第58話 撤退せし者。

『ひっ、ひいぃぃぃ!』


 凶悪な拳が目の前を通過すると、ドミニネスは小さく悲鳴を上げる。

 今まで、人間の軍隊にも負けた事のない自慢の精鋭たちが一方的に駆逐されていく。


『お、お前たち、あの化け物を早くなんとかするのじゃ!』

『『『はっ!』』』


 直接ダメージを受けなかった親衛隊たちは、体制を建て直し一人二枚の盾を組み合わせて、女王の前に壁を作る。残りの親衛隊も直撃を受けて再起不能な者以外は武器を取り女王を守る様に構えて立ち並ぶ。


 シスターモモは射出拳で飛んで行った手甲部分を、繋がる鎖を引いて手元へと巻き戻し、籠手と繋げ元のガントレットへと戻した。そしてすぐさま、盾の壁へと右手を突き出し構えると再びスキル名を叫んだ!


射出拳ロケットパンチ!」


 炎と唸りを上げて飛び出したこぶしは一直線に盾の壁へと飛んで行く。


 だが、親衛隊とてハイオーダーズのメンバーなのだ。只ただやられてばかりでは無かった。無傷とはいかなかったものの、全員が盾に角度を付けて射出拳の直撃威力を上方へと逃がしたのだ。


「くっ!」


 相手は決して弱い敵ではない。すぐに対応して来た親衛隊の行動に少し悔しさの籠った呻きがこぼれてしまう。


『次です、お姉ちゃん!』


 ルーの声と共に次のスキルが頭に流れ込んでくる。言葉で説明する感じではなく、使用した時の映像が見えるような感覚だ。

 そしてこの技はシスターモモにとって比較的馴れ親しんだ感覚があった。


 飛ばした拳を鎖を引いて巻き戻すのは射出拳と同じ。ただ、巻き戻した拳を装着するのではなく、鎖を完全に巻き戻さずに七十センチ程残すと、頭上でぐるぐると腕を振って回し、回転の威力を乗せて拳部分を盾の壁に向かって投擲とうてきした。


連鎖投擲拳チェーンパンチ


 そう、これはシスターモモが子供の頃から修練し命中率を高め、スーパーエイトフロアー戦でも日比斗を援護する為に活躍した簡易投石器ライトスリングの動作と同じなのだ。それゆえ彼女にとってこの動きはとてもしっくりと馴染むものであった。


 そしてこの攻撃が、射出時の加速力によって威力を高める射出拳と違う所は、大きくなった手甲部分の自重に回転力を乗せるだけではなく、リング部分の噴射口から炎を噴いて急加速したり、直前で方向を変化させる事がモモの意思で思い通りに操作出来るのだ。


 射出拳には盾の角度を変える事で対応出来た親衛隊だが、この急変化で軌道を変えるチェーンパンチにはなすすべなく蹂躙されていくしか無かった。

 残る親衛隊員達も半数を切り、無傷の者など誰もいない状況ではあったが、それでも彼らにとって女王を守るという使命の前では自らの命を掛ける事など些細な事であった。


『女王陛下、ここは我らが持ちこたえます故、お早くお下がり下さいませ』


『た、た、頼んだぞ、皆の者。すぐに応援を呼ぶのでそれまで持ちこたえるのじゃ!』


『『『はっ!』』』


 片手持ちで二枚の盾を装備していた親衛隊蟻だが、盾を二枚重ね合わせ強度を上げると盾下部のアンカーを地面に突き刺し両手で支えて固定した。


『火蟻隊、化け物娘に対し【火炎弾】一斉射撃開始!』


 親衛隊の号令により兵隊蟻の後方に控えていた火蟻隊が一斉に攻撃を開始した。兵隊蟻の頭上を越えて放物線を画いて火の玉がシスターモモに向かって降り注ぐ。

 それと共に前衛である兵隊蟻が彼女に向かって進軍を開始した。火の玉の雨と兵隊蟻の数の暴力でシスターモモを圧倒するつもりなのだ。


 だが、その程度の事はルーという契約精霊武器フェアリーアームズの力を得たシスターモモにとっては全く意味のない事であった。


「ルーちゃん、防御結界!」

『はい!』


 彼女は左手を上にかざし、手を開くと空気の幕の様な防御結界を展開する。降り注ぐ火の玉の雨を防ぐと突進して来る兵隊蟻に向かって拳を放つ!


