第72話 防衛せし者。

 監視塔からルーン平野を望むアスファルト・デボイは口を大きく開けて硬直していた。地底からその姿を現した地竜。鎌首をもたげるその姿はまさに巨大なミミズである。だが、その巨大さはフォールーン砦の防御城壁を遥かに越える高さにまで達している。あんな物が砦に突撃してきたら今まで魔族軍の攻撃を完全に防いで来た三重防壁ですら一撃の元に突破されてしまうかも知れない。


 震えおののく心を押さえ付け、流れる冷や汗を拭きながらアスファルトは全軍に対して命令を飛ばした!




 ……時間は少し前に遡る。


 執務室で書類のチェックをしていた彼の元に報告が入ったのは昼を少し過ぎた時間だった。東の貴族の別荘地帯にあった魔族の前線基地となっていた地下迷宮へと勇者と共に調査に向かった城主のミレイが帰還したのだ。


 それも西側の魔の森から広大なルーン平野を渡り、勇者ビートの仲間であり、馬よりも早く走る四角い鎧の商人と共に。


 彼女は帰還するなり医療班を呼び付けると一人の少女の治療と介護を命令した。少女の名はヒューマニア神聖教会所属のシスターでフィルス・モモ・アルスラ。教会騎士団では名高い大鬼殺しオーガキラーシグベルトの娘だ


 彼女は王都までの道案内と勇者ビートの身の回りの世話をしており、今回の調査にも同行していた。


 医療班からの報告でかなり憔悴しょうすいしてはいるものの、大きな外傷はなく安静にしていれば数日で回復するのではないかとの報告が上がった。彼女には個室があてがわれ常時二名の看護師が常駐する事となった。


 だが、その報告を受けるよりも早くミレイ隊長はフォールーンに常駐している配下の騎士団全軍に警戒体制を取る様に指示を出した。非番の兵士も含む全員にだ。


 一体何が起こったのか確認の為に彼女に問い掛けるととんでもない一言が返ってきた。


「第一から第八までの騎士団長を呼んでくれ。伝説の地竜が現れた」


「地竜!? 勇者の伝説に登場するあの地竜でございますか?」


「ああ、あのお伽噺おとぎばなしに登場する物と同一の個体だ。伝説の勇者たちによってルーン平野の地下深くに封印されていたらしい。ビート様が一時撃退して下さったが、いつ地上へと現れるか分からん。砦の防衛準備と市民の避難誘導を開始する。急げアス!」


「はっ!」


 敬礼をしたアスファルトはすぐさま踵を返すと各団長の元へと伝令を走らせた。


 緊急招集を知らせる鐘が鳴り響く中、即座に作戦指令室に集まった騎士団長たちの顔をミレイはゆっくりと見渡すと噛み締めるように呟いた。


「伝説の地竜が現れた……騎士を目指した者なら一度は目にした事があるだろう。あの勇者伝説は物語やお伽噺などでは無かった」


 団長たちに緊張と動揺が走る。普段は気さくで兵士一人一人にも心遣いの出来る優しい方だが、こういった軍議の場では冗談を言った事など一度もない。そして彼女のこの話し方は魔族軍三千が侵攻してきたあの時以来だ。


「フォールーン防衛騎士団全軍をあげて砦の守備と住民市民の避難誘導に全力を尽くせ! 全軍の指揮は城塞副司令のアスファルト・デボイに一任する。私は勇者殿の帰還後、彼と共に打って出る!!」


「「馬鹿な! 一人で打って出るなど……」」

「「「無茶です、我らもお供致します!」」」

「我らも全軍をもって地竜討伐にあたりましょう」


 喧騒の溢れた作戦指令室をミレイは左手一本を突き出し制した。ゆっくりと全員の顔を見回すと言葉を紡ぐ。


「みんな、ありがとう」


 深々と頭を下げたミレイは、あえて強い口調で言葉を続ける。


「皆の気持ちはとても嬉しい。だが、皆もアレを……地竜を実際に見れば分かると思う。アレは人の手でどうにか出来る代物ではない。実際私もアレを最初に見た時は足がすくんでしまい動けなくなった。勇者殿がいなければ私は確実にヤツに喰われていただろう」


