第3話 酒が取り持つ不思議な縁
夏休みのイベントでの驚く出会いから一ヵ月後。残暑がまだ続いていたある日、父の元にトロサからメールが入った。
メールには、持ち返ろうとしていた酒が日本の検疫で引っ掛かり、なかなか国内への持ち込みの許可が出ず、今までかかってしまったということが謝罪と共に書かれていた。
大使館職員なら、外交特権という裏技もあっただろうにと不届きなことを言った
東京で合流した千夏達家族とトロサは、秋の連休を利用して、久し振りに母親の実家に向かうことにしたのだが、到着した母の実家にはなぜか一族の面々が勢ぞろいし、彼等を出迎えていた。めったに顔を合わせることの無い祖父母の兄弟姉妹やその子どもや孫、もしかしたら初めて顔を合わせる親戚もいるのでは?と言うぐらいの人数に、さすがの母親もたじろいでいる。
「一体なにごと……もしかして一族勢ぞろい?」
まさか遺産目当ての外国人ではないかと警戒されて、一族総出で撃退するために集結したのではないかと心配になった千夏が伯父に尋ねると、どうやらそうではないらしい。
「皆、爺さんの酒のご
なんとも造り酒屋の親戚らしい言い分だろう?と愉快そうに笑う伯父に、関心があるのは人ではなく酒なのかと、複雑な気分になる。そしてその様子に、トロサも少し戸惑っている様子だ。
「お酒が足りるといいのですが……」
トロサが母親の故郷に戻った時に事の
「ああ、大丈夫。全員がガバガバ飲むうわばみじゃないから。香りと味を楽しむことができればそれで満足な連中だ。とにかくまずは、爺さん達に挨拶しなきゃいけないな、甥っ子がやってきたぞって。きっと喜ぶに違いない」
そう言って伯父はトロサは自宅にあげ、仏壇のある部屋に通した。そこには曽祖父母の遺影が飾ってあり、それを見たトロサは心なしか涙ぐんだような顔をしながら、カバンの中から写真を取り出した。
「これは、祖父の遺品の中にあったものです。この写真のお二人は、
色あせてぼろぼろになっている写真には、軍服を着た青年が二人と、その二人に挟まれるようにして、セーラー服を着た少女がはにかんだ笑みを浮かべながら座っている。遺影の二人はそれなりに年を重ねてはいたが、若い頃の面影は残っていて、写真に写っている若者の一人と少女が、勇一朗と鈴子だということがすぐに分かった。
「ああ、この写真。婆ちゃんの古いアルバムに入っていたやつと同じだね。たしか出征前に、近所の写真館で撮ったものだって言ってたかしら」
その写真を、横から覗き込んだ叔母の一人が言った。
「そうか、これをずっと持っていたのか婆さんの兄さんは」
「他にも色々とあったようなのですが、すべてお爺さんと一緒に埋葬したということで、祖父の遺品で残っているのはこれだけなのですよ」
「いやいや、写真をずっと残してもらっていただけでもありがたいよ。それは貴方が持っていなさい、大事なお爺さんの形見なんだから」
そう言ったのは、千夏の祖父だった。トロサが仏前で挨拶をし終えたのを見計らったように、女性陣が客間に置かれた大きなテーブルに、次々と料理を運んできた。その中にはもちろん、ここで造られた大吟醸の一升瓶もある。トロサはその横に、持ってきた二本の瓶を置いた。日本で売られているようなラベルが貼られている一升瓶ではなく、なにも無い茶色をした質素なガラス瓶だった。
「何故か理由は分からないままなのですが、この酒は、茶色の瓶に入れなければならないと、村の人が話していたのですが。それは何か理由があるのでしょうか?」
その質問にうなづく伯父。
「それは、紫外線で酒の味や匂いが変わるのを防ぐためなんだよ。なんだ、爺さんはちゃんと理由を話さずに、色つき瓶に入れろと指示していたのか。酒造りを教えたのに、変なところで物臭だなあ……」
「伯父さんそっくりだね」
千夏の言葉に、全員が可笑しそうに笑った。
「そういうちょっと抜けたところが、瀬能家の血なのかねえ。じゃあさっそく、皆でうちのと爺さんの酒の利き酒をするか」
テーブルにたくさんのグラスや湯呑みが並べられ、それぞれにお酒が注がれていく。まずは仏壇にトロサが持ってきた酒を注いだ湯呑みが置かれ、次に当主の祖父が同じ酒が入った湯呑みを手にした。
「ふむ、臭みは無いようだな。どれどれ……」
祖父は匂いを確かめてから酒を口に含んだとたん、笑い出した。突然のことにギョッとなる一同。
「お口に合いませんでしたか?」
心配そうな顔をしたトロサの問いに、いやいやと首を横に振る。
