第65話 共闘せし者。

 こちらに振り向いた彼女は間違いなくシスターモモだった。大きな瞳からは涙がこぼれている。だが……その紅く輝く目はこちらに憎悪の籠った敵意を向けてくる。


 日比斗には彼女が自分に対して何故ここまで怒りをあらわにして敵意を向けているのか、理由に心当たりは無く、どう対応すべきかまるで見当が付かなかった。


 彼は今まで他人と距離を置く事で深く関わる事を積極的に避けて来た訳で、目の前の女の子にここまで敵意を向けられる事など全く経験が無かった。


 だが、サラリーマン時代の経験をいかすならここはとりあえず、ひたすら謝るしかない。謝ってまずは相手の話を聞くこと。そして現状の把握が出来たなら、最悪土下座も視野に入れておかなければならないだろう。


 日比斗はこの緊迫した状況下であるにも関わらず、完全にパニクっていた。


「フィー、え、えーと遅くなってごめ……」


 シスターモモは日比斗が言い訳を言う隙も与えず大地を蹴って走り出した。


「グルルガァ……」


 吠えるような声を上げて迫り来るモモは、強烈な殺気をみなぎらせて肉薄して来た。明らかに自分に抱きついて甘えてくる時とは違う鬼気迫る表情に、慌てて御結界を前方に展開させた。


 だがその結界は、どこぞの巨大超合金ロボットを製造していた研究所のバリアよろしく『パリンッ!』と嫌な音を立てて彼女の拳の一撃で砕け散った。


「うっそぉおぉぉ!」


 慌ててナーゲイルで受けたものの、拳を受けた勢いでそのまま吹き飛ばされた。ナーゲイルを大地に突き刺し下半身に力を込めてかろうじて転倒は避けられた。


 それでもかなりの距離を飛ばされ敵の真っ直中ただなかに放り込まれたかたちになった。こちらがダメージを受けて弱っていると思い込んだ雑魚魔物ザコモンスターたちが一斉に日比斗へと飛び掛かる。


 かわし、受け、凪ぎ斬り、叩き付ける。流れるような動作で攻撃に対処しているが、それでも数が多い。唯一の救いはモモがこちらを追って来なかった事だ。


 何故こんな事になっているのか分からないが、少なくとも彼女の一撃を食らって分かった事がある。雑魚とはいえ、とてもでは無いがこの数を相手にしながら、モモの攻撃をしのぐ事が難しいということ。それ程に彼女の攻撃は強烈であった。


「婿どの!」

「オーナー!」


 纏雷と電撃機関砲という同じ雷系の攻撃で、周りの敵を掃討しながら追いかけて来たミレイとサクラが合流した。


「婿どの、状況は? モモ殿はどうなっているのだ!?」


 ミレイ相変わらずの美しい槍さばきで舞う様に戦いながらも、こちらの状況はしっかり見ていたのだろう、モモが日比斗を攻撃していたのを見て混乱しているようだ。


「俺も分からないよ」


 もちろん、日比斗が一番混乱しているのだが……。


「はぁーっ、もうみんな早いよー」


 文句たらたらでサクラの後をトテトテと追ってきたエルムが日比斗たちの疑問に答えた。


「はぁーっ、あれはたぶん錯乱状態……いいえ、狂乱状態なんじゃないかな」


「「……」」


「そうだ!」


 皆の沈黙の後に、エルムの意見に大声で相槌を打ったのは仲間たちの誰でもない。日比斗たちの視線は必然的に声の主に注がれた。そこには赤い髪を振り乱し額に二本のつのと口には尖った牙を生やす筋骨隆々の大鬼オーガがいた。

 今までは遠巻きにこちらの様子を伺っていた鬼……タウロスであった。


 先ほど日比斗の前に立ち塞がった鬼よりも一回りほど小さい。だが、袖のない麻の様な布を身に纏い、蛮刀ばんとうを二本持って立つ姿は、他の雑魚モンスターとは違い威圧感を放っていた。


 日比斗たちは周りを取り囲み様子を伺っている魔物達にも警戒しながらも、ゆっくりとこちらに近付いて来る鬼に対して武器を向けた。だが、先に口を開いたのは鬼の足元にいた黒猫だった。


『お前がモモが言ってた勇者ビートニャか? 我輩はセンセイルド・クロウドギアス。猫妖精ケットシーの貴族ニャ。クロウド卿と呼ぶがいいニャ』


 二本足で立つその黒猫は胸を張って、とても偉そうな態度であった。だが、日比斗が彼の名前を確認するように『クロウド卿……』とつぶやくと日比斗の足にすがり付きオロオロと泣き始めた。