「「まさかそんな……」」

「「………」」

「「大隊長どの……」」


 ミレイは皆の顔をゆっくりと見回して言葉を続ける。


「私たちは騎士です。人々を守る剣であり盾です。民を守り、彼らの為に戦う事が仕事です。ですが忘れないで下さい。あなた方もその守るべき民である事を。あなた方の身を案じる家族、友人、恋人がいるという事を……」


「それでも我らは騎士です。戦いに命を掛けるのが使命であり責務です」

「そうです、我ら全員いつでも命を捨てて戦える覚悟があります!」

「最前線であるフォールーンに赴任が決まった時からいつでもこの命を掛ける準備は出来ています!」


 彼らの熱の籠もった声のあとに、間髪入れずミレイの怒号が響き渡る。


「軽々しく命を捨てるなどと言うな!!!」


 シーンと静まり返った作戦指令室で『すまない』と一言侘びたミレイが、言葉を続け話した。自分の油断と判断ミスで優秀な八人の騎士を死なせてしまった【前領主マクドガル・トレイター別荘事件】の事を。


「私は彼のおかげで今ここに生きている。彼らに救われたおかげで地竜の脅威から皆を守る為に立つ事ができたのだ。以前勇者殿が元近衛騎士団長の商人オルク殿に言ったそうだ『ヤバくなったらすぐ逃げます。生きてさえいればまた戦うチャンスはいくらでもありますから』……と。とても彼らしい言い方だ」


 そう言って少し微笑むミレイにその場にいた全員がドキリとした。彼女は強く、聡明で、美しい司令官ではあったが、こういった軍議の場で優しく微笑む様な事は一度も無かったからだ。


 彼女は常に凛々しく、戦闘では必ず先頭に立ち、軍議や訓練中では非常に厳しい……それがプライム・ミレイ・ライラックというこの城塞都市の司令官に対する皆の印象であった。


 軽くひと呼吸した彼女はいつものキリリとした表情にもどり続けて言う。


「我ら騎士は命を掛けて戦う、だがそこに捨てて良い命など一つもない! 民を守り、仲間を守り、も守れ! 全軍、民間人の避難誘導を最優先に、第一、第二騎士団は砦の防衛準備を開始せよ!!」


「「「「はっ!」」」


 ミレイは各部隊に簡単な作戦を指示すると、各団長達は足早に作戦室を出て行った。彼女は残されたアスファルトに向き直り走り書きの書かれたメモを渡した。


「大雑把にだけど作戦の指示を書き出しておいたわ。それを参考にして、足りない部分は貴方の判断で補足しておいてね」


「ライラック大隊長殿……」


「やめてよアス。二人で話す時は、いつも通りミレイ隊長でいいわ。お父様に仕えていた頃からずっと貴方にはお世話になっているのだから」


 アスファルトは武芸によって爵位を獲得したミレイの父グレイグを心から尊敬していた。彼の元で働く様になってからは修練場に良く顔を出すミレイを、年の離れた妹の様に思って可愛がっており、同じ部隊で働く者たちはおそらく皆、同じ様に感じていたようだ。


 無口で無骨なグレイグは若い騎士たちと同じかそれ以上の厳しさを持って娘にも稽古を付けていた。


 だが、彼女は一度の文句も口にする事なくひたすら愚直に訓練に精を出していた。そこには彼女が父の後を継ぐのだという決意が誰の目にも見て取れる程であった。ミレイはメキメキとその実力で頭角を現し、騎士団の中でも勝る者のいない程の地位を得ていった。


 そんな彼女は自分の事を【お嬢様】と呼ばれる事をひどく嫌っていた。口に出した事は一度も無いが、その熱く燃える瞳が彼女の気持ちを代弁していたのだ。だから騎士団内ではグレイグ団長と分けてミレイ様と呼ばれる事が多かった。


 ミレイが父の後を継ぎ伯爵家の当主となり、その後騎士団長へと昇進した時、少しでも彼女の力になりたいと思ったアスファルトは、彼女のいる第八騎士団への転属を申し出た。


 当時、彼女は女性初の騎士団長との事で他の貴族や騎士たちからの風当たりが強く、集められた騎士達も他の騎士団からあぶれた者や新人騎士、下級貴族などが集められていた。だがそれだけではなく、アスファルトを含めグレイグ団長を慕っていた一部の者たちもミレイの力となるべく、彼女の元へと馳せ参じていた。彼らの協力もあり騎士団としての体裁を整え、かろうじて軍隊として機能出来るに至った。