射出拳ロケットパンチ! からの、連鎖投擲拳チェーンパンチ!!」


 突進して来た兵隊蟻たちがいっぺんに吹き飛ばされ凪ぎ倒されていく。逃げ出す女王蟻への進路を塞ぐ様に赤鎧の親衛隊が盾を構えて待ち構えているが、モモはその中心に向かって突っ込んで行った。


 親衛隊が繰り出す毒槍をかわして懐に飛び込むとモモは攻撃を叩き込む。


鎚拳ハンマーパンチ!!」


 親衛隊は構えた盾ごとぶち抜かれ、後方にいた火蟻隊を巻き込んで吹っ飛ぶ。


「次っ!」


 シスターモモは身体能力強化のおかげで敵の攻撃がしっかりと見えていた。だからこそ攻撃をかわすだけではなく、突いてくる槍の軌道を反らしたり弾いたりする事で対応し、確実に殴り飛ばし、なぎ倒し、まとめて粉砕して行動不能にしていった。


 それでも戦闘に参加出来るのは彼女一人。


 センセイは動けるといっても後方でぴょんぴょん跳ねて応援しているだけで全く何の役にも立っていない。


 親衛隊を含めたこの場にいる兵隊蟻たちは、女王蟻ドミニネスが逃げるだけの時間を十分に稼ぐ事に成功していた……。



 巨大な体を引きずってドミニネスは全力でこの場から逃げ出していた。自分が女王蟻となってから今まで、親衛隊があのように吹き飛ばされているのを見た事が無かった。ましてや自分が傷付けられる事など皆無だ。


 自分が敵の前に出る時は圧倒的に有利な状況の場合だけ。そして自分を見た敵は恐れおののき、哀れに泣き叫び命乞いをした。そしてそれらをなぶり殺しにする事で洞窟内の魔素の濃度を高め濃くする。それこそが彼女の役目であり目的であった。


 人の恐怖、悪意などのマイナスの感情こそが最も効率良く魔素の濃度を高める素材となるのだ。


 魔王様から賜った魔石を体内に宿す魔族は、この魔素を体内に取り込む事で本来の力を更に増幅させる事が出来る。まさに人間ひとの不幸は蜜の味……とは良く言ったものだ。




 太古の昔、勇者とその仲間たちによって絶滅寸前まで追い込まれた魔族は、北の大地の奥深くへと逃げのびた。逃げ遅れた者たちは人間によって次々と殺され全てを奪われ、わずかに生き残った者たちも奴隷の様に扱われた。


 それからどれくらいの時が流れただろうか……魔石の力を宿した魔族の少女が突然現れた。彼女は強力な力を持つ魔物を従え、あっという間に全ての魔族を配下とし魔石の力を分け与えた。


 配下の数を次々と増やし、彼女が人間への反抗作戦に出るのにそう時間は掛からなかった。だが、元々数を増やす事が得意ではない魔族が地下に潜って力を蓄えている間に、人間も領土を拡大し、圧倒的に数を増やし溢れ返っていた。力を付けたとはいえ、脅威的な数の人間と戦うには数が足りない。そこで各個体の能力の上乗せが必要となった。


 元々人間の多い場所には魔素溜まりが出来ていたのだが、魔族を暗躍させる事で、恐怖や不安をあおり不信感や悪意を増幅させて魔素溜まりを増やし、浸透させその濃度を上げた。そういった場所では魔石を持つ魔族達の能力は飛躍的に上がり、数で勝る人間を圧倒する事が出来たのだ。


