第2話 過去のあらまし

 彼等が彼の地にやってくることになったのは、一九四四年初夏のこと。


「おい、見ろよ、星がすごく綺麗だ」


 後ろで電探手の瀬能せのうが、呑気な声を出した。


「上を見ているヒマがあるなら、ちゃんと計器を見てろ、瀬能」

「なんだよ、せっかく教えてやったのに、ぅぎゃっ」


 機体を半回転させてやると、後ろで焦った声が聞こえてきた。


「なにしやがる、久瀬くぜ!」

「偵察しているのを忘れているようだから、思い出させてやっただけだろ。ちゃんと仕事をしろ」

「こんな夜中に起きているヤツなんて誰もいないさ。アメリカさんも今頃そろっておねんねだ。なんせあちらさんの方が、圧倒的に優勢なんだからな」


 そんな皮肉めいた声が聞こえてきた。


 アメリカと日本が戦火をまじえるようになって、すでに数年。当初は優勢だった日本も、圧倒的な物量に物を言わせて迫ってくる相手に勝てるはずもなく、善戦虚しく敗北を重ねていた。今では、もう生きて祖国の土を踏むことはできないかもしれない、口にはせずとも、そんな諦めにも似た思いを全員が抱いていた。


「油断はできんだろ。そろそろ宗方むなかた達が落とされた場所だ」

「どこにでも勤勉野郎はいるもんなんだな、まったく……」

「世の中、勤勉だらけなら戦争にもならんだろう」

「そうそう、お前も勤勉なんだよなあ、やれやれ」


 ブツブツと言いながら、瀬能は計器に目を落とす。


 偵察機の操縦手をつとめるのは久瀬くぜ勇一朗ゆういちろう、電探手として後ろに搭乗しているのは瀬能せのう隼人はやと。どちらも同じ町の出身の幼馴染であり、子供の頃はたいそうな悪ガキで、二人して悪戯いたずらをしては、町の駐在に追い掛け回されていたような間柄だった。それが何の因果か、戦場でも同じ機に乗って飛んでいる。当初は、一体なんのイヤがらせかとぼやいたものだった。


 そしてこの時、彼等は夜間の偵察飛行の任務についていた。


 いきなり大きな光が機体の左横に上がったのは、それから数分後。その光のせいで丸見えとなった機体めがけて、地上からの対空砲火が襲いかかった。


星弾せいだんか」

「夜中なんだから寝てりゃいいのにまったく、なんで起きていやがるんだ」

「起きて偵察している俺達が言えたギリじゃないな」


 前日の晩、同じ空域で友軍機が撃墜されたことを知らされていたので、かなりの高度はとっていたものの、偵察用の大きな機体は思いのほか良いマトだったようで、気がつけば後部に何発か被弾し煙を吐いていた。


「隼人」

「なんだ?」

「お前、泳げるよな?」

「ガキの頃は河童かっぱと呼ばれていた俺様だぞ、愚問だ」

「なら良い。このままではどうやっても戻れそうに無いから、どこかで不時着するしかないだろう。できることなら海に出たいが、それが無理なら山間やまあいのどこかに突っ込むことになるかもしないから、覚悟してくれ」

「おう。操縦手はお前だ、お前に任せるよ。できる限り優しく不時着してくれ」

「任せておけ」


 そして彼等の乗った偵察機は、幸か不幸かとある山間部の沼地に突っ込むことになった。沼地とはいえかなりの高度から突っ込んだのだから、お互いにまったくの無事とは言いがたいもので、偵察機の翼は不時着した時の衝撃で後ろへと吹き飛んでいき、二人も安全ベルトのお蔭で、かろうじて残ったコックピットから放り出されずにすんだという状態だった。


「おい隼人、生きてるか?」


 後ろでゴソゴソと動く気配に声をかける。


「なんとかな。お前の方はどうだ」

「こうやって喋っているんだから、生きてるんだろうな。しかしどうやら沼地のど真ん中のようだ。下手に出たらワニに食われるかもしれん」


 空を見上げれば、東の空がうっすらと明るくなってきているところだった。


「明るくなるまで待った方が良いと思うが、お前、大丈夫か?」

「ん? ワニに食われる以上の怪我はしてないと思うが」

「正直に言え」

「地上の馬鹿がぶっ放した鉛玉が、機体を貫通して足に当たった」

「おい、それのどこがワニ以下だ!」


 後ろを振り返って相手の顔を覗き込む。暗くて表情はハッキリしないが、痛みで顔をゆがめているのが分かった。


「ワニ以下だろ、とにかく生きてるんだから。ワニならすぐに食われて死ぬ」

「止血したか?」

「河童の悪ガキと呼ばれてはいたが俺だって、今は立派な帝国軍人のはしくれだぞ? そのぐらいちゃんとしている、心配するな」

「せっかく不時着して生きているんだ、そこで大量出血なんぞで死ぬなよ」

「分かった分かった。ちゃんと生きてここから出てやるから心配するなって」


 そして夜が明けて明るくなってから周囲を見渡せば、ワニ以上の怪我は無いと言っていたのが、冗談ではなかったことに気がつく。


「おお、本当にワニだな。これだけいればワニ革の財布で一財産作れそうだ」

「そんな呑気なことを言っている場合か」


 その後、どうやってワニだらけの沼を渡ったのか記憶に無かったが、とにもかくにも気がつけば二人して何とか沼の岸辺にたどりつき、勇一朗は足を負傷した隼人を背負って、ジャングルの中を歩いていた。