 最初は不平不満も多くバラバラだった団員たちも、常に先頭に立ち、彼女自身が自らの実力を示した事で彼らも態度を改め、騎士団内の結束は更に強まっていった。その頃からアスファルトもミレイの事を団長と呼ぶ様になったのだが、彼女自身が『まだまだ自分は未熟で、とても団長呼ばれるだけの実力はない。だから二人でいる時だけは隊長と呼んでもらえると少しだけ気が楽なのだ』と珍しく弱音を吐いて来た彼女の申し出を受けて【隊長】と呼ぶ事になり現在に至るのだ。


 だが、そうやって自分の前でだけ甘えた態度を取る彼女を甘やかした結果がトレイター別荘事件であった。アスファルトは彼なりの決意を持ってミレイへと進言した。あえて彼女を大隊長と呼んでだ。


、やはり勇者様と二人で地竜退治に向かわれるのはお考え直し頂けませんか?」


 真剣な表情のアスファルトに、軽く驚いたミレイだが、軽く目を閉じた後、ゆっくりと目を開いて彼の事を真っ直ぐに見つめた。


「アス、心配してくれるのは嬉しいわ。でもごめんなさい。私ですら足手まといかも知れないの。伝説の契約精霊武器フェアリーアームズを持っていたとしてもね」


 腰に取り付けたホルスターに収まっている双槍を軽く触ると言葉を続ける。


「私は死にに行く訳じゃない! この砦を任された城主として必ず地竜を倒してここに戻って来るわ。そして貴方と奥様のエリーズに、私と勇者殿のいちゃいちゃラブラブ姿をを見せ付けてあげるわ!!」


「えっ、まさかあの時の事……まだ根に持ってたんですか?」


 妻のエリーズと結婚したての頃、彼女は毎日欠かさず昼の弁当を騎士団の詰め所まで届けに来ていた。結婚当時には既に、ミレイの補佐の仕事をしていたアスファルトはミレイの目の前で妻と仲睦まじく昼食を取る事が毎日恒例となっていたのだ。


「だってあれはお嬢様……いえ、隊長がここで一緒に食べましょうと……その方が楽しいと」


 焦ったアスファルトは口を滑らせたが、慌てて言い直すと当時を思い出して言い返した。だがミレイも目だけ笑っていない笑顔で『最初は確かにね』と言い返す。


 思ってもみなかったミレイの言葉と、彼女の迫力のある笑顔にアスファルトは背中に冷や汗が滝の様に流れるのを感じた。


 だがそんな思いすらも終わりは突然に訪れる。


 カーン、カンカンカンカン、カーン!

 カーン、カンカンカンカン、カーン!

 カーン、カンカンカンカン、カーン!


 監視塔からの緊急警報だ!!


 アスファルトの肩に手が置かれる。美しくしなやかで、男の手の様にゴツゴツしている訳では無いが、強く強靭さを感じさせる手だ。


「私は必ず戻って来るわ。だから貴方もあなたのやるべき使命を果たしなさい」


 言うが早いか言う事だけいうとそのままドアから飛び出して行った。アスファルトはその後ろ姿に敬礼し彼女を見送ると、自らも監視塔へ向かって走り出した。




 監視塔に着くと監視担当兵から報告が上がった。

 ルーン平原に無数の黒い影が突然現れたと言うのだ。監視用の大型双眼鏡から見たルーン平原には、ゆらゆらと揺れる黒い影に覆われている。

 その中で唯一光を放ち、影を粉砕していく人らしき物が見えた。


「あれは、まさか勇者殿か!?」


 回転しながら踊る様に、そして舞う様に移動を繰り返していく。彼の通ったあとには光が溢れ影の魔物達が崩れ落ち霧散していく様に見えた。


「すごい……」


 勇者殿の普段のボーッとした雰囲気からは全く想像出来ない光景が、今アスファルトの目の前に広がっていた。覇気のある騎士や剣士は普段から普通の人とは違うオーラや殺気を纏っている者達が多いのだが、彼には全くそのような感覚を感じる事が無かった。本当にそこらにいくらでもいる様なただの村人に見えたのだ。