「所変われば品変わると言って、酒は気候も水も米も違えばまったく違う味のものになる。だがこの酒は、うちのとよく似ている。驚いたな、これはまさしくウチの酒だ」
祖父の言葉に、伯父達が酒を口にする。そして全員がその言葉に、同意するように相槌を打った。
「本当だ。あなたがうちの酒を飲んで懐かしいと思ったのは正しい。これは本当に、うちのこれとよく似ているよ。こいつは死んだ爺さんが初めて造った酒で『彼方の雫』という銘柄なんだが、どうしてそんな名前にしたのか今まで不思議だったんだ。爺さんは
伯父は酒が入ったグラスを渡す。それはこの家で造られた酒の方だ。
「……本当によく似ています。私はもともと日本酒の良さなど分からなかったのですが、ここのお酒の味だけは、初めて飲んだ時から何故か懐かしいと感じたのですよ」
「それは間違いなく瀬能家の血だな。間違いなくあんたは、爺さんの孫ってことだ」
+++++
「こんなにたくさんの親戚がいると知ったら、母も驚くでしょうね」
宴会が続く中、縁側で少し季節はずれのスイカを食べたり花火をして走り回る子供達を眺めながら、トロサが呟いた。その呟きに、スイカの食べかすを片づけていた千夏の手の動きが止まる。
「お母さんはご存命なんですよね?」
「ええ。ですが今は本国の病院にいて、もう昔のことはほとんど覚えていないのですよ。えーと、こちらでは認知症と言うのでしたね、それなんです」
「そうだったんですか。お元気な時にお会いできたら良かったのに」
「そうですね。でも帰国したら、母に話して聞かせますよ。祖父の故郷に行ったことと、ここのお酒のことを。それに東京に帰ったら、私の息子達にもね」
まだ息子達は日本酒の良さは分からないけれど、一度はこの彼方の雫を味わって欲しいものですねと嬉しそうに言った。そこへバタバタと忙しない足音をさせて、トイレに行っていたはずの伯父の息子が部屋に戻ってきた。
「ちょっと、すごいの見つけた!」
その手には変色した手紙のようなものが握られている。
「なんだ、そんな古い手紙、どっから引っ張り出してきた」
「いやさ、俺が子供のころ、爺さんと婆さんが、笑いながらコソコソと手紙を読んでいたことがあるのを思い出してさ。その時、何を読んでんだ?って尋ねたら、ワシ等だけの秘密だって教えてくれなかったんだよ。で、便所でそのこと急に思い出してさ。二人のことだから、絶対にどこかに残していだろうと思って探してみたら、案の定出てきた!」
「お前、死んだ人間の家捜ししていたのか、このバチあたりめ」
「いやいや、そんなことより、これ見て! トロサさんもこっちに来て見て!」
嬉々とした顔をして、手紙をテーブルの上に広げる。それを見て首をかしげたのは、伯父以下、比較的年若い人々。
「……なんだ、このミミズののたくったような文字は」
「バカモノ、これは達筆というんだ、どれどれ」
祖父が眼鏡を掛けて手紙を手にする。
「なになに、小生無事に生き永らえ候。彼の地にて妻子と共に幸せに暮らしている由、心配御無用……尚この件は他言無用にてお願い申し上げ候……
その場にいた全員が、口をあんぐりあけたままその手紙を見詰めた。日付を確かめれば、終戦から五年が経った八月とある。トロサの母親の話によれば、その手紙の日付から五年後に瀬能隼人は亡くなっているはずで、日にちてきには辻褄は合うものだった。
「……驚いたな。二人は、その後も婆さんの兄貴が生きていたことを知っていたのか。俺達にはさんざん、婆さんの兄さんは戦死したと話していたくせに」
「まったく……悪ガキで
「つまりは『彼方の雫』は死んだ幼馴染を偲んでいたのではなく、遠くにいる幼馴染のことを思って名づけたのか。やれやれ、三人の高笑いが聞こえそうだな……」
最後の最後で彼等三人にしてやられたという気分になったのか、一同が賑やかしくワイワイと酒を飲む中で、一人仏壇に向かって“俺の感動を返せ”と文句を言い続ける伯父の姿があった。
+++
そしてその週末、トロサは祖父の故郷を隅々まで堪能し、瀬能家の人々に何度も礼を言いながら、千夏達より一足先に東京へと帰っていった。彼等が記念にと手渡した、祖父の若い頃の写真と共に。
それから程なくして、アメリカ大使館より、大吟醸『彼方の雫』の納入依頼がくるのだが、それはまた別の話である。
彼方の雫 鏡野ゆう @kagamino_you
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