第33話 囚われし者。

 ミレイは薄暗い地下牢のような場所に幽閉されていた。手足は鎖で繋がれ自由に動き回る事は出来ない。武器や鎧は剥ぎ取られ薄い麻で出来たギャンベゾンと動き易いタイツのようなレギンスにブーツという出で立ちで牢に放り込まれたのだ。


 これは完全に彼女の失策であった。


 屋敷に着いた彼女たちはいるはずの無い管理人夫婦と出くわした。ミレイは当然彼らを疑った。不動産屋からはもう誰も住んでいないとの報告を受けていた為、何者かが不法占拠しているのだと確信したのだ。


 背の低い腰の曲がった老夫婦は、ここには管理を任された自分達がいるだけで他には誰もいないと言い張ったのだが、それを簡単に信じる程ミレイはお人好しではない。屋敷の中を確認させるように詰め寄ったのだ。だが、結果的にそれが不味かった。自分達の力を過信した愚かな行為であった。


 彼女は屋敷に残った物品の窃盗目的か盗賊などの簡単な根城になっているのだろうと考えていた。相手が盗賊程度なら自分達の力で十分制圧出来ると部下を引き連れて屋敷の中へと押し入ってしまったのである。


「各員、武器を抜刀し警戒にあたれ! 抵抗する者は斬り捨てて構わん」


「「「はっ!」」」


 ミレイの号令と共に全員が所持した武器を構え屋敷の中へと突入した。


 両開きの扉を押し開けるとそこは玄関ホールとなっており、二階まで吹き抜けとなる空間が広がっていた。正面の階段が二階へと続き、途中で左右へと分かれている。

 一階も二階も二部屋ずつあるようで、合計四つの扉が見える。左の階段横にはソファーと丸いテーブルのような簡単な応接セットがあり、右側には奥へと続く通路が黒い闇を纏って大きく口を開けていた。


 ミレイを含む全員が屋敷の中へと突入すると同時に老夫婦がなたのような武器を持って襲い掛かってきた。後方を守っていた騎士が二人で対応にあたる。彼らは年寄りとは思えぬ素早い斬撃をショートバックルで受けると袈裟懸けに斬り掛かる。


 当たると思われた騎士の攻撃は素早い動きでかわされ、ギリギリ老人の顔の皮を斬り付けるにとどまった。


「ひっ!」


 攻撃した騎士の小さな悲鳴が上がる。その場にいた全員の視線が斬り裂かれた老人の顔へと集中した。

 老人のめくれ上がった皮膚の下にあったのは緑色の鱗……そして縦に細く絞り込まれた爬虫類のような瞳。剥がれ落ちた皮膚の下はまるでトカゲのようであった。


「ば、化け物!」


 騎士が叫ぶが早いか、身をひるがえした老人は扉にかんぬきを掛けて固定すると大きな声で叫んだ。


「クゥゥゥラァガァァァァ!」


 扉という扉からゴブリン達が我先にと争って玄関ホールへと溢れ返る。


 ミレイと騎士たちは叫び声を上げて近づく魔物たちを次々と斬り倒していくのだか、なにせ数が多い。ミレイも家宝の短槍ショートランスを二刀流で凪ぎ払う。右で敵の攻撃を受け、左の槍で突き刺すと腰を入れた蹴り払いで槍を抜く!


 二本の槍を使って踊るように敵を無力化して行く姿こそが、彼女が舞闘槍姫ダンサブルランカスターと呼ばれる由縁だ。キラキラと光る金色の髪が舞い踊る様は正に戦う女神のようであり、魔物達でさえも魅了した。


 踊るように魔物達を瞬殺していく彼女だが、さすがに敵の数が多過ぎた。部下の騎士達も善戦しているが、ひとり、またひとりと群がる魔物達に押し倒されていく。


「扉を破れ! 一旦退くぞ!!」


 ミレイの命令に未だ健在な騎士たちは退路を確保すべく扉へと集まり、かんぬきを外すと扉を解放した。だが、扉の向こうにあったのはただの地獄であった。


 二メートル近い巨大な体躯の豚鬼オークが身の丈ほどもありそうな巨大なハンマーを振り上げ待ち構えていたのだ。


 振り下ろされたハンマーに二人の騎士は一撃で戦闘不能にされてしまう。ひしゃげた鎧がその威力をものがたっていた。

 巨大なオークは倒れた騎士に続けてハンマーを振り下ろした。骨の砕ける音と共に人であった者が肉の塊と化した。

 もう一人、転がっている騎士の頭をオークは踏み潰すとミレイに向けてニタリと笑った。


「クルツ、ライザーっ!」


 肉塊となった部下の名を叫んだミレイは、近づくゴブリン共に向かって槍を横凪ぎに払い牽制し、きびすを返して入口のオークに向かって走り出した。


「おのれ、化け物め!」


 左槍の凪ぎ払いからの右槍刺突でオークの心臓を貫く! ミレイの放った渾身の右旋状刺突は彼女の持つ必殺の一撃のひとつであった。槍はオークを貫くべく、心臓めがけて繰り出された。