 あの様に何百もの敵に囲まれた状態であっても少しも怯える事なく、いつも通りに動く事が出来る、そして粛々と確実に敵を殲滅して行く。その様な者こそが勇者と呼ばれるに相応ふさわしいのではないか……この光景を見て、アスファルトはそう感じていた。


 その勇者という名の希望をも打ち砕く【災悪】が彼の目の前に姿を現した。


「何だアレは……あれが地竜だというのか!」


 突然地中から飛び出し、鎌首をもたげるわざわいという名の暴力。開いた口から見えるのは絶望という名の闇でしかない……アスファルトは口を開いたまま固まってしまった。


 横にいた監視員も警鐘を鳴らす事を忘れて、その巨大な化け物から目を離す事が出来ずに見入ってしまっていた。城壁にいてアレを目にした者たちは皆同様の反応だった。

 

 有り得べからざる超巨大生物……あんな物が砦に突っ込んできたらフォールーン鉄壁の三重防壁をもってしてもひとたまりもないだろう。


 熟練の兵士であるアスファルトだが、それでも足は震え背筋には大量の汗が流れる。


「あの様な化け物に、たった数人で挑もうというのか、勇者殿とお嬢様は!!」


 強く握る拳に血がにじむ。彼の心が恐怖に負けまいと自らの肉体を鼓舞する様に、心臓が熱く鼓動している。


 そんな時だ、戦場であるルーン平原に変化が訪れた。勇者殿の立つ大地が急速に隆起し、巨大な人型となっていく。地竜にも負けない大きさの土塊つちくれの巨人だ。巨人は大地にその拳を叩き付け大音響と共に大地を振動させた。


 微弱ながらも、砦にいた人間たちにも伝わる程の振動が大地を揺らす。地中にいた地竜にはかなりの衝撃だったのだろう、足元の大地を切り裂いてヤツの嘴が巨人の頭部にいる日比斗を狙って真っ直ぐに突き進む。


 その直線的な行動を読んでいたのか、左足を引いてからだを反らして躱すと、振り上げた左の拳を地竜の頭部へと叩き付ける。思いっきり大地に叩き付けられ、悲鳴を上げもんどり打ってその身をくねらせた地竜。その悲鳴には威圧の効果も含まれていた為なのか一部の兵士たちはその場にへたり込んでしまった。


 まるで何事も無かったかの様に地竜を押さえ付けようと手を伸ばす巨人だが、その手をすり抜けて再び巨人の頭部を目指し嘴を広げ目の前の敵を喰らおうともがく。


 その悪魔の如き巨大な口を開いて襲い来る地竜なのだが、巨人はまるで全て分かっていると言わんばかりにその頭部を両手でガッチリ掴むと、その巨大な胴体を地中から引きずり出し、再び大地へとその巨大な体を叩き付けた!


 あまりにも常識を超える戦いをただただ呆然と見守っていたアスファルトの耳に、城壁の門を開放する鐘の音が響き渡った。我に返った彼の目に映ったのは、少しだけ開いた城門から飛び出したミレイ様と四角い鎧の商人サクラ殿だ。


 サクラ殿は【きゃたぴらー】という車輪で馬よりも速く走る事が出来るというトンデモ商人だ。ミレイ隊長は彼女の背中にある【ぱいぷふれーむ】なる鉄の棒に捕まりもの凄いスピードで地竜へと向かって進んで行く。


 ミレイ様は自分の使命を果たす為に、あの恐ろしい地竜の元へと……勇者殿の元へと向かった。では私の使命とは何だ、やるべき事とは!


「うおぉぉおおぉぉおっ!」


 アスファルトは叫んだ。今までの人生で一番だと思えるほどの大声で気合いを入れて叫んだ。アスファルトの部下と監視兵が目をしばたかさせて驚いているが、まるで気にせず大声を出し続けた。


 彼は叫ぶのを止めると同時に部下を伝令に走らせた。


「一番から三番隊までの騎士団に防衛準備を進めつつ騎士団長は作戦指令室まで来る様に伝えてくれ! 追加の作戦指示があると伝えよ。四番隊から八番隊には民間人の避難を急がせろ!! 至急だ走れ!」


 アスファルトの部下は慌てて監視塔から走り去って行く。その場に残り巨人と地竜の戦いを見ているアスファルトの目には、もはや恐怖や怯えといった感情は消え去っており、燃える様な闘志が宿っている様にみえた。









 ーつづくー

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