「ビート、お前いい奴ニャ。モモは全然言う事聞かないニャ。ケットシーである我輩を、にゃんこ、にゃんことさげすむニャ。凹むニャ。でも勇者の言葉に我輩の心にも暖かいニャにかが流れ込んで来る様な気がするニャ。コレが噂に聞く勇者力ニャか?」


「違うわっ!」


 日比斗の速攻の突っ込みに全員が苦笑する。あの威圧感のあった鬼ですら『ぷっ』っと言う吹き出した様な小さな音のあと、顔を横にそむけている。全く、まったくである。


「話しを戻すぞ、人間」


 真顔に戻った鬼が日比斗に向かって語り掛けた。真剣な表情ではあるが、そこには先ほどまでの殺気や威圧感は無い。クロウド卿が場の雰囲気を若干和ませてくれたからかも知れない。


 周りを取り囲んでいた魔物たちは巨大蟻から命令が下ったのだろう、あの化け物のいる方へと一斉に下がって行った。シスターモモも逃げ出した魔物の集団を追って暴れているため、こちらには近付いて来ない。


 時間的余裕は無いものの、こうなった状況の分からない日比斗は鬼の話を聞くべきだと判断し、軽くうなずいた。


「俺の名はタウロス。タウロス・オレ・サンジョウだ。あの娘は生死の境まで追い込まれ無意識で狂戦士バーサーカースキル【鬼神憑依】を発動してしまった。このままでは敵が誰も居なくなるか、命が尽きるまで敵を倒し続けるだろう」


「狂戦士スキル……どうすれば止められるんだ?」


「わからん。わからんが、現状あの娘の身体は憑依した鬼神が支配している。鬼神を鎮め、娘が意識を取り戻せばあるいは……」


「ちっ、【たら・れば】かよ……。まあいい、最後にひとついいか?」


 日比斗は殺気を込めてタウロスをにらむ。


「何故敵のお前がモモを助けようとする?」


「ひめ……いや、娘を追い込んだのは確かに我等だ。だが、今は助けたいと思っている。それは先ほどお前に昏倒させられ、倒れたままの鬼【ガレス】も想いは同じだ。あれでも、いきなり突進して来たお前から、あの娘を守ろうと傷付いた体で立ち塞がったのだ」


「それを信じろと?」


 日比斗が自分の身長より遥かに高いタウロス顔を、更に殺気を込めてにらみつけると、彼は目を閉じあぐらをかいて座り込んだ。


「ならば俺を殺せ、抵抗はせぬ。だが、我らが心変わりした理由はのお前には話せぬ。さあ、殺せ!」


 タウロスは大の字になってその場にひっくり返った。鬼はそのまま動こうとしない。信用は出来ないが嘘を言っている様にも見えない。日比斗は大きくため息を着くとナーゲイルを大地に突き刺し、あいた手をタウロスに向かって差し出した。


「俺はお前を信用しない。だから信頼は自らの手で勝ち取れ!」


「ふっ、承知!!」


 タウロスは口元に笑みをたたえ、差し出された日比斗の手を取り立ち上がった。そこへいきなり多数の火の球が降り注ぐ。


「「防御結界!」」


 日比斗とミレイが防御結界を同時に展開して直撃を防ぐ事に成功する。火の球を飛ばして来たのはどうやら巨大蟻の周りにいる赤い蟻どものようだ。そちらに目を向けると巨大蟻から念話が飛んで来る。


『おのれ勇者、おのれ裏切り者の鬼めぇ! 全員まとめて葬ってくれるわぁ。行け、全軍進軍開始じゃ!!』

 す

「「「「おおっー!」」」


 全軍の半数近くを失ったドミニネスは、生き残った魔物や部下達を集めて部隊を再編成していた。


 人喰い蟻キラーアントの他に、大剣や大斧を装備し鎧を纏った豚鬼オークたちが先陣となり、軽装鎧を身に付けた小鬼ゴブリン餓鬼グール犬鬼コボルドなど小型の魔物が続く。そして二本の足で立ち、二本の槍と二枚の盾で防御を固めた重装甲の黒蟻たちが後ろを守り、更にその後ろに火の球を吐き出す火蟻隊が陣取る。