 この成功により魔素濃度を上げて有利な状況を作ってから攻め込むという事が魔王軍の基本戦略となっていった。

 そしてその戦い中で功績のあった者達に階級制度【オーダーズ】の名が与えられた。特に階級順位が上位五十位以内の者たちは【ハイ・オーダーズ】と呼ばれ、領地、報奨の選択から作戦の立案まで、ある程度の自由な選択が許されていた。いわゆる人間で言う所の貴族だ。


 そういった者達の活躍により、数年でエルムガルドの西側諸国を侵略した魔王軍ではあるが、中央山脈とその麓にある大森林には魔素が非常に少なく、精霊族やエルフ、ドワーフといった強力な亜人種が混在していた事と、彼らが戦闘への不干渉という中立の立場を取っていた為、東側への侵攻作戦は南のフォールーン平原からの進軍が計画された。


 だが、当初の予想よりもフォールーン平原には魔素が溜まり難く、幾度となく人間の軍との小競り合いが続いていた。戦闘が行われる度に、かなりの数の死傷者が出ているにも関わらず、魔素濃度が上がらない。その原因を調査し、地下から魔素濃度を上げる為に、地下戦力に強いドミニネスとメタ=ボウームは派兵されたのだ。


 彼らが現地で調査を開始してすぐに原因は分かった。砦の地下深くに光の波動を発し続ける結界がある事が分かったのだ。だが、光の波動に弱い魔物たちでは、その結界を破る事が出来ず結界周りの魔素濃度を上げて光の波動を相殺し効果を薄める事となった。


 それと平行し、砦の東側への抜け道となる坑道を作り、オーダーズランクの低い新人ゴブリンの軍勢やドゲスティ、キール・グルミッドらの工作部隊を送り込み、ウェイバーン真皇国の首都から最も遠い南部地域に魔素濃度の高い拠点を築く予定だったのだ。


 それらが現在進行している作戦の全てではないものの、多くの時間と人員を導入してきた作戦が次々と勇者を名乗る者に潰されてきたのだ。これは侵攻を開始した魔王軍にとって由々しき事態である。


 そしてそれは今また、ドミニネスの目前まで迫っている。


 だがこれは魔王さまよりこの地を任された彼女にとって、ピンチでありチャンスでもあった。脅威的な力を持つ勇者だが、しょせん人間だ。兵隊蟻たちの総力を持ってすれば、疲れ果ていずれ隙を作る事になるだろう。そこを突いて一気に殲滅する。自分達にはそれだけの数の兵力があるのだ。魔族としては珍しく、産卵により大量に兵力を増やす事の出来るドミニネスだからこその人海戦術である。


 今回あの化け物娘の事は、長い間煩わされて来た結界内での異例の遭遇戦であり、単に自分の運が悪かっただけ……あの小娘勇者を倒しさえすれば、自らのオーダーズランクを上げる事にもつながる事だろう。全兵隊蟻たちに非常召集を掛けながら巣穴の奥へと必死に逃げ続けているドミニネスは、それでも自分が負ける事など微塵も想像もしていなかった。






 ーつづくー



「これで最後っ!」


 シスターモモは最後に残った蟻兵に鎚拳ハンマーパンチを叩き込むと行動不能にした。


 塁々と折り重なる様に積み上げられた蟻兵の死骸の横で『ふうっ』と一息つくと敵の骸に向かって『ごめんなさい』とひとこと呟き、次に生まれ変わる時は争いのない世界へ……と、彼らの冥福を祈る。


 たとえ敵だとしても祈らずにはいられない。やはりモモはシスターなのだ。そんなシスターモモを実体化したルーは優しげな眼差しで見つめていた。


「さあみんな、女王を追いかけよう!」


 振り返ったモモは、あからさまに嫌そ~うな顔をしたセンセイを抱き上げると、ルーと共にドミニネスを追って彼女が逃げた坑道へと走りだした。

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