「なんて言うかあれだよな」

「なんだ」

「背負ってもらっておいて言うのもなんだが、こういう格好は、男の尊厳が無くなるよな」

「そんなこと言ってる場合か? まったくお前ときたら何を呑気な……」

「尊厳は大事だぞ?」

「今それを言うか?」


 そして半日ほど歩いてたどりついたのが、山間部にある小さな集落だった。当時はこの一帯もまだ日本の統治下にあったため、住人達は彼等二人を快く受け入れ、負傷した隼人の治療もしてくれた。しかし、小さな集落ではまともな医療器具があるわけでも薬があるわけでもなく、隼人の足の傷は日々悪化し、高熱を出して寝込むようになっていた。


「せっかく背負って運んでもらったのにすまないな」

「何を言ってる。当然のことをしたまでだ。村の人達が、薬を手に入れるために隣村に行ってくれている。彼等が戻ってくるまでもう少し頑張れ」


 薬と聞いてイヤそうな顔をする隼人。


「また、緑色のドロドロした苦いものを飲まされるのか? かんべんして欲しい……」

「あれは薬草で、彼等にはちゃんと効いているそうだぞ」

「うちの酒でも飲めばすぐに治るんだがなあ……」

「まったく飲兵衛はこんな時にも酒か」

「ウチの実家の酒だぞ、飲みたくなって何が悪いんだ」


 村人達の献身的な看病で何とか一命は取り留めたものの、足の状態はいかんともしがたく、結局は切断しなければならないことになった。隣村よりさらに遠い町から、わざわざ医者を呼んできての大手術だったが、隼人は何とか持ち応えた。しかし、そのことにより新たな問題が発生する。その医者が村に日本兵が潜伏していると、近くまで迫っていたアメリカ軍に密告したという知らせが入ったのは、隼人の傷の出血が、ようやく止まりかけた時のことだった。


「タイヘンタイヘン、兵隊サン、タイヘンよ」


 その日、村長が慌てた様子で、勇一朗達が世話になっている家にやってきた。


「アメリカに兵隊さんタチのことシラレタね。ハヤクニゲナイトツカマルよ」

「長く世話になりすぎたな、申し訳ない」

「ソンナコトイイよ、コマッタときオタガイサマ。ダケドハヤクニゲナイトよくナイ」

「いやしかし……」


 片足を失った隼人が、ジャングルの中を逃げるには無理がある。どうしたものかと思案していると、隼人が口を開いた。


「勇一朗、お前、一人で逃げろ。お前だけなら何とかなるだろうし、上手くいけば近くにいる本隊と合流できるかもしれん」

「だが……」

「なあに、俺一人ぐらいならなんとかなるさ。こんだけ痩せちまって日焼けしてるんだ、あいつらには現地の人間との見分けなんてつきやしない。それに彼女がさ、残って欲しいってうるさいんだ」


 そう言いながら、いつも献身的に看病をして、二人に食事を持ってきてくれていた娘の方を見た。


「俺、一目惚れされちゃったみたいでな。参った、色男はつらい」

「お前、何を呑気な……」


 娘の方を改めて見る。そこには一目惚れをしたという娘らしい表情は無く、どちらかと言えば決死の覚悟のようなものが伺えた。


「彼女が俺のことを守ってくれるってよ。だから俺のことは心配するな。その代わりと言っちゃなんだが……」


 枕元に置いてあったお守りを差し出す。


「妹の鈴子すずこのこと頼むわ。あいつ、お前に惚れてるからな。お前が日本に戻って鈴子が無事に生きていたら、あいつを嫁にもらってやってくれ。それと、造り酒屋の方は無理して継がなくてもいいからと伝えてくれ。親父もその辺のことはちゃんと分かってるから、心配するなってな」

「縁起でもないこと言うな。お前だって片足を失くしたとは言え、ちゃんと生きてるんだ、二人で日本に帰ろう」

「だから、彼女がここを離れたくないって言ってるからな。いやあ、ほんと、色男はつらいわ」


 アハハと呑気に笑うと隼人は、勇一朗の手をしっかりと握った。


「俺のことは心配するな。お前こそ、何としてでも日本に生きて帰れよ」


 村の若者に案内されジャングルの抜け道へと出発する勇一朗に、隼人は松葉杖をついて村はずれまで同行し、そこで敬礼をして見送った。勇一朗が生きている隼人の姿を見たのは、それが最後だった。


 その後、勇一朗は友軍と合流し、各地を彼等とともに一年近く転戦することになる。多くの戦友が死んでいく中、途中で出会った現地の住人達の助力に恵まれ、何とか祖国の土を踏むことができたのは、終戦から二ヵ月後。


 故郷に戻ってみれば仙台市内も焼け野原となり、隼人の実家の造り酒屋も消失していたが、家人達は何とか奇跡的に全員が無事であった。そして隼人の両親と妹の鈴子に隼人のこと伝え、幼馴染が大事にしていた造り酒屋の家業を再開すべく、勇一朗は瀬能家の婿養子となり奔走することになる。


 それから七十年、当時のことを知っている人間は誰もいなくなり、隼人と勇一朗の話も遠い過去の出来事となっていった。


 そう、七十年後のこの日、イベント会場に一人の男が訪れるまでは。

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