 だが、その槍は奴の鎧に届く事は無かった。


 彼女の必殺の一撃は、槍を掴んだオークのとんでもない握力による左手一本で防がれてしまったのだ。

 オークはその桁外れのその腕力で槍ごとミレイを左の壁まで撥ね飛ばして叩き付ける。


「くはっ……!」


「この程度か……女。後でたっぷり可愛がってやるからそこで寝ていろ。ブヒヒヒ……」


 壁に叩き付けられたミレイは背中を強打して呼吸が一瞬止まってしまった。動きが止まった彼女をゴブリン達は取り囲み腕や脚に組み付いて拘束する。


「くそっ、はなせ……放せっ!」


 折り重なるように組み付いてくるゴブリンどもの腐敗した下水のような臭い息で意識を失いそうになる。


 前線でミレイが押さえていたゴブリン共が一斉になだれ込み残りの騎士たちへと群がった。只でさえ一杯一杯の戦いを強いられていた騎士たちはその波に一気に飲まれた。


「マルコス、フォーゲルっ!」


 涙はこらえている。だが、ミレイは目の前で串刺しされる部下を見て、口の中にかすれた声にならない声が洩れた……やめて、もう止めてくれと。


 そんな彼女に見せつける様に、オークは動きの止まった一人の騎士を抑え込んだゴブリンごとハンマーで叩き潰した。吐き気を催す臭気と血の匂いが混じり合う玄関ホールは正に地獄絵図だ。


「やめろ、もうやめてくれ……」


 先日、魔族の大侵攻で拾う事が出来た部下達の命を自らのおごりと判断ミスで無駄に散らしてしまう……悔しさと情けなさの混じった声が思わず口から溢れ出てしまった。


 オークは彼女の心が折れた事を確認すると口角をあげてニヤリと笑う。


「生き残りは全員地下牢にぶち込んでおけ。残りはホールの片付けと掃除だ。すぐに奴等の仲間が捜索に来るぞ、急げ!! まだここが我らの拠点と人間共に知られる訳にはいかんのだ」


 オークの指示でゴブリンに混じって奥の通路から現れた小型のオーク達も働き出した。ホールに開けられた落とし穴から下の階へと死体が次々に放り込まれる。


 私と生き残った三名の騎士は武器と鎧を剥ぎ取られ、手足に鎖を付けられて別々の牢へと放り込まれたのだ。

 なんとか……何とかして部下達を助け出し、ここを脱出しなければ。焦る気持ちとは裏腹に繋がれた鎖で思う様に動けない。


 既に牢にぶち込まれてかなりの時間が経過している。バカなゴブリン共がブーツごと鎖で足を拘束していた為、時間は掛かったがなんとか外す事に成功した。

 腕の方はかせが付いたタイプの物でどうにも外せない。何処かに打ち付けるなどして壊すほか無いのだが、それでは見張りに気付かれてしまう。


 何とか音を立てずに枷を外そうともがいていた時だ。小さな声でミレイを呼ぶ者達が暗闇から現れた。


「隊長、ミレイ隊長、御無事ですか?」


 暗闇から現れたのは自分と共に捕まったアンドレアとマリクであった。二人の無事な姿を見て彼女は心から安堵した。


「私はここだ。二人共無事なのか?」


「はい、大丈夫です。俺達は同じ牢に入れられたので協力してなんとか脱出する事が出来ました」


「スレインはどうした?」


 彼女の問いかけに二人は押し黙ったままだ。なるほど、そう言う事か。ミレイは自らの唇をきゅっと噛み締めた。


 二人の協力で牢を出る事が出来たミレイは薄暗い牢獄内を音を潜めて進んで行く。手枷は鍵を見つける時間が無かった為付けたままだが、今は脱出する事が先決なので後回しにしている。


 空っぽの牢が続く廻廊を抜けると、突然小型の体育館程の広さはあるのではないかという広場へと廊下は続いていた。

 ゴブリン共の死体がそこかしこに打ち捨てられており血と腐敗した匂いで倒れそうになる。


「隊長、こっちです」


 アンドレアとマリクの二人が広間の奥へと進んで行く。何だろう、二人の歩調にまるで迷いが無いように思える。

 照明がほとんどない為、良く見え無いのだが、壁際に大きな椅子のような物が微かに見える。まるで出来の悪い玉座のようだ。


 近づくとその椅子に何者かが座っているのがうっすらと見えた。


『敵だ、アンドレア、マリク、待て!』


 小声で二人を静止した瞬間、ミレイの腕を取り、両側から彼女を拘束する。そしてそのまま玉座の前まで引き摺られて行く。


「マリク、アンドレア、何をしている、放せ! 放せと言っている!!」


 彼女の怒号が届いたのか、マリクはねじれたような角度で首を曲げるとミレイに向かってこう告げた。


「こいつもう喰っちまったヨ」


 そう答えたマリクの目は瞳が縦に長いトカゲの目だった。慌てて反対側のアンドレアを見ると、こちらを見る彼の目もトカゲの目だった。そう、彼らは既に殺されていた。


「あっ、あっ、ああぁぁぁあぁあぁぁぁ…………こ、殺す。貴様ら全員絶対に━━殺す!!」


 唇から血がにじみ、握り締めた手の平に爪が食い込んで血が滴る。

 憎悪で歪んだ その瞳には漆黒の闇のオーラが漂い始めていた。





 ━つづく━


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