第68話 閃光せし物。
ミレイはヒビトに抱きついたまま固まっていた。先ほどは思わず彼の名を叫んでしまった。『ヒビト……』今までは何だか恥ずかしくて、そう呼ぶことが
だからこそ未来への決意も込めて【婿どの】と呼ぶ事にしたのだ。今まで部下や知人も含めて名前を呼ぶ事にこんなにもドキドキした事など一度もない。優しく抱きしめられた身体が熱く顔も上気し始めている。
先ほどあの巨大魔獣の
何事も無いかの様に、あの化け物相手に立ち向かっていた。
今までどんな敵と相対しても恐怖を気力で押し潰し打ち勝ってきたというのに情けない気持ちになる。
魔族軍侵攻以来、絶望的とも思える状況を何度もヒビト様に助けられてきた。そして今も危機的状況の戦闘中だというのに、彼に抱かれて安堵感に包まれている。
『彼は相手がどんな化け物であろうと、絶対に負けないし、挫けない』
そんな事はたぶんあり得ない。あり得ない事の筈なのに……そう思ってしまう。
彼の様に、自らの勇気や勇猛さをもって他者を支え、そう感じさせる者こそが本物の【勇者】なのかも知れない。
そんな事をボンヤリと思っていた時だ、足元から『ドンッ!』という強い振動と共に魔獣の觜が突き立てられた。
「飛びます、しっかり掴まって下さい!」
サクラ殿の張り上げた声と共に、彼女のキャタピラがガリガリと唸りを上げて宙を舞う。
着地の衝撃で強くヒビトを抱きしめると、彼の顔がすぐ目の前に来ていた。そのままキスしてしまうのではないかと思うほど近い。
『近い近い近い……!』
ミレイは自分の顔が真っ赤に紅潮しているのが分かり、恥ずかしくて慌てて彼の首筋へと顔をうずめてしまった。彼の匂いに包まれているようで余計に恥ずかしさが込み上げどんどん顔が熱くなる。
男性と密着する事など剣戟の訓練時のつばぜり合いで馴れている。恥ずかしいなどとは一度も思った事はないのに、彼の顔が近いだけで顔からファイアーの魔法が撃てそうだ。
『それは密着とは言わないニャ! ましてや顔から魔法を撃てるヤツはいないニャ』
ね、ね、ね、猫に突っ込まれた!!
『ネコじゃないニャ。まったくニャ』
シスターモモ膝の上からこちらを見つめている黒猫に考えていた事がだだ漏れで、更にそれを冷静に指摘されるなど死ぬほど恥ずかしい。
まったく、この非常時に私は一体何を考えているのだろう。冷静になれと思う一方、冷や汗がダラダラと流れ耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。おかげで自分がとても汗臭いのではないかと、不安で不安で堪らなくなった。
『汗臭いなんて思われたらどうしよう』
そんな事を思っていた時だ、サクラ殿の緊迫した声で漸く現実に引き戻された。
「こちらの走行軌道がグリーマーに読まれ始めています。このままではいずれ掴まります!」
ヒビトがあの大鬼の方をチラリと見る動作をした後、サクラ殿の背面モニターに話し掛けた。
「俺達も脱出するぞ。サクラ、
「大丈夫です、オーナー。八秒で準備します」
「オーケー、くそったれなデカミミズに一発かましてやるとするか!」
『すたんぐれねーど?』
何らかの武器なのだろうか、また私が聞いた事もない言葉を彼は口にした。
サクラ殿が疾走する後方で
「サクラ、スタングレネード投擲準備! 減速してヤツを釣り上げるぞ」
「3、2、1……XM93スタングレネード投擲準備完了!!」
「さあ来いよミミズ野郎、俺達を簡単に喰えると思うなよ!」
減速したサクラの足下から『ドンッ!』と突き上げるような振動と共に黒光りするグリーマーの巨大な觜がサクラを取り囲む様に現れた。
「来たぞサクラ、急速離脱後、スタングレネード投擲開始!」
「了解!!」
サクラは日比斗からの命令と同時にキャタピラを唸らせて急加速する。待っていましたとばかりに、觜に取り囲まれる前にその凶悪な
「スタングレネード投擲!」
サクラの声の後『ポン!、ポン!、ポン!』という軽い発射音と共に、円筒形の何かがサクラの展開した砲身からグリーマーの口の中へと三個ほど放り込まれた。
「全員目を閉じて耳をふさげ!」
全員が日比斗の指示に従うのと同時に、グレネード弾はグリーマーの觜に囲まれた地面と共に口の中へと吸い込まれる。
その直後、耳を塞いでいるのにも関わらず『バンッバババン』と脳を震わせ、頭に響くような音と共に、目を閉じていても
「ギギギャオアァァァァ!」
グリーマーは地中からその巨大な体をもんどり打って現すと、脳を揺さぶられる様な強い咆哮上げながらのたうち回り、洞窟内のあちらこちらに自らの身体をぶち当て激しく転げ回った。そしてその巨体のぶちかましで洞窟のあちらこちらが崩れ始める。
「やばい、このままだと生き埋めになるぞ。サクラ急いであの鬼がいる坑道へ向かえ!」
「了解です!」
サクラはのたうち回るグリーマーを大きく回避しながらタウロスの待つ坑道へと進路を向けた。
次々と崩れ落ちてくる天井からの岩石を軽快にかわしながらタウロスの待つ洞窟へとたどり着いたサクラは、そのまま先に坑道へと進んだ鬼の後を追ってキャタピラを唸らせる!
