ルーン平原と呼ばれる広大な草原地帯が先日までは広がっていたはずだった。
だがそれは今や一面の湖と化しているのだ。
「まさかフォールーン攻略作戦の際に、小さな丘を我が力まかせに砕いてしまったからなのか……」
彼女のつぶやきは見当違いなのだが、いまはそれを突っ込んでくれる者などこの近くには存在しない。
これは今後の大規模侵攻において水棲の魔物を使うか湖を迂回して道のない森林の中を進むしかない。地下迷宮が潰され、飛行出来る魔物の少ない現状ではこの二択となってしまう。
比較的小柄な私だが、それでも湖を迂回して鬱蒼と草木が生い茂る森の中を進むのはかなりの苦労を強いられる。こんな場所を侵攻する際に利用するのは人間共の良い
森の中、道なき道を散々歩いた頃だろうか、先程自分も奇声を上げてしまった湖畔のあたりから大きな声が響いた。
「ここに全て流れ込んでいたのか!」
『……』
「なにっ! ナーゲイルがいるだと……」
私は出来るだけ気配を消しながら、声の主が見える水辺の位置へと移動した。木陰からのぞき込んだ先にいたのはエルフの小娘のようだ。自らの身の丈に合わない大弓を装備して誰かと話しているようだ。先程の様に大きな声で叫ばない限り、何を話しているのかまでは聞こえない。
今でこそ人間と協調関係にはないエルフやドワーフではあるが、魔族との不戦の条約がある訳でも何でもない。ただ生存圏に引き籠もっているだけの状態の奴らには手を出すつもりもないが、その行動次第ではいずれは戦う事になるかも知れないのだ。そう思うと小娘エルフがどういった行動を取るのかがとても気になるところである。
人間はエルフやドワーフ、精霊族や鬼人、獣人を亜人と呼んで差別する。奴らは恐れているのだ、人間以上の力や能力を持つ者達が、魔族同様人間を支配する存在になるのではないかと。
その疑心暗鬼から住む場所を奪い、限定し、数が増えぬ様に常に監視している。そして個体数が増えれば何らかの理由を付けて迫害し続ける……それが最も弱くて最も強い人間という生き物なのだ。
暫く様子をうかがっているとエルフ娘が身の丈程もありそうな大弓に矢をつがえ始めた。かなり遠くて細かい所までは見えないが、普通の木製の弓とは違う様に見える。弓本体が金属で出来ているのではないかと思える程、光輝いていた。だが、どう見てもきちんと弓が引けていない。彼女があの弓を引くには全くの力不足のようだ。
つがえた矢は予想通り目の前の湖に落ちた。だが、驚くべき事が起こったのは次の瞬間だ。
「なっ!!」
思わず声が出てしまい慌てて口を塞いだ。水没した矢が水面から飛び出し砦へと向かって高速で飛んで行った。
小娘エルフのつがえた矢は、次々バシャバシャと湖に水没するのだが、その全てが水中から飛び出しフォールーン砦へ向かって飛んで行くのだ。
湖の上に先ほどまでは吹いていなかった風が強く渦巻いている。
「風の精霊の加護か!」
『……』
「誰だ、誰かいるのか!」
くっ、しくじった。思わず出てしまった声に反応した小娘エルフの声が響き渡った。かなり距離があるので油断していたのだが、風の精霊に声を拾われたのかこちらの気配を察知されてしまったようだ。
気が進まないのだが、あの小うるさい女神の加護を使うしかない。薄暗い森の中には闇の精霊がたくさんいるので問題ないはずだ。
「
小さな声で精霊呪文を唱えると闇が私を覆い尽くし、その気配をほぼ完全に消す事に成功した。だが敵には風の精霊が味方している。闇の精霊たちの動きを捉えられればこちらを捕捉されてしまうかも知れない。
私は考え抜いた挙げ句ある行動に出た。歩の悪い賭けだが仕方がない。今の私にはコレ以外の方法が思い付かなかった。
「にゃ……にゃぁ~」
声に出した瞬間ドッと冷や汗が流れ出た。わ、私は何をしているのだ。自分が予想以上にテンパってる事に気が付いた。こんな魔獣も出没する道もない深い森の中で猫なんている訳ない。ましてや敵には風の精霊が味方しているのだ。今更こんな声真似で誤魔化せるはずがない。そう思っていた。
「な~んだ、ネコか」
『!!!』
馬鹿だ……あのエルフ娘は想像を絶するほどのおバカだった。自分でやってしまっておいて言うのも何だが、この状況でネコなんている訳ないだろ!
精霊の方はちゃんと気付いているようで、闇で偽装した私を探しているのか、周りを微精霊どもが飛び回っている。だが、エルフ娘はもう興味を失ったのかそれとも何か目的があるのか、私のいるのと反対の山脈側をフォールーン砦を目指して歩き始めた。
風の精霊もそれに付き従っているのか徐々に微精霊たちも離れて行く。
「ふぅ~っ、ようやく行ったか」
風の微精霊たちが完全に離れて行ったのを感じた私は何とか一息つく事が出来た。だがそれでふと我に返った。私は一人でこんな森の中で何をしているのだろうかと。
元はと言えばフォールーン砦を偵察したい、勇者をこの目で見てみたいという私の意見が彼ら十二柱の魔人達、
だが、私の支配能力を上回る力を持つ彼らには命令をする事は出来ても絶対服従をさせる事はできない。父上が異界からよこした強力な魔人たちの中でもトップクラスの力を持つ者たち、それがナイトクラウンと呼ばれる魔人たちなのだ。
彼らは人類殲滅には協力的だが、基本的には自らの欲望のままに行動している。最近は、すろーらいふがどうとか訳の分からない事を言って私の命令には否定的な者達ばかりなのだ。
それに準ずる位を持つ
だからと言ってオーダーズランクの低い者たちではランク上げの功を焦ってゾロゾロと付いて来たがるので人間どもに警戒されやすく、秘密裏に偵察する事など出来ない。不機嫌になった私は、仕方なく自分一人での潜入するべく、皆にナイショで城を飛び出してしまったのだ。
私は黑を基調にしたゴスロリスタイルのドレスに黒に近い濃緑色のローブを纏った状態だ。道のない森の中を歩くには全く向かないのだが、侵攻拠点となる城を飛び出して来た時には怒りでまるで気が回っていなかった。今までは必ず道は作られており、護衛が常に複数人いるのが当たり前で、一人で森に入る事など無かったからだ。
「どうせここには私一人なのだ、私の能力も素性もバレる心配はない」
そう
「
呪文を唱えると同時に彼女の体は砂の彫像が崩れ落ちるかの様に黒い霧となって地上を漂い始めた。そしてその霧は指向性を持って森の中を移動し始めた。まだ見ぬ宿敵勇者ビートの元へと。
エルフと魔王、時を同じくして二人の異邦人は勇者を求めフォールーンへと向かい歩みを進めて行く。求められる勇者ヒビトにとっては全く、まったくなのである。
ーつづくー
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