『勇者と仲間どもを焼き尽くせ、我が配下と魔物どもよ、あやつらを蹂躙じゅうりんせよ!』


 ドミニネスの号令に火球が次々と降り注ぎ、前衛の魔物どもが押し寄せる。


 ナーゲイルを握り、打って出ようとした日比斗の前を遮る様に槍が突き出された。ミレイは日比斗に向かって超一級の笑顔で微笑むと……。


「ここは我らに任せモモ殿を頼む、婿殿」


 そう言うが早いか彼女は火球の雨の中を走り出した。防御結界は使わず紙一重でかわしながら敵との距離を詰めて行く。


「サクラ、アスカ様、援護を!」

『任せるがよい、勇者殿。だが、我が契約者を甘く見るなよ。我とあの者の働きその目に焼き付けるが良い!』


 言葉が終わると同時にその姿は消え失せた。


「オーナーすみません、ガス欠です」


「了解だ、すぐに充電チャージする」


 充電の準備に入った日比斗の目の前に先ほどの鬼が背を向けて立った。首を少し曲げてこちらへ視線を向ける。


「あの娘は鬼族の名誉に掛けて、この俺が守ろう!」


「頼む……」

「ふっ、承知!!」


 口角を少し上げて微笑んだ様に見えたのと同時に、彼の姿がブレると既に数十メートル先を走っていた。




 その頃、火球の雨の中を疾走するミレイは高揚感を得ていた。先陣を切って敵に突撃するなど何時以来であろうか? 騎士団長となってからは後方で指揮を取る事も多く、自らが先頭に立って戦う事など無かった。


 だが日比斗と地下迷宮を探索するうちに戦いの中に身置く自分が、危機的状況であっても高揚している事に気が付いた。


 この数日は自分の人生の中でも色々な意味で濃い数日間であった。圧倒的な戦力差を前に心が麻痺した。功を焦り無駄な命を失い、自分の無力さに絶望した。その絶望を覆す勇者の力に心酔した。そしてその彼を手に入れたい、自らの全てを差し出しても彼のかたわらにいたい。そして彼と並び立てる様になりたいと心から強く願った。


 彼女は女であると同時に騎士であり、戦士であり、軍人いくさびとであったからだ。


 ミレイは嬉々として戦場を走る!


「さあ、行きますよアスカ様!」


『我が力存分に奮うがよい、我が主よ!!』


飛槍針ニードル・ランス!」


 長さは四、五十センチほどあるだろうか、先陣を切るオークやキラーアントに向けて槍の先端部分から細い針のようなランスの分身体を複数作り出し連続射出した。


 右から左へ走り抜けながら次々とニードル・ランスを射出していく。だが、ニードル・ランス自体の攻撃力はあまり高く無いようで、武装したオークやキラーアント達はあまりダメージを受けているようでは無かった。


 刺さったニードル・ランスを気に留める事もなくオークはミレイに向かって斧を振りかざし吠えた。


「この程度の攻撃で我らを倒せると思うな、人間!」


 ミレイは斧の一撃を軽々とかわし、気にする風もなく後方へ一気に跳躍して距離を取ると次のスキルを発動した。


龍雷雨サンダーレイン!」


 二本の槍をクロスさせて大型の雷の球を作り出し、両腕を左右に大きく振る事で敵に向かって打ち出した。打ち出された雷光球はゆっくりと敵の頭上へと舞い上がり全方位へ向かって雷を打ち放った。


 雷光球から発生するたくさんの稲妻は敵に落雷する事で死を撒き散らした。更に飛槍針ニードル・ランスを避雷針の様に伝って伝染いく様はさしずめ雷の龍が舞い踊る様にも見えた。


「すげぇ……」


 サクラの充電をしながら見ていた日比斗は感嘆の声を洩らした。

 だが現場で雷の龍に蹂躙されている魔物たちは堪らない。次々と雷龍に喰われた仲間達が消し炭の様にされて焼き尽くされて行くのだ。最前線の魔物たちは完全にパニック状態となった。


 雷光球、そしてニードル・ランスから伝染した落雷の龍によって効果範囲内の敵はあっという間に焼き尽くされ、百体近い魔物たちを一瞬にして黒焦げにしてほうむった。


「おいおい……勇者の仲間ってぇのは全員化け物揃いかよ」


 いつの間にか傍らに立っていたタウロスがぼやく様に呟く。


「褒め言葉と受け取っておくわ」


 ミレイは清ました笑顔で微笑むと敵の集団に向かって走り出した。彼女を追ってタウロスも走り出す。


 一瞬にして前衛の多くを失った魔物たちはパニック状態で仲間との連携が取れる筈もなく、ミレイとタウロスの戦闘力の前に成す術無く斬り倒されて行くのみであった。


「ダンジョンでぇと最高!」


        「だから違うって……」

 はしゃぐミレイに日比斗の突っ込みは届かなかったようだ。全く、まったくである。








 ━つづくー

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