少しだけ先を走るタウロスが日比斗に声を掛けてきた。
「さっきのあれはなんだ人間? 後ろを向いていても分かるほど、強い光が出ていたぞ。あの化け物はあれで倒せたのか?」
「どうかな。あれはデカイ音と光を出すだけのただの嫌がらせだ。あいつが暴れて天井がだいぶ崩れて来たから、上手く押し潰されてくれればいいんだが……いや無理か。あの巨体ではそう簡単にはいかないだろう。ましてや奴にはあの再生能力がある。どれ程の能力かにもよるがな」
胴回りの直径が五メートル近くもある大ミミズなのだ、全長が一体どの位あるのか分からない。地中を自在に動き回るそんな奴が簡単に岩に押し潰されるとは到底思えない。
日比斗は逆にあの化け物について知っている事は他にもないかタウロスに問いかける。
「すまん、俺もあれ以上は特に聞いていない。古代龍の伝説から名を取ったという位か」
「古代龍の伝説?」
「まさか、地龍グリムか!」
タウロスの話しに応えた日比斗の声に反応する者がいた。日比斗に抱き付いたままで顔を赤らめているミレイだ。
「昔に読んだ伝説の勇者ビートの物語の地龍討伐に登場する魔龍の名がグリムだ」
タウロスがチラリと日比斗の方を見た。
「単に名前が似てるだけで俺じゃない。あくまでも伝説な!」
話しをこれ以上振られても困るので日比斗は話をエルムに振る事にした。
「エルムはあの化け物か地龍について何か知らないか?」
「……」
珍しく無言のエルムに不安を覚えて声を掛けたのだが、昔の事を思い出そうとすると記憶にモヤが掛かるらしく頭痛がすると言って黙り込んだ。世界の全てを知っているのは神様だけで女神は担当部署の事以外は基本的に分からないそうだ。まったく、なんてお役所仕事なんだ。
そんな時、エルムの膝の上にちょこんと座っていたルーデウスがあの化け物について語り始めた。
『あれやっつけたのマオーだよ。ルーとマオーと大酒飲みのごっちんと耳長のメルルン。もふもふのじーやんとぼーさん』
ミレイは昔読んだ伝説の内容を思い出す様にルーの言った人々の名を重ねて語った。
「勇者の伝説では確か……勇者【ビート】とドワーフ【ゴステル】、エルフの【メルレーシア】、獣王【ジークハルト】、僧侶戦士の【ボルティス】となってますね」
「なんで勇者が魔王なんだよ」
日比斗の速攻の突っ込みに答えたのは、意外にもタウロスだった。彼はプイッと顔を背けると吐き捨てる様に言い放つ。
「そんなもの、人間が自分たちに都合のいい様に伝説を書き換えたからだろう」
「それは……」
反論を言いかけたミレイの言葉を遮ってタウロスは言葉を続けた。
「ならば何故、お前たちの国にエルフやドワーフはいない。奴らがガレア渓谷や迷いの森に引き籠ったのは何故だ。我ら鬼族は迫害され、獣人はデミイラスリアより西にしかいないのはなぜだ。騎士であるあんたなら知ってるよな!」
「それは亜人戦争でお前たちが……」
お互いにヒートアップしそうな二人を抑える様に日比斗は割って入る。
「言い争いはそこまで! 過去の事にお互いに遺恨はあるだろうが今はあの化け物をどうするかが先決だ。タウロス、すまないが協力関係中だけは感情を抑えて欲しい。プラムもな!」
「はい……」
「承知」
何か会社にいた頃を思いだした。成績も振るわずボッチだった日比斗だが、何故か同僚たちの口論の仲裁に入るのはいつも彼だった。
どうやら成績の振るわない彼に正論で言いくるめられるのを嫌ってなのか、仲裁はいつも簡単に収まった。それ故、彼自身は周りから敬遠されることも多く、より一層ボッチ感を深めて行くのだが、本人的には気にしていなかった。つまらないしがらみに巻き込まれる事の方があの頃の彼にとっては苦痛だったからだ。
全員の顔を見回して日比斗は思った。
『しがらみ……多くなっちまったなぁ』
昔は嫌な気持ちしか無かったのだが、今はそれほど嫌な気分でもないと口元の緩む日比斗であった。
ーつづくー
いやいや、待てまて……肝心な事を聞いてないじゃないか! 日比斗はあわててエルムの膝の上にちょこんと座るルーデウスに目を向けた。
「ルーデウス様」
『ルーちゃんでいいよ、マオー』
『だから魔王じゃないって!』
……そこを突っ込んでると話しが進みそうに無いので、日比斗は諦めてスルーする事にした。
「ルーちゃん達はどうやってあの化け物をやっつけたのかな?」
『あのめめずはねぇ……ごっちんがおっきいのガスガスやって、マオーとメルルンがビ――ッて。じーやんがポイってやって、ぼーさんがおっきくて固いのガンガンって出してみんなでボンボンって投げて、ルーとマオーがボワー! ってやって埋めたの』
最後の『埋めたの』以外が全くわからん。
頭を抱える日比斗達はタウロスの先導によりその後も暗い洞窟内を走り続け、ようやく洞窟から脱出する事が出来た。
洞窟の出口は木々に囲まれた森の中で、小高い丘のように偽装された場所だった。暗い闇に慣れた目には木漏れ日すらも眩しく感じるのだが、グリーマーの事を考えると目の前が真っ暗になってしまう日比斗